東南アジア・ヴァーチャル・トラヴェル

空想旅行、つまり、旅行記や探検記、フィールド・ワーカーの本、歴史本、その他いろいろの感想・紹介・書評です。

横井勝彦,『アジアの海の大英帝国』,講談社学術文庫,2004

2007-01-31 11:23:01 | ブリティッシュ
同文舘出版1988を文庫化。

リスボン,ジブラルタル,マルタ島,コルフ,コンスタンチノープル,黒海,シロス島,スミルナ,スエズ,ペリム,アデン,マデイラ諸島,テネリフェ島,ベルデ岬諸島,バサースト,シエラレオネ,アセンション島,セント・トマス島,フェルナンド・ポー島,セント・ポール・デ・ロアンダ,喜望峰,クルアムリア,ボンベイ,ツリンコマリー,カルカッタ,ペナン,シンガポール,ラブアン島,香港,上海。

以上が19世紀大英帝国の石炭補給線(p203)

どうしてこんなに貯炭地が必要なのか、というと、つまり当時の蒸気機関は効率が悪く、石炭を山のように消費するからである。
太平洋やインド洋を横断するなんて場合、積荷の大半を石炭が占めることになる。
蒸気船というのは、貨物輸送のための商船では、とうてい燃料費をまかなえない代物だった。
軍艦でさえ、ペリー艦隊(1953年当時)は、日本近海までは帆航でやってきたのである。

では、蒸気船は、釜の水はどうして補給していたのか?
水も大量に運んでいたのか、というと、違った。
なんと、海水を使っていたのだ!
みなさん知っていました?
そのため蒸留器(コンデンサー)が発明される前は、海水で蒸気をつくっていたわけで、圧力が制限された。つまり効率が悪かった。

こんな具合に、燃料食いで効率がわるく、敵の弾丸が外輪にあたれば致命的である蒸気船も、軍艦としては、ひじょうに有利な要素があった。
それは、浅瀬、河口など海底地形が複雑で海流が複雑なところで、小回りが利くことである。
帆船は大洋を航海する場合、抜群の効率であったが、狭い海峡や港湾、河口で身動きが不自由だったわけだ。
それに対し、珠江デルタや天津の白河など、地形がいりくんだ海域での作戦行動に抜群の威力を発する。
上陸作戦では、清帝国の人海戦術に悩まされ、コレラや下痢に戦力を削られる場合も海上戦力は圧倒することができた。

本書は、東アジアからインド洋まで圧倒的に優勢だった大英帝国のパワーを、海軍力から分析したもの。
大英帝国の経済力・金融制度・情報収集、あるいはそれをささえる官僚組織・教育・学問研究など、グレート・ブリテンのパワーを分析する研究は山ほどあったが、本書は単純にして明快な軍事力に焦点をあてたもの。
日本近代史研究者、アジア史研究者などから高い評価を得ている研究である。

時代は19世紀、アヘン戦争、アロー戦争の時代。
東インド会社の海軍(Campany Marine というものがあったのだ!)とインド海軍(というものがあったのです!1830年ボンベイ海軍から改称)とロイヤル・ネイヴィー( Royal Navy 英国海軍、イギリス海軍、などと訳される)との関係。
東インドステーションと中国・日本ステーションの分割(1964年四国連合艦隊の下関砲撃の前後)といった組織の変遷。
民間組織である郵船、貨物船と、軍事徴用制度。
海図制作。
財政問題、軍縮問題(軍縮問題というのは、常に予算削減問題だ)。

といったトピックを扱っている。
用語だけ並べると、細かい問題ばかりつっついた学術書のような印象をあたえるが、19世紀の世界を知る上で基本中の基本をあつかった内容である。

紅茶運送、アヘン戦争、ビルマの植民地化など、船舶建造技術、海軍力から描写していて、わかりやすい。

英国軍がやってくる前に、なぜアメリカ合衆国のペリーが日本に来航できたのか?という歴史の問題にも、ある程度の解答がしめされている。

フィルモア大統領の時代に実施された海軍遠征計画はなにもペリーの「日本遠征隊」だけでなく、1851年~53年の間には、そのほかにもベーリング海峡にまで赴き、北極海におよぶ海図作成に重要な貢献をした「北部太平洋調査隊」、パラグアイとの通商条約交渉を進展させ、あわせて海域諸国との通商関係の改善をはかることを任務とした「南米南東岸ラ・プラタ川およびその支流への遠征隊」、さらには対外通商と移民にアマゾンを開放するという外交上の目的を進展させるために派遣された「アマゾン探検隊」などが編成されていたのであり、そのすべてが、民主党ポーク大統領時代のアメリカ膨張政策の延長線上においてなされたもんであった。(p141)

ああ、そうだったのか!
みなさん知ってた?

