浮世風呂

日本の垢を落としたい。浮き世の憂さを晴らしたい。そんな大袈裟なものじゃないけれど・・・

日本の敗戦

2011-10-21 10:46:23 | 資料

日本は大東亜戦争に敗北した。日本の都市は焼け野原と化し、無差別殺人で多くの一般市民が死亡した。

広小路本町交差点

名古屋大津通り

大阪城

九州百貨店

1945年(昭和20年)8月14日日本政府が受諾通告したポツダム宣言により、連合国軍の1国であるアメリカ陸軍の太平洋陸軍総司令官・ダグラス・マッカーサー元帥が連合国軍最高司令官(SCAP)に就任し、同年10月2日、総司令部が東京に設置された。

 当時、占領軍の進駐に際し「男は去勢されて強制労働。女は慰安婦にされる」とうわさが立った。回覧版で「占領軍が上陸したら女性は下着を重ねてはいてその上にモンペを着用し兵隊の暴行に備えてください」との文章が回った地区もある。8月16日に婦女子の「疎開騒ぎ」が全国的に起こっている。

 1945年8月18日、 RAA は、 東久邇稔彦首相と近衛文麿副総理、 外務大臣重光葵、 内務大臣山崎巌、 大蔵大臣津島寿一らが、 「日本婦女子の純潔が性に飢えた進駐軍兵士らに損なわれる」と心配し、 内務省による占領軍向け性的慰安施設の設置を指令、 この 「進駐軍のための特殊慰安施設を可及的すみやかに整備せよ」 という無電指令が、 内務省警保局長から全国の警察網に伝えられた。 これをうけて同年8月23日、警視庁の高乗保安課長が東京都の料理飲食業組合長宮沢浜次郎と総務部長渡辺政治を招き、「防波堤を作って婦女子を守りたい」 と協力を訴えたことに端を発する。

 この日、 発表された警視庁の方針と計画の中に、 「できれば、 公娼・私娼・芸妓・酌婦、 料亭・旅館・ホテル・ダンスホールなどを一ヵ所にあつめて、 総合的な大歓楽街をつくってもらいたい」 とあり、 この時点でダンスホールのような娯楽施設と公娼や私娼といった売春施設の差異が明確に考えられておらず、 これらの存在を別個に切り離そうという警視庁の意向が弱いものであったことが窺える。
 こうして同年8月26日に政府出資の事業資金3300万円で進駐軍特殊慰安施設の運営団体として RAA が警視庁に設立認可の申請をし、 2日後の8月28日、 22名の理事全員が皇居前広場で宣誓式を行った。 RAA に対する接客とダンスホールの許可は第八軍軍用娯楽施設課長ウイルソン大佐が与えている。

 占領軍の東京進駐は8月28日であった。RAAの一号店(小町園)の開店も同日である。

 米軍が日本を占領した時、最初に進駐した神奈川県では、一ヶ月に何と
2千件もの「大きい男」による婦女暴行事件が起きた。「大きい男」とは米兵のことである。
連合国軍総司令部(GHQ)が、新聞検閲で米兵をそう表記するように命令したのだ。

米兵による婦女暴行事件の続発に驚愕したGHQは、既に日本政府から申し入れのあった、
米兵のための「慰安所」を急ぎ用意させる。

GHQの意を受けた政府は、1945年8月26日、特殊慰安施設協会
(RAA=Recreation and Amusement Assoiation)を設立。

内容は「一定地域に限定し」「従来の取り締まり基準に関わらず警察署長がこれを許可する」「日本人の利用を禁ずる」「性的慰安施設」「飲食施設」「娯楽場」などを種類とした。
大義名分は「良家の子女の防波堤」づくりであった。翌27日、施設第1号として
大森小町園が開設され、翌28日から米兵の乗ったジープが群がって行列を作った。

最初の犠牲者は開店の日に京浜急行の電車に飛びこみ自殺をした。「事務員募集」のうたい文句と高収入に応募した十九歳の女性が非人間的な売春の事実に耐えきれなかったのだ。
 「始めにきた30人の人は2~3ヶ月の内に気が違ったり病気になったりして半分になってしまった」(「占領軍慰安所」井上節子著)

政府は、この日以降、東京に3カ月間で25カ所の施設を設置し、慰安婦は1,600人に及んだ。
この慰安婦たちの大半は、焼けたり潰れたりした工場で働いていた、農村出身のうら若き女工たちだった。 この、敗戦直後に慰安婦として働かざるをえなかった農村出身のうら若き女工たちの経験は悲劇ではないのか???

