東南アジア・ヴァーチャル・トラヴェル

空想旅行、つまり、旅行記や探検記、フィールド・ワーカーの本、歴史本、その他いろいろの感想・紹介・書評です。

アブドゥッラー 中原道子 訳,『アブドゥッラー物語』,平凡社東洋文庫,1980

2006-05-27 00:32:33 | コスモポリス
ジャウィ(アラビア文字)手写本 Hikayat Abdullah. Jawi Edition, 1849. より抄訳。
1797年マッラカ生まれ1854年メッカ巡礼の途ジェッダで死亡したアブドゥッラー・ビン・アブドゥル・カディールの自伝。
13歳でラッフルズの書記になり、多くのヨーロッパ人のマレー語教師、通訳となった人物。同時に近代マレー文学最初の作品、19世紀マレー・シンガポールの歴史資料、同時代の目撃記録でもある。

第1章でつまずかなければ、後はどんどん読める、読みやすい翻訳、親切な注。
で、第1章、ほんの5,6ページであるが、みんなここで読みたくなくなるでしょ?

アブドゥッラーの先祖の来歴を語るこの章、ひじょうにとっつきにくいが、同時に本書全体を代表する、当時のマラッカ、マレー世界を描いた部分である。

まずこの人物の曽祖父はイェメン出身のアラブ人。この曽祖父が南インドのタミールに旅立ち、四人の子をもうける。そのうちアブドゥッラーの祖父はマラッカにやってきて、そこで祖母と結婚。父はマラッカで生まれマラッカで育ち、結婚。あいての女(つまりアブドゥッラーの母)はケダー(マレー半島)から来たインド人の家系である。
アブドゥッラーの父も母も母語はタミール語、アブドゥッラーも当然母語はタミール語である。つまり、マレー語はアブドゥッラーにとって第二言語でさえなく、最初に学習したのはコーランをよむアラビア語である。
そういう人物がマレー語を父から強制されて意識的に学習し、後にマレー語書記の第一人者となり、ヨーロッパ人にマレー語を教え、最初の近代マレー語文学である本書「ヒカヤット・アブドゥッラー」を書いたわけである。

ふう、おつかれさま。
わたしの要約に不満なかたは、インドネシア地域研究の白石隆さんのページに要約と分析あり。参考にしてください(中公新書『海の帝国』と同じ内容です。)
coe.asafas.kyoto-u.ac.jp/research/sea/ Political/shiraishi_publications/uminoteikoku(4).htm

時代はナポレオン戦争の余波でマラッカがブリテン勢(ブリティッシュ東インド会社、以後カンパニィと略す)の領土になり、それがふたたびオランダへ、シンガポール開発、シンガポールが完全にカンパニィの所有になる、といった時代。
ラッフルズ、ファークァル、クロフォードといったカンパニィの人間、さまざまな事件や条約が語られる。

激動の時代の焦点となった二つの都市、マラッカとシンガポールを描いた内容であるから、登場する人物、人間集団も、19世紀のユーラシア総登場という具合。

まず、地元のスルタン。スルタンの宮廷にたむろする様々な人間。
アラブ人、南インド人などアラブ系ムスリム。
ミナンカバウ、リアウ、メダンなどマラッカ海峡周辺のマレー人。
いろいろな言語集団、結社に分かれた華人集団。
ポルトガル人や混血のキリスト教徒。

カンパニィがつれてきたベンガル人やヒンドゥー人兵士(おそらくグルカ兵などもいただろう。)
カンパニィや教会関係のさまざまなヨーロッパ人。
オランダ人がつれてきたジャワ人やマドーラ人兵士。
海峡を荒らしまくるブギス人海賊。
海賊がつれてくる奴隷には、フローレス島やスラウェシ島の人、メラネシア系の奴隷もいた。

はじめて、アメリカ人というものがやってくる、ときいたアブドゥッラーは恐ろしくなる。
イングランド人の話によれば、荒れ果てた島に流された元囚人の子孫らしい。色が黒いのか、白いのか。ジャングルでくらす野蛮人か?
実際にシンガポールにやってきた宣教師夫婦をみたアブドゥッラーは安心する。
男もイングランドの男そっくりだ。女もイングランドの女そっくりだ。礼儀をわきまえた正直な人たちではないか。

すごい思考でしょう。
現在のような人権思想でもないし、人種差別主義でもない。
欧米人にコンプレックスを抱いているわけでもない。
プロテスタント宣教師の男と女を評価する基準は、イスラム的な礼儀、倫理なのだ。
アブドゥッラーはまわりのムスリムや自分の家族から、カンパニィの人間やキリスト教宣教師とつきあうのは、危険な行為、不純な交際だと非難されるのだが、アブドゥッラー自身は、完璧に敬虔なムスリムであり、他の人間を判断する基準もムスリムの倫理である。
だから、今日の目でみた、ヨーロッパの経済侵略は彼には見えない。逆に、だまされるマレー人スルタンが間抜けだ、とさえ思っていたようだ。

最後にアヘン戦争と南京条約締結が、彼自身の見方でしめされる。
アブドゥッラーは、カンパニィの側が強いことを十分知っている。そして、無能な清の皇帝が負けるだろうと予想し、まわりの華人と議論する。(つまり、こんな話をするほど、身近に華人たちがいたのだ。)
予想どおり、カンパニィが勝つと、アブドゥッラーは自身満々だった華人をからかうように、世間話をする。
くりかえすけれど、アブドゥッラーは大英帝国やカンパニィに忠誠を誓っているわけでもないし、ブリテン本国がどんなところで、どんな策略を弄しているか知っているのでもない。ただ宣教師やカンパニィの人間の能力や礼儀を個人的に尊敬しているだけなのだ。
同時に、華人をばかにするのも、彼らが博打にふけっているからであり、マレー人スルタンを軽蔑するのも、奴隷を虐待して、狼藉をはたらくからである。
政治的にどっちを選ぶとか、どっちに属するか、なんてことは、考えもしない。

以上の意味で、本書は19世紀マレー世界、現代マレー語の形成、といった観点から必読の書とみられているが、そのほかいろいろな意味でおもしろい。
印刷機(活版印刷)の導入、福音書の翻訳、蒸気船、ダゲレオ式写真、外科手術、といった近代技術をみたアブドゥッラーの驚き(幕末の日本人のようだ)。
初期のシンガポール、初期というより開発以前のようすから、この当時から土地投機がはじまったこと。
家族の心配(アブドゥッラーといっしょにシンガポールに移住しようとしない)、家族の死や病気のこと。

貨幣単位が錯綜していて、とてもついていけない読者は、とばして読めばいいでしょう。
容量や距離の単位はマレー式やイングランド式がまざっているが、メートル法も出てくる。特に写真技術を説明する部分が全部センチを使っているのだが……。本当に当時のマラッカやシンガポールでメートル法を使っていたのかだろうか?
暦年は西暦とヒジュラ暦の両方使用。
一日24時間制を使っているが、一日の区切りはイスラーム式、つまり日没から次の日が始まるやりかたである。

こんな世界だったんです。


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