それに対し、大英帝国のほうは、インドという大物を飲み込み(1857年インド大反乱)、カリブ海・地中海・インド洋・西太平洋で覇権を握ろうとしていたのだから忙しいのである。そして1854年3月から2年続いたクリミア戦争が最大の懸案事項であったわけだ。

まったくありがたいことに、ロシアやオスマン帝国、インドやパキスタンの諸勢力、序しがたい清朝の官僚組織、各地の土侯や海賊がばらばらに行動し、結果的に日本への大英帝国の圧力を減らしてくれたわけだ。

青木良輔,『ワニと龍』,平凡社新書,2001

2007-01-31 10:04:33 | 自然・生態・風土
絶滅寸前のワニを保護しよう、という運動はあまり環境保護推進者にアッピールしないようだ。
同じ熱帯のベンガル虎やオランウータンが種の多様性維持のシンボルのようになっているのに、ワニをかわいそうだと思う人はあんまりいないらしい。

その理由として、ワニはすでに皮細工用に繁殖方法が確立しており、食用に飼育しているものもあるようだ。
人間の同情をよぶ、あわれな動物ではないのだ。不公平な話……

本書は、ワニの生態・進化からワニにまつわる伝説まで、なんでも盛りこんだワニ雑学話である。

前半の中心は、中国の伝説上の龍は、ワニか?という謎。
著者は日本国内での化石出土種マチカネワニを長江流域に生存していたワニと同定する。
そして歴史時代には、中国の温帯でもワニが生存しており、それが「龍」という字であらわされ、伝説を生んだという推理を披露する。

さらにワニの食性、生理、生殖行動などから、恐竜は絶滅したのに、なぜワニは生きのびたかを推理する。

著者はワニの生態研究が本職であるが、本書には雑多な知識、トリヴィアが満載である。
ヨブ記の「リヴァイアサン」も、ナイル流域のワニである、というような話題がいっぱい。

村井章介,『海から見た戦国日本-列島史から世界史へ』,ちくま新書,1997

2007-01-26 10:03:38 | 移動するモノ・ヒト・アイディア
『週刊朝日百科 日本の歴史別冊・歴史を読みなおす14・環日本海と環シナ海-日本列島の十六世紀』(朝日新聞社,1995年)
をベースに新書用に書き直した一冊。

明朝を中心とした東アジアを、環日本海世界、蝦夷地からサハリン・ユーラシア北東部、瀬戸内・九州、朝鮮半島・対馬、南シナ海沿岸の舟山列島やマカオ、琉球、さらに東南アジア、マレー世界を視野にいれて論じた、コンパクトな一冊である。

内容に関しては、文句のつけようがない、というか、東アジア海域世界を見るときに必要な要素を網羅している。これ1冊でOK。

豊臣秀吉から徳川幕府までの列島の統一権力、石見銀山からの銀、蝦夷地開発と和人・アイヌの混住交易都市、朝鮮半島の権力と列島の権力の攻防、中華世界と日本を結ぶ琉球王国、イエズス会とポルトガル人、などがユーラシア東部海域世界の歴史にはめこまれる。

とくに著者の専門である「倭寇的世界」について、独立した権力・多民族多言語の集団として捉える視線が強調されている。
それにともなって、鉄砲の伝来、銀の流通、イエズス会の布教なども、海域世界の歴史的事件として扱われる。

さらに視野を拡大すると、結局、これらは海禁政策で閉じ込められた明朝からはみでたチャイニーズ交易勢力(つまり、華僑といわれた人々)のネットワークに乗っかった情報・商品・ヒト・アイディアの流れであった。とまとめられよう。

であるから、戦国大名がどうのこうの、イエズス会がどうのこうの、ヒデヨシの朝鮮侵略がどうのこうの、という以前に、最重要要素としての東シナ海・南シナ海・日本海海域世界を捉える視点を持つために、最適の本である。

とはいうものの、漢字・用語がむずかしすぎる!
1ページに1~2個、よめない漢字、よめない語句がある。
ふつうの日本人は、これがよめるのか!わたしに基礎的学力が欠けているのか?

