歌舞伎見物のお供

歌舞伎、文楽の諸作品の解説です。これ読んで見に行けば、どなたでも混乱なく見られる、はず、です。

「河内山」 (「天花粉上野初花」) くもにまごう うえののはつはな

2013年09月06日 | 歌舞伎
急ぐとき用の3分あらすじは=こちら=になります。

「河内山」は「こうちやま」と読みますよ。
河竹黙阿弥(かわたけ もくあみ)の傑作「天花粉上野初花」(くもにまごう うえののはつはな)の前半部分にあたります。

ストーリーはわりと単純なのですが、むしろ前提となっている周辺社会常識が今通じないので、そのへん中心に書きますよ。

 
 湯島天神境内

現行上演どこからでるのがフツウかちょっとはっきりしませんが、
勧進相撲でにぎわう湯島天神の境内からはじまるのが定型だと思います。
ここで町道場主の金子市之丞(かねこ いちのじょう)とチンピラの暗闇の丑松(同名の新作ものがあるけどこっちが先)たちとのモメごとがあり、
それをお数寄屋坊主(おすきやぼうず、あとで説明します)の河内山宗俊(こうちやま そうしゅん)が仲裁します。

通しで出さないとあまり意味がないシーンなのでカットかもしれませんが、梅の湯島天神、勧進相撲、ケンカ、と
江戸情緒がたいへんよく出ている華やかな場面なのでもったいないところです。

ここで河内山が、知り合いの「上州屋」の後家さんに会います。ご主人がいないので女主人としてがんばっています。
このかたが河内山に悩み相談をはじめます。
娘の「浪路(なみじ)」ちゃんがお大名の「松江さま」のお屋敷で奉公しているのですが、
お殿様に言い寄られて、断ったらお屋敷に軟禁されてしまったのです。
大名屋敷は幕府的に治外法権なので、お奉行所に言ってもダメです。手が出せません。困っている後家さん。
これをなんとかしてやろうと言って河内山は後で詳しい話しをしにお店に行くことにします。

ここまでカットかもしれません。なくても後半に話はつながるからな。


 質店「上州屋」見世先

上州屋さんです。質店(しちみせ)」です。
チナミに当時の「質店(しちみせ)」というのはは、今の質屋さんとはちょっと印象が違います。
今の街金や質屋さんのイメージに近い商売は「金貸し」と呼ばれます。
質店は、確実に換金できる担保を取って低利子で貸したので、銀行に近いです。たいへん固い商売ですよ。
だから娘さんもお大名のお屋敷におつとめできたのです。

関係ないですが、作者の河竹黙阿弥(かわたけ もくあみ)の生家も質店です。物堅い家庭で育ちました(笑)。

というところに河内山がやってきて、まず、持っている木刀で50両貸せとムタイな要求をします。おい。
最近の河内山はカンロクありすぎなのが多いですが、もともとはわりとそういう無法者的な男でもあります。

でまあ色々前述の事情を詳しく聞いた河内山、なんとかしてやろうと約束して、前金で百両受け取りますよ。
「ふだんからヒジキにあぶらげの安い食事ばかりしているからいい知恵も浮かばないだろう」と
言いたい放題です。百両ももらっといて。


 大口屋(おおぐちや)

今は出ないかもしれません。
「大口や」という遊郭です。高級遊郭というほどではありません。
もう一人の主人公「片岡直次郎(かたおか なおじろう)」が、恋人の花魁「三千歳(みちとせ)」と痴話喧嘩する場面があります。
直次郎も御家人くずれの無法者で、遊女の三千歳のヒモですからあまりりっぱな立場ではありません。
そこにやってきた河内山。
河内山と直次郎は友達なので、今度の「お仕事」と手伝ってもらうことにします。
と一応書いておきます。出ないですかそうですか。


