風の吹くまま

18年ぶりに再開しました。再投稿もありますが、ご訪問ありがとうございます。 

★自分の目で見たもの

2005-09-11 | 忘れえぬ人々
若かりし頃、シベリア鉄道にのって、大陸を横断する旅をしたことがある。
旅の途中、多くの人々と出会い、別れた。そのすべての人々とは二度と逢うことはないだろう。
でも、彼らは記憶の奥底にしっかりと生き続けている。

当時のソ連(現在のロシア)は共産主義の世界。隣国でありながら、もっとも遠い国のひとつであった。
メディアから流れるソ連に関する当時の情報は、どれもが否定的なもの。周囲の人々がもつソ連に対する印象といえば、・・・共産国、鉄のカーテン、何考えてるかわからん、笑わない冷たい人々など、我々を敵視している・・・など、どれもが冷たい氷に閉ざされた世界と、そこに住む無表情な人々を連想させるものばかりであった。当然ながら、僕も同じであった。

そういう時代に、自分自身にとって、ターニングポイントとなった一人のロシア人との出会いがある。旅の途中に出会った彼は日本のロシア人小学校の教師であった。真夜中のシベリアの大地を走る列車の中で、彼がにこやかに語った「子供たちの話」は、今でもはっきりと記憶に刻まれている。

『ことしのおしょうがつに、
ロシアのこどもたちと、にほんのこどもたちと、
いっしょにスキーにゆきました。
とてもたのしかったですね。

みんないっしょにスキーをして、
みんないっしょにごはんをたべて、
みんないっしょにおなじへやでねました。

そして、元旦の朝。
みんないっしょにおもちをついて、それをいっしょにたべました。
それから、
ロシアのこどもたちと、にほんのこどもたちは、
みんないっしょに「書きぞめ」をしました。

わたしは、かれらに書かせました。

まっしろな紙のうえに、
「平和」
ということばを。』

その10数年後に、ソ連は崩壊し、現在のロシアとなった。今では、国同士の関係も近くなり、人々のもつロシアへの認識も随分と変化した。しかし、そこに住む人々自体はずっと変わっていない。我々とまったく同じようなことに、喜び、哀しみ、希望もちそして祈る。同じように家族がいて、友人がいて、そして日々の糧を求めて働いている。同じように生まれ、そしてやがて死をむかえる。
それは、今も昔も変わらない。そして、これからも変わることはないだろう。

彼との僅かな時間の語らいは、何年もの間に学校で学んだことよりも、遙に多くのことを僕に教えてくれたのである。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 前の記事へ | トップ | ★命~帰郷 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

忘れえぬ人々」カテゴリの最新記事