評論家・山崎元の「王様の耳はロバの耳!」
山崎元が原稿やTVでは伝えきれないホンネをタイムリーに書く、「王様の耳はロバの耳!」と叫ぶ穴のようなストレス解消ブログ。
元官僚の友人と会った
数日前、路上でばったり学生時代の友人に会った。概ね同年代だが、彼の方が少し年上だ。ある経済官庁にいわゆるキャリア官僚として就職した。数年に一度くらい会う機会のある相手で、この日も数年振りだった。
近くの喫茶店でアイスティーを飲みながら身の上話を聞くと、昨年官庁を辞めて、現在はある民間会社の幹部社員だという。
以下、断片的で恐縮だが、彼の話で印象に残った台詞。
(1)「去年、役所を辞めたのは、もう役所には将来は無いと思ったから。これからは、天下りだってなくなっていくし、どうせ民主党政権なんだろう。役所関係の知り合いは、だいたいが『お前、いいときに辞めたな』と言うよ」
(2)「現在の○○省(注;彼の出身官庁)には、もう『目的』というものがない。人事評価にも『信賞必罰』というものが機能していない。そんな職場は嫌だ」
(3)「この頃は役所の建物もセキュリティが厳しくてね。あれやこれやと手続きを作った。そうしたら、民間の会社の連中が寄りつかなくなって、ぜんぜん情報が入ってこなくなった。仕事していない奴は、静かになって満足なんだろうな」
(4)「50代の半ばを過ぎて役所に居ても、給料も退職金もそんなに増えない。正直なところ、局長くらいにはなる確率が高いと思うが、なったからといって、どうということはない。それからのことを考えると、行き先なんてないかも知れない。現在、年収は次官並み(2千数百万円)だし、今後のことを考えると、経済的には明らかにこちらの方がいい」
(5)「民間の会社だって、活きのいい、これからまだまだ働く人材が欲しい。50歳を超えてからだったから、(自分の)転職はもう遅すぎるくらいのものだった。たぶん、ラスト・チャンスだっただろう」
(6)「官庁の人材(対象はキャリア)には上・中・下がいる。今後、上の部類は、30代、40代で民間会社に出て活躍するようになるのではないか。中は、役所に残って局長でもやればいい。局長なんて、国会答弁さえ出来ればいいのだから、そんなに出来の良くない人材でも十分だ。これは、△△次官も同意見だった。下の人材は、どこに持っていっても使えないから、まあ、迷惑を掛けないように飼い殺しにするしかないな」
(7)「現在の職場は、目下の所環境は厳しいが、俺の担当業務は何れも目標を達成している。もちろん、やり甲斐はこっちの仕事の方がある。まあ、正解だったと思うんだが、ヤマザキはどう思う?」
最後の問いには、もちろん、「正解だろうね」と答えた。
彼は、本人が言うとおり、役所に残れば最低でも局長にはなっただろうと思われる。組織で出世する素養を十分持った人物なのだ。しかし、役所の職場環境がそんなに嫌なら、辞めるのは正解だろう。また、細かな経済的計算の話も聞いたが、経済的には確かに彼の選択は正解だと思われた。現在の仕事に張り合いと可能性があるのも本当らしい。
ただ、別れ際に言おうかと思って、思い直して飲み込んだのだが、「ところで、あなたは、何がやりたくて○○省に入ったのか。在任中にやりたかったことは何だったのか?」と彼に訊いてみたかった。
一国民として元官僚に問いたいというような意図ではない。かくも嫌な職場で存在自体に意味がないと思う官庁だったのなら、そこに余りにも長く彼が居たことの理由が知りたかったし、友人として不憫にも思うので、その答えが聞きたいということだ。
そこで訊かなかったのは、もう少しじっくり話す時間があるときに語りたい話題だったからなのだが(しらふで話すのも調子が出ない話題だし)、今も心に引っ掛かっている。
それにしても、今後は、何をやりたくて、どんな人が官僚になるのか。また、官僚をどう処遇したらいいのか。友人の出身官庁については「廃止」(民営化もしようがないくらい役に立っていないので廃止)でいいが、幾つかの将来も残すべき官庁については考えなければならない。
答えはほぼ出ているような気がするが、望ましい形に無事に移行できるかということも含めて、心配な問題の一つだ。
近くの喫茶店でアイスティーを飲みながら身の上話を聞くと、昨年官庁を辞めて、現在はある民間会社の幹部社員だという。