 松江候お屋敷

松江候が言うこと聞かない浪路ちゃんを手討ちにしようとしたり、
若侍の宮崎数馬(みやざき かずま)が「お前様はなあ」と言って一生懸命いさめるけど(定番)全然聞いてもらえなくて(定番)、
逆に浪路ちゃんとアヤシイとか言われたりとか(定番)大騒ぎのところに
河内山がやってきますよ。

河内山、茶坊主なのでアタマが坊主です。
ていうか「茶坊主(お数寄屋坊主)」の説明を、下に書きました。坊主頭ですが、本当はお坊さんではないのです。
しかし坊主頭なのをいい事に「上野寛永寺のお使い僧」に化けてやってきます。
直次郎はお共の侍の役です。御家人くずれなのでぴったりなのです。

上野寛永寺、芝増上寺、小石川伝通院。この3つのお寺は徳川家の菩提寺なので、
将軍にモノ言えるくらいの格式がありました。
というわけで、「大名」よりも「寛永寺」のほうがえらいのです。
河内山がせりふで「ホッコク」と言っているのは「北谷」、江戸の北にある谷=上野のお寺=寛永寺のことです。

上州屋が、というか上州屋の後見をしている和泉屋が。浪路ちゃんのことでウチに泣きついてきた。
四の五の言わずに娘返せ。
ようするに大きな小細工はなく、正面突破な要求ですが、寛永寺の権力にはかないませんよ。将軍にチクられると困るし。 
浪路ちゃんは家に帰れるこちになります。よかった。
さっさと浪路ちゃんを籠に乗せて送り返す河内山。ミッション完了です。

あとは撤退すればいいのですが、まだまだやりたいないのか河内山、
寛永寺を怒らせたくないので酒や料理を出すという家老に「山吹色の茶をくれ(小判をくれ)」と河内山が直球で要求するなど、
たのしいかけひきをいろいろやります。ふてぶてしいです。

悠々と帰ろうとした玄関先で、
ついに正体がバレる河内山。
殿様にべったりの悪役、北村大膳(きたむら たいぜん)が、顔に大きなホクロがある河内山の顔を覚えていたのです。
開き直った河内山、逆にタンカを切ってお侍たちをやりこめます。

茶坊主は身分は高くないですが将軍に直接会って話ができる立場なのです。
個人的にチクることはできるのです。オマエらなんか怖くないよ。
河内山はだまし取った金を持って、悠々と帰って行きます。

おわりです。

ここの最後の場面でタンカをきる長台詞が、かっこいいので有名でした。


詳しく書くと作品のイメージと初演当時の役者さんのイメージの関係とか、モトネタの講談とか、いろいろあるわけですが、
今回は割愛します。

さて、
「河内山宗俊」の職業「お数寄屋坊主(おすきやぼうず)」(茶坊主)というのが何だか、
現代の客はわかっていないので、
彼の生活感というか、イメージがつかみにくくなっているのがこのお芝居の隠れた問題点です。
「隠れた」というのは、わからなくてもストーリーとしては充分楽しいからですが、
やはりキモチ悪いので書きます。

「お数寄屋坊主(茶坊主)」についてです。

なにはともあれ、最大の誤解を解くと、「お坊さん」ではありません。

一応幕府の正式な役職です。身分は全然高くないですが、将軍主催のお茶会を仕切ったり、将軍やその近しいヒトビトに茶道の指導をしたりしました。
「お茶会」って喫茶店でお茶のんでおしゃべりするオフ会じゃないですよ。
豪華絢爛で堅っくるしくて優雅な、茶道のイベントですよ。
将軍やその妻子に直接会ったりお茶を教えたりするので、形式上出家し、「世俗を離れた僧形」で無害さを表現するのです。