エイドリアン・ヴィッカーズ 中谷文美 訳,『演出された「楽園」』,新曜社,2000 その2

2007-01-24 22:42:47 | コスモポリス
訳者の中谷さんは

J スホルテン,「ゴーダか?ハウダか?ガウダか?- オランダ語地名・人名の片仮名表記に関する一考察」,『日蘭学会会誌』第7巻第1号.

を参考にしたそうだが、こういう情報こそ、ウェブ上に欲しいですね。
オランダ人名の原綴りが索引にあるが、どうしてこんなカタカナ書きになるのか、まったくわからん。

さらに、バリ人・バリ人以外のインドネシア人のなまえのローマ字綴りも載っているが、どうしてこんな具合になるのか、さっぱりわからんものが多い。

登場人物メモ

グスティ・ングラ・ライ(伝説的抵抗者、マルガ地域で〈ププタン puputan〉)Gusti Ngurah Rai

チョコルド・ラコー・スカワティ(ギアニャール=ウブッド、親オランダ派、NIT大統領)Cokorda Raka Sukawati
アナッ・アグン・グデ・アグン(ギアニャール=ウブッド、親オランダ派、ギアニャール王として共和国成立後も王の地位に留まる)Anak Agung Gede Agung

チョコルド・アグン(ラコーの弟、共和国派)Cokorda Agung Sukawati

イ・ゲンドン(バトゥアン村の共和派)I Ngendon
イダ・バグス・マデ・ジャタスラ(1915~1947獄死、共和派、ングラ・ライ支持) Ida Bagus Made Jatasura

ネンガ・メトラ(スルヤカンタ運動、シンガラジャの教師)Nengah Metra
ニョマン・カジャン(スルヤカンタ運動)Nyoman Kajeng

グスティ・バグス・ジュランティック(1887~1968 カランガスムの王) Gusti Bagus Jlantik
デワ・アグン・オコ・ゲッグ(1896?~1965 クルンクンの王) Dewa Agung Oka Geg

アナッ・アグン・バグス・ステジョ(革命派、ばりばりの左派、後、バリ州知事) Anak Agung Bagus Steja

エイドリアン・ヴィッカーズ 中谷文美 訳,『演出された「楽園」 バリ島の光と影』,新曜社,2000

2007-01-24 14:55:43 | コスモポリス
バリ島のイメージの変遷をめぐる歴史。

というと、ヴァルター・シュピース、ミゲル・コバルビアス、マーガレット・ミード、グレゴリー・ベイトソン、クリフォード・ギアツといった、綺羅星のごとき人類学者や芸術家のなまえが思い浮かばれる。こうしたヨーロッパ人にも1章が割かれているが、本書の扱う内容はもっと広い。

まず、オランダ人のバリ島発見から、1908年の主権獲得まで、オランダおよびヨーロッパ人の航海者・統治者によるバリ島イメージが説かれる。

次に、バリの王族・貴族による自らのイメージ。
東インド会社との戦いから、オランダ政府の保護にあまんじる地方領主になるまでの変遷が描かれる。

そして、20世紀になってからの、オランダの植民地官僚、学者、オリエンタリスト、芸術家、人類学者、観光業者、文筆家による「楽園イメージ」の創造が叙述される。

本書がすごいのは、この後だ。

第4章 苦境に立つバリ 1908年~1965年

ここで、オランダ植民地体制の完成、ナショナリズムの台頭、「伝統的」支配層の既得権益固執、「革命派」のリアクション、オランダとの独立戦争、共和国成立後のバリ島イメージの再生、観光開発が描かれる。
原著者が日本版の読者に向けて書いているように、原著者は、日本語が読めないし日本の研究者との交流もなかった。
であるために、日本側の大東亜戦争期の研究はまったく参照されていない。
そうではあるが、本書はこの時期の混乱した状況を知るには最適であるように思う。なんにしても、他に、この時期のバリを論じた本がないのだ。

第5章では、スカルノ時代、スハルト時代の観光開発が概観される。

本書p280より引用

バリの文化的生存をめぐる関心は、いくつもの異なった前提に依拠していた。固定した、真正で不変のバリ文化というものが存在するということ、その文化が不安定でまがいものの、バリ的でない文化にならないように保たれ、守られなければならないということ、バリ文化を保存することはバリ人のためになることであり、そのバリ人は一枚岩と考えられるということ、などである。