東京の慰安所は、将校用が向島・芳町・白山。白人用が吉原・新宿・千住。

黒人用が亀戸、新小岩、玉ノ井となっていた。

都内13ヶ所、そのうち7箇所が大森・大井地域にあった。

 

そして慰安婦より酷い事件では、米国系差別主義者らが沖縄人の少女2000名以上を民家を強襲して強姦の限りをつくした。これはさらに戦後であるからにして驚く。

War Guilt Information Program 

戦争への罪悪感を日本人の心に植え付けるための、GHQによる洗脳政策。


 
【検閲指標】


 
「削除または掲載発行禁止の対象となるもの」として30項目からなる検閲指標が纏められ、連合国批判、

東京裁判批判に繋がる一切の言論は封じ込められた。


 
1) SCAP〓連合国最高司令官(司令部)に対する批判

2) 極東軍事裁判批判

3) SCAPが憲法を起草した事に対する批判。

4) 検閲制度への言及

5) 合衆国に対する批判

6) ソ連に対する批判

7) 英国に対する批判

8) 朝鮮人に対する批判

9) 中国に対する批判

10)他の連合国に対する批判

11)連合国一般に対する批判

12)満州における日本人取り扱いについての批判

13)連合国の戦前の政策に対する批判

14)第三次世界大戦への言及

15)ソ連対西側諸国の「冷戦」に関する言及

16)戦争擁護の宣伝

17)神国日本の宣伝

18)軍国主義の宣伝

19)ナショナリズムの宣伝

20)大東亜共栄圏の宣伝

21)その他の宣伝

22)戦争犯罪人の正当化及び擁護

23)占領軍兵士と日本人女性との交渉への言及

24)闇市の状況

25)占領軍軍隊に対する批判

26)飢餓の誇張

27)暴力と不穏の行動の扇動

28)虚偽の報道

29)SCAPまたは地方軍政部に対する不適切な言及

30)解禁されていない報道の公表


 
日本の国民に愛国心を持たせず、戦争への憎悪を植え付けるための様々なプログラムの一つとしてこの検閲指標が作成され実行された。

その命令を全面的に受け入れたことで、あれほど大本営発表を垂れ流した各新聞やラジオが、潰されずそのまま営業を続けることが許されたのである。

そして日本にとって最大の不幸は、その為の監視として日本語を話せるという理由から、GHQが在日朝鮮人を使ったことだった。警察、検察、官庁、マスメディアなどに在日朝鮮人を入れ、日本へ帰化を促した。

戦後駅前の一等地がいつの間にか在日朝鮮人の所有となっていた謎が、このことによって解けるはずである。

1945(昭和20)年12月31日、民間情報教育局は、修身、国史、地理の授業を即時中止するよう指令し、翌年4月、文部省は、新聞連載終了後に単行本として刊行された『太平洋戦争史』を、国史等授業停止中の教材として使用するよう通達した。

10万部の『太平洋戦争史』は教育現場に浸透し、戦後の日本に深刻な影響力を及ぼすのであった。


戦後日本のマスコミや知識人の多くが日教組の「マルクス主義」に洗脳されて社会主義・共産主義を聖なる理想としてきた。この人達をアメリカ占領軍が利用した。

アメリカは日本を再興させてはならないという強い意思で日本国内に対立させる一派を育てたのである。ソ連が日本の左翼を育てるのなら話は分かりやすいのだが、資本主義国家アメリカが日本の左翼を太らしたのだ。

アメリカは日本国民が一致団結するととんでもない力を発揮することをこの大戦で知った、だから日本人を分断さすために日教組を利用して「日本帝国主義はアジアに進出して残虐の限りをつくし、アジア人民を虐げた」と教えさせたのである。

