先週に引き続き、今週もまだロードバイクに乗れないので…
またしてもオートバイでプチ歴史ツーリングです。
目指すは大阪府の南東部、河内長野市。
つまり河内、その中でも南河内といわれる辺り。
河内といえば、「えんやこらせ~どっこいせ~…」で始まる
お馴染み『河内音頭』やミス花子さんの名曲『河内のオッサンの唄』、
「おー、よう来たのワレ~まあ上がって行かんかいワレ~…」という
勇ましいフレーズが頭をよぎるけど、それはもっと北の地域かな?
とにかく、オートバイで国道310号線を南下、七つ辻交差点で
国道371号線へと直進し三日市駅方面へ。
ちなみに七つ辻は国道170号(旧道)、310号、371号(旧道)
が交差しているほか市道も含めてその名の通り七つではなく実は八つ、
見方によっては九つの道が集まるややこしい交差点。
<七つ辻>
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/32/80/edd0c040340d1805a64ffbde0f7a2bd4_s.jpg)
こんな感じ。
この七つ辻から国道371号線を南へ1kmほどの小さな交差点を
右折すれば、右手に現れる小山にあるのが烏帽子形城跡。
<烏帽子形城跡全景>
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/17/ad/d42fd2d89faab452d2f367e1c3081c64_s.jpg)
ロードバイクでは麓を頻繁に走ってるけど、この城跡を訪れるのは
今日が初めて。
早速、オートバイを公園の駐車場に停めて、いざ出陣!
ちなみに、この烏帽子形城は高野街道に睨みを利かせる交通の要衝で、
1332年に楠木正成が赤坂城の出城として築城したもの。
室町時代には河内守護・畠山氏の家督争いの舞台となり、1615年
橘正治が大坂の陣の戦功により2千石(旗本)で城主となったものの
城を維持できずに1617年に廃城となったそうです。
<烏帽子形城跡の空堀>
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/11/b6/a2ffd9c8019135a4405653936db48351_s.jpg)
画像で見るよりももっと両側の斜面が急で、取り囲まれている感があり、
明らかにに人の手が加わっていることが分かります。
<烏帽子形城跡の主郭からの眺め>
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/6f/b6/e05cc53095e2d2b93da03bc09f3f1ddf_s.jpg)
土づくりで砦に近い感じですが、高野街道を見下ろせます。
烏帽子形城跡を後にし、南海高野線三日市駅方面へ。
この辺は高野街道の宿場町として栄え、現在も数件の旧家が残っています。
<高野街道三日市宿の家並み>
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/57/8c/b1b146d0e306c7534a4dba69810bd672_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/07/32/68dacf1927cdf71c26e35f1f16ac99f8_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/3d/15/e131aa26ee056b05f1595ea50a8f45e0_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/39/97/023d4ed8873f30473e5f894104f816a9_s.jpg)
やはり旧街道の家並みは風情があって落ち着きますね~。
幕末、京都を出発した吉村寅太郎ら天誅組が、五條代官所攻め、
高取城攻めに向かう前にここ三日市宿に宿泊、観心寺の楠木正成
の首塚に詣でるため、立ち寄ったそうです。
私も天誅組と同じく、三日市宿から観心寺へ。
ここはロードバイクで奈良県の五條市方面へ向かう際に必ず
立ち寄る休憩ポイント。
しかし、シューズの靴底にはクリート(ペダルと一体化する器具)
が着いていて歩けないので、拝観せずにお手洗いを拝借するのみ。
そういうわけで、今日は小学校以来ウン十年ぶりの拝観です。
ここ観心寺は西暦701年に修験道の開祖・役行者が開き、後に
弘法大師空海が真言宗の道場とした由緒ある寺院。
また、「大楠公」楠木正成とも深い縁があり、後醍醐天皇の勅令で
奉行として金堂の造営にあたったほか、自身でも三重の塔の造営に
あたったそうです。(拝観料:大人\300)
