白い家のある風景

モダニズム・アールデコ 趣味の(仕事の)建築デザイン周辺を逍遥します

ラウンドコーナー

2011-02-06 | アールデコ

 何千回と前を通っていながら意識してなかったのだが、奥沢駅前の電気店をよく見るとラウンドコーナー・アールデコと呼ばれるスタイルの看板建築だった。割と最近きれいに塗装されたようだが、マンション建設の知らせが貼ってあった。また古い時代の名残が街角から消えていく。

 

 


氷川丸3

2010-08-16 | アールデコ

 この扉も氷川丸。曲線的だけどアール・ヌーボーよりあっさりとして、やはりアール・デコ的デザイン。氷川丸のインテリアは主にマーク・シモンというフランスのデザイナーがてがけたそうだが、各部分がどれも魅力的だ。

 敗戦記念日も過ぎたが、氷川丸がこうして保存されてきたのも、戦争を生き残った数少ない日本商船の一隻で、戦後も引き揚げ事業に携わった後、北米航路に復帰して活躍した昭和のシンボル的な船だからだ。
 戦争中は、ほとんどの商船が沈められ、船員の死亡率は海軍の2倍、陸軍の1.5倍の40%以上だったとか。つまり二人にひとりが戦没している。中には乗っていた船が沈められ何日も漂流の末救助、また乗船して撃沈、漂流、救助を繰り返し、3度目にとうとう行方不明という悲惨な例もあったらしい。しかも、当時船員は軍人から牛馬以下に扱われたそうで、だから戦後になってから日本の商船乗りは海上で軍艦(自衛艦)に会っても挨拶もしない、と言われていた。
 観音崎に戦没船員の慰霊碑が建っている。今こうした船員達に思いをはせる人がどれだけ居るだろう。
 我々は戦争を知らない子供たちと言われたけど、逆に大人イコール戦争を知ってる人だったから、戦争の話は事あるごとに聞かされたし、戦争をテーマにした長崎源之助の著作など児童文学がたくさんあった。長崎源之助など今の子供にも読んでもらいたいな、と思っていたら、神奈川近代文学館でちょうど長崎源之助展を開催している。9月26日までだそうです。
 


アール・デコと豪華客船

2010-04-20 | アールデコ

 さて先日横浜の日本郵船歴史博物館へ行った話を書きかけました。
 そこでは「船をとりまくアール・デコ」という展示がおこなわれています。展示を見た結果を言うと、なかなか充実した内容と感じました。もちろん、一般の美術館の企画展などにくらべると、量的には大して多くないのですが、船の室内装飾、ポスターやパンフレットなどの印刷物、乗船客が着ていたファッションなどが、コンパクトながらわかりやすく展示されていた上、船のインテリアの写真でアールヌーボーとの違いを示すなど、アール・デコとは何かを知る上でもよい展示でした。
 このほかに、日本郵船の歩みと海運の歴史をしめす常設展示もかなり充実していて、氷川丸の見学入場券とセットで500円(ネット割引で300円)はかなりお得です。この氷川丸がまた東京都庭園美術館と並ぶアール・デコの宝庫で必見です。氷川丸は1930年にシアトル航路に就航した貨客船で、戦争中病院船だったため戦後まで生き残り、現在山下公園の前に保存されています。ちなみに太平洋戦争中、海軍の死亡率20%陸軍30%に対し、船員は40%と高率で、二人に一人が亡くなっています。アール・デコの客船は氷川丸だけでなく、日本には多く客船があったのですが、ほとんど全てが米軍の攻撃によって沈められました。
 
 アール・デコで有名な客船といえば1932年に就航した大西洋航路のノルマンディ号ですが、この船はアール・デコを代表するデザイナー、カサンドルの描いたポスターでも有名です。いまだにこの船を越える豪華客船はないとも言われている伝説?の客船ですが、やはり戦時中アメリカに接収され、兵員輸送船に改装工事中に出火し、短い生涯を終えました。YOU TUBEにノルマンディが走っているカラー映像があり、なかなかの迫力です。(SS NORMANDIEで検索)
 一方彼女(ノルマンディー)の僚船イル・ド・フランスは少し前の1927年に就航してるのですが、この船のインテリアもアール・デコの華といわれるすばらしいものだったそうです。こちらは戦争を生き延び、1959年に日本でスクラップになりました。面白いのは、そのとき取り外された装飾品の一部が、あの摩耶観光ホテルの改装に使われた、というはなしがあることです。摩耶観光ホテルといえば、美しい廃墟として廃墟マニアには有名な建物ですが、元々これもすばらしいアール・デコ建築でした。摩耶観光ホテルについては、この辺の経緯を含めもっと調査をすれば面白いと思うのですが、建物自体はどんどん風化してるようでもったいないことです。
 
 どうも建築のことを書くつもりが船のはなしになってしまいましたが、船と建築デザインはずいぶん深い関係があります。このことはいづれまた。
 「船をとりまくアール・デコ」の展示は6月6日までです。お見逃しなく。
 


