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2008/03/02 「藤原宮木簡の40年」講演会メモ

2008-03-02 20:50:36 | Weblog

■ 「藤原宮木簡の40年」講演会メモ

「藤原宮木簡の40年」 鶴見泰寿氏(橿原考古学研究所)

○木簡の出土
 ・昭和36年に平城宮で木簡が『はじめて』出土
 ・奈良時代の木簡
 ・大宝令・養老令の施行時期
 ・『続日本紀』『律令』『正倉院文書』に次ぐ、奈良時代の実態を
  知る史料
 ・大宝律令以前については平城宮木簡からはわからない。

○藤原宮の発掘調査
 ・昭和37年に国道165号線バイパスが計画され、藤原宮を通過するこ
  とに。
 ・昭和41年から発掘調査を開始。
 ・藤原宮跡調査実行委員会を組織し、奈良県と奈良国立文化財研究
  所が調査に当たる。
 ・昭和41年度はバイパス予定路線内の調査、42年度・43年度は宮域
  確認調査を実施。

 

○藤原宮木簡の出土
 ・昭和42年1月25日に初めて木簡が出土
  『26-J地区にてSD101の北端部の精査を行う。この部分の溝はいく
  ぶん深くなっており自然木・種子・土器片の溜まりになっていた。
  泥土内の加工木を検出中2点の木簡が出土した。これは藤原宮に
  おける最初の木簡の発見である。』
 ・大宝律令施行よりも古い時期の木簡を含む 
  大宝律令施行の前後の変化がよくわかる画期的な史料

○藤原宮木簡の整理
 ・京都大学助教授 岸俊男 と 京都大学大学院生 和田萃が行った
 ・木簡の水洗い 持ち帰った木簡の泥をやさしく丁寧に落とす。
 ・記帳       形状、墨痕などを観察して図にする。
 ・釈文の確定  文字を読み、現代の文字に置き換える。
 ・保存  ホルマリン溶液に漬けて保管。現在もこの保管方法を実施。
 
 

○藤原宮木簡の特色

 ・郡評論争が決着  己亥年 699年 大宝令施行の2年前 
 ・国評里制
 ・「郡評論争」とは?
   井上光貞「大化改新詔の信憑性」
   坂本太郎「大化改新詔の信憑性の問題について」
      「郡」か「評」か?
      『日本書紀』の信憑性   
      大化改新詔の評価などに影響 
 ・文書の形式  大宝令以前の文書形式「~の前に白す」
 ・文書形式とは?
  - 大宝公式令
        差出官司と宛先官司との上下関係により文書形式が決まる
    符 上級官司から下級官司へ 
    解 下級官司から上級官司へ 
    符 同格の官司同士で 
 ・年月日の表記
  - 干支で表記 → 大宝以前は元号を使用しない
  - 年月日を冒頭に記載 → 大宝以後は末尾に
 ・古い地名の表記
  大宝~和銅、2文字の地名に変更 
  波伯吉国 → 伯耆国、吉備道中国 → 備中国
 
 

○奈文研による調査

 ・飛鳥藤原宮跡発掘調査部
  1973年に飛鳥藤原宮跡発掘調査部が設置される。
  以後、藤原宮の調査は奈文研がおこなう。
 ・『藤原宮木簡』一、二の刊行

○宮外官衙の発見
 ・藤原京左京七条一坊西南坪の調査
  約14,000点の木簡が一括して出土
  当初は中務省関連木簡とみられていた。
 ・奈文研市大樹さんの研究成果
  衙門府の本司が宮外官衙として現地に置かれていた。 
 ・木簡は宮城門を通過するための門片旁木簡や別勅賜物の送り状



2008/02/23 朝日新聞


■ 知人退院

退職した会社の取引先の元取締役の奥様、あわてん坊の知人、
揃って退院。


■ 散歩道にて





2008/03/02 17:38


■ きょうのタマちゃん 





   

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