いや、まったく「クタ・ビーチは観光化してしまって、こんなところじゃ、ホントのバリのよさはわからない、けれど、山地にはむかしから変わらないほんとうのバリ人の生活があるんだ。」という、観光パンフレット、ガイドブックのものの言い方は、50年前100年前からあるのです。

英語圏の著者による著作に、「伝統文化」、「文化の保護」という言葉がでてきたら、わたしは一応眉につばをつけて読むことにしているが、本書の内容は、英語圏の著者が陥るハイプにはまってはいない。

著者はオーストラリアのサウスウェールズ生まれ、シドニー大学で学び、教師の職もつとめる。
本書は、オーストラリア人とインドネシア人の読者に向け、ヨーロッパ人・アメリカ人の見方を相対化する視点で書かれている。
同じ東洋の住民である日本人としておもうのだが、こういう研究者が日本の研究を知ってくれれば、もっと広い視野が開けるだろう。
(自分のギャグを解説するのもマヌケな話だが、「東洋の住人」というのは、オーストラリア人、インドネシア人、日本人をいうのですよ!)

訳者の中谷さんは、ウェブでざっと見たところによれば、バリ島における女性の地位、カースト、婚姻、家庭での地位、社会的地位を研究している方であるようだ。

わたしは、イヴァン・イリイチ流「シャドウ・ワーク」理論をなんでもかんでもあてはめるのはどうか、と思う男であるが、儀式・冠婚葬祭における女性の役割は、「女性の主体的な行動、日常生活における権威」であると捉えるよりは、無償の労働ととらえるべき要素が多いとおもう。
特に、バリ島のようなショー・ビジネス化した儀礼において、女性の労働は、不規則・長時間・低賃金労働と捉えるべきじゃあありませんか?

……というようなことを研究している方だと思う(著作、論文を読んでないので、勘違いだったらすみません。)。

ええと、それから、もうひとつ重要なこと。

以上の要約を読むと、観光地としてのバリ島は、インチキのハリボテみたいに感じるかもしれないが、そうではない。
本書を読むと、ますますバリ島に行きたくなる。
歴史的に形成された、人工の楽園としてのバリ島を見物したくなる。
う~ん、そういう意味では、本書も絶好のリゾート地ガイドですよ!

石毛直道,『麺の文化史』,講談社学術文庫,2006

2007-01-22 23:20:27 | 書誌データのみメモ
本日、書店で発見!
書名の「麺」はもっと難しい字である。

石毛直道,『文化麺類学ことはじめ』,フーディアム・ミュージアム,1991の改題である。

そのうえ、(学術文庫でない、ふつうの)講談社文庫版は1995年発行済みである。
なぜ、同じ講談社で、書名を変えて出しなおすのか?
しかも、カラー写真がなくなっている!
書店の店頭で見ただけなので、内容の確認はしていない。(値段は1260円だ!)

内容は必読のおもしろさ。
しかし、なんで、こんな再文庫化をするのだ!

高野秀行,『ミャンマーの柳生一族』,集英社文庫,2006

2007-01-22 23:03:48 | 旅行記100冊レヴュー(予定)
大爆笑の傑作。

初出「小説すばる」2004年8月号~2005年10月号。
ミャンマーへの旅行は乾季の2004年3月ごろであるらしい。
前項『降臨の群れ』の船戸与一先輩といっしょのミャンマー道中記である。
つまり、『降臨の群れ』連載終了後、船戸与一はミャンマー取材を計画し、本書の著者の高野秀行さんを通訳兼雑用科係として指名したわけである。

という事情で、高野さんは、冒険小説の大家であり、大学の探検部の先輩である船戸与一先生とともに、江戸時代のごときミャンマーを、幕府大目付のような存在である軍情報部直営(らしい)旅行会社の手配で、(その目付の隠密に監視されながら)合法的に旅行することになる。

この合法的というのが、本書のキー・ポイント。
正面からビザを申し込み、柳生一族になぞらえるキン・ニュイ派の護衛と監視の元、天領(ミャンマー幕府の勢力地帯)から外様大名(シャン・チン・カチンなど)の領地まで、関所御免で、4WDランドクルーザーの乗って豪華大名旅行なのだ。
(船戸与一は「地を這うように旅をする」などというが、高野さんは「地を這うのはランドクルーザーであって、乗客は座っているだけ」といなしている。)

