山田の案山子

日々是吉日

生涯学習? 生涯懲役? 幼い頃から社会的思想教育って必要な気がする昨今!

2018年05月31日 | 時事・ニュース
   愚詠礼讃

あゝ識り過ぎた罰よ!
無知である時の憩いは今は消え 三百幾席かの為に
囚われた識りたる者達には 限りない
限りない あゝ限りない 弾圧の鋒鋩ははふりかかりくる。

無知である力なき民衆を憎めと云うのか?!
牛馬的存在者を憎めと云うのか?!
明治の遺物が消えない限り 彼等は覚醒されぬまま
透明な! が確実な抑圧の腹黒電波に 汚染されて征く。

マイホーム主義の手先共は
分別不可能と云う 単純な憤りから
囚われた識りたる者に襲いかかる 彼等は知っているのか?
何時の日にか自分等の子孫に 彼等が囚われた識りたる者にやっている
其の数々の行為と同じ目にあうのを
手先は云う「俺達も貧乏だ」と そうぬけぬけと言うのだ!
貧乏とは何かも知らぬくせに!
それにしても 彼等の子孫は目醒めるだろうか? 子孫には罪はない!
が 彼等の親達の弾圧行為は 其の子孫によって償われるだろう
其の前に 親なる其の手先共は
務めて覚醒しない 決して覚醒しない
殺すか殺されるかの一歩手前の状態の 胸中に激しく響くのは
彼等に向け送る 銃弾のとびゆく音

三百幾席下の恐怖は 囚われた識りたる者の嘆きに代わる
其の嘆きは 囚われの独房で育まれ
五百幾席下の恐怖に匹敵する正義の怒りに燃え揚がる
三百幾人かの出っ張った腹黒の輩共は 短い命の残りを耽溺し
其の数の何百万倍もの脳髄かるき小羊達を埴輪にする
憐憫の情烈しく 脳髄軽き小羊達に思うとも
其の小羊達さえ 腹黒電波からの文句を借り
識り者達に罵言と粗野なテロルを浴びせかける
あゝ 生き地獄よ! 生き地獄よ!

嘆き多き日 胸に詰まり 吐き出した後の疲労と寂寥は
一碗の麦飯に癒やされ 黙する事を また一つ識る
識りたる者の挫折したとのデマゴギーは 暫時 
我が足を 小さき独房を回り歩きさす
 [あゝ 感嘆すべきデマゴギー!]
そう心なかで絶叫させ 其の螺旋した後の真中に 真空地帯に
化石化した仁王を想起させる
此の現存在を何時迄もとの誓いと共に


 
   万年の筆

 俺は殺人者だ。何も言えない、一言も・・・・・・。が、俺はいつもつな凶人なのか。否定する。殺人に至らしめた由来が一つなりと有る筈である。
 低脳と言ってしまえば其れ迄であるが、あまりにも騙され過ぎた俺であった。・・・・・・でも、怒る事を覚えていた。
 此のまま沈黙を守ったまま屍ぬのだろうか。そうだとしたら? ・・・・・・情けない事と思う。法廷で怒鳴ってやりたい衝動にかられ、かられて思って考えて・・・やり切れなくって筆を取る。あれこれ書いてみても、進歩のない全文面! 罪人には名誉など消えた。「tツウ ビィ ナット ツウビィ」繰り返し、胸に満タンとなり、一言口にでる。
 此の携行となく思えてきた。人間、誰もが、ある時期が来ると悟性に目覚めると、そして、其の時期とは多大に、死期が近くでうろうろしていて、体内の血が敏感に臭いをかぎ取りによいのだ。
 遅いんだ・・・・・・。やりたい事が、過多あるのを悔やみ、去って逝く。笑って去る人だって同様な筈、其の時、ちょっと我慢しているだけなのだ。其の時側に、手を握ってくれる人があれば、其の人に取って最高の幸福だろうと思うのである。
 俺の場合如何なるのかな?  ・・・・・・アッハハハ・・・・・・・・・まぁいいさ、運命とやらだ。せめて・・・・・・もんだな。幸福論でも、夢でも喋ってた方が無難かな。
 激しく、激しく憤慨した、あの日は、もう来ない。再び、俺が燃える日が・・・・・・・・・

  無知の涙  永山則夫著  河出文庫刊


1997年の執行と云う事は21年前
平成9年か?
最初の射殺事件から40年以上の間
警察留置場や東京拘置所に居たんだ

裁判中も判決後も・・・
彼が文章を書いたのは被害者遺族に印税で賠償したかったからと本人は書いている
哲学だとかプロレタリアートだとかブルジョアジー
民主主義や資本主義・共産主義・日和見主義や社会的思想教育の必要性等々

ノート10札分を全て収めた 無知の涙 を読み終わった
小学校中退の我が輩には初めてお目にかかる漢字が多く
ネットに入力するのに読めぬ文字は探せぬ故に直接手書きで探して入力した

