浮世風呂

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朝鮮戦争

2011-10-25 14:34:15 | 資料

1948年8月13日に、ソウルで李承晩が大韓民国の成立を宣言した。金日成はこれに対抗して自らも9月9日にソ連の後援を得て朝鮮民主主義人民共和国を成立させた。この結果、北緯38度線は単なる境界線ではなく、事実上の「国境」となった。

 

朝鮮戦争(1950年6月25日 - 1953年7月27日-休戦)

成立したばかりの韓国と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の間で、朝鮮半島の主権を巡り北朝鮮が38度線を越えて侵攻したことによって勃発した国際紛争。

第二次世界大戦には空襲も受けず、日本が残したインフラや数々の建物等が、今度は朝鮮人自らの手で破壊した。この同じ朝鮮民族同士の殺戮で約400万人が死亡した。

朝鮮半島全土が戦場となり荒廃した。1953年に休戦に至ったが、南北二国に分断された状態のまま緊張状態は解消されておらず、平和条約は結ばれていない。現在に至るも北朝鮮側による領空・領海侵犯を原因とした武力衝突が発生している。

済州島四・三事件(さいしゅうとうよんさんじけん)

1948年4月3日に在朝鮮アメリカ陸軍司令部軍政庁支配下にある南朝鮮(現在の韓国)の済州島で起こった島民の蜂起にともない、南朝鮮国防警備隊、韓国軍、韓国警察、朝鮮半島本土の右翼青年団などが1954年9月21日までの期間に引き起こした一連の島民虐殺事件を指す。

韓国政府側は事件に南朝鮮労働党が関与しているとして、政府軍・警察による粛清をおこない、島民の5人に1人にあたる6万人が虐殺された。また、済州島の村々の70%が焼き尽くされた。また、この事件は麗水順天の抗争の背景にもなった。

この時多くの島民が日本に密航した。

麗水・順天事件(れいすい・じゅんてんじけん、ヨス・スンチョンじけん)

1948年10月19日、韓国全羅南道麗水郡(現在の麗水市)で起こった軍隊反乱と全羅南道麗水郡、慶尚北道盈徳郡、京畿道金浦郡(現在の金浦市)で起きた民間人殺害事件。

全羅南道麗水郡に駐留していた国防警備隊第14連隊は、済州島で起きた済州島四・三事件鎮圧の命令を受けていたが、南朝鮮労働党を支持していた連隊将校は命令に服さず、反乱に至った。

事件では反乱部隊に加えて、非武装の民間人8000名が殺害された。民間人はアメリカ軍機、韓国軍兵士、北朝鮮軍兵士、パルチザンにより殺害された。

この事件の際に日本へ密航し在日韓国・朝鮮人となるものが多数あった。

聞慶虐殺事件(ムンギョンぎゃくさつじけん)

1949年12月24日に韓国慶尚北道聞慶郡(現:聞慶市)で韓国軍が共産匪賊に協力したなどとして非武装の住民、女性、子供、老人88人を虐殺し、共産匪賊の犯行としていた事件。

保導連盟事件(ほどうれんめいじけん)

1950年6月25日の朝鮮戦争勃発を受けて、李承晩大統領の命令によって韓国軍や韓国警察が共産主義からの転向者やその家族を再教育するための統制組織「国民保導連盟」の加盟者や収監中の政治犯や民間人など、少なくとも114万人あまりを大量虐殺した事件。(この114万人は遺族の申告の数)行方不明者を含めると120万人以上といわれる。

 

 老斤里事件(ノグンリじけん)

  7月26日、ヨンドン郡イムゲ里とジュゴク里の住民約500名に、米軍から避難勧告が出された。「安全なところに避難させるから南下しろ」との米軍兵士の言葉に従い,住民は荷造りをして避難の途についた。米軍はこの時,避難民の荷物を検査し、芝刈り用のカマやノコギリなど武器になりそうなものはすべて押収したといわれる。

朝鮮戦争中の1950年7月に起きたアメリカ軍による韓国民間人の虐殺事件。第25師団長ウィリアム・B・キーン少将による7月26日の「戦闘地域を移動するすべての民間人を敵とみなし発砲せよ」という命令に基づき行われた。 

なお、同戦争中に行なわれた米韓連合軍の民間人虐殺はこれ一件に留まるものではなく、収監されていた1000人以上の政治犯も軍命で処刑(=殺害)されていた事が、後に文書調査で判明している。

   住民を指揮していた米軍兵士たちは、本部と無線連絡を取った後、その場を離れた。すると間もなく米軍のP51ムスタング戦闘機が現れた。戦闘機は、鉄橋の上にいた避難民をめがけて機銃掃射を始めた。逃げまどう避難民を、銃弾が容赦なく襲ったのだ。人々は先を争って鉄橋下の水路用トンネルへと駆け込んで行ったのだが、しかし、そこは避難所ではなく、彼らの墓地になってしまったのである。

 米軍はトンネルの両側の出口に機関銃を設置し、そして一斉射撃を加えた。逃げ場を失った避難民たちは、理由もわからないまま死体の山を築いていくしかない。銃撃はその後も米軍が撤退するまで、3日間にわたって断続的に続けられた。夜半の闇をついて逃げ出した一部の青・壮年を除いて,老人と子ども,婦人たちのほとんどは殺されてしまった。

国民防衛軍事件(こくみんぼうえいぐんじけん)

朝鮮戦争中の1951年1月に、韓国の国民防衛軍司令部の幹部らが、国民防衛軍に供給された軍事物資や兵糧米などを横領した事件。横領により9万名以上の韓国軍兵士が餓死したとされる。

 処刑される国民防衛軍の幹部

 

居昌事件(コチャンじけん)

 朝鮮戦争中の1951年2月9日から2月11日にかけて韓国慶尚南道居昌郡にある智異山で韓国軍が共産匪賊のパルチザンを殲滅するためとして、大人(15歳以上)334人と子供(15歳未満)385人からなる無実の市民を虐殺した事件。

しかしこれらの虐殺とは別に、朝鮮戦争開始と同時に、韓国政府によって子供を含む少なくとも10万人以上の人々を殺害し、排水溝や炭鉱や海に遺棄したことを確認している。

これらは全て裁判も取り調べもなく、韓国軍や韓国警察によって殺害されたのである。

(以上ウィキペディアより引用)

 

以下朝鮮戦争の写真

  

 

朝鮮戦争は第二次世界大戦で死亡した朝鮮人の数など遙かに問題とならない夥しい人々を、朝鮮人自らの手で虐殺殺害を繰り返した。しかも死亡した人々の大半は女・子供を含む一般人である。

日本が支配した統治時代に増えた人口や建物や数々の設備が、彼ら朝鮮人自ら破壊しておいて、今あたかも日本が全て破壊したように言い出すのは、大した捏造の国である。

 


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