古代出雲王朝ゆかりの地や神話を尋ねて

紀元前4世紀から十七代続いた古代出雲王朝ゆかりの地や神話を尋ねます。

2.古代出雲王朝の終焉 美保神社諸手舟神事

2010年10月18日 23時25分38秒 | 古代出雲王朝ゆかりの地を訪ねて

松江市の東にある美保神社に伝わる「諸手舟神事(もろたぶねしんじ)」

は古代出雲王朝の終焉を暗示させる祭りです。

大和から、強力な武闘派「タケミカヅチ」が派遣され、出雲王朝は「国譲り」

を強要されます。

出雲王朝の急変を告げるため、美保関沖で釣りをしていたオオクニヌシの

息子コトシロヌシ(エビスさん)のもとへ早舟が駆けつけたという「記紀」に書かれた作り話に

基づいて昔から連綿と行われています。

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諸手舟神事の見学記はここから入れます。 http://blog.goo.ne.jp/yochanh1947-matsuesiki/e/e29f0c4cd80031e6f49bc4e80ad0b890

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1.熊野大社、美保神社、佐陀神社

2010年10月18日 19時17分40秒 | 古代出雲王朝ゆかりの地を訪ねて

古代出雲王朝ゆかりの社 2009年11月9日

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一昔前まで「古代出雲王朝なんて、神話の世界の話だ」とみんなに思われていました。その王朝の存在を示す遺跡や物証に乏しかったからです。

ところが、数年前に島根県出雲市で「加茂岩倉遺跡」や「荒神谷遺跡」からそれまでに日本で発掘されていた銅剣の総数を一挙に上回る数の銅剣が発見され、またおびただしい数の銅鐸が発掘されました。

また出雲大社境内からは直径1.2メートルの大丸太を鉄帯で 3本束ねにした巨大な柱が発掘されて、伝説の巨大神殿が現実味をおびて、古代出雲王朝の存在が一気に熱を帯びてきました。

それらの発掘物は 出雲市の「古代出雲文化博物館」に陳列されています。

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芸術新潮10月号には「梅原 猛」先生が出雲王朝の栄枯盛衰を解説していらっしゃいます。なかなか読み応えがありました。 先生は今まで「法隆寺ー隠された十字架」「水底の歌ー柿本人麻呂論」など多数の歴史論で歴史学会に話題を提供してこられました。私も読みましたが、新しい斬新な視点で書かれ、とても面白く読ませて頂きました。

※表紙は出雲大社拝殿で微笑む梅原先生

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先月にこのブログページで紹介した、松江市南部の天狗山(天宮山)は、出雲の国一ノ宮(出雲の国で一番古く権威のある神社)の元宮(もともとはお社が置かれていた)と呼ばれています。 その天狗山に登った後立ち寄った、熊野大社と八重垣神社の写真です。

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朝鮮(新羅)からやってきた「スサノオ」は出雲の斐伊川の川上から流れてきた箸を見て川を遡り、オロチに食べられようとしている「稲田姫(クシナダヒメ)」を「ヤマタのオロチ」から救います。「古事記」

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熊野大社は古代出雲王朝の創始者「スサノオ」とその妻「クシナダヒメ」ゆかりの社です。  ※記紀による

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熊野大社参道です。この橋が架かっている川が「意宇川」で天狗山中腹にあった「意宇のミナモト」から流れ落ちた川です。

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神門にも巨大な注連縄がかかっています。

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堂々とした熊野大社拝殿の注連縄です。

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熊野大社の案内文です。「熊野大社は古代、現在の天狗山にありました」と書かれています。

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ここが「鑚火殿」で、スサノオが新羅から持ち込んだ火起こしの道具が神具としてあるそうです。

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出雲国造(くにのみやつこー出雲大社宮司)が新任するとこの鑚火殿で火継ぎの儀式を行わなければ、新しい宮司には なれないそうです。

また毎年新年に出雲大社の宮司がこの熊野大社にご挨拶に、お餅を持って来なければならず、その時には熊野大社宮司がそのお餅をいかに悪く言うのかが千年以上続く伝統神事だそうです。

それほどこの神社は格式が高く、出雲一宮といわれる所以です。

 ※ 後年、不比等らにより 造られた記紀神話にあわすため

   徐福(スサノオ)がここに祭られたので、徐福の忠実な部下の穂日の

   末裔の出雲国造(出雲大社宮司)はここに挨拶をせざるを得なかった

   のだろう。

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239年に都万国の 物部王国と宇佐の豊王国との連合王国イニエ大王と

豊玉姫は 魏の洛陽へ使者を遣わして 魏から8本の幡を受け取った。

その後 連合国は 瀬戸内海を東進し 第二次東征を開始した。

同時に 物部豊連合国は日本海を進み 出雲王国を攻め落とし、出雲

王朝は降伏した。ここに 古代出雲王朝は終わりを告げた。

出雲王朝第17代少彦の大田彦は、東出雲王宮を物部進駐軍の将軍 

物部十千根に明け渡した。それが今の 神魂神社だという。

向王家の大田彦は、八雲村熊野に引き上げて、そこに住んだ。

それが 今の熊野大社という。

  ※ 斎木雲州著 「出雲と蘇我王国」 大元出版 による。

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ここからは八重垣神社です。

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スサノオがヤマタノオロチからクシナダ姫を、この境内の奥、佐草の森に匿い、オロチ退治のあと新婚生活を送った場所です。