将軍とおしゃべりできちゃったりしますから、役職上は何の権限もなくても「将軍直参だ」と、河内山は大名相手にすごむわけです。
「個人的にチクるぞ」というわけです。

茶席ではいろいろ故事来歴や和歌のウンチクや、細かい約束事やその理由も言えなければなりませんので、
彼らは知識も豊富で遊芸にも長けた教養人です。
同時に、季節や場所に応じた様々な趣向で茶会を仕切りますから、イベントプロデューサーとしての能力もあります。
ところで幕府において「鷹狩」「茶事」「能」は三大娯楽イベントだったと思うので、大金が動きますよ。
「茶事」イベントに必要なもろもろの高級品の仕入れ、納品にたずさわる「お数寄屋坊主」は、
かなり「オイシイ」立場だったはずです。

そういうわけで、幕府の役人という、一見お堅くてきれいな仕事でありながら、じつはかなり「アヤシゲ」な部分を内包するのが、
「お数寄屋坊主」という存在です。
この「役人+文化人+業界人」というモザイクのような人生を生きているあざとい生活感が、
今、舞台の上でなかなか見られないなあと思います。
まあ出しても客のほうがわかんないから伝わらないのですが。
やはり見る側が「おお」と反応してはじめて演技というのは成立するのだと思います。
今の歌舞伎の役者さんは本当にたいへんです。

チナミに、「暫(しばらく)」に出てくる道化役の鯰坊主(なまずぼうず)や、「寿曽我対面(ことぶき そがのたいめん)」に出てくる「茶坊主雲斎(ちゃぼうず うんさい)」なんかも、職業は河内山と同じ「茶坊主」です。
ずいぶん印象違います。
「茶坊主」にはこういう「権力者の腰巾着」的な側面もあるのです。

作品の雰囲気についてちょっと書きます。

作者の河竹黙阿弥(かわたけ もくあみ)は江戸末期から明治にかけての作者で、これは明治に入ってからの作品です。
黙阿弥は、年をとるにつれて彼のカラーがしっかり出るようになり、作風そのものも明るくなり、
「根っからの悪人」が出なくなります。
初期の作品「都鳥廓白波(みやこどり ながれのしらなみ)」などと比べるとよくわかると思います。
で、まさにその、「ドロボウは出るけど悪人は出ない」お芝居がこれです。典型的です。
明治に入ってから書かれた、ということで、リアリティーよりも
「昔のいい時代を懐かしんで楽しむ」という方向に観客の需要が変わってきていたことも、
この傾向に拍車をかけたと思います。


さて、
映画がお好きなかたでしたら、小津安二郎監督の旅芝居の役者を題材にした「浮草」という映画をご存知かもしれませんが、
作中でこの最後のシーンの台詞の一部を聞くことができます。
ただ、映画の中のあの台詞は、主演の二代目鴈治郎が言っているわけではないので間違えないようになさってください。
鴈治郎はあの映画の中で一度も舞台での演技をしていないのですが、
映画とはいえ、さすがに「中村鴈治郎」を旅芝居の役者として舞台に立たせるわけにはいかない、というのは、
当時の歌舞伎役者への高いリスペクト、というか
当時は役者の中に厳然とした「住む世界の違い」が存在したのだということが伝わってくる事実だと思います。
ってこれは余談です。

後半部分、「雪暮夜入谷畦道(ゆきのゆうべ いりやのあぜみち)」(そば屋)を読む

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3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (フィオレンツア)
2012-02-17 20:45:35
よくわかりました。有難う。
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齢49にして初めての歌舞伎 (kameneko)
2012-03-03 00:02:43
新橋演舞場で感激しました。解説面白いですね。
他のところも読ませて頂きます。
有難うございます。
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歌舞伎が身近になりました (七五郎)
2015-05-13 07:30:38
七五調の心地良さでセリフは温泉の砂時計代りに暗唱致しております

言葉の意味が解けたら ますます歌舞伎が身近になり大満足しております

どんな人が書いたのかなぁ?
粋な江戸っ子でカタカナに強い聡明な御仁!

早速新歌舞伎座は見てきましたが
歌舞伎の観劇経験なし

これからも宜しくお願い致します。




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