山南ノート4【劇団夢桟敷】

山南ノート4冊目(2008.10.3~)
劇団夢桟敷の活動や個人のことなどのメモとして公開中。

試劇と刺激☆「極楽少女」

2012-11-14 02:36:17 | 「極楽少女」2012
(写真の人形:きちくるお 作)/上演と同時開催した展示コーナーにて。

11月8日(木)~10日(土)の三日間、劇団夢桟敷No.61「極楽少女」を上演した。
終了して3日過ぎたが、余韻が残っている。頭が痺れている。
いつも上演の際は不安と焦りがある。それは劣等感として襲ってくる。全部を理解している訳ではない。謎だらけの劇だった。謎を残したままの公演。見られたお客さんはそれを楽しんでくれた筈。顔に書いてあった。

終わって気付くことがある。時間が経ってわかることがある。
ことばや物語では終わらない劇である。それがナンセンスの偉大な力だと思っているから幸せなのだ。

今回の「極楽少女」は夢桟敷の現在であり、今日の社会とは無縁ではないこと。
実は公演に際しての「不安」ではなかった。今、そのものの社会現象が不安だったのだ。

この世はどうもおかしなことになっている。
天変地異、原発や戦争への危機感があった。大きな不安の中で劇を作っていた。それが始終離れない。ところが、稽古中にそのことを議論することはしなかった。頭と体の回路は議論では収束しないことを誰もが知っているからである。

「極楽少女」のテーマは阿部定事件だったのだが、時を超えて阿部定事件は「不思議の国」へとすり替わった。サダがアリスと重なった。ここに愛の乞食たちが乱入し、戦争を語る。
ここに登場する人物たちは過去の者たちだが、今に蘇ってみると怪しい近未来に登場する怪物のように思える。
今、幽霊たちが蘇っていると思うのだ。恐ろしい怪物か、優しい無念の怪物か。

ネタを白状すれば、不思議の穴は女性性器を連想させるものだった。女陰である。思ってはいるがそうは思わないお客さんがいても構わない。思ってイヤラシイと嫌われても良い。人それぞれである。
しかし、この穴は大切。命出ところ。・・・人が生まれるフルサトである。
古来より生命は海から生まれた。子宮は海である。宇宙と女陰は繋がり、ビッグバンで宇宙が膨張したようにエロス(愛)も爆発しなければならない。
クリトリスも鈴口も膨張することが健康の源。生きている喜びである。恥じることはない。身体あっての生きものである。元気を賛美しよう。

不感症やインポテンツの時代には愛の爆発・・・。これは精神論である。
演劇や表現に関わる分野の究極は愛の爆発に向かうのも納得できる。押えることはない。
戦争が爆発する世は悪い時代。ここにエロスと暴力の関係がある。

欲張りにも「極楽少女」は愛と暴力を求めた。生と死である。



今回で61回目の公演だった。完成された演劇公演の経験は一度もない。いつも不完全だと思い続けた。不完全だからこそ続いてきたのだ。
演劇は実験の連続である。完全と思った瞬間に死滅する。
試劇である。舞台を試みている。その形が演劇。そして演劇は刺激的である。
私は寺山修司が、不完全な死体として生きている、という意味をかみしめている。劇も同じことだと思う。
終われば課題が見つかる。それは完全を求めているからだろう。
人は何処へ向かっているのか。死は多面的だ。愛だ。

フルサトへ帰ろう。次の公演はテラヤマ劇へ挑戦する。



最後に、今回は夢桟敷のみならず、客演のコバヤシユカリ、劇団「魂」(はる、希望、雪、雨)、タカハシユウジ(電子ドラムライブ)、キッズ有志(ダンス出演)、人形作家きちくるお。
そして、最早身内とも思えるダンサーの山本真実、中村大輔。馬場真治(音響)
皆さんの共同作業があっての公演でした。
受付のゆいちゃん、田中君。どうもありがとうございました。
何よりもご来場頂きましたお客様に感謝致します。
会場のスタッフ様には心よりお礼申し上げます。