以下、断片的で恐縮だが、彼の話で印象に残った台詞。
(1)「去年、役所を辞めたのは、もう役所には将来は無いと思ったから。これからは、天下りだってなくなっていくし、どうせ民主党政権なんだろう。役所関係の知り合いは、だいたいが『お前、いいときに辞めたな』と言うよ」
(2)「現在の○○省(注;彼の出身官庁)には、もう『目的』というものがない。人事評価にも『信賞必罰』というものが機能していない。そんな職場は嫌だ」
(3)「この頃は役所の建物もセキュリティが厳しくてね。あれやこれやと手続きを作った。そうしたら、民間の会社の連中が寄りつかなくなって、ぜんぜん情報が入ってこなくなった。仕事していない奴は、静かになって満足なんだろうな」
(4)「50代の半ばを過ぎて役所に居ても、給料も退職金もそんなに増えない。正直なところ、局長くらいにはなる確率が高いと思うが、なったからといって、どうということはない。それからのことを考えると、行き先なんてないかも知れない。現在、年収は次官並み(2千数百万円)だし、今後のことを考えると、経済的には明らかにこちらの方がいい」
(5)「民間の会社だって、活きのいい、これからまだまだ働く人材が欲しい。50歳を超えてからだったから、(自分の)転職はもう遅すぎるくらいのものだった。たぶん、ラスト・チャンスだっただろう」
(6)「官庁の人材(対象はキャリア)には上・中・下がいる。今後、上の部類は、30代、40代で民間会社に出て活躍するようになるのではないか。中は、役所に残って局長でもやればいい。局長なんて、国会答弁さえ出来ればいいのだから、そんなに出来の良くない人材でも十分だ。これは、△△次官も同意見だった。下の人材は、どこに持っていっても使えないから、まあ、迷惑を掛けないように飼い殺しにするしかないな」
(7)「現在の職場は、目下の所環境は厳しいが、俺の担当業務は何れも目標を達成している。もちろん、やり甲斐はこっちの仕事の方がある。まあ、正解だったと思うんだが、ヤマザキはどう思う?」
最後の問いには、もちろん、「正解だろうね」と答えた。
彼は、本人が言うとおり、役所に残れば最低でも局長にはなっただろうと思われる。組織で出世する素養を十分持った人物なのだ。しかし、役所の職場環境がそんなに嫌なら、辞めるのは正解だろう。また、細かな経済的計算の話も聞いたが、経済的には確かに彼の選択は正解だと思われた。現在の仕事に張り合いと可能性があるのも本当らしい。
ただ、別れ際に言おうかと思って、思い直して飲み込んだのだが、「ところで、あなたは、何がやりたくて○○省に入ったのか。在任中にやりたかったことは何だったのか?」と彼に訊いてみたかった。
一国民として元官僚に問いたいというような意図ではない。かくも嫌な職場で存在自体に意味がないと思う官庁だったのなら、そこに余りにも長く彼が居たことの理由が知りたかったし、友人として不憫にも思うので、その答えが聞きたいということだ。
そこで訊かなかったのは、もう少しじっくり話す時間があるときに語りたい話題だったからなのだが(しらふで話すのも調子が出ない話題だし)、今も心に引っ掛かっている。
それにしても、今後は、何をやりたくて、どんな人が官僚になるのか。また、官僚をどう処遇したらいいのか。友人の出身官庁については「廃止」(民営化もしようがないくらい役に立っていないので廃止)でいいが、幾つかの将来も残すべき官庁については考えなければならない。
答えはほぼ出ているような気がするが、望ましい形に無事に移行できるかということも含めて、心配な問題の一つだ。
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公務員になる人は、おそらく、漠然とした目的(公務を通して公共の役に立ちたい)程度の気持ちで入省し、その後与えられた業務をその都度こなしていく中で自分なりにやりがいをその都度見つけているのではないでしょうか
長年勤めた公務員を辞めたのは、以前と比べ「待遇」はそんなに変わらない(もしくは減少)のに公務員としての「誇り(やりがい)」がだんだんなくなっていく世の流れを感じ取ったからでしょうか
なんて思ってみたりしました
>あなたは、何がやりたくて○○省に入ったのか。在任中にやりたかったことは何だったのか?
