出席番号7番で、「なな(七)」と呼ばれている女子学生がいる。最初名前を聞いたとき「なな」だというので、どういう意味なのかを聞いた。「出席番号が七番だからです。」との答え。日本人の私は自然に「ちゃん」を付けて、「ななちゃん」と呼び始めた。
ある時、ななちゃんより一年先輩の女子学生が私に聞いてきた。「彼女のことを、私たちは『ナッナッー』と強く呼びつけるのに、先生は『ななちゃぁん』と優しく呼ばれます。どうしてですか?」
そんなことは考えたこともなかった私は面食らった。自分が「ななちゃぁん」と優しい声で呼んでいる(?)ことにも気がついていなかった。この先輩は、私が優しい性格だから、話し方も優しいと思っているのではないかと思われた。そんなことはないのは、本人の私が一番よく知っている。
今年の7月、アモイ大学で、日本の早稲田大学の戸田貴子先生の「日本語の発音指導」の講義があり、聴講させていただいた。そこで、戸田先生が、「日本人女性のやわらかい話し方」と何回か言われた。その時には、どんな話しかたが「やわらかい」のか分からなかった。
この頃思うに、「中国人の学生は『ナッナッー』と強く呼びつけるのに、日本人の私は『ななちゃぁん』と優しく呼ぶ」というのは、話し手が中国人か日本人かという「人」の問題ではなく、中国語か日本語かという「言語」の問題ではないのだろうか。つまり、ふたつの言語の発声の仕方の違いから来るのではないだろうか。中国語は、喉のあたりを緊張させて、いわゆる声門閉鎖をして音を出すことが多いようだ。そういう音を聞くと、突然「パッ」と音が出て、強く言っているように聞こえる。それに対して、日本語は喉を楽にし大きく開いて、喉の奥から「はぁー」と発声するようだ。だから、やわらかく息を出しているように聞こえる。
決して、話し手が優しい人だから、優しく呼んでいるわけではないのではなかろうか。
成人になってから外国語を学習し、ネイティブと聞き間違うほどの発音をものにした人の話を聞くことがある。戸田先生のご講義の中でも、そういう人の日本語の録音を聞いた。そういう人は、外国語の表面上の発音を完璧にマスターしただけでなく、発声の仕方も完璧に自分のものにしたのだろうと思う。生まれつき耳がよく、加えて大変な努力をした人でなければ、達成できない”偉業“と言えよう。
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ある時、ななちゃんより一年先輩の女子学生が私に聞いてきた。「彼女のことを、私たちは『ナッナッー』と強く呼びつけるのに、先生は『ななちゃぁん』と優しく呼ばれます。どうしてですか?」
そんなことは考えたこともなかった私は面食らった。自分が「ななちゃぁん」と優しい声で呼んでいる(?)ことにも気がついていなかった。この先輩は、私が優しい性格だから、話し方も優しいと思っているのではないかと思われた。そんなことはないのは、本人の私が一番よく知っている。
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この頃思うに、「中国人の学生は『ナッナッー』と強く呼びつけるのに、日本人の私は『ななちゃぁん』と優しく呼ぶ」というのは、話し手が中国人か日本人かという「人」の問題ではなく、中国語か日本語かという「言語」の問題ではないのだろうか。つまり、ふたつの言語の発声の仕方の違いから来るのではないだろうか。中国語は、喉のあたりを緊張させて、いわゆる声門閉鎖をして音を出すことが多いようだ。そういう音を聞くと、突然「パッ」と音が出て、強く言っているように聞こえる。それに対して、日本語は喉を楽にし大きく開いて、喉の奥から「はぁー」と発声するようだ。だから、やわらかく息を出しているように聞こえる。
決して、話し手が優しい人だから、優しく呼んでいるわけではないのではなかろうか。
成人になってから外国語を学習し、ネイティブと聞き間違うほどの発音をものにした人の話を聞くことがある。戸田先生のご講義の中でも、そういう人の日本語の録音を聞いた。そういう人は、外国語の表面上の発音を完璧にマスターしただけでなく、発声の仕方も完璧に自分のものにしたのだろうと思う。生まれつき耳がよく、加えて大変な努力をした人でなければ、達成できない”偉業“と言えよう。
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