極楽少女の打ち上げ写真

2012-11-12 15:27:46 | 「極楽少女」2012
■11月10日(土)店一軒借り切る。
皆さま、お疲れ様でした。次は11月16日(金)亀井でお逢いしましょう。















昨日11月11日(日)は河原町アートの日。秘密基地へ道具を保管。
昼、長崎の劇団「本当ノート」ADOで観る。夜、ADOのオーナー誕生会参加。
今日、午後より一部荷物を引っ越し先の南町へ運ぶ。その後、1泊2日で山都町へ。
温泉。・・・一時的だが余生の気分を味わおう。

公演終了

2012-11-11 12:11:35 | 「極楽少女」2012
【2日目・中日】■11月9日(金)

午前9時からの集合だったが、公演は夜の7時。午前中は余裕が有り過ぎて隣のラーメン屋で定食をとる。
他のメンバーは3Fで展示会(原画展や人形展)作業。だが、肥後丸を中心に手はいらず、時間を持て余していた。やはり、午後からの集合にすべきだったか。
昨日(初日)は出演者も緊張気味だった。二日目はリラックス。キッズの4名も加わり和やかな雰囲気に包まれる。お客さんも和やかに。
後半の場面では劇を壊したり、再スタートさせたり、混乱場面を作っていた。心配することなく劇として成り立った。





【3日目・楽日】■11月10日(土)

開場の1時間前よりお客さんが集まっていた。お客さんがお客さんを呼ぶ現象があった。口コミの力である。こうなると3日間の公演がもったいないような気もする。
ケータリング(出演者やスタッフの食べ物)の買い物も少なくて済む。差し入れで腹を満たす。
出演者の声が気になっていた。三日目となると声枯れ注意である。
会場入りしてリハの段階で力を落としていたのが効いたのか、その心配はなかった。声は通っていた。
今回はクドシンとタカハシユウジのライブ音楽の演出も試みた。ナマの舞台にはライブ音楽が合う。言うのは簡単だが、やる方は大変。
最終日は元劇団員たちも見に来てくれた。感想は上々だった。県外からの来客もあり。遠いところからの来客にはこちらの方が恐縮する。感謝である。
演劇は旅だ。劇が始まる前から劇は始まっている。そのことを肝に銘じて今後も取り掛かろう。
さて、打ち上げの様子へつづく。







ご来場のみなさま。ご協力頂いた皆さま、外部からの出演者、スタッフに感謝申し上げます。
尚、最早、外部出演とは思えないくらいに内部になってしまっているダンスの山本まみ、中村大輔については今後の関わり、役割を真剣に扱おうと思っています。
又、タカハシユウジ(音楽)、コバヤシユカリの関係も!来年の公演に向けて!
劇団「魂」との合同稽古もありか!
この企画公演の報告書作成も急がなければ!・・・今後は出前劇とテラヤマ30年の劇に向かう。
終わらない。
今日11月11日(日)は道具整理である。未だ、仕事は残っていたのだった。

「極楽少女」ハジマル。

2012-11-08 07:59:07 | 「極楽少女」2012
11月8日(木)朝~、目が覚めると今日から「極楽少女」初日、本番である。
今日から3日間、「極楽少女」ハジマル。
昨日より会場入りし、夜のリハーサルを終えた。みんな、テンションは上がっていた。
照明と音響の合わせが微妙に気になる。これは本番直前までには調整できる。会場独特の癖があり、それを掴むことだ。スタッフのノリ、役者との一体感が確認できれば解決する。
ここからが勝負!・・・11時間ある。

