風の記憶

≪記憶の葉っぱをそよがせる、風の言葉を見つけたい……小さな試みのブログです≫

つくづく一生

2017年08月26日 | 「新エッセイ集2017」

あちこちで、ツクツクボーシが盛んに鳴きはじめた。
ツクヅクイッショウ(つくづく一生)、ツクヅクオシイ(つくづく惜しい)と鳴いているらしい。
夏の終わりに鳴くセミにふさわしい鳴き方だ。季節に急かされているような、せわしない鳴き方でもある。

    この旅、果てもない旅のつくつくぼうし

これは種田山頭火の句であるが、山頭火の放浪の旅にも終わりはあった。
昭和14年(1939年)10月、四国遍路を果たした彼は、松山で教鞭をとっていた俳人の、高橋一洵の世話で松山に落ち着くことになる。

    おちついて死ねそうな草枯れる

「昭和14年12月15日 一洵君に連れられて新居へ移って来た。御幸寺山麓御幸寺境内の隠宅である。高台で閑静で、家屋も土地も清らかである。」
寺の納屋を改造した庵を、彼は終の棲み家と決め「一草庵」と名づけた。
「わが庵は御幸寺山裾にうづくまり、お宮とお寺とにいだかれている。老いてはとかく物に倦みやすく、一人一草の簡素で事足る。所詮私の道は私の愚をつらぬくより外にはありえない。」(句集『草木塔』より)。

    濁れる水のなかれつゝ澄む

翌15年10月、山頭火は59歳の生涯を閉じる。
一草庵での生活は1年足らずであったが、ここでも、山頭火の酒好きは治まらず、一洵やその仲間の句友たちに、さんざん迷惑をかけたらしい。それでも温かく見守られ、幸せな最期だったようだ。
長建寺という寺の境内には、山頭火と一洵の句碑が向かい合って建っている。

    もりもりもりあがる雲へあゆむ  (山頭火)
    母と行くこの細径のたんぽぽの花 (一洵)

いま頃は、ツクツクボーシの夏を惜しむ声が、まわりの木々を騒がせていることだろう。残暑はなお厳しい。

    へうへうとして水を味ふ

ツクヅクオシイ
ツクヅクイッショウ
この夏、ぼくは水ばかり飲みながら、山頭火の「へうへう」を想っている。


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