そんな由緒あるお寺で、お手洗いを拝借するのみとは罰当たり。
<観心寺山門>
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/3e/70/af95201ad0a3dd3d1a8e2baf9610e821_s.jpg)
<観心寺金堂(国宝)>
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/32/e7/07fe8d31405fcb502b4acc8f7cbd9020_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/43/1a/2683dd8a04e49cebe990cb94cb62940f_s.jpg)
室町時代初期の和様、禅宗様、大仏様の折衷様式で大阪府下
最古の国宝建築です。
いつもお世話になっているので、お賽銭は大目に…金額は秘密。
<観心寺 楠公建掛塔(重要文化財)>
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/1d/8b/00e680c883fb2c8e5239eb6a7c4d1e8e_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/01/36/d5060839029085267dfb1df1f16c0e0b_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/3f/db/138db532986bc81c512bc8f949a83f3c_s.jpg)
楠木正成が三重の塔の造営にあたったが、その途中1336年の
湊川の戦いで敗死したため、今の姿となったとのこと。
いかにも建て掛けらしく、屋根が茅葺の簡易的なものです。
今日は寒かったため昼にも関わらず、つららが下がっています。
<楠木正成公首塚>
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/19/d1/e786716d9d3697bf4736349703a3b7f4_s.jpg)
<楠木正成公銅像>
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/75/7f/4fface8ed97a68d0cd2970f7a2b5bb04_s.jpg)
霊宝館内には重要文化財クラスの貴重な仏像がたくさんあったけど、
仏像に心惹かれるほど悟っていないので、早々に退散。
それにしても「観心寺ってこんなに広かったのか~」と改めて感心。
あっ、これは駄洒落じゃないですよ!(念のため)。
午後1時、まだ早いけど、日差しが暖かいうちに帰ります。
来週こそはロードバイクに乗るぞと心に誓い、鼻唄を口ずさみつつオ
ートバイにまたがるのでした…。
「おー、よう来たのワレ~ まあ上がって行かんかいワレ~
ビールでも飲んで行かんかいワレ~ 久しぶりやんけワレ~
何しとったんどワレ~ 早よ上がらんけオンドレ何さらしとんど~
河内のおっさんの唄~ 河内のおっさんの唄~♪」
またしてもオートバイでプチ歴史ツーリングです。
目指すは大阪府の南東部、河内長野市。
つまり河内、その中でも南河内といわれる辺り。
河内といえば、「えんやこらせ~どっこいせ~…」で始まる
お馴染み『河内音頭』やミス花子さんの名曲『河内のオッサンの唄』、
「おー、よう来たのワレ~まあ上がって行かんかいワレ~…」という
勇ましいフレーズが頭をよぎるけど、それはもっと北の地域かな?
とにかく、オートバイで国道310号線を南下、七つ辻交差点で
国道371号線へと直進し三日市駅方面へ。
ちなみに七つ辻は国道170号(旧道)、310号、371号(旧道)
が交差しているほか市道も含めてその名の通り七つではなく実は八つ、
見方によっては九つの道が集まるややこしい交差点。
<七つ辻>
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/32/80/edd0c040340d1805a64ffbde0f7a2bd4_s.jpg)
こんな感じ。
この七つ辻から国道371号線を南へ1kmほどの小さな交差点を
右折すれば、右手に現れる小山にあるのが烏帽子形城跡。
<烏帽子形城跡全景>
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/17/ad/d42fd2d89faab452d2f367e1c3081c64_s.jpg)
ロードバイクでは麓を頻繁に走ってるけど、この城跡を訪れるのは
今日が初めて。
早速、オートバイを公園の駐車場に停めて、いざ出陣!