うさぎちゃんも会場で待っています。御来場の皆さまと一体感をもって楽しめれば!それがナマの演劇公演。

今から出陣です。

直前です。

2012-11-06 23:58:05 | 「極楽少女」2012
精神的には危険(エッチ)なことになっている。気付かず、稽古中にセクハラ発言が飛び交っているようだ。
「肌を見せなさい。」「胸を出しなさい。」「もっと男を欲情させなさい。」
本音を言うと私の趣味を押しつけているのだった。これではイカン!・・・演劇とカンケーある「肌論」にする。必ず演劇と関係あることとして言わなければならない。

清く、正しく、美しく。これが劇団のモットーである。

消えろ、エッチな妄想。スケベ爺返上で最後の稽古場の写真です。





■演劇エクスプレス熊本3
次回公演劇団夢桟敷No.61「極楽少女」
11月8日(木)~10日(土)
熊本市男女共同参画センター2F多目的ホール【特設】円形劇場




稽古、汗と栄養補給

2012-11-05 11:42:05 | 「極楽少女」2012
■11月4日(日)

午後1時~9時半までの長い稽古だった。楽しみは喫煙コーナーのイップク。最近、本数が減った。
気温低下で風邪気味の出演者も出てきた。この時期は風邪対策に追われる。いつものことだ。咽、声をやられると稽古が辛くなる。辛い時はちょっと力を抜くこと。本番が勝負だ。焦って壊れるのは愚の骨頂である。
睡眠や食事が不規則になる公演直前。抵抗力は落ちている。バカの一つ覚えのような「精神論」で片づけられない。
薬と睡眠、栄養、うがい、手洗いを徹底すること。・・・そうは言うものの私ですら睡眠と栄養はいい加減なものである。人に言えた立場ではないが健康管理は言わねばならず、風邪予防にはサウナも効くと一応、言っている。一応である。高熱の時は中で倒れることもある。私たちには行く時間がない。代わりに稽古で汗を流す。













公演直前の風景。声を荒げているがいつもよりは冷静である。こつこつと稽古を積み重ねている者は強い。今、流行りの絆、厳しいことへの連帯感が強く結ばれている。
ハプニングにも動揺しなくなった。
ひとり、交通事故に巻き込まれた者(はる君)が出てきた。軽傷だったため照明係として関わってもらう。
本人は高い保険料を払っていることと被害者の立場であることでケロッとしているように見える。
まずは命があって良かったと思う。劇団員たちにも注意を呼び掛けた。・・・大半が車やバイクで移動しているからだ。
さて、稽古は本番体制である。

注:写真は稽古中のカットと台湾料理店でのアットホームな真夜中の食事風景。

■演劇エクスプレス熊本3
11月8日(木)~10日(土)
熊本市男女共同参画センター2F多目的ホール
【特設】円形劇場
次回公演劇団夢桟敷No.61「極楽少女」

極楽OR地獄

2012-11-01 04:30:51 | 「極楽少女」2012
■10月31日の稽古

久しぶりに人形作家=きちくるお女史が稽古場にやってきた。公演の時に展示会をするための打ち合わせだった。球体関節人形を展示する。
この劇では必要なものだ。大明神である。
11月9日(金)10日(土)の2日間、公演会場の3Fスタジオにてチラシ原画展やビデオ映像と並んで展示する。劇と関連して「極楽少女」のイメージが膨らむ筈である。

舞台は円形ステージであるため視点に工夫しなければならず、若干の課題を残している。客席の視点から外れてしまう立ち位置などもある。会場入りしてからの変更もあるだろう。
柔軟さが問われている。突然の思いつきにも出演者たちは対応できるようになってきた。