小学校も中学もあまり好きではなかった様だが定時制高校には通ったらしい
元々勉学意識は高く強かった人物だと我が輩は思う

  ♪ 身から出ました錆故に~チンケなポリ公にパクられて~・・・



誰でもが死ねば仏? 仏 放っとけってか!(笑)

2018年05月30日 | 時事・ニュース
1970年7月4日
 私はあの時、純真的緊張を隠さなかった事を告白しておかなければならない。すべての自己で、もう私は死刑という思わず恐怖の念を惹起さす感情を説得させ、克服したと決めてしまっていた。しかしあの時、何故ともなしに内世界に現れた! これは殺人犯しか理解不可能な心理現象であるのだ・・・・・・。私は未だ若輩者である。とても、とても、未熟な者である。しかしそれは、私の理念では赦されない心的行為であるのだ。絶対的に寛恕されないものなのだ。私は自分自身なりの理念を何時も堅持して後向きでなく精神歩幅を進めて行きたい、と非常に願う以上、あの時の「私」は赦されないものであるのだ。

 あの時とは、審理の席上、被害者の家族が極刑を云々と言った時であるのだ。この問題は全く主観的なものであるけれど、心理学を手がけている現在大事なものと思う、殺人者の心理を調べる上で研究材料とすることが出来ると思う。審理中被害者の家族が加害者に「極刑をお願いします」と言うことを、加害者が聞いた時の微妙な動揺である。

 これは二つの方面から弁証法的に考察せる。多分まだ幾つかの考察方法があろうが、私個人の主観的態度としては二つしか見出せない。その一つは個人的報復感情である。これは、私自身がこの事件をやる直前の感情に似ている。がしかし、私の方がこの家族の者達よりその感情が激烈であった。また、家族のこの感情は、当然に起こり得る妥当的本必然的感情であるのだ。これは被害者の家族としては、直接その行為をしたい衝動を最大限にその人の理念をもっておさえつけたもので、そしてそこに諦観の念が起こると同時に、合法的方法で仇討ちと思惟を走らす時に、この「極刑云々」という言葉が表出するのである。要するに、この時、私が検事に警視庁で初めて会ったその場で「此の世は殺すか殺されるかだ。今度はおめえさん方を殺すか番だ、云々」とのことになる訳である。

 そして後一つは、社会(資本主義社会)的観点からの考察である。司法界としても、この死刑という刑罰は歴然と矛盾するものと認承している。しかしながら、法律というものは国家治安を守護しないのであるならば、何の立存する意義をもたないものである。例えそれが、資本主義社会という死刑という刑罰を設置しなければ静謐を保持さられない社会であってもである。この前述の二句点の中の述語内容からして矛盾するものであることが直感的に理解せる以上、これから述べると尚更矛盾或いは撞着が生じると思うのであるが書くだけ書いてみるつもりだ。

 心情的に言って、死刑とは司法関係の者達には厭味のある思惑を起こさせるものであるらしい、特に青少年犯罪者の場合はである。しかし、刑法的にその刑が妥当する事件であるなら、鬼となり、それらの犯罪者に対処しなければならないものである。この時、前述した被害者の家族の思惑が加味され、その司法関係の者達は金棒を把んだ心境となり、個々人の主観的心情の呵責は抹消されるのである。俗にいう鬼に金棒とは、ここから由来したものであろう(?) 。この金棒たる被害者の家族の思惑は、報復という事に万丈気炎をあげているのは当然
であるのだ。この哀れむべき者達は、相手の加害者がどんなに正当的状態からその行為を起こしたとて寛恕しようなどとは思うものではないのである。資本主義社会の法律の落とし穴をここにも露呈する事が可能だ。
  (後 略)

  無知の涙  永山則夫著  河出文庫刊
  ♪ さよなら丈が人生さ 彼の世とやらでオタッシャに
 
 

生きるも死ぬも定めか? 寿命か?

