風の吹くまま

18年ぶりに再開しました。再投稿もありますが、ご訪問ありがとうございます。 

★ある祈りの詩 (日野原重明さんの著書より)

2005-11-24 | 雑感

日野原重明さんの著書「こころ上手に生きる」に、NYリハビリテーション研究所に書かれた末期癌患者の詩が紹介されていた。

大事をなそうとして
力をあたえてほしいと神に求めたのに
慎み深く従順であるようにと
弱さを授かった

より偉大なことができるように
健康を求めたのに
より良きことができるようにと
病弱を与えられた

幸せになろうとして
富を求めたのに
賢明であるようにと
貧困を授かった

世の人々の賞賛を得ようとして
権力を求めたのに
神の前にひざまづくようにと
弱さを味わった

人生を享受しようと
あらゆるものを求めたのに
あらゆるものを喜べるようにと
生命を授かった

求めたものは一つとして与えられなかったが
願いはすべて聞きとどけられた
神の意にそわぬ者であるにかかわらず
心の中の言い表せない祈りはすべてかなえられた
私はあらゆる人のなかでもっとも豊に祝福されたのだ

思いどうりにいかないことばかりの毎日、そして人生。求めたものが実現されない連続、失うものの連続。それによる憔悴、不安、哀しみ。しかし、この詩が伝えるように、それは別の何かが与えられているのかもしれない。そうだとしたら、もう少しがんばってみようと思う。時間がたてば、その意味が自分にもわかるかもしれない。

 

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★冬支度(ふゆじたく)

2005-11-20 | 雑感





街を歩くとイルミネーションが目に留る。
この季節になるとデパートのショーウィンドウも華やかで美しい。

「冬支度」。今はあまり使われなくなった言葉。
昔の人はこの季節になると来るべき冬のために、
いろんな準備にとりかかった。
今はどんな季節でも同じ生活ができる。
同じ食が手に入る。
家にも暖房設備が完備している。
もうすぐ来る冬に備えて様々な準備をする必要もない。

しかし、こんなに人の暮らしは代わったが、
この季節になると、
人の心の中には、
訪れる冬と同時に来る新しい年を、
新たに迎えたいという気持ちが今も変わらず生まれてくる。

日々時間に追われていると季節が移りかわるのを忘れてしまいます。
ふっと気がつくともう冬。

「冬支度」。なんとなくよい響きです。

 

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★NHKスペシャル「高倉健が出会った中国」

2005-11-19 | 雑感

NHKスペシャル「高倉健が出会った中国」(19日放送)を観た。

東京映画祭で観た「単騎、千里を走る。」とそのときの張芸謀(チャン・イーモウ)監督の舞台挨拶の感動をよみがえらせた。映画祭でも上映されたこの映画のメーキング・フィルムでもそうであったが、この映画の製作を通じた高倉健と現地の中国人スタッフ(出演者のすべて現地にすむ素人の人々)との交流に瑞々しい共感を感じた。

最近の日中関係は冷めている。60年も前に政府・軍隊の始めた戦争の傷が今も両国間に深い溝を残している。そんな冷めた政府間の関係とは別に、この映画作品を通じて結ばれた日本人と中国人との交流の姿を観てすこしほっと気分だ。

民族、国、生まれた環境は違っても、人は同じことに喜び、悲しむ、そして祈る。同じように生まれ、その時代を生き、そして死ぬ。日々のメディアが伝えることに流されず、自分の目で見て感じそれを知るということは大切なことだと思う。知らないということは偏見を生む、そして偏見は差別を生む。

今回の映画とその制作の過程を通じたこの番組は、そんなことを改めて考えさせるものだったと思う。


21日(月)には、NHK BSハイビジョンで「高倉健  日中の壁を越えた絆」(20:00-21:50)の2時間スペシャルが放映されるようであるので楽しみだ。

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★「さらば、わが愛~覇王別姫」 チェン・カイコー監督作品 【香港・中国・台湾合作】

2005-11-03 | 良質アジア映画

3時間の長編映画であるがあっという間に物語は観終わる。ストーリーそのものだけでなく、蝶衣役のレスリー・チャン切ない心情表現と菊仙役コン・リーの香る母性表現なしにこの映画はありえない。米「Time」誌が選んだ20世紀の名作映画100選のなかに、黒澤明「七人の侍」「生きる」小津安二郎「東京物語」とともに、アジアから選ばれた数少ない作品のひとつというのは当然だろう。


人はそれぞれの運命に責任を負わなければならない。自らの力ではどうしようもないような生まれ育った境遇、そして生きたその時代、たとえそれらがどんなものであったとしても、人は運命に自ら責任をもつよう強いられている。『さらば、わが愛~覇王別姫』は、京劇の古典『覇王別姫』を演じる一人の女形役者の波乱の生涯を通じて、観るものの心に、運命とというものがもつ哀しみを深く刻みこむ。