これからも詰めの作業はつづく。稽古だけでなく観客動員の作業もある。気が抜けない。

音楽ライブのタカハシさんや音響の馬場君もチェックに余念がない。工藤慎平もライブ音楽の担当だが出演も兼ねている。


「ねじ式」の青年(工藤慎平)が「極楽少女」に登場する。

何故、無意味に思われるキャラクターが登場するのかは見てのお楽しみという訳だ。
極楽や地獄の穴の中を想像する意味では大切な登場である。

さて、明日と明後日の稽古はキッズミュージカルに専念する。後二日間で仕上げなければならない。その間、「極楽少女」の方は自主練習。自分で煮詰めることになる。

結果、台本通りである

2012-10-31 06:28:38 | 「極楽少女」2012
生身の人間、ロボットではないのが役者だ。
ひとりの劇作家、演出が頭の中で描いたことを再現することが演劇ではないと確信している。
集団の力。口先では解決しない行動力。一筋縄ではない個性のぶつかり合い。そして信頼できる集団となる。
個人差はある。優等生ばかりではない。だから、劣等生である私は劇団の中での個人差は面白いと思っている。

稽古の時には何が起こるかわからない、そんな未知で謎めいた計算外のハプニングをこころの何処かで探し続けている。
凡百の言う「台詞を記憶する」場所が稽古場ではない。「台詞の時代」に幕を下ろしてしまったのである。演劇は事件である。虚構の事件を舞台上で巻き起こす。

今、強い意思で「極楽少女」の公演に向かう。あの世とこの世の中間点で彷徨っている宙ぶらりんを劇で形にすることへの挑戦である。
宙ぶらりん・・・まさに現代の様相だと思ってのこと。強い意思で宙ぶらりんへ立ち向かう。

生きているのか、死んでいるのか!得体の知れない時代だからこそ劇では「生と死」を意識する。
意識することがなければ劇で何も表すことはできなくなる。
だが、意識はずれることも薄れることもある。不明になる一歩手前で気付く。・・・未だ生きている。おや、ここは地獄?極楽?

稽古場では理解に苦しむ言動が溢れる。悩み苦しむこともある。形が見えない時だ。こんな時に笑ったらどうなる。
劇が好きでたまらない狂える恋に堕ちた時。役者が役者として一皮むける、そんな瞬間に立ち会うことができる。
観客はそれを見ている。とりつかれた役者の形相。

私は劇に後付けを認めている。今、全てを理解していなくても後から理解されることがある。理解には時間がかかるのである。焦らなくてもよくなってきた。それは結果だった。

「極楽少女」とは・・・公演ぎりぎりまで謎が深まる。稽古は続く。先は見えてきたのだが。


2005年の夢現「愛の乞食(尼蔵)」今回は旗揚げメンバーである海幸大介が演ずる。

稽古と食欲

2012-10-30 01:46:06 | 「極楽少女」2012
先日より音響のBB君、生演奏のタカハシユウジさんも稽古に加わってきた。
ある程度、通せるようになるとスタッフワークも高まる。問題は照明だ。こればかりは公演会場でないと見えない部分もある。プランニングシートは明日より打ち合わせとなった。

稽古終了が夜9時半を回る。終わって腹が減っていることに気付く。
私の今日の食事は朝トースト1枚、稽古前にコンビニで買ったお好み焼き1枚だけだった。昼食はなし。その反動で今日の夜飯は台湾料理「金龍美食」で胃拡張になった。腹を叩くとポンポコリンの音が響いた。下り坂を歩くと転がりそうになった。





公演当日はホールの他にスタジオも借りてある。役者の控室も兼ねて展示会をする。
主にhigomaru.のチラシ原画と過去の公演チラシ(1979年以降の古いチラシやポスターなど数点)を展示する。過去の上演ビデオも流す。
今後、「夢桟敷展」として秘密基地(河原町)やギャラリーでも企画するつもりである。
今、過去の資料なども整理中だ。「継続は力」と言われるが、整理しながら「自分史」ではなく33年の「演劇史」に見えてくるから不思議。
劇団は集団の力。まぎれもなく、その時代と交わっていたことを実感する。