ちなみに、この烏帽子形城は高野街道に睨みを利かせる交通の要衝で、
1332年に楠木正成が赤坂城の出城として築城したもの。
室町時代には河内守護・畠山氏の家督争いの舞台となり、1615年
橘正治が大坂の陣の戦功により2千石(旗本)で城主となったものの
城を維持できずに1617年に廃城となったそうです。
<烏帽子形城跡の空堀>
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/11/b6/a2ffd9c8019135a4405653936db48351_s.jpg)
画像で見るよりももっと両側の斜面が急で、取り囲まれている感があり、
明らかにに人の手が加わっていることが分かります。
<烏帽子形城跡の主郭からの眺め>
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/6f/b6/e05cc53095e2d2b93da03bc09f3f1ddf_s.jpg)
土づくりで砦に近い感じですが、高野街道を見下ろせます。
烏帽子形城跡を後にし、南海高野線三日市駅方面へ。
この辺は高野街道の宿場町として栄え、現在も数件の旧家が残っています。
<高野街道三日市宿の家並み>
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/57/8c/b1b146d0e306c7534a4dba69810bd672_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/07/32/68dacf1927cdf71c26e35f1f16ac99f8_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/3d/15/e131aa26ee056b05f1595ea50a8f45e0_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/39/97/023d4ed8873f30473e5f894104f816a9_s.jpg)
やはり旧街道の家並みは風情があって落ち着きますね~。
幕末、京都を出発した吉村寅太郎ら天誅組が、五條代官所攻め、
高取城攻めに向かう前にここ三日市宿に宿泊、観心寺の楠木正成
の首塚に詣でるため、立ち寄ったそうです。
私も天誅組と同じく、三日市宿から観心寺へ。
ここはロードバイクで奈良県の五條市方面へ向かう際に必ず
立ち寄る休憩ポイント。
しかし、シューズの靴底にはクリート(ペダルと一体化する器具)
が着いていて歩けないので、拝観せずにお手洗いを拝借するのみ。
そういうわけで、今日は小学校以来ウン十年ぶりの拝観です。
ここ観心寺は西暦701年に修験道の開祖・役行者が開き、後に
弘法大師空海が真言宗の道場とした由緒ある寺院。
また、「大楠公」楠木正成とも深い縁があり、後醍醐天皇の勅令で
奉行として金堂の造営にあたったほか、自身でも三重の塔の造営に
あたったそうです。(拝観料:大人\300)
そんな由緒あるお寺で、お手洗いを拝借するのみとは罰当たり。
<観心寺山門>
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/3e/70/af95201ad0a3dd3d1a8e2baf9610e821_s.jpg)
<観心寺金堂(国宝)>
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/32/e7/07fe8d31405fcb502b4acc8f7cbd9020_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/43/1a/2683dd8a04e49cebe990cb94cb62940f_s.jpg)
室町時代初期の和様、禅宗様、大仏様の折衷様式で大阪府下
最古の国宝建築です。
いつもお世話になっているので、お賽銭は大目に…金額は秘密。
<観心寺 楠公建掛塔(重要文化財)>
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/1d/8b/00e680c883fb2c8e5239eb6a7c4d1e8e_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/01/36/d5060839029085267dfb1df1f16c0e0b_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/3f/db/138db532986bc81c512bc8f949a83f3c_s.jpg)
楠木正成が三重の塔の造営にあたったが、その途中1336年の
湊川の戦いで敗死したため、今の姿となったとのこと。
いかにも建て掛けらしく、屋根が茅葺の簡易的なものです。
今日は寒かったため昼にも関わらず、つららが下がっています。
<楠木正成公首塚>
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/19/d1/e786716d9d3697bf4736349703a3b7f4_s.jpg)
<楠木正成公銅像>
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/75/7f/4fface8ed97a68d0cd2970f7a2b5bb04_s.jpg)
霊宝館内には重要文化財クラスの貴重な仏像がたくさんあったけど、
仏像に心惹かれるほど悟っていないので、早々に退散。
それにしても「観心寺ってこんなに広かったのか~」と改めて感心。
あっ、これは駄洒落じゃないですよ!(念のため)。
午後1時、まだ早いけど、日差しが暖かいうちに帰ります。
来週こそはロードバイクに乗るぞと心に誓い、鼻唄を口ずさみつつオ
ートバイにまたがるのでした…。
「おー、よう来たのワレ~ まあ上がって行かんかいワレ~
ビールでも飲んで行かんかいワレ~ 久しぶりやんけワレ~
何しとったんどワレ~ 早よ上がらんけオンドレ何さらしとんど~
河内のおっさんの唄~ 河内のおっさんの唄~♪」
でも私の場合、ロードバイクでなら100Km、200Kmはヘッチャラなのに、車でも全然行く気がしない。何かが変???
寺の中の様子はyasuさんのブログで勉強させて頂きます。
今はロードバイクに乗れないおかげで?いつも素通りするところをじっくり見れてるのかも…。
でも、やっぱり早くロードバイクに乗りたいなぁ。