『西南シルクロードは密林に消える』(読了済み)、『ビルマ・アヘン王国潜入記』〔未読、読んでみよう!)などに記されているように、高野さんは、非合法の入国を10年ほどくりかえしている人物である。
そんな裏の非合法旅行の達人が、今回は真正面から合法旅行(ビザがおりた!ビザ問題についても爆笑の記述あり。)
非合法の旅行では見えない、普通のミャンマーの姿がはじめて明らかにされる?!

わかりやすいミャンマー現代政治事情、連発のギャグとともに、船戸与一という冒険小説作家の豪快でおちゃめな素顔を知ることができる。
(ちなみに高野さんは、重厚な船戸ワールドは、ろくに読んでいないと申しております。)
船戸与一という人は、
「どんな場でもビールは飲まずいきなりウィスキーの水割りから入るという独自のスタイルで飲みまくる(p92)」
のだそうだ。
う~む。作家本人はともかく、テロリストだろうが、麻薬商人だろうが、解放戦線兵士だろうが、ちゃんと栄養のある食事を摂ってほしいもんだ。それから、現地の食文化も尊重してくださいね。
本書はいきなり文庫だが、船戸作品『河畔に標(しるべ)なく』のほうは、単行本で同月に発行された。格が違うのか?(読者としては、文庫のほうがありがたいが)
わたしは、まだ『河畔に……』は読んでいない。一冊読むと腹いっぱいで、続けて読む気力はない。

とにかくミャンマーにいってみたくなる旅行記だ。
中で紹介されているミンテインカ作高橋ゆり訳『ヌマーサリー』という伝奇小説も読んでみたい。
武田鉄矢主演(わたしのもっともきらいなタイプの俳優だ)で、『ローマの休日』の翻案だという日本映画って、タイトルはなんだ?あんまり見たくないけど気にかかる。ミャンマーで誰でも知っている人気作らしい。

本書を読んで考えたわたしのギャグ
アウン・サン・スー・チー「もう!パパったら封建的なんだから!これからは民主主義の時代よ!」

戦後の日本人がアメリカ合衆国を繁栄する消費文化の国、自由と民主主義の国ととらえたように、現代のミャンマー人は、中国をそのように見ているらしい。
ムセーからみると、対岸の町ルイリー(雲南省・瑞麗)は、マンハッタンのように見えるそうだ……

船戸与一,『降臨の群れ』,集英社,2004

2007-01-22 22:55:06 | フィクション・ファンタジー
初出「小説すばる」2002年9月号~2004年1月号
貿易センタービル崩壊の一年後という設定。
連載開始後にバリ島クタのディスコティークで爆発事件が発生し、物語は動揺するインドネシア情勢と同時進行する。
舞台はインドネシア、マルク州、アンボン。

登場するのは
プロテスタントの民間武装グループ
ムスリムの民間武装グループ
チャイニーズの商売人やホテル経営者
インドネシア国軍内部の腐敗グループ
インドネシア国軍情報部(腐敗グループや原理主義派の排除をねらう)
金儲けだけ考える武器商人
原理主義者の情報を求めるCIA
平和監視を名目にしたNGOグループ

などである。
登場人物がでそろった段階で、血気に逸る若者たちがどんな具合に利用されるか、欲の皮の突っ張った連中がどんな死に様になるか、妥協と裏切りをくりかえす上層部がどんな最期をとげるか、だいたい見当がつく。

さらに物語には、狂言廻しとして、日本人のエビ養殖技術者が登場する。
ロンボク島で技術協力の仕事をする、60歳をこえた男。
彼の父親がまた日本軍軍人としてアンボンを訪れ、部下の策略で戦犯の判決を受けたという過去の物語がある。
その軍人が、大東亜の平和を望み、現地のムスリムと協力して、インドネシアの独立を図るべくして隠匿した銃がある。