食欲が満たされて幸せを感じる秋の夜長である。

稽古三昧・・・宝石のような汗

2012-10-27 00:40:26 | 「極楽少女」2012
生きものである。動物としての本能が舞台にはある。活字ではない。
今から33年前、劇団を立ち上げた当初は台本が上がった時点で劇ができたも同然と思っていた。後は役者が台詞を覚えてくれれば良い。それが今となっては大間違いだと思っている。台本は建築でいう設計図ではないのだ。読み物と劇の違いは「台詞や言葉」紙や頭の中での計算では表せないところがオモシロイ。役者である。役者が絶品でなければ劇は成り立たない。ロボットではないのだ。ロボット演劇なる科学技術と劇作家のためではない。要するに、舞台に立っている生身の役者をお客さんは見に来ているのである。



稽古中は写真記録を撮ることを忘れる。稽古日記を見ても呑んでいる場面ばかりが記録に残ってしまう。あの劇団は呑んでばかりいると思われている。
学生時代は確かにその傾向はあった。呑んで議論することが楽しかった。経験が豊富になると議論が空回りすることに気付く。議論ではダメ!腕力がモノを言う。腕力は稽古中に認められるのである。ここで言う腕力は腕相撲のことではなく役者の勢いである。
中途半端はやめて!ひとりよがりもやめて!・・・起伏の激しい劇を目指している。



台本上ではアリス(坂本咲希)が極楽少女の設定で書いた。稽古が始まってそれが他の登場人物たちにも分裂し増殖するようになった。
「婆は少女に」つまり、阿部定(夢現)がアリスに。そして、うさぎ少女(KAREN)も極楽少女に!水の少女(コバヤシユカリ)もアリスのようにも見える。後付けである。
思い通りにならないことはプラスである。個人の表現ではなく、集団の表現であるから思いがけないプラスが生み出される。

稽古中に確認していることは、「汗を飛び散らす劇」へ。役者の汗は美しいに決まっている。牛乳石鹸の匂いが漂う。日々、稽古で身体を磨いているからである。おや?牛乳石鹸のスプレーをふりかけている女優を発見。匂いまでお洒落するのか。

演劇エクスプレス熊本3 企画実施
11月8日(木)~10日(土)
熊本市男女共同参画センター2F多目的ホール
【特設】円形劇場
次回公演劇団夢桟敷No.61「極楽少女」

もっと円形を。

2012-10-26 00:14:11 | 「極楽少女」2012
イメージは相姦関係である。つまり、妄想できる劇は危険である。ところが舞台で形にするとその登場人物たちの人間関係は滑稽になってくる。子どもたちが下ネタを喜ぶのは気のせいではなく、性や暴力が大らかなものとなって現れてくるからである。
品が悪い程に美しく、品が良ければ醜く見え、だから劇は作る側も見る側も面白くなければならない。面白ければ悲しさも突き刺さるのである。
ネタはおもちゃ箱をひっくり返したようになっている。劇場を出てから整理すれば良い。すると「極楽少女」はこころの中で永遠に生まれ変わるのである。

確かに「極楽少女」には参考文献がある。
阿部定事件の資料、唐十郎「少女仮面」「愛の乞食」、寺山修司「疫病流行記」、つげ義春「ねじ式」、ルイスキャロル「不思議の国」など。だが、活字を切り取って構成した劇ではない。ここには役者たちの汗と血が流れているのである。
阿部定事件の資料をもとに、今年の3月「サダひとり。」をテント芝居で上演して「阿部定・三部作」に取り組んだ。その第2弾が7月に上演した「赤色時代」。完結編として「極楽少女」はある。
完結を試みるために、その味付けとして唐十郎と寺山修司、つげ義春、ルイスキャロルミックスしたのである。味付けは劇団夢桟敷が過去に上演した舞台から切り取ったもの。粉砕してふりかけたようになる。料理でいうと34年かけて煮込んだスープのようなものだ。


2002年の「アリス三部作」より

登場人物たちが重なり合う。
アリスが阿部定だったり、吉蔵が阿部定だったりアリスだったりする。
ねじ式の青年が穴に行くうさぎたちを追っかける。追っかけているつもりが、うさぎたちに追いかけられている。
登場人物たちは密着しながらすれ違っていく。立場も逆転する。円の中をぐるぐる回る劇。