アールデコってなんだ2

2010-04-15 | アールデコ
 前回の話の続きなんですが、装飾がなくても「これってアールデコだよね」という建物はたくさんあります。書店の洋書売り場に行くとART DECO」というタイトルの本を見かけます。それらの本には大抵コルビュジェによる20年代の住宅が載っています。時にはオランダの建築家ヨハネス=ダウカーのゾンネストラールサナトリウムなど、「いくらなんでもこれはアール・デコじゃないだろう」というモダニズムの作品も載っていたりします。つまり1930年代のスタイルと言う広義の意味でアール・デコをとらえているのですね。
 でもやっぱり、ダウカーの作品を見てアールデコは感じませんよね。一方、前回例にあげた、マレ=ステファンやオリバー=ヒルの作品にアール・デコを感じるのはなぜでしょうか。確かに彼らの設計した建物は、1925年のパリでの装飾芸術展(アール・デコ展)のパビリオンなどと全然違いますから、藤森照信氏の言うように、狭い意味ではアール・デコじゃないと見られるかもしれません。でも、ダウカーのような純粋な(?)モダニズムの建物とはちょっと違った、象徴性やある種の古めかしさ、機能より視覚的な美を求める態度、時代性をあらわした優雅さ、といった何物かが付加されているのです。
 ヒルの代表作ミッドランドホテルを見ると、部分的に装飾が在りますが、全体としてはモダニズムと言ってもいいシンプルな建物です。しかし、ゆるやかに湾曲した平面が女性的エレガントさを出していて、水平線を強調した庇や象徴性をもった階段塔など、悪く言うと俗っぽさ、よく言うと一般のモダニズム建築よりも優美さがあります。内部は明らかにアール・デコの装飾があるのですが、装飾をはずしてもこの雰囲気は「アール・デコ」としか言いようがありません。この湾曲した平面はヒルの特徴で、ほかの作品にもくりかえし現れるのですが、原美術館の湾曲した平面はヒルの影響もあったのではないかと、前々から思ってました。もっとも、湾曲した平面はヒルだけが採用していたのではないので、証拠はありませんが。
 ちなみにミッドランドホテルは廃業して荒廃していたところを、トラスト運動のような形で市民の協力を集めて復活し営業を再開しているようです。さすが英国ですね。このホテルは、TVドラマの「名探偵ポワロ」に登場します。このシリーズは実は1930年代建築の宝庫で(なにしろドラマの設定が1930年代)フーバー工場とか、ロンドン動物園ペンギンプール、ハイアンドオーバー、ハイポイントアパートなどなど数々の傑作建築がロケに使われ、なかなか見られない内部も撮影されているので、この時代の建築ファンは必見です。

アールデコってなんだ

2010-04-12 | アールデコ

 横浜の日本郵船歴史博物館で「船をとりまくアール・デコ」という展示が行われています。写真はその図録(というより案内冊子)の表紙です。使われているイラストは、当時の日本郵船が発行したパンフレットや絵葉書からとったものですね。確かにアール・デコという感じがします。

 
 でもアール・デコとはなにか。この冊子の説明から抜粋して引用すると、「1925年にパリで開催された現代装飾美術・産業美術国際博覧会の名称に由来し、幾何学的なモチーフを反復したような模様、直線や流線型を多用した造形、新たな工業製品を多用し機械的なデザインである。しかし、デザイン様式そのものをさすというより、1930年前後の時代主潮を指したものだとも言われており、はっきりした定義をすることが難しい」
なかなかわかりやすい秀逸な説明だと思います。はっきりしないということがはっきり述べられてます。これはもちろん皮肉ではなく、まさにそこがアール・デコの不思議かつ、魅力的なところなのです。
 
 私が「アール・デコ」の定義についてこだわるのは、実はちょっと苦い経験があるからです。というのは学生の頃、卒論を書くに当って建築史の研究室に所属したのですが、「アール・デコ」の研究をしたい、と希望した私に、当時助教授のF先生が「アール・デコ」は定義できないからダメと却下。そこでしかたなくタイトルを「1930年代の日本の建築装飾意匠」てな風に変えて論文を書いたのですが、その発表会で「-いわゆるアール・デコと呼ばれる云々」と説明したら、またまたF先生から「アール・デコの定義は何か」と突込みが入りました。まあそこはとぼけて通しましたが、定義が曖昧だから存在しないのか、物があって、言葉が先に存在して定義はあとから付いてくるんじゃないのか、とかなり不満でした。工学部の建築史研究と言うのはこういう無機的なものなんあだなあ、とわかり、幸か不幸か研究者になる気持ちは全くなくなりました。
 それから20年、先日吉田鉄郎設計の馬場邸の見学会で、F先生にお会いしたとき、F先生は馬場邸のインテリアをさかんに「アール・デコだ」と説明してるのです。内心苦笑しましたが、もちろん特にその話は持ち出しませんでした。

 でもちょっと気になるのは、東京都庭園美術館(旧朝香宮邸)が公開されアール・デコで有名になる前から、アール・デコの建築と自称していた原美術館(旧原邸)について、建築探偵で有名な藤森照信氏が「これは装飾がないからアール・デコではなくてモダニズム建築」と断定してることです。装飾がないからアール・デコじゃないのか?わたしはそうは思いません。では旧朝香宮邸から装飾を取ってしまったらアール・デコではなくなるでしょうか。
 フランスの建築家でロベール=マレ=ステファンという人が居ます。この人はアール・デコを代表する建築家と評される一方、コルビュジェと並びモダニズムの先駆者とも言われます。同じく英国の建築家オリバー=ヒルという人も同じように言われます。(ヒルの設計した住宅は原邸に似た部分があります)。では、彼らは装飾的なアール・デコ建築と、装飾のないモダニズム建築の両方を設計したからそう言われるのでしょうか。いえむしろ、どちらとも言えるデザインをしていたのです。アール・デコとモダニズムの中間?つまりそれも「アール・デコ」なんです。この話はまだ続きます。