山川草一郎ブログ

保守系無党派・山川草一郎の時事評論です。主に日本外交論、二大政党制論、メディア論などを扱ってます。

「西郷」と「大久保」 ―政治家・小沢一郎の2つの顔

2004年05月24日 | 政局ウォッチ
映画「ラストサムライ」に登場する反政府軍の棟梁カツモト(渡辺謙)は、武士としての名誉を守るため、彼を尊敬する仲間とともに近代装備の新政府軍に突入し、戦死する。

日本人好みの壮絶な死の美学に、政治家・小沢一郎の人生観が重なって見えた。彼には多くの憂国の士をひき付けるカリスマ的魅力があるが、それはどこからとなく漂う「滅びの美学」の臭いに負うところが多い。

自民党を割り、細川政権を樹立して壊し、新進党を築いて解散し、小渕政権を中から倒し、自由党を率いて民主党に合流する―。すべては自身が高く掲げる理想のためだが、その行動の一つ一つに「刹那的」ともいうべき覚悟が見え隠れする。

小沢氏には「純粋で朴訥なロマンチスト」「権謀術数を操る冷徹なマキャベリスト」という、相反する2つの評価が存在する。おそらく、その両方が正しい評価だと思う。

若くして政権の中枢にたどり着いた彼は、雄弁な他のどの政治家よりも真剣に、そして純粋に「日本国」の置かれた現状を憂い、将来を考えたのだろう。

そうした思索の集大成が「日本改造計画」だった。学者肌で理論派の政治家は、たいていこの時点で目的を遂げるのだが、本気で祖国の現状を憂う小沢氏には、それだけで満足しなかった。

高く掲げた理想は達成しなくては意味がない。国家改造という目的を達するには「権力」がどうしても必要だ。そこに小沢氏のもう一つの顔があった。彼は50代から60代にかけてのこの10年、理想の実現のために政治生命を賭けて闘ってきた。

「自らの理論を実践することが、日本国と日本国民のためになる。残された時間はない」―そうした信念が、ありとあらゆる権謀術数を合理化し、正当化してきた。

小沢氏はかつて、新聞社とのインタビューの中で、尊敬する政治家として西郷隆盛と大久保利通の二人の名前を挙げている(『小沢一郎探検』1991年、朝日新聞社)。

「僕が一番好きなのは西郷さん。日本人好みだよね、しょせん浪花節で。西郷さんは近代的政治家ではなかったね。武士の最高の人物。近代政治家として尊敬するのは大久保利通。あの当時では群を抜いてたね」

「西郷さんは現実政治家というよりも、ロマンを求めているね。人情に厚いし。だから、人間として最高にいいし、最大の侍だったと思うね。だけど、あれでは政治にならない。しょせん義理人情に厚いということは、天下を動かすには、それだけではどうしょうもない・・・」

理想を語るだけでは政治家ではない。それを実現するにはどうすればいいか、本気で知恵を絞り、あらゆる策を打ってこそ政治家だ―。

カツモトのモデルといわれる西郷と、明治政府の首脳として内政改革を断行し、独裁者ともいわれた大久保。正反対の二人を挙げた小沢氏の発言からは、「理想家」と「権力者」の二面性が浮かび上がる。

民主党は、よくも悪くも理想に燃えた若い政党である。しかし、その理想は実現してこそ、国家国民のためになる。残念ながら、同党の理論派には、不純な手段を使ってでも理想を実現する気概が感じられない。

「豪腕・小沢」を利用しようとするしたたかさは、ある意味で、成長の現れかも知れない。しかし、それだけでは小沢氏が可愛そうだ。

小沢氏から学ぶべきことは、「カネ目当て」「選挙目当て」と後ろ指をさされながらも、ひたすら「国家国民のため」と信じ、一つの目標に向かって猛進するサムライ・スピリットではないだろうか。(了)



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