映画で楽しむ世界史

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禁酒法の時代「アンタッチャブル」

2008-03-01 09:36:25 | 舞台はアメリカ

 2月28日衛星映画劇場の「アンタッチャブル」・・・・・アルカポネとエリオット・ネスについては、いろいろ面白おかしく伝えられているから、ここでは「堅い話=禁酒法の顛末」を見ておこう。

 

1、なぜ禁酒法成立

  ピューリタンが強いアメリカ東部では、アルコールに対する強い批判があり(特に女性が熱心)、1851年のメーン州を皮切りに多くの州で禁酒法が存在した。

 そして第一次世界大戦開戦に伴い、戦時の穀物不足を予防するという論が強まり、全国的な禁酒法制定のための憲法改正運動が盛り上がる。

  日本的に言えば、いわば超党派議員立法の形で憲法修正案案(修正第18条)が、1917年12月に議会を通過してしまう。時のウィルソン大統領はその適用範囲を狭めようと議会に働きかけるが失敗し、1919年1月に法律は成立してしまう。

 既にこの時点で第一次世界大戦は終結してオリ「穀物不足に備える」という名分は消滅していたが、いきがかり上法律施行せざるを得ない(1920年2月)。

  この憲法修正=禁酒法では、飲料用アルコールの製造・販売・運搬等が禁止されたが、自宅内における飲酒は禁止されなかったので、多くの富裕層は施行前に酒を大量に買い溜めしたという。

 

 2、禁酒法のもたらしたもの  

 この法律はあまりにも理念専攻、いわばヒステリー状態のまま出来上がった法律で、人類創世以来の酒作りを禁止することなど出来ないことは明らか。「ざる法」の典型であるどころか、むしろ社会に悪影響をもたらし酒を巡る犯罪が増加する。

  法の抜け道はいくらでもある。映画にも出てくるように「カナダルート」が強かったようだ。アメリカ当局もカナダルートには鷹揚で、あまり取り締まらなかった。カナダ産ラム酒は爆発的に売れ、カナダ経済に大きく貢献したという。

  また当局とギャングの癒着も酷かった。法が法だけに取締まり官の待遇やモラールーも低く、法の執行技術も幼稚だった。密造業者、輸送業者、倉庫業者、販売業者などは商売のためには容易にギャングと組む。また彼らが選出する議員や警察官僚は容易にギャングに買収された。

 ギャング間の抗争も酷い。1929年、大恐慌発生に先立つ2月のシカゴで「聖ヴァレンタインデーの虐殺」と呼ばれる大事件が起きる。アル・カポネが率いるイタリア系ギャング団が、対立するアイルランド系オルニバン一家を、酒の密売の誘いで呼び出し、7人を虐殺する。また映画に出てくる「野球バット殺人」などなど、アル・カポネが命じた殺人は数百件にのぼると噂されたという。

 

 3、禁酒法の廃止

  1933年、禁酒法の廃止をも公約に掲げたルーズベルトが大統領に就任する。そしてすぐに憲法修正21条で禁酒法の撤廃を決めると、クリスマスにあわせるように12月5日から施行された。

 禁酒法が施行されていた期間は、13年10ヶ月。フーヴァー大統領が「高貴な実験」と呼んだ禁酒法は、悪法の代名詞として後世に記憶された。

  しかしながらアメリカでは、現在でも18州が酒類の販売を州営の店舗等、特定店舗に限定している(Alcoholic beverage control states)。また酒類の販売を全面的に禁止している郡「ドライ・カウンティ」は相当数存在する。

 

 


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