2018年05月29日 | 時事・ニュース
  Ⅰ
東南アジアの若者達が 月夜に恋を語る日は消えた
戦うアジアの民衆は 何時しか疲れて泥土に寝る

彼等は知っているのだろうか 何故 血を流しあうのか
知るまい・・・・・・其の事を考える時間が無いから

知って居るのは 眼前で銃口を向ける者を殺す
其の短い 今は馴れた 動作があるだけ

考えられない若者よ
考えてあげよう 此の野獣にされた私が
それは 生活を守る為に他ならない 
これなんだ たったこれだけなんだ


  Ⅱ
此の野獣も 此の野獣呼ばわりされる行為をしなけりゃ
此の生存原理を知り得なかっただろう
野獣は其の事に悔しがる 悔しがる

こんな輩を 野獣等が考えも及ばない 高い 高い所から
警視し 其の日の一瞬間の笑い種にして
お暮らしあそばせるお方が在る

貧乏人が無い世界に成る そんな代は永劫に無い
他民族は他民族は自分の生活守るのに 手いっぱい
手いっぱいだ

  
  Ⅲ
とある代の とある日の真夜中 西も東も分かんない馬鹿が
日本資本主義国家 たった独りで宣戦布告した

最初は意気轟々の神出鬼没の暴れようだった
其の馬鹿 捕まった 何の事はない チンケな小男だ

一時的に世論は騒いだが 人の噂は何とやらで
19歳は凶期の時 と犯罪史に残し それっきり

  「無知の涙」(独りぽっちの革命家) 永山則夫著 河出文庫刊

昭和43年10月 彼が最初の射殺事件を起こした頃 
我が輩は松本少年刑務所に服役中だった
新聞にも興味は無かったが新聞を読んだとしても
彼のニュースは塗り潰されていたことだろう
我が輩も生とか死とか何時でもと拘り無く生きて早 古稀!
我が輩も思う 速く楽になりてーと!

 ♪ 此の世に夢が在る限り? 夢も希望も捨てし我 何を求めて今を生きなん



無知の涙を流すのは国の為か? 学校の為か?

2018年05月28日 | 時事・ニュース
独りで誕まれて来たのであり
独りで育って来たのであり
独りで此の事件をやったのであり
と或る日 独りで死んで逝くのだ
其処には 他との関係は一切れも存在しない
まるで 路傍の小石のように

雪降れば 冬を知り
若葉見つければ 春を知り
蝉鳴くを聴けば 夏を知り
赤トンボと蒼穹で遊べば 秋を知る
が此処には 肉体の歴史は無い
隠すのが 運命で逝く者の精一杯の憩いだ

知った時 確実な運命が眼前にあり
それを 語り残す友も無い
無知が現在の自己に変えた

無知である時期の涙が
が これは無知の涙では無い
此の涙は普遍の涙だ
潤んでいる でも 頬には落とさない
此処では 落としてはならん
求めるのは こんなに安ぽくない筈だ もっと華麗のなかに・・・・・・

涙が頬にかかる時
それは 無知の涙では無い
涙せる日を憧憬し 存在を置く
無知の涙とは 悠久の果てにも無いかも知れない
でも それが 頬にかかる時
私の其の涙は無知ではなくなる

 無知の涙 [増補新版] 永山 則夫 著  河出書房新社 刊

前々から読みたいと思って居った此の書を何気に見つけた
4人を射殺した少年が獄中で本を貪り読み
文字を学びながら生まれて初めてノートを綴ったのが此の一冊だが
無知どころか中学卒業の彼の才能には驚かされる!

 「死のみ考えた者がいた」
 私は4人の人々を殺して、勾留されている一人の囚人である。
殺しの事を忘れる事は出来無いだろう一生涯。しかし、此のノートに書く内容は、なるべく、それに触れたくない。
 何故かと云えば、それを想い出すと、此のノートは不用にに成るから・・・・・・

    昭和44年7月2日筆記許可おりる。
                                   永山 則夫


日大アメリカンフットボール部の監督・コーチ
己の身を守る事に夢中で選手を庇いきれぬ不様さが連日報じられる
選手と監督・コーチとの受け取り方に乖離があった?

加計学園理事長と安倍晋三の面談は無かった?
森友の駕籠池も保釈され財務省の偽りもばらされるのか?
安倍晋三ばかりでは無い!
日本国の政治屋ばかりでは無い!

世界のリーダーと云う輩の無知さに呆れるばかりである
永山則夫の云う社会主義国家か?
資本主義国家か?
理想主義国家か?
現実主義国家か?
国会とか政治屋って誰の為に在るのか? 
其れが本当に必要なのか?
無知なる者が多過ぎる!

  ♪ 生まれた時から此の世の辛さ知っているよで何も知らずに落ちて初めて痛さを知って・・・

♪屹度来る! 其れでも寿命迄生きねばならぬ!

2018年05月26日 | 時事・ニュース
最近 昭和の時代に生き輝いた人々の訃報を目に耳にする
今更我が歳を思えば古稀!
テレビで訃報を見て此の人は未だ生きて居たのか?
誰でもが平等に歳を重ねる!

天皇も来年4月で退位?
元号は皇太子が天皇に即位する一月前に公表するらしい!
年末にはカレンダーや手帳は平成31年で売り出すのだろう

60歳になった時にはまさか此の歳迄生きるとは思いもせなんだ
あれから10年・・・
脚を挫き体力も弱まり生きる事に夢も見出せぬ儘ただ生きて居る
死ぬ事は容易な事では無い

電車に飛び込めぬなら駅のホームで誰かを線路に突き落とせば好い?
間違い無く刑務所入りだろう
自殺願望者が無差別殺人や傷害事件を起こすのは現実社会から逃れたいからだろう

明治生まれの人は居ないだろう
大正・昭和・平成を生きて来年5月には4つの時代を生きる事になる
出来る丈速く我が輩は此の世から消えたい!

 ♪ 皆 元気で居るか? 辛くは無いか! 遠き昭和の灯りが恋し