湯原修一の歓喜悦慶と聊かの慷慨憂愁, etc.

いつとはなしに眠りにおち微風を禿頭に感じて目が覚める。
このような生活に変わったらブログが更新されないかもしれません。

◇ 懐かしい外国映画女優

2015年11月06日 23時37分03秒 | 昔々の思い出
行きつけの「熊本市立プラザ図書館」から
借りている本の中に
「保存版 アカデミー賞のすべて」(*)
というものがあります。

  * : 発行所 株式会社共同通信社
     発行日 2007年4月9日
     定価 2,100円
        (5%の消費税等相当額込)

アカデミー賞の受賞作品とノミネート作品の
全記録が写真付で載っています。
第1回が1928年(昭和3年)で、作品賞は
「つばさ」(**)という長編映画でした。

 ** : 第一次世界大戦を舞台にした
     青春ロマンと書かれていますが、
     私は観たことがありません。

第1回から順にページを繰っていたら、
懐かしい女優の名前が顔写真付きで
載っていました。

「デボラ・カー(Deborah Kerr)」
さんです。
 
 ※名前の響きが良く、"デボラ・カー" と
   発音するときの口元は貴婦人に似合うと
   思います。

 デボラさんは
 ("カーさん" と呼ぶとヤヤコシクなる)
 美貌が輝いていた30代の頃に
 「地上より永遠に」や「王様と私」などで
 アカデミー主演女優賞に6回もノミネート
 されましたが、無冠に終わっています。
 (60歳を過ぎて「アカデミー名誉賞」を
   受賞されはしましたが)

 アカデミー主演女優賞ノミネートの
 常連だったのは私が生まれた頃です。
 私がデボラさんを初めて知ったのは
 10代の頃に観たリバイバル映画の中で、
 ということになります。
 端正な美貌とエレガントな雰囲気に
 憧れたものです。(年増好みだった(?))
 初々しさが残っていたと思われる(?)
 20代半ばに出演された「黒水仙」の
 デボラさんを見てみたいのですが、
 とうとう観ることがないままできています。

 デボラさんはハリウッド映画に多数出演
 されていますが、英国出身の女優です。
 いかにも貞節な淑女といった雰囲気の
 デボラさんが不倫を演じるところに
 無い物ねだりの男性ファンが惹かれる
 のかもしれません。
 アカデミー主演女優賞を2回受賞されて
 はいますが、
 米国出身の「メリル・ストリープ」さん
 には醸せない情緒ではないでしょうか。
 

ページをずっと進んだら、
二人目の懐かしい名前が出て来ました。

 ※ページを繰るたびに知っている名前が
   沢山出て来ます。
   ここでいう "懐かしい" は
   "好きだった" と同義です。

「エリザベス・シュー(Elisabeth Shue)」
さんです。

  ※ "シュー" と発音するときの口元は
    キュートな容姿に似合うと思います。
   
 シューさんの、いかにもアメリカ娘といった
 屈託ない笑顔が好きでした。
 シューさんは第68回(1995年)の
 アカデミー主演女優賞にノミネート
 されています。
 「リービング・ラスベガス」という映画の
 中で「ニコラス・ケイジ」さん
 (この映画でアカデミー主演男優賞を受賞)
 の相手役になる娼婦を演じられました。

 「バック・トゥ・ザ・フューチャー PART2」
 の中の誰からも好かれる笑顔の
 ジェニファー役も似合っていましたが、
 イメージチェンジして、
 誰からもは好かれない娼婦の切ない恋を
 演じたシューさんに惚れ直したものです。
 
 ちなみに、
 シューさんは「リービング・ラスベガス」
 での演技で「全米映画批評家協会主演女優賞」
 を受賞されています。
 アカデミー賞ノミネートは1回きりで、
 他の受賞歴も寂しいものですが、
 シューさんの笑顔さえあれば、
 そんなことはどうでもよいことです。
   
 私は、自分の別名の一部として、
 シューさんの "Shue" を今でも使ったりします。
 (子供の頃の私の呼名が "しゅうちゃん"
   だったということもあって)
 ただ、50歳を過ぎられた今のシューさんの
 顔写真を拝見したりすると、
 そろそろ止め時かと思うときもあります。



この本を見ていると、映画狂い(?)だった
10代の頃を思い出しました。
その頃、熊本市内には次のような名前の映画館
があったはずです。
入館料が安い映画館(特に地下にあるところ)
ほどジメジメ度が高く、壊れた椅子があったり
したという憶えがあります。

 ・新世界
 ・大劇
 ・東雲劇場 ←邦・洋混在の4本立て
 ・電気館
 ・地下デンキ ←電気館の地下にあった
 ・名画座 ←これも電気館の地下にあった
 ・中央劇場
 ・中央地下 ←中央劇場の地下にあった
 ・東宝
 ・オリオン座
 ・浄行寺シネマ

  ※記憶が曖昧なので、もっと他にも
    あったような気がしますし、
    名前も間違っているかもしれません。


私は中学・高校生の頃、
純文学の文庫本を読んだり一人で映画を
観るのが好きでした。
要するに屈託ある少年だったわけです。

高校生の頃は多い年で年間300本以上(***)
観ていたと思います。
(学校の勉強から逃避していたわけです)

 *** : 誇張ではありません。
     週末(土・日)には映画館を
     ハシゴしていましたし、
     学校を早引けして観に行ったり
     したこともあります。
     補導員に映画館の中で職務質問
     されたこともありますが、
     これらのことは、90歳になるお袋は
     知らないままです。
     3本立てや4本立ての映画館
     (東雲劇場など)もありましたので、
     平均して週に6本以上は観ていた
     はずです。
     テレビでの映画番組が多く、
     録画もできる今日では
     300本観るのも容易なことかも
     しれませんが ・・・

熊本市内の映画館にきていたものは
ほとんど観ていたはずです
(成人映画の "ほとんど" を除き)。
その中でもヨーロッパ映画、
どちらかといえば悲恋の物語などが
好きでした。

 安い入館料の映画館という、
 ジメッとした中で、文字通り暗い時間を
 独りで過ごすことが多かった青春時代
 でしたから、
 憧れていた
 青空の下でのカラッとした明るい恋愛に
 縁がなかったのは、言うまでもありません。