そのご友人も当初は「日本を支える・救う」という壮大な使命感があおりだったのでしょうね。
山崎様の学生時代は私より遥かに前・・・。
当時の東大では「官僚となり日本を支える!救う!将来的には政治家への転身も!」という方が周囲にも沢山いらっしゃたのではないかと推測します。
差し支えなければ、山崎様はなぜ、民間に行ったのか?当時の東大で官僚を志向した者、民間を志向した者についての考察をいただけますと幸いです(個人の実存に立ち入る不躾な質問ですので未回答も当然のことと考えております)。
でしょうかね?
官僚は日本の重大な部分を担っているはずなのに、
キャリアプランを抜本的に見直す案が政治家から
出てこないのでしょうか?
特に、天下りを批判する人は、何故現在の少し
おかしなキャリアプランを改善するように提言
しないのでしょうか?
私にはそれが不思議でなりません。
官僚には東大出身が多いようですが、東大生が特別に愛国心やボランティアに熱心だとは思いません。
官僚をきちっと使いこなせない政治が一番の悪という点はもっと声を大にした方がいい。
「仕事」がテーマのエントリーが続きますね。
中央官僚ではありませんが、一所懸命仕事してボーナス減らされても、がんばる地方公務員。(ボーナス出るだけましだ!!とたたかれそうですが。)確かに使えない人もいる。けれど、ホントに「使命」を持って、命削って仕事している人もいます。その先輩に聞くと「お金じゃないんだよ。」と。
gonchanさんの言うとおり、政治(政策立案)がうまくいくとよいのですが、まあ、人に期待するより
自分の力を高めていきたいと思います。
山崎さんからすれば、転職できる力も勇気もないのかも知れませんね。
是非、ほかの役人の方々も役所を去る時は「天下り」に頼らず、アイデンティティーでも生きがいでも探して欲しいものです。
さて、就職当初に何をやりたくてと言う希望を抱いても刻々と状況が思わぬ方にも変化していきますので、人も組織も絶えず見直しが必須です。例えば僅か数年前に自衛隊に就職した人の多くも、この21世紀にアフリカ沖で海賊対策なる任務に就くなど想定外だったでしょう。
余りにも契約を蔑ろにする変化なら辞める自由(特に専守防衛と言ってきた自衛隊の任務など)も当然ありです。
ただ、退職をせず、またさせずとも柔軟に人や組織が目標を修正していくのは難しいことでしょうか。上のコメントの一地方公務員さんやその先輩のように「お金じゃないんだよ」で頑張ってる人がいるなら、役所を出たり入ったりせず長期間継続して勤務しつつ変化も期待したいところです。
何より悪いのは、私たち国民が後々無関心・監視不足に陥るほどの行政に対する過大で多様な要求ですかね。
この話題とは無関係ですが、私は大学でベーシック・インカムを研究しています。
大学生から見て官僚はやはり人気ではありますが、
周りの優秀だと思う人で官僚志望の人は多くない印象です。経済的インセンティヴが低いことがやはり一番の原因かと。
そして、日本にはそんなに優秀な官僚が必要なのかも疑問に思います。日本ぐらいインフラが整備されると国家がやるべきことというのはそんなに多くないでしょう。
必要なのはコストパフォーマンスの高い国家運営だと思うので、やはりそこそこ頑張っている人は公務員に行き、本当に優秀な人は政治家なり、起業家などを目指すべきだと思います。
いらっしゃいませ。ご質問にお答えします。
私の就職選択は、先ず官僚という選択肢を排除し、次に、商社にしようか、銀行にしようかを考えた、という手順でした。仕事のイメージとして、やりたかったのは為替のディーラーのような「ゲームで勝負する人」でした。成績的には、特別に優秀ではありませんでしたが、経済官庁を目指してもおかしくない程度の成績はありました。
職業選択として、先ず官僚を排除した理由は、生来のアンチ与党的な性向の他に(結局これが重要だったのかも知れませんが)、当時、官僚は「国のためにと言いながら、結局は自分の利益のために行動している」と考えており、この自己欺瞞が我慢ならないくらい嫌だと思ったのでした。明確な反官僚意識が当時は(当時も?)ありました。