愛の乞食たち・・・

2012-10-25 05:20:39 | 「極楽少女」2012
「極楽少女」公演迄後壱拾六日。

唐十郎 作「愛の乞食」がある。次回公演「極楽少女」にはその影たちが登場する。
その影とは戦争であり革命である。
影を登場されることは今の時代にとっては何でしょう。時代錯誤?アングラの劇は死滅した?
否、そうでもない節がある。世界の状況。むしろ、今こそ「愛」が渇望されている時代はないと直感しているのです。「戦争や革命」を蘇らせることではなく、アングラ劇は「愛」を語らなければならない時代に蘇る。

愛とは何でしょう。・・・密着することだと思っている。密着することで相手との関係が深まる。
ハグの習慣がない日本にとって密着は異文化?
演劇や表現に関わる分野では異文化ではないのである。これは舞台と観客の関係を比喩する。セクハラのことではない。

(2005年3月 近畿大学)

2005年3月、私たち夢桟敷は近畿大学(大阪)にて「唐十郎フェスティバル」に参加させてもらった。その際に上演したのが「愛の乞食」。メンバーは最年少が中学生、中心は高校大学生であった。
アフタートークの際、観客の大学生から「意味がわかって出演しているのですか?」の質問があった。中学生曰く、頭をかきながら「わかりませんでした」。会場は爆笑と拍手で湧いた。
学問の府でバカたちが溶け合った瞬間である。

あれから7年。私は還暦を迎え、座長は50代半ばを過ぎ、サキは28才である。10年一昔と言うが、劇団での時間の流れは早い。今や2年から3年で一昔になってしまうスピードで時が流れているように感じる。

「極楽少女」に登場する「愛の乞食たち」はどのような変容を現わすか!
唐十郎「少女仮面」の冒頭で歌われる「婆は乙女に、乙女は婆に」(宝塚少女歌劇団)と寺山修司「疫病流行記」で箱に閉じ込められた少女が叫んだ「私の名前は病気です。」が重なったのである。

言わば、時間のパズルゲームとして愛の乞食たちが劇では存在する。過去ー現在ー未来の空白を埋め合わせる謎として存在する。一見小難しいことのようだが、謎が娯楽として見えれば美味しいのである。
若い世代には言っておこう。楽しく演じれば良いのです。辛い世に辛い顔は要らない。
これが劇だ。

「バカが行く」・・・暫くは「極楽少女」コメントにつづく。

水の少女と・・・

2012-10-24 01:37:50 | 「極楽少女」2012
写真の左が「水の少女」(コバヤシユカリ)と右が10年前の元劇団員(矢山君)

■10月23日(火)

水の少女「水を、水を下さい。」

♪歌曲「極楽少女」

吹き荒れる マボロシの
地の底から目覚める 極楽少女
極楽少女は 花の幽霊
彷徨いながら 何より水を
時計の針が 後戻り
極楽少女よ 処女の夢よ
愛の穴から花嵐 まばゆい
極楽少女は 狂いだす
 
「熱い、熱いのです。助けて下さい。水を水を・・・!」

「極楽少女」では「水の少女」が登場する。小林ドロリバンドのコバヤシユカリ。
「愛の乞食」=尼蔵(海幸大介)・チェ(山本真実)・ゲバラ(中村大輔)・水の少女の4人組である。
本日の稽古、3幕が中心だった。水の少女は、あるいは「極楽少女」として「不思議の国のアリス」とも重なる。悲惨な少女ではあるが歌姫でもある。

そのユカリちゃんが元劇団員の矢山君を連れてきたのである。10年ぶりの再会だった。学生時代のバンド仲間として知り合っていた。ありがたいことに明日の稽古にも彼は見学に来るという。
公演までの稽古スケジュール