アメリカは決して表に出ないまま「マルクス主義の階級闘争史観」というイデオロギー染まった人たちに資金を提供しました。

アメリカは彼らに直接資金を提供せずに在日韓国人たちが組織する民団や朝鮮総連に資金をだして、在日韓国人と日本の左翼を結びつけたのだ。

この戦略はアメリカが期待した以上に思わぬ効果を発揮しだした。日本の愚かな左翼たちは「進歩的文化人」と称され、反国家の姿勢をとり、反日の構えを見せ、自分の国を非難し、自分の国の過去と現在を攻撃した。

戦後この進歩的文化人たちは必然的に言論界・マスコミ界・教育界の主導権を握っていった。

いわゆる朝日新聞を筆頭に日教組、テレビ局、大学などである。これらの業界に左翼思想を持った連中だけでなく日本国籍をとった多くの在日韓国人が入り、左翼と連合して日本国に害毒を垂れ流し続けた。

これらを意図したアメリカ占領軍は、日本人がすすんで日本人や日本国の悪口を言うのだから、そのあまりの効果に驚いたはずである。

形式上は進駐軍が引き上げGHQも日本の国から撤退したと日本国民は誤解しているが、横田基地にCIAの本部が存在し、そこから米国の民間航空会社が戦後ずっと米国内の空港へ民間機を飛ばしている。勿論昔から米国軍人やその家族などがビザなしで飛ぶことが出来る。

しかも米国大使館には現在も「日本管理委員会」が存在する。

米軍基地が存在しGHQがCIAに変わっただけで、現在も官僚、検察に政治家、マスメディアをコントロールしている。なぜ横田基地なのか位置を考えれば十分理解できるのだが、横田基地内の詳細図は、日本の地図帳には大まかなものしか記載されてはいない。

終戦当時、進駐軍や在日朝鮮人による夥しい強姦事件、暴力事件、殺人事件が発生した。

7年の占領期間中には2536件の殺人と3万件の強姦事件を起こしている。更に驚くことにそのいずれの犯人も罪に問われた者がいない。

しかし、このGHQの検閲で全く新聞やラジオで取り上げられることは無かった。日本人はこの消し去られた事件を耳にしても、「そんな事件が有れば、当然新聞にも載るだろうしラジオでも放送するだろう。嘘を流すんじゃない!」と逆に非難した。

そのメディア絶対主義は、このインターネットの普及した現代でも続いている。余程真実を知ることが怖いのだろう。知らなければ、部外者で居られるとでも思っているのであろうか。

2007年6月   第二次世界大戦中の従軍慰安婦問題をめぐり、日本政府を追及する決議案が米下院外交委員会で採択された。慰安婦制度は日本政府による強制売春だったと判定し、事実と歴史的責任を認めて謝罪するよう促している。

進駐軍のしたことは総て無かったことになり、終戦時の連合軍による東京裁判でも「日本の軍部による強制的な従軍慰安婦は立証すべき証拠が見当たらなかった」とされた、戦時中の日本軍に対する非難決議が採択された。それをまた韓国が、米国に再度非難するよう訴えている。 

  横田基地司令部と在日米軍司令部の前には、日米両国の国旗に加え国連旗が掲揚されている。横田が米軍基地であるとともに国連軍の基地であることを象徴している。

  ここで言う国連軍は、朝鮮戦争で北朝鮮・中国(・ソ連)と戦った国連軍。国連安全保障理事会による決議に基づき、アメリカ、韓国、カナダ、イギリス、オーストラリア、フィリピン、ニュージーランドなど17カ国が参加した連合軍のこと。朝鮮戦争は現在も休戦状態であるため、活動を縮小しているが、再開されれば、日本との事前協議なしに自動的に国連軍の基地としての機能が復活する。

横田基地は現役の国連軍基地である。

横田飛行場には朝鮮戦争における国連軍の後方司令部が存在しており、常勤の要員として軍人3名・軍属1名が配置されている。また、国連軍参加国のうち8ヶ国の在日大使館付駐在武官が参加する合同会議が3ヶ月に1回程度の割合で開かれており、事実上の駐日武官の連絡詰所となっている。飛行場には日章旗、星条旗の他に、国連旗が常時掲揚されている。

 


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