さらに、対オランダ抵抗時代の伝説的英雄パティムラの子孫を自称するカリスマ的指導者が現れ、その正体をめぐり、日本人技術者も事件に巻きこまれていく……。

という具合に、現代のマルクの問題勢ぞろいであるが、背景の説明がかったるい。
劇中の宗教指導者や組織のボス、殺し屋なんかが、若い連中に説明するのだが、わかりきっていることが、何度もくりかえされる。
過去の日本軍人の功績も、現在進行形の事件となじまず、不自然な要素に思える。

と、文句をいいつつ読了。
『砂のクロニクル』や『伝説なき地』のような、傑作を望むのはムリというものか。
登場人物の年齢が高く、性欲も食欲も衰えて、酒ばっかり飲んでいる。体は大丈夫か、と心配になる。
作者はもはや、若い男女が登場する物語を作る意欲はないのだろうか。
あるいは「人権だの環境だのと口にするばかりで、自分の力で女や金をつかむ意欲のない若い連中」を物語を進める力にしたくないのだろうか。

登場人物たちの来歴として、ジャカルタやマカッサル、さらにアフガニスタンまで語られるが、物語はアンボン島内部だけで進行する。
表紙カバーの写真のカンボジアの遺跡は関係ありません。

『イスラム世界の人びと 2 農民』,東洋経済新報社,1984

2007-01-20 10:56:28 | 多様性 ?
全5巻の編者は以下

1 総論 神岡弘二・中野暁雄・日野舜也・三木亘
2 農民 佐藤次高(さとう・つぎたか)・冨岡倍雄(とみおか・ますお)
3 牧畜民 永田雄三・松原正毅
4 海上民 家島彦一・渡辺金一
5 都市民 三木亘・山形孝夫

1967年からの東京外国語大学アジア・アフリカ言語研究所での「アジア・アフリカにおけるイスラム化と近代化に関する調査研究」プロジェクトを土台とするシリーズ。
1977からの宮本常一の参加により日本との比較の視座もとりいれる。(宮本氏は本シリーズ刊行前に死去)

という研究の来歴とともに、当時のイスラームをめぐる世界情勢の歴史的背景文化的基盤を知る、知らせるためにも、このした形のシリーズで出版されたものであろう。
本巻収録の著者は、(カッコ内は調査地)

冨岡倍雄(シリア、ダマスカス周辺のグータの森)
後藤晃(イラン、ザーグロス山地南部のマルヴダシュト地方、1972年)
佐藤次高(エジプトのファイユーム地方、スィンヌーリス村)
永田雄三(トルコ、中部アナトリア)
村井吉敬(スンダ地方)
日野舜也(北カメルーン、バングブーム村)
中野暁雄(モロッコ、アンティ・アトラス山中の村)

こまかいことはおいといて、まず、基本的なこと。

宗教に関係なく、地球上のどんな地域でも、大多数を占めるのは農民である。
本ブログでたまにとりあげる狩猟採取民は、ごくごく例外的な少数の人々である。
牧畜民も分布領域は広いが、それはつまり面積あたりの人口が少ないということで、農民に比べずっと数は少ないし、農民・都市民と交易をしないと生活がたたない。
海上民も、漁民であれ、船乗や商人であれ、都市がないと成立しない。
そして、都市は膨大な数の農民の余剰の上に成立するものである。

ところが、イスラームという宗教、社会生活原理は、都市からはじまった。(という、基本的な認識を広めるために、イスラーム研究者は口を酸っぱくして説いていたわけであるが)
これは、初期のキリスト教でも仏教でも同じ事情らしい。
商人が動き、奴隷が取引され、多言語・多民族の生活する場である都市が繁栄するようになって、新しい宗教・原理・規律が必要とされたわけである。

ところが圧倒的多数の農民(および、領主とか地主のような農村を基盤とした権力)にも宗教は広まる。
農民・農村・地主・領主を無視して、商人・運輸業者・盗賊・奴隷・都市の住民だけを対象とした宗教でありつづけることはムリであるようだ。

ともかく、新しい宗教は農民にもひろまる。
そんなわけで、今や大多数のムスリムは農民である。

本書は、以上のような経緯をへて、農村・農民の宗教としてのイスラームを、フィールド・ワーカーが紹介したもの。
当然ながら、イスラーム云々以前に、農民・農村が、多様である。

高橋裕史,『イエズス会の世界戦略』,講談社,2006

2007-01-20 10:44:13 | 移動するモノ・ヒト・アイディア
ヴァリニャーノ,『東インド巡察記』,平凡社東洋文庫,の訳者高橋裕史(たかはし・ひろふみ)さんによる、総合的なイエズス会布教史の概説。

