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往年の名作漫画を読んで

2013年05月06日 11時29分34秒 | マンガ・アニメ&二次創作
このところ立て続けに往年の名作少女漫画を読んだ。
一つは竹宮恵子さんの「風と木の詩」、もう一つは萩尾望都さんの「トーマの心臓」
ツイッター上でフォロワーさんがギムナジウム関係のつぶやきをしていたことで、突然、この2作を読みたくなったのだ。

ともに「花の24年組」と言われた大家の作品だ。彼女らが活躍した頃はワタシが漫画を読んで(描いていた)頃(リアルタイム)とほぼ重なるのだが、実は二人とも当時はスルーしていた。
当時から話題の作品であることは当然知っていたが、なんとなく絵柄が自分の好きなタイプでなかったことと、「少年愛」という世界に食指が動かなかったのだ。#今でも、正直「少年愛」という世界は、イマイチピンとこないところもあるのだが。

これらの作品が世に出たことで、その後、少女漫画はBLへという流れを後押ししたようだが、当時の私にはよその世界って感じがしていた。
ただ、直接読んではいないものの、耽美な雰囲気や禁断の男子の世界(?)ギムナジウムものといったドラマ環境は、バラを背負って登場する金髪巻き毛の薄幸な美少年といった独特の存在と合わせて、お絵かきや漫画など創作の畑に植えこまれていた。
結局、少女漫画を描くものは、そういうものが少なからず好きなのだな。

さて、両作品のあらすじはこちら。
・風と木の詩
http://wikiwiki.jp/comic-story/?%C9%F7%A4%C8%CC%DA%A4%CE%BB%ED
・トーマの心臓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%81%AE%E5%BF%83%E8%87%93

以下、ドラマの根底に流れる思想などは、私には十分読み取れなかったので、直観的な感想をダラダラ書きます。

両方とも主人公らが思春期の少年たちで、何か「愛」というものに振り回されている境遇という感じ。それが思春期ってことなのだろうか。もちろん、そこまでに至る、過酷な過去の事件とかが延々と語られるのだが。

「風と木」は、最後までずっとイタい感じが拭えなかった。主人公、特にジルベールは作者はSじゃないかと思うぐらい、心身ともに痛めつけられ続けて、救いがなかった。最後も、こうきたかーという衝撃的な展開で幕を閉じた。
でも、いくらそういう風に育てられたとしても、14歳の少年があそこまで(父)オーギュが全てとして刷り込まれるものなのかというところに、ちょっと違和感があった。
「トーマ」の方は、まだ最後に救いがあったような感じがしたが、こちらは主人公ユーリを取り巻くテーマが崇高すぎて、そこを理解するとまた違った感想となるのかもしれない。私にとっては現実的な存在の人物オスカーやエーリクがいたから、なんとか最後まで読めたような気がする。

ただ、両方とも「あれ?いつのまに?」って思ったのは、「風」ではセルジュがジルベールを、「トーマ」ではエーリクがユーリを、愛しているという展開になったところだったりする。
私の読み方が浅いのか、単に伏線を見落としているだけなのかよくわからないが、一時はそれぞれが少なからず相手に反発する気持ちを持っていたと思うのだが、いつから公に告白するほど好きになっちゃうんだ?というところ。
まあ、いいか…?

これから先はドラマの話というより絵やレイアウトなどビジュアルの話になるが、いかにも70年代の作品(だよね?)という雰囲気はぬぐえない。
それと二人とも、その他のキャラなどちょっとした部分で、手塚治虫氏に影響を受けていそうだなと思った箇所がいくつかあったからか。今のデジタルでは描かれない、アナログならではの描線、展開など。

ただ、絵柄は古い感じはしても、ドラマは今読んでも十分通じると思う。
いや、むしろ大きな問題提起をするかもしれないなあ。愛の裏返しにある暴力とか。
特に「風と木」は違う絵柄の人が描いたら。ワタシ的には、大人をもっと大人っぽく描く人が描いたら面白いだろうなと思う。オーギュとかボナールとかアスランとかバイヴァとか。(そうするとリアルすぎて成人漫画になって夢がなくなっちゃうか?)