「八雲立つ 出雲八重垣 妻込めに 八重垣造る その八重垣を」

 と妻を娶った喜びを歌いました。

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鳥居と神門の向うに 拝殿が見えています。縁結びの神の本家だそうです。

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元は拝殿の板壁に 「スサノオ」と「クシナダ姫」の絵が描かれていました。今は宝物殿に保存されています。

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佐草の森のなかにある「鏡の池」。ここに匿われた「クシナダ姫」が姿を映して化粧したという池です。森の中にひっそりと 静まり返っています。

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境内には「山ノ神神社もあり、子授けの神として有名です。若いご夫婦が一心に、お祈りしていました。

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※ 本当にこの神社は胡散臭い。記紀により造られた神話にあわせて

  後年御利益にあやかろうと造った神社なのが見え見えだ。

  徐福(スサノオ)は 石見の五十猛海岸に上陸後、「火明ほあかり」と

  名乗り 古代出雲王家第7代主王(大名持)天の冬衣の娘さんの 

  「高照姫」を娶ったので、 この神社がスサノオと稲田姫(?)の新婚生活 

  の場なんて 後世の作り話なのに 嘘の上塗りで 上の写真の陽根を

  飾り、子授けの神なんて いかがわしいにも程がある。

  まあ人気のキャラクターにアヤかって客集めをしようとする神社や

  お寺は 全国に沢山あるが。

  私の高校時代 この神社の神主のSというおっさんが 先生をしていた。

  いつもへらへらして下ネタが多く胡散臭いおっさんだった。 

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佐陀神社(さだじんじゃ)

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松江市の佐陀神社は三連の大社造の壮観な社です。

全国から神様が出雲に集まる「神在り祭」は、出雲大社で執り行われた後この佐田神社に場所を移して、引き続き執り行われるという、由緒ある神社だそうです。

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美保神社

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美保関神社は島根半島の東の端にあり、「オオクニヌシ」の息子

「コトシロヌシ」(ゑびすさん)と「ミホツ姫」を祀っています。

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「コトシロヌシ」は「ゑびすさん」として尊敬されていて、全国の2400社の「ゑびす神社」の総本社です。

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境内の鳥居からは海が見えます。鳥居の額には 「沖の御前、地の御前」 と書いてありますが、意味が分かりません。

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梅原先生の論旨は

1 朝鮮から来た「スサノオ」により出雲王朝は始まった

2 その子孫の「オオナムヂ」の時に領土は最高に広がり大国となって、「オオ クニヌシ」とよばれるようになった。新羅、越(こしー越前あたり)、播磨などが支配下に置かれた

3 その後大和の国に「出雲の国譲り」を強要され、差し出した。

このあたりまでは、今まで歴史作家とかほかの先生も本に書いておられたのですが、次の2点は今までの本にはなく 新しい意見だと思いました。

4 出雲王朝は一時 大和や山城をも支配下に置いた。

 その理由 京都周辺には「出雲」と名の付く地名が多く、出雲系の神を祀る神社が京都、奈良に多い。(下に赤字で注釈しています)

5 全国の神々が出雲に集まる10月は出雲では「神在り月」と呼ばれるがこれは国譲りの時に「黄泉の国の大王」になった(つまり殺された)オオクニヌシの葬儀に全国から神々(王)が集まったことの再現である。

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以上が梅原先生の本の論旨ですが、昔に比べると かなり前進はしたけど

まだまだ 不勉強が否めない。だって梅原先生は 古代史の先生ではなく

哲学の先生なのに なぜ専門外の古代史に こだわられるのかなあ。

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私の知っているだけでも 祇園祭で有名な八坂神社はスサノオとクシナダ姫を祀っていて、清水寺奥の地主神社はオオクニヌシを祀っています。

日本最古の神社といわれる奈良県桜井市の大神神社や、大和の神奈備(神のおわす山)で山自体がご神体で有名な 三輪山はオオクニヌシを祀っています。

私の住む河内の最高峰で河内、大和を見下ろす金剛山山頂の葛城神社にはオオクニヌシの息子コトシロヌシ(一言主 または ゑびすさん)が祀られていて社はご丁寧に大社造です。

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※ 古代出雲王家 代8代副王(少彦)の八重波都身(記紀では言代主と

  書かれた)は この地美保関で 越の国からやってきた「沼川姫ぬなかわ

  ひめ」と暮らしていたが、徐福(スサノオ)の部下 穂日とその息子

  夷鳥(夷鳥)らに 諮られて米子市の粟島洞窟に幽閉され、殺された。

  前もって誘い出して幽閉した 第8代主王(大名持)の八千矛(記紀では

  大国主)の行方不明を知らせに来た 早舟を再現した祭りが今も続く

  「諸手舟神事もろたぶねしんじ」である。

  

  上記の金剛山頂 葛木神社は 後日訪問しますが、言代主の子孫が造った

  神社なのです。

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