今や内容もよく覚えてないので迂闊なことは言えないのですが、学生時代に、城山三郎さんの「官僚達の夏」を読んだのですが、話に登場する官僚達に対して「こいつらはいい気なもんだ。バカではないか」という軽蔑の念を覚えた記憶があります。城山さんがもう少し文章が上手ければ、私の進路がちがっていたかも知れませんが、ともかく「官僚は嫌だ」という意識が当時にはありました。
学生時代に一番熱心に読んだ経済関係の文献はミルトン・フリードマンの書いたものだったので、「大きな政府」に対する反感が当時から(正確には高校生の頃から)ありました。
当時の東大生の就職に対する意識がどうだったかというと、「必ずしも最も優秀な学生が大蔵省に行くとは限らないのだよ」という、アンチ官僚の雰囲気が徐々に芽生え始めていた頃でした。優秀な学生がいきなり外資に入ったりするのはもう少し後のトレンドですが、就職先の序列が崩れ始めたころでした。
「これからの官僚は、昔ほどのステイタスはない」という意識は、当時の多くの東大生たちの中にあったように思います。官庁に行った人材は、私の頃(81年卒)から、少しずつ質が落ち始めているのではないかと思います。
官僚を目指す人は最初は「日本のため、国を良くするために働きたい」との志を持っていたと思います。
それがどうしていつの間にか『目的』のない組織になってしまっているのでしょうか?
日本中のエリートたちが集まっているはずなのにのになぜか非効率というか省益に走ったり政治家を翻弄したり違うところに力を使い無駄が多いような気がします。
すでに組織システム自体が老朽化しているのでしょう。
今の官僚は非難されるばかりですが本当は国民から国のためによく頑張っていると評価されたいはずです。
「天下りをなくす」と言明している鳩山代表は献金問題をリークされているようですが、足の引っ張りばかりでは埒が明きません。
今必要なのは政治家と官僚の権力争いではなく政治家や官僚たちが一丸となって効率的に国のためになる仕事ができることだと思います。
それには麻痺している組織を一度リセットし、新たに皆がやりがいを持って、成果を上げれば国民から称賛されるような組織を作ることでしょう。
現在のリーダーたちにそのようなグランドデザインを描ける人はいないのでしょうか?
それともこのままにっちもさっちも往かず日本もchapter11を宣言する日がくるのでしょうか?
2.幹部社員として横滑りしたという事は、今の会社で下っ端で下積みした経験がないわけで、それで会社に対する評価が甘いのではないか。
3.その人の持って生まれた行動パターンとして、最初に今の会社に就職した場合でも、40前後に「そろそろ将来が見えて来たので転職を」なんて考えて、同様に転職するんじゃないのか。
4.民間より中央官庁の方が明らかに人材は上。より劣る人材で民間が運営されていて、それで何も問題が起きていないと考えるほうが間違い。
5.というか、世の中には「頭が良すぎる馬鹿」という馬鹿の種類が存在する。これは本人は気が付かないもの。
日頃は官僚→おちょくりネタ、程度の扱いをしていますが、実のところ、個々人の人柄と省としての動きのギャップに苦しんでもいます。
友人や先輩で官僚になった人、官僚を志した人の話を聞くと、種々の状況を把握し、マイナスイメージを十分知った上で、「それでも何かできないか」と覚悟をしていたように感じます。そういう美意識なり自負が、転職を遅らせたのではないでしょうか。
友人や先輩はそれぞれに、優秀で努力家で人柄も公平で面倒見のよい人物でした。人柄その他問題の多い私に付き合ってくれる人だから、それなりに人格者であったのは間違いありません。
優秀で努力家ゆえに、不本意な業務に対しても懸命に取り組んでいるうちに年月を費やしたのかな、と思います。良くも悪くも「サムライ」という言葉が似合ったりします。(県庁レベルだと明らかに格が下がるので、「お城」「お役人サマあ」と揶揄してしまいたくなりますが...。)
私自身の転職は常に「どこか無謀」で「結果オーライ」でした。転職にはどうしてもリスクが伴うもので、ヘッドハンティングを持ちかけられた友人の話を聞くと、「アヤしい話半分で、結構リスキーだなあ」と思わされる逸話もあります。
官僚の方であれば、家族がある身であれば周囲に迷惑をかけないよう、転職に踏み出す前に実行可能性を検証されていたのではないでしょうか。