そうそう、あとこの二つで共通することで、さすがだなーと思ったのは、作品全体に流れる「詩」である。
優美な「詩」そのものが文字で語られているのは文学作品でもあり、その流れるような配置は、コマワリ全体の美的レイアウトにマッチしていて、まさに詩を絵で読むというのを与えてくれた作家だと思う。
#つうか、24年組にはそういう展開が得意な先生が多いよね。
真似したくても、こればかりは詩才のない私にはどうしてもできない世界であった。
これは今でもすごく憧れる。
(ところで最近の漫画に「詩」はあるのだろうか?)


ということで、ひと時、「寄宿舎・ギムナジウム」という少年たちの世界に浸ったことで、若干だけど絵心を刺激されたりして…(^^)

それにしても、彼らも14歳だが、日ごろ二次創作で遊んでいる星矢くんたちも14歳(ぐらい)だったよね??
アイオロスが追われたのも14歳。当然サガも14歳。
14歳って…多感で(ドラマチックなことのある)年代なのだろうか?
だから「中二病」とかいうのもあるのか?(関係ないか?)

(ウィキペディアより)
中二病(ちゅうにびょう)は、中学2年生頃の思春期にありがちな自意識過剰やコンプレックスから発する、一部の言動傾向を揶揄した俗語である。基本的には精神的に不安定になる思春期に成長する自意識と残った幼児性の間で背伸びをするような言動。またそのためにおかしな行動をとってしまうことを言う。

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3 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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追記 (よもぎ)
2013-05-06 21:44:28
時々、女性向けのR18の二次創作、特に小説系で、少年が性的になぶりものにされるというのを見かけることがあるが、そういう展開は「風と木~」で描かれた、力による服従の流れの先にあるような気がする。
大家が世に出したことで、こういう(倒錯した)世界もアリなんだって二次創作作者たちの妄想を刺激したのだろう。
特に外見が突出して美しい少年は餌食になりやすいらしい。
感想を描きながら、ふと、アフロディーテやカミュなどのそういう二次創作話を読んだことあったなあ…なんてことを思い出した。
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Unknown (千華)
2013-05-06 22:55:58
こんばんは。
私は「風と木の詩」は読んでません。たぶん内容に抵抗があったからで、今も読む気にはなれないですねえ。
「トーマの心臓」は、かなり後になって読みましたが、あまりはっきりと覚えていません。嫌いではなかったけれど…。
萩尾さんの作品では、「トーマ」よりも「ポーの一族」の方が好きです。より詩的である、という意味でも。
リアルすぎない、全体にちょっと霞がかかったような、そんな不思議な世界は萩尾さん独特の世界ですね。
よもぎさんの妄想とはかけ離れてしまうかもしれないけれど、機会があればぜひ「ポーの一族」も読んでみてください。やっぱりこれが萩尾さんの代表作だと思うので。
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ポーの一族は… (よもぎ)
2013-05-07 20:21:33
>千華さん
コメントありがとうございます。
そうでしたか。千華さんも「風と木の詩」は未読だったのですね。これはかなりハードな内容ですし、ホントによく当時の少女漫画雑誌の編集部が連載したなあと思ってしまいますよね。
「ポーの一族」は、実は読んだことあります。たぶん今回の「トーマの心臓」も読んだような気がするんですが、覚えていないんですよね。
「ポー」は、時空があっち行ったりこっち行ったりについていけなくてヘタってしまったせいかもしれません。
萩尾さんの世界って、どれも正直難しい。そのせいか、ドーンとハマれないで来てしまったような気がします。
でも、機会があったら(だぶん三度目の挑戦になると思いますが)ポーも読み直してみますね。
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