こんなのできた!

単調な生活に新発見を!  
日々の小さな出来事の写真日記

2010/02/19 藤田まことさんも逝ってしまった

2010-02-19 20:05:02 | Weblog

きょうは二十四節気の一つ 雨水、農耕の準備を始める時期とされる。
私は2日前から開始した。

ラジオ・新聞・ネットのニュースは
○ FRB、公定歩合を0.75%に引き上げ
 FRBは銀行などに貸し出す際の金利である公定歩合を、現行の
 年0.50%から 0.75%に引き上げると発表。


藤田まことさんも逝ってしまった

 【2009/08/07 大原麗子さん逝く】
 【2009/11/11 森繁久彌さんの『どじょっこふなっこ』】
ファンであった人が次々と逝ってしまった。


 藤田まことさん(左)と白木みのる。『スチャラカ社員』放映の頃。

『てなもんや三度笠』 
私にとって藤田まことといえば『てなもんや三度笠』 、日曜日の夕方6時
が待ち遠しかった。
藤田まこと・白木みのるのコンビのほか香山武彦、山東昭子、南利明、
鳳啓助・京唄子、財津一郎らが出演してた。役者としては素人である殺陣
師の的場達雄が時々顔を出し、またあのおっさんやと笑った。
伴淳三郎、堺俊二、平参平のベテランが若い藤田をもりたてた。

番組が始まったのは昭和37年5月、「巨人・大鵬・玉子焼き」が流行り、
消費ブームが始まった年。当時は娯楽の種類が少なかったとはいえ、
最高視聴率 64.8%を記録した。

『びっくり捕物帳』
最初に藤田まことを観たのは『びっくり捕物帳』。この番組では1~2カット
出てた。出てたという記憶しかない。
番組の内容は中田ダイマル・ラケットが目明し役。この二人では事件が解
決できず、剣の達人森光子の助けを借りる。森光子の兄の与力役が藤田
まことだった。 

この頃、わが家にはテレビがなく近所で見せてもらってた。今思えば日曜
日の12時、食事時で食べている隣で近所の子どもたちがわいわい騒いで
テレビを見ている。文句をいわれないのが不思議だった。テレビを持ってい
る家は大変迷惑だったろう。

『飲料水のコマーシャル』 
この頃か、夜放送の渋谷天外・藤山寛美の『親バカ子バカ』の番組の初め
に羽織袴を着けてコマーシャルに出てた。
内服液? 今でいう清涼飲料水。当時は小さなガラスの容器に入ってた。
容器先端のくびれた所をハート型の紙やすりでこすり、手でポキンと容器
の先端を折り、ストローで飲む。これを実演して見せる。
飲み終わった後、「ああ、効いてきた」のギャグをいう。ただそれだけだが
面白かった。見るほうはうまくガラスが折れなかったらどうするとか心配し
て見ている。実際うまくガラスが折れなかったことも何回かあり、やり直した
り喋りでフォローしてた。

『スチャラカ社員』
コメディアン・藤田まこととして印象に残ってるのは『びっくり捕物帳』の後継
番組『スチャラカ社員』。
番組では出社すると女子社員役の長谷百合を見て「はせくーん」を連発する。
途中、女子社員役は長谷百合から藤純子に交代した。
当時はダイマル・ラケット、ミヤコ蝶々、横山エンタツの喋りよりも藤田まこと
の方が新鮮で面白かった。

『必殺仕置人』
『てなもんや三度笠』終了後数年を経て『必殺仕置人』の中村主水役に出演。
これ以降の『必殺シリーズ』に出演し続けた。職場では風采の上がらない
「昼行灯」とけなされる中年男だが、裏の顔は剣の達人。世のサラリーマン
の理想像とも云えるキャラクターを演じ抜いた。

『必殺シリーズ』を藤田まことの代表作とする人が多い。
私に
は『てなもんや三度笠』が一番面白く、一番印象に残っていて、
一番好きだった。



夕刻の日課・・・


電信柱?


「ガ~公とシロ」

■ タマちゃん18歳、きょうも元気



   

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