腕時計の歴史
腕時計の誕生
腕時計は19世紀後半に誕生したが、当初は女性用の装身具としての位置付けであり、ブレスレットの一種のようなものであった。実用上も精度は低かった。 発展の契機は機動性・迅速性を要求される軍隊用の需要である。それまでの懐中時計はポケットからいちいち取り出して時間を確認する必要があり、手首に装着された腕時計は有利であった。
1879年、ドイツ皇帝ヴィルヘルム1世はドイツ海軍用に腕時計を2,000個製作させたという記録がある。 1899年のボーア戦争で、イギリス軍将兵が懐中時計を手首に装着したのが腕時計の最初という説があるが、おそらく誤りである。ドイツの先例もあり、また1895年の日清戦争に従軍した日本兵の写真に腕時計(一説に、腕に巻いた懐中時計)が写っていた例がある。
当時の男性用腕時計は、小型懐中時計の竜頭位置を横に変えて革ベルトに固定したものであった。その後、ムーブメント(時計内部の機械)のみの共用を経て、腕時計専用のケースとムーブメント開発が行われるようになった。
20世紀初頭、一部のメーカーが腕時計生産を開始したが、男性が携帯する時計は懐中時計が主流で、腕時計は正式な存在とは見なされていなかった。
紳士用腕時計として最初に大きな成功を収めたのはフランスの宝飾品店カルティエ社が開発した角形ケースの「サントス」で、1911年のことである。 元々この腕時計はブラジルの大富豪で航空界の先駆者であったアルベルト・サントス・デュモン(Alberto Santos-Dumont 1873 - 1932)のために作られたものであった。サントス・デュモンは飛行船の操縦中、大きな動作を取らずに時間を確認出来るよう、ルイ・カルティエに依頼して腕時計を制作させた。軍用時計と違い洗練された形態はパリの社交界で話題となり、ついには市販されるようになった。「サントス」はスポーツ・ウォッチの古典となり、21世紀に入った現在でもカルティエの代表的な製品として市販されている。 第一次世界大戦は腕時計の普及を促す契機となり、戦後には多くの懐中時計メーカーが腕時計の分野へ転身した。この結果、男性の携帯する時計は懐中時計から腕時計へと完全に移行した。
第二次世界大戦以前からの主要な腕時計生産国としては、懐中時計の時代から大量生産技術が進展したアメリカ合衆国のほか、古くから時計産業が発達したスイス、イギリスなどがあげられる。後にイギリスのメーカーは市場から脱落した。アメリカのメーカーも1960年代以降に高級品メーカーが衰亡してブランド名のみの切り売りを行う事態となり、正確な意味で存続するメーカーは大衆向けブランドのタイメックスのみとなった。
自動巻腕時計
自動巻腕時計とは、時計内部に半円形のローターが組み込まれており、装着者が腕を振ることにより、ローターが回転しゼンマイを巻き上げることができるというものである。錘(ローター)を仕込んだ自動巻機構自体は1770年に発案されていたが、ポケットに収まった状態で持ち運ばれる懐中時計では有効に働かず、装着時に慣性の働きやすい腕時計において初めて効果を発揮することになった。
最初の自動巻腕時計となったのはイギリスのジョン・ハーウッドが開発した半回転ローター式で、1926年にスイスのフォルティス社から発売された。続いてより効率に優れる全回転式ローター自動巻がスイスのロレックス社で1931年に開発され、同社は「パーペチュアル」の名で市販、オイスターケースと呼ばれる防水機構と共にロレックスの名を売った。現在では全回転ローター自動巻が一般化している。 自動巻腕時計の多くは、竜頭を用いてぜんまいを手巻きすることもできるが、廉価型の腕時計には構造を簡素化する目的で自動巻専用としたものもある。自動巻は装着されている限り、ぜんまいの力が常に十分に蓄えられているため、手巻き式に比べて精度が高くなる傾向がある。
腕時計をめぐる逸話
☆オメガの「スピードマスター」はNASAの公認クロノグラフである。
NASAは各社の腕時計に対し、宇宙空間での使用に耐えられるかどうか、耐熱性、耐寒性、耐衝撃性など様々な試験を行った。この結果、「スピードマスター」のみが合格したという実績を持つ。この試験に使用された「スピードマスター」は特にそれ専用の改造をほどしてあったわけではなく市販品とまったく同様のものであった。アポロ計画でも使用され、月面に降り立った唯一の腕時計という栄誉をになっている。1970年、アポロ13号は月に向かう途中で酸素タンクが爆発するという大事故が発生した。航法用コンピュータが使用不能になったが、「スピードマスター」を用いてロケット噴射時間の制御を行い、乗組員は全員無事生還を果たしている。ちなみに「スピードマスター」の裏蓋には"FIRST WATCH WORN ON THE MOON"の文字が刻まれている。
☆カシオの「Gショック」は米国での発売当初、アイスホッケーのパックの代わりにしても壊れないとの売り文句でコマーシャルを放映していた。これに対し消費者団体は誇大広告であるとの抗議を行ったが、再現実験をしてみると、コマーシャル通りの結果が得られたため、「Gショック」の評価が一気に高まったとの逸話がある。また本格的な防水ケースにも関わらず、パーツの大半が合成樹脂で作られているため、磁気を帯び難い(消磁しやすい)とされ、湾岸戦争当時には磁気に反応する機雷処理を行う軍関係者に好まれた。この逸話が日本に伝えられると、それまでは「ゴツいだけでファッショナブルではない」と一般にはあまり人気の無かった国内市場で愛好者が急増、これに気を良くしたカシオ側はさまざまなバリエーションを発売して、今日のコレクター市場成立に到っている。