起きたときは強い雨が降っていた。
紀伊半島南部では浸水などの被害が出ている。
goo 天気予報
雨情報を見ると、まだまだ降りそうだ。
ラジオ・新聞・ネットのニュースは
どうする?
○ 国の借金 864兆円 一人当たり678万円
2009年6月末時点の国債と借入金、政府短期証券を合計した「国の借金」
の総額。
こんな状況なのに補助金をねだる?
○ 9月機械受注
前月比 10.5%増 (前月 0.5%)
受注額 7380億円 (前月 6681億円)
内閣府は基調判断を「下げ止まりに向けた動きが見られる」に変更した。
小雨の中、
昼食の【大根】をとりに行く。
雨水がだいぶ溜まってる。
午後、雨は止んだ。奈良市の昨夜からの雨量は47mmだった。
夕刻の日課・・・
風が出てきた。これから寒くなりそうだ。
睡眠中。「ガ~公」の頭はエメラルドグリーンに完全に生え変わったようだ。
2009/11/11 17:01
一時、夕日が出た。明日の天気は回復するか。
森繁久彌さん大往生
森繁さんにはテレビ・ラジオでいっぱい思い出がある。
男はつらいよ 『純情篇』 1971年 松竹 に出演の森繁さん。
解説・あらすじは男はつらいよ 純情篇(1971) - goo 映画
◇ どじょっこふなっこ
1961年4月1日 NHK「みんなのうた」が始まり、「おお牧場はみどり」とと
もに最初の曲だ。
「すがっこ」もとけて・・・ 「わらすっこ」泳ぎ・・・
森繁さんが独特な節回しで歌ってた。よく森繁さんの真似をして歌った。
◇ 紅白歌合戦
私が中学・高校生のとき森繁さんは何回か出場してた。本人の申し出だっ
たか、NHKが云ったのか、歌手活動をしてないという理由で出場しなくなった。
◇ 知床旅情
自ら作詞作曲、大ヒットした。今、調べると1960年発表の作品。森繁さん
の独特な歌い方で何回も聴いた。
加藤登紀子さんも1970年頃『知床旅情』を歌い、人気歌手の仲間入りをし
た。加藤登紀子さんは、私が退職した会社の社歌を歌っていて、研修中毎
朝聞いていた。
加藤登紀子さんは身近な存在となり、CDが発売され最初に買ったのが
『知床旅情』が入ってる『日本哀歌集』だった。
◇ 七人の孫
1964年1月6日テレビ放送開始。森繁さんの当時の年齢を計算すると若
いおじいちゃんだった。
お手伝いさん役の悠木千帆(今の樹木希林)さんとの会話が面白かった。
「いしだあゆみ」さんが孫役で出演してた。ひらがなの芸名が珍しかった。
スケートが得意でスケートをしている場面は覚えてる。この部分だけ映画
だった。グルノーブルオリンピック代表選手であるお姉さんに、初心者の
スケート教室で1回だけ教えてもらったことがある。
◇ 青年の樹
1961年テレビ放送開始。私の『青春の樹』でもあった。森繁さんは最初出
ていたが、いつの間にか出なくなった。
主題歌が好きだった。「雲が流れる丘の上・・・」、あとで知ったが石原慎太
郎作詞だった。
最初の頃の放送、教授の云うことが気に入らなかったのか、反抗して勝呂
誉さん、寺島達夫さんが机に上った。続いて小林哲子さんが「失礼します」
と云って靴を脱ぎ、机に座り込んだ。
先生の云うことは聞かないといけない、と思ってた私にとって、東大生って
めちゃくちゃしょうるなと思った。
◇ 日曜名作座
森繁さんで一番好きだったのは NHKラジオ『日曜名作座』。21時のニュ
ースの後で放送してた。
森繁久彌さんと加藤道子さんの2名で、二人が声色を変えて登場人物を演
じ分けた。
高校時代から『日曜名作座』のファンである。
一つだけ番組の内容を覚えてる・・・
笛作りの兄弟がいて二人で笛を作っていた。弟は耳が不自由で全く聞こえ
なかった。
初めは兄が自分で作ったのと弟が作った笛の音の調整をした。
弟は笛を作る技術は秀でて、いつの間にか弟が作り、兄が音の調整と分
業するようになった。弟は兄が調整するとき、どの部分をどれだけ削ってい
るのか兄の手元をじっと見ている。
作っていくうちに、兄の調整する箇所はだんだんと少なくなっていった。
しまいには、兄は調整する必要がなくなった。
・・・・このような趣旨の作品だった。
子ども心に、弟のような技術を身につけたいと思った。
就職してからもこの作品を事ある毎に思い出した。
まだまだ森繁さんの思い出はある。また機会のあるときに・・・
■ タマちゃん18歳、きょうも元気
髭が1本見えてるよ。
のち