いわゆる大企業で働いた経験もありますし、またその前の職業で元財閥グループなど大手企業の方、その退職者と触れる機会がありました。優秀な方もいればそうでない方もあり、どちらかというと後者の方が多い印象でした。その視野の狭さやカラオケで「マイウェイ」を歌いかねない独善、あるいはお気に召さない事態に対する幼児性が印象に残っています。(実際にカラオケではマイク取り合ってましたし...。)その際に「財閥(トップメーカーや独占エネルギー企業)とはいえ、人材に比して効率的に組織を運営しているのだなあ」とむしろ企業のマネジメント能力に感心しました。企業や組織の面白さを感じたのも確かです。
その点、省庁や公務員は、その優秀さが結果に結びついていないように思います。あの美意識は、もったいないなあ、と時々思います。
公務員が優秀というのは、この②の優秀さであって、「少子化対策をどうしよう?」とか「これから10年間の日本の経済戦略」などを新しく考えて結果を出すには、能力不足ではないかと思います。毎年キャリア官僚だけでも何百人も採用されますが、そんなにたくさんアウトプットができる人がいるとは思えません。対外交渉や海外との競争でも、相手が元大学教授や博士を出してくると、学士卒(せいぜい修士卒)の日本の公務員は学識でも負けてしまいます。
今後、必要な省庁と、地方分権化、民営化される省庁が選別され、重要な政策については、公務員や企業、大学から、比較的少数のベスト・アンド・ブライティストが政治任用され、新しいシステムを考えていくようになるのではないでしょうか?
80年代までは、他の先進国のモデルがあって、高い成長率が維持できていて、国民みんなが経済的に豊かになってきたので、公務員中心の行政システムに納得(あるいは無関心?)していたけれど、90年代以降、成長率という結果によって、公務員システムの正当性を維持できなくなった結果、現在の公務員批判につながっているような気がします。
ご友人はいろいろありながらも現在の選択に納得されているんでしょうね。それが何よりで『何のために入省し、なにをしたかったのか?』は後輩のためへの大切なアドバイスになって欲しいと思います。
しかし山崎さんの高校生の頃から『大きな政府への反感』というのは驚きで、私のようにスポーツに明け暮れ、ろくに本を読んだ事も無い学生時代を過ごしたものからすれば、末は博士か大臣かを耳にしながら育っているような高教養の人材が集まる官僚組織が機能していないような印象を受ける現状は本当にもったいないと感じています。
要はリーダーの問題であり、広田弘毅(『落日燃ゆ』で城山さんが描くイメージですが)のような人が組織を率い、大阪でいう橋下知事のようなエネルギッシュな変革者が必要なのだろうと思います。
大手を経験し、今は小さな会社にいますが、非凡な人などほぼおらず(私も含め)、平凡な集団でいかに非凡な成果をあげるかが組織力であり、リーダーに課せられた命題だと考えています。非凡は人ばかりが集まると上手く運営できないもんなんでしょうかね。
30歳を越えた頃から世の中のことが少しずつわかりだしてきた気がしていますが、【官僚・役所⇒定型的な仕事⇒倒産なし⇒楽している⇒税金ドロボー】、こういうイメージ(私だけならご容赦ください)を払拭しいわゆるブラジルサッカー的な魅せる仕事をアピールするリーダーが必要なのだと思います。だから宮崎県知事や大阪府知事は受けるんでしょうね。当然地元への成果がともなっての話ですが。
でも小泉劇場には沸いちゃう国民性もあるので、国家全体として更なる熟成とそれを産み出す個々の自律が必要だとも思います。私個人としては、投票権取得以降一度も自民党に票を入れたことがないので、現体制ではない国家がどう変化していくかを見てみたいという気持ちが強く、国民全体が変化を受け入れ、保障や安定ばかりでなく、約束されるのは『変化』であるという大人の社会を実現したいものです。
中の人にそこそこの待遇で頑張って欲しいです。
上の人が誤ると被害が大きくなりそうですからね。
期待してないのでそこそこでいいですよ。
不満のある人は民間で頑張るのがいいのでは。
下の人は今後はクビになるか減棒ですね。
最近の成果主義では仕方ないです。
小さな会社の人材の採用基準の一つは
「野心や成長・上昇志向の少ない・乏しい人」でしょうか?