母との別れ
厳冷のある日、母の暖かい腕に抱かれれた少年・小豆子、母の愛で包まれている。しかし、娼妓である母は、小豆子を、孤児や貧民の子供たちが集まる京劇の養成所に連れてゆく。母は泣き崩れながら養成所の老師に訴える。
「遊郭では大きくなってゆく我が子を育てられない」。
しかし、「指が6本ある」という理由で老師に断わられる。
そして母は小豆子の指を一本切断する。わが子の将来を想うがゆえのものとはいえ母は子を捨てる。こんな衝撃的なプロローグから始まるこの壮大な物語に観るものは引き込まれる。

養成所の日々
小豆子は娼妓の子として他の子供たちからいじめられたが、彼を弟のようにかばったのは小石頭だった。養成所での過酷な修行の毎日。女性的な小豆子は「女になれ」と老師に躾けられる。しかし、頑なな小豆子は、何度殴られようともうけいれない。そんな小豆子に老師は「覇王別姫」の物語りを語る。

「覇王別姫」は楚と漢の争いを背景にした物語りである
楚はどのような人物であったのか
勇将の誉れ高い無敵の英雄
敵の大軍を討ち破ったこと数知れず
だが、運は彼に見方しなかった
兵を進めたとき
漢王劉邦率いる伏兵に遭遇
その夜、強風に乗じて
劉邦の兵は楚の歌を歌い
楚の兵たちは王を見捨てて敗走を始めた
いかなる英雄いえども
定められた運命には逆らえないのだ
かつては絶大権勢を誇った楚王
だが最後に残ったのは一人の女と一頭の馬
馬を逃がそうとしたが馬は動こうとせず
愛姫も王のそばにとどまった
愛姫は王に酒を注ぎ
剣を手に王のために最後の舞を舞って
そのまま剣で我がのどを突き
王への貞節を全うした

覇王別姫の物語は、我々に何を教えているのか
人はそれぞれの運命に責任を負わねばならぬ、ということだ。

京劇役者の日々
やがて、時の流れとともに、女性的な小豆子は女役に、男性的な小石頭は男役者として見事に成長する。
小豆子は程蝶衣(レスリー・チャン)、小石頭は段小(チャン・フォンイー)と芸名を改め、京劇『覇王別姫』の名コンビとして京劇界の華となる。しかし、その絶頂期に生じる溝。
段小と演ずる京劇「覇王別姫」が人生のすべての程蝶衣、京劇はあくまで生きるための手段ですぎない段小。

盧溝橋事件~日本統治時代
段小は遊郭の娼妓・菊仙(コン・リー)と結婚する。この時から、程蝶衣と段小との間に更に深い溝が生まれる。そして、北京は日本軍に占領される。

ある日段小は楽屋で騒動を起こし連行されてしまう。菊仙は日本側に取り入ってもらえるのだったら段小と別れてもいいと程蝶衣に懇願する。程蝶衣の協力で釈放された段小なのだが、日本の犬と程蝶衣を罵り菊仙を連れて去る。そして程蝶衣と段小は別の道を歩むこととなる。傷ついた蝶衣はやがてアヘンへと溺れてゆく。
しかし、アヘンに溺れる程蝶衣を救ったのは、段小と菊仙だった。

共産党政権樹立、そして文化大革命 
日本軍の敗退で抗日戦争は終わり、共産党政権の誕生とともに程蝶衣と段小は再び舞台に立つが、京劇は革命思想に沿うよう変革を求められていた。変革に懐疑的な蝶衣は批判され、『覇王別姫』の虞姫役を奪われてしまう。

そして、その後訪れた文化大革命の波。政治的圧力を受け、反共分子として段小は程蝶衣の過去の罪を摘発せよと強制される。段小はそれに屈し、程蝶衣がかつて日本軍将校のために歌を歌ったことを訴える。同時に娼婦だった菊仙など愛していないと言ってしまう。ショックを受けた程蝶衣は、菊仙がかつて遊郭の娼妓であったことを摘発する。そして菊仙は自らの命を絶つ。

終止符 
文化大革命も終焉し、2人は11年ぶりに再会する。蝶衣と段小は無人の体育館で2人だけで『覇王別姫』を演じる。空白の長い月日も二人の演技には陰りをおとしていない。
しかしながら、舞い終わった時、程蝶衣はその生涯に終止符をうつ。


母に捨てられた境遇。「男として生まれた、女ではない」と頑なに女形として生きることを受け入れない養成所の日々、だがやがては『覇王別姫』の愛姫役に自らの人生を重ねるようになる。愛した人・段小は遊郭の娼妓・菊仙と契ってしまう。それゆえ彼女を深く憎む。
だが同時に彼女に遊郭の娼妓であった母の姿を重ね合わせる。アヘンに溺れた絶望の日々、そこから救ったのは菊仙の深い愛情。しかしながら、その菊仙を死に追いやってしまう。

蝶衣にとって最期に舞う『覇王別姫』。それは、女としていきること、段小への想いの終止符、そして菊仙への償いを自らの死という形で負うことであった。
少年の頃、養成所の老師に聞いた「『覇王別姫』の物語が教えているもの、それは『人はそれぞれの運命に責任を負わねばならぬ。』ということだ。」という言葉が重くのしかかる。

コメント (13)
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