まず、『東インド巡察記』を読めばいいのだが、不精な読者はついついこっちに手をだす。そして、不精な読者ほど注文が多いもので、以下は史料に基づき実証的に語る著者に対して、ムリな要求もあるが、やや批判的なレヴューをする。

まず、「東インド」「インド」ということばについて。
当ブログでは常識であるが、これは、海洋アジア、インド洋から東シナ海まで、東南アジア海域のことである。
「ナガサキ」「ミヤコ」は日本全体を代表する地域ではない。
同様に「マカオ」は中国大陸とは別の歴史をもつ地域。
「ゴア」「コチン」はインド内陸ではなく沿岸の交易地。

ポルトガル王国が根拠地としたのは以上のような港市である。
そしてポルトガル王国の布教保護権のもとに、「コレジオ」「セミナリオ」「カサ」などを設立したイエズス会の勢力範囲も、この海域世界である。

本書は、イエズス会の創立からはじめ、インド洋・東南アジアへの布教体制、日本の事情、日本での宣教師の活動を概説する。

とくに詳しく述べられるのは、著者自身の
『19世紀イエズス会インド管区の経済構造に関する研究』
をもとにした、イエズス会の財政、不動産投資、交易活動である。

ここで本書の叙述に少々文句をつけたいのだが、
経済活動がイエズス会の創設の趣旨に反し、布教活動を続けるための、やむにやまれぬ妥協だと、とらえる見方である。
カトリック側の研究者でも、英語圏(プロテスタント)側の研究者でも、この経済活動を逸脱行為だとする見方が支配的であるように思える。(そうでないのだったら、わたしのはやとちりだが)
本書の著者は非クリスチャンの日本人であるのだから、信仰の立場から自由に(さらに、商売敵であったプロテスタント側の嫉妬からも自由に)交易や土地経営を評価してもよいのではないか?

善悪はともかく(というより、この時代の善悪を現代で論じてもしょうがない)、日本列島への武器輸出、奴隷交易、生糸市場の開拓など、イエズス会の功績(?)と捉えてもいいのではないか?
(本書で奴隷交易にほとんどふれていないのは、不満である。アメリカ大陸へのアフリカからの奴隷交易とはひじょうに異なる背景をもったものである(らしい)のだから、堂々と論じる研究者が出現してもいいのではないか。)

本書を読んで、一番驚いたのは、(ヴァリニャーノの著作を読んでいれば、いまさら驚くことはないのだろうが)イエズス会への入会制限の問題である。
東インドにおいても血統、人種による差別をもっていたのだ。(そんなの、あたりまえでしょ、という前に、以下の基準をみてほしい)

1、インド生まれの者。
 1、現地住民
 2、メスティーソ(ポルトガル人との混血)
 3、カスティーソ(ポルトガル人とメスティーソとの混血)
 4、両親ともにポルトガル人である者
2、ポルトガル生まれの者

この、2ポルトガル生まれの者には、「新キリスト教徒」、つまりキリスト教に改宗したユダヤ人も含まれる。(そして、新キリスト教徒のイエズス会入会は排除しなくてはならない、としている。)
ということは、当時、新キリスト教徒が、アジア海域にある程度いた、ということだ。
そして、インド生まれの者も、ポルトガル生まれの者も、ともに、イエズス会入会には十分注意すべし、とみている。

ええと、てえことは、「ポルトガル人」は、みんなイエズス会士に不適当な要素あり、ということですか!
そして、上の区別をみればわかるように、「ポルトガル人」が定義されていないのだ!
そしてそして、あきらかに、イエズス会側からみると、ポルトガル人は他者である、ということだ。

ここで重要な問題にきづく。
「ポルトガル人」というのは、イエズス会、現地住民(日本列島や東南アジアの住民)、さらにフィリピン諸島のイスパニア人や新教徒のオランダ人やブリテッシュからみて、捉え方が異なるということだ。

当時、19世紀20世紀の人種差別思想はまだ生まれていなかった、というのは常識である。
しかし、当時、宗教の枠をこえた、人間区別が生まれようとしていたわけだ。(と、イエズス会士が人種差別の元凶であるように捉えるのは、またまた、はやとちりになるだろうが)

という具合に、いろいろは背景を知るには便利な一冊であります。