零細や中小企業ですと仕事もすぐに覚えられ
ポストも無いですよね?すると、入社して1~2年でマスターした仕事を延々やることになりそうな気がします(給料もそれほど変わらない)。
零細~中小企業を貶めている訳ではありません(念のため)。
官僚はあんな汚らしい役所で遅くまで一生懸命民間の指導やら法案の作成に明け暮れて良く頑張っていると言う印象でした。資料の作成が遅れ夜の8時過ぎに行っても快く応対してくれた事もありました。
官僚バッシング吹き荒れる昨今ですが
悪い印象はありません。本国の外人役員を何度か連れて行ったことがありますが官僚のレベルの高さに人間的な格上を感じました。
国家を背負っている言う感じがしましたね。
個人的なことですが、専業主婦から市役所に勤務して3年余り、結婚前に大手ゼネコンに3年ほど勤めただけの経験からですが私の感じていることをお聞きください。
市役所の職員はキャリアと違って、地元志向の長男が多く転勤のないことや安定していることが志望動機のようです。私の所属課にも、「法律の解釈は誰が決めるのですかぁ」と真顔で質問する「下」の類から立案、処理能力にたけた「上」までさまざまです。資質の問題もあるのでしょうが、職員教育が貧弱なせいと思います。よほどの失態がないかぎり横並びに昇進するので緊張感もうまれません。
しかし、このような人事考課でも、出来る職員から不平不満がでてこないそうです。ことを荒立てず和気藹々と過ごせることのほうがいいのですね。
山崎さんのご友人も、現実的な動機とあわせてなにがしかの大志をおもちだったのでしょうが、適度に居心地もよく長いものに巻かれつつ30年近くおられたのかと。
昨今の状況を機敏に察しての転職。めでたし!キャリアならです。
ところで、50歳過ぎの市職員への批判が内外からあります。「古きよき公務員時代」の残存世代とか。仕事はいいかげん、下にばかり押し付ける・・・。うなづけます。
キャリアの質が81年以降落ちてきているのではとの御指摘とどこかでクロスするのでしょうか。
http://www.tbs.co.jp/kanryou09/index-j.html
番宣を見ましたが、役者が好過ぎるのか官僚がかっこいいですね。
「通産省の国民車構想」が出てきますが、個人的にはホンダは車を造らなくていいと考えていた通産省の指導は間違いで、そうならなくて良かったなと思っています。
経済はなかなか計画通りにいかないので、経済閣僚って時代があわないと難しいんだろうなと思います。
山崎さんの友人がこのドラマを観るとどういう感想になるんでしょうね。
このドラマのコピーは『男たちが追い求めたのは、日本人の誇りを取り戻すこと。』ですから。
の誤りです。
日本社会の問題は「どこに入るか」が結局問題なんであって「何をするか」などということは選択肢に入りづらい、そのような選択を出来ないことがほとんどであるところも一因なのかなあと思います。
ちょうど、ただいま、本日から日曜夜にTBSで「官僚たちの夏」のドラマ版が始まりました。
「高度成長期はよかった」式に昔を懐かしがる人たちに媚びたような内容で、「国家のため」と保護主義全開の登場人物たちに共感はあまり出来ませんでした・・。
この「官僚たちの夏」に出ている官僚たちが、ホンダに対して、「二輪車だけ作ってろ」と自動車への参入を妨害したことは決して忘れてはなりませんね(そのせいか、ドラマのスポンサーは、トヨタであってホンダではありませんでした。)
JALへの融資やエルピーダへの公的資金注入などを見るに、こういうパターナリズム的な官僚のDNAというのは、本当に強いものですね・・
通産省を立ち上げたのは白洲次郎。
昔の人は目の付け所が違う。
日本を国家をどのように再生させるかを大所高所から考えて
役所を作り優秀な役人に仕事をさせる。
デトロイトが崩壊した今日本の自動車産業の大躍進を思う。
官僚は優秀な駒
駒を上手に使えないのは参謀、政治家や日本のトップ
駒は上手に使って貰えなかったら小さな損得を考えてしまうだろう。
今日本があるのは戦後の有能なリーダー達だが
これからの日本にリーダーはいるのだろうか?
