花紅柳緑~院長のブログ

京都府京田辺市、谷村医院の院長です。 日常診療を通じて感じたこと、四季折々の健康情報、趣味の活動を御報告いたします。

紅葉と楓をたずねて│其の七・諏訪館跡庭園

2017-08-14 | アート・文化


紅葉する頃に再び訪れたいと思いながら、果たせぬままに心の内にその姿を留めてきた一本の青楓がある。

平成十三年、残暑の時節に、大和未生流御家元監修で流派の研修旅行《日本美探訪~名庭園を訪ねて》が主催された。この時に初めて福井の一乗谷・朝倉氏遺跡庭園を訪れる機会を得た。戦国大名の朝倉氏が五代に亘り栄華を誇り、文化・芸術の花が開いた越前一乗谷の城下町は、朝倉義景が織田信長に敗れ去った後に火が放たれて灰燼と帰した。
 水藤真著『人物叢書 朝倉義景』は、朝倉氏断絶の幕を引いた義景の領国統治、他国との戦闘や外交における史実を詳細に探り、義景を取り巻く内外情勢及び個人的事情、性向にまで踏み込み、これらの要因が複合的に絡み合い滅亡への道を辿った過程を克明に論じている。辞世の偈は「七転八倒、四十年中。無他無自、四大本空。」(七転八倒、四十年の中(うち)。他無く自無し、四大本(もと)より空。)である。武門の嫡子に生まれて四十年、七転八倒の経験界。自他の別なしの、主体として我、客体としての他、その主客の対立を越えた境位に至り、地水火風の四大(しだい)の根本は空なりと正見を得るという意であろうか。
 その生涯を綴った歴史小説、井ノ部康之著『一乗谷炎上』には、「わしは信長や家臣たちに敗れたのではなく、自分自身との戦いに敗れたのだ。そして、何一つ得ぬまま、永遠の無の世界に入ってゆくのだ。」と、辞世の筆をとった最期の義景が描かれている。本書の最後の一文は、「一乗谷では、毎年、秋の彼岸の頃になると、義景や綾姫が見たと同じ真紅の曼珠沙華の花が小さな炎のように咲き乱れる。」である。
 その機に臨んで遅疑逡巡なく、「吹毛急用不如前」(吹毛(すいもう)急に用いて前(すす)まんに如かず)の行動を為すために何を截断せねばならなかったのか。ノンフィクション、フィクションの違いはあれども、この点において両書に描き尽くされているのは、義景の人間的な、あまりにも人間的であった姿である。

諏訪館跡庭園は一乗谷・遺跡庭園群の一つで、最後の側室、小少将の館に造られた、上下二段の構成から成る池泉回遊式庭園の遺跡である。晩夏に訪れた時、石組の間を往時流れ落ちていた二筋の滝や池泉の水は既に涸れ果て、寂漠の苔生した枯山水の景観を見せていた。四米の高さは優に超える滝添石の横には一本の実生の青楓が屹立し、石組を覆うように大きく枝葉を広げていた。歴史の彼方に消えゆく人間の哀歓など塵ほどの重みもないに違いない。何があろうともまた巡り来る季節の自然をその一本に体現して、挑むかの様に強かに楓は立っていた。何時の日か必ず、私はあの時に見届けた楓の風姿を生けねばならないと思っている。

参考資料:
『一乗谷』, 福井県立一乗谷朝倉屋敷遺跡資料館, 1981
水野克比古:『日本の庭園美 一乗谷朝倉氏遺跡』, 集英社, 1989
水藤真:人物叢書『朝倉義景』, 吉川弘文館, 1981
井ノ部康之:『一乗谷炎上』, 幻冬舎, 1998