この話、要するに『定年前天下り』ではないのか?
確かに、定年前天下りなのですが、我が友人の場合は、自分で自分の天下りを斡旋したのです。
彼の役所での地位や経験が次の就職に役だったことは否めないのですが、まあ「天下り」と「転職」を足して二で割ったような感じではないでしょうか。
ちょうど150年前に書かれたJ・S・ミルの自由論という本に、当時のイギリスで存在していた「公務員の採用に当たって教育水準が高い人を採用すべきかどうか?」という議論が書いてあります。
簡潔にまとめるとミルは、そういう人間が集まることで大衆は全ての点で指示と指導を官僚に求めるようになり、このような体制下では官僚を批判する能力がなくなるので改革を求める民主的指導者でも専制の皇帝でさえも(当時のロシアがそうだったらしい)、官僚の利害に反する改革は実行できなくなる(からダメ)と述べています。
現在の日本で当然のこととして受け入れられている、官僚は最高レベルの教育水準の人間を採用する、という点は正しいことなのでしょうか?
まあ、ミルは政府外部の人間で官僚と同等に優秀な人間が監視・批判を行えば良いとも述べていますが、それにしても国家2種の人達だけでも(彼らも教育水準は相当高いですが)、政府はそれなりに機能するのではないかな?とも考えます。
「国民にとって、官庁は大切であり、従って優秀な官僚が官庁に集まらないと困る」という概念が漠然と流布しているように思うのですが、ミルの言うように、官僚は「民間と同じくらいに優秀」で必要十分のような気がします。
我々に必要なのは、たぶん、「(能力が)優秀な官僚」ではなく、「(仕事に)忠実な官僚」であるような気がします。
国家2種の人たちだけでそれなりに機能する、という直感は、おそらく正しいのではないでしょうか。
問題は、現実的には国民(と政治家)が官僚をどう使うかという方法と、精神的にはわれわれが官僚に過剰な期待を持たないことでしょう。
官僚を批判し、大きな政府に文句をいいながらも、官僚の能力(たとえば企画力のような高度な能力)には期待を寄せる、というのは明らかにアンバランスです。
能力(脳力も含めて)が問題なのは、官僚よりも、政治家ではないでしょうか。漫画読みの某氏だの、お笑い出身の知事さんだのが、枢要なポジションにいる状況は、民主主義の実体が単なる人気投票だとしても、ちょっと情けないし、実際問題として心配です。
間違えだらけでは困るのでしょうが、無謬神話にとらわれて弥縫策を繰り返すよりはマシかもしれません。
知人の地方役人の方(ちょっと目上)から「われわれは間違ってはいけないのだよ」と言われてくらくらした経験があります。無謬神話は中央はともかく、地方なんかでも内輪では健在でした。
最後に「前向きに検討する」って投げられるところが
見てる側に選挙で選べよってメッセージのような
気がしました。
まずはご質問を頂いたことに感謝します。
ここで述べました大手や小さな会社というのは私の経験した事のみですので、一般的にどう適合するのかははなんとも言いがたいところですが、私の所属する会社の採用基準は一言でいうと『真摯な人』ということにつきます。
採用時には仕事の内容や実際の勤務実態、社員構成や人間関係やどういった雰囲気か。良い所も悪いところも全て話して納得してもらうようにしています。
幸い同業他社の少ない仕事が中核になっていますので、経験者というものがあまり居なく顧客の需要にいかに応えていくかという日々新しい課題が生まれている状態ですので、一度マスターした仕事を延々続けるというようなことが少ないと思います。
また昨今、新しい市場を開拓し、新しい仕事を見つけるのに企業規模の大小はそれほど関係ないように感じており、仕事の熟成がなされれば自ら新しい発想を持ってチャレンジできる雰囲気をとても大切にしています。管理より自律を促すことに気を使っています。
社会的機能として企業の存在価値があると思いますが、よくマネジメントされた職場は単調になるのが当然で刺激や新しいチャレンジは自ら求めるしかないと思います。そうしないと報酬が上向かないと理解できているのに行動できない人が多いような気もしています。
本来、官僚には「権力」はないはずなのですが、実質的に権力そのものでした。それが失われる中で、山崎さんのご友人もやりがいを感じなくなってきたのでしょう。官僚を権力者からPublic Servantに変える必要があります。
ただ、実際にそのパンドラの箱を開けてみたら何も入っていなかったんでしょうね。。それ以外に思えない><;
聞くべきです。そんだけ、悪口を言っていたら。
本当ならば、最初から別の道へ行くべきでは
ないでしょうかとおもうくらい。
官僚について将来性がない話が多いですが、
お前らは何のために働いているんだ。打算しか
ないのか。私は、現在、公務員試験を受けましたが、
やりがいを求めています。民主党政権になっても、
大事なことをやることは変わらない。
元官僚が官僚の悪口を言うことが多くなっています。そんだけ、官僚が腐っている証拠です。官僚やめた人が腐っている証拠なんですから。悪口しか
言えない状況は最悪です。そんなのを吹き飛ばせずに
やめた官僚は最悪といってもいい。やめてから、
本に官僚の悪口を書いている。自分の人生
何のために生きているのか。自分はクズです
と言って拾ってくれるやつはいないんだよ。
甘ったれるんじゃねえよ。まだ残って、
歯を食いしばって何とか乗り切ろうと
頑張っている人を応援したいよ。
でも「目的」を形成すべき人間の一人だったんでしょう?「目的」を与えられないから辞めるんですか・・・・山崎さんのしたかった質問はこういうことですよね多分。
それか「天下り」が目的であれば、目的は無くなったし、どうしようもない事だから転職判断も頷けますよね。
「乗り切ろうと頑張っているひと」ばかりとは必ずしもかぎりません。むしろ、大した仕事もせずに、「大過なく過ごしたいと組織にしがみついているひと」ばかり目立つかもしれませんよ。
そういう硬直的な組織をかえるためには、内部の恥部をさらけだす声があがらない限り、不可能です。その意味で、こうした内部批判をしてくれる人は、国民にとってみれば大変勇気ある、ありがたい存在という言い方もできます。
これは、官僚社会にかぎらないことであり、様々な業界で勇気ある内部告発の声があがることで、どれだけ国民が恩恵を被っていることか(例えば食品偽装など)。
こうしたことの中味は最近起きたことではなく、昔からあった問題が発覚したという側面が強いと思います。もしこうした声があがらなければ、組織の論理からすれば、いつまでも変わらなかったことでしょう。
(こうしたことを可能とした背景としては、終身雇用の崩壊などを背景として、内部告発をしやすい、あるいは、せざるを得ない環境の変化があると思われます)
どのような「やりがい」を求めて公務員になるのか知りませんが、片面的な見方をして、一方的な批判をしているひとが公務員になるのは、一国民として不安を感じる面は否めません。
とありますし、山崎さんご自身
「確かに、定年前天下りなのですが、我が友人の場合は、自分で自分の天下りを斡旋したのです。」
とコメントを加えておられますから、つなげれば、要は天下りができなくなる前に自分で天下り先を用意して天下った、ってことですよね。
この人、職場が少々弛緩していても天下りとか確保できて役人優秀神話が顕在ならまだ居ただろうしそれで十分だったのでは? 年収のこともいってるわけだし張り合いとか可能性とかは付属的理由で、転職は生活と(役人が馬鹿にされている世の中での)矜持の防衛手段ってことでしょう。元役人だからといってそれ以上を求めることもないでしょうし、本人がそれ以上のものがあったというとチョイ眉唾ですよね。
山崎さん、ちょっといつもよりお優しいのでは。ま、お友達ですからそういうこともありましょうが。なんだか小生ほっとしました(皮肉じゃないですよ)。
とても興味がひかれるブログでした。
また遊びに来ますね。
頑張ってください!
冬が間近にきてるようです。
風邪ひかないように頑張ってください!
子供達の仮装がかわいかったですぅ
どんなハロウィンだったか教えてください♪
また遊びに来ますね。
頑張ってください!guolui