東南アジア・ヴァーチャル・トラヴェル

空想旅行、つまり、旅行記や探検記、フィールド・ワーカーの本、歴史本、その他いろいろの感想・紹介・書評です。

谷 譲次,『踊る地平線』,1929

2008-07-21 23:05:10 | 旅行記100冊レヴュー(予定)
この前(7月8日)紹介したグレゴリ青山さんに刺激されて、こんなのがあったっけなあと思い出して読む。

初出『中央公論』,昭和3年(1928)8月から翌年7月まで12回連載。
岩波文庫(上下),1999。
岩波文庫版は、新字体・現代かなづかい、そして底本(新潮社,「一人三人全集第十五巻」)は総ルビであるが、文庫編集部が不必要と思ったものは省略。

著者・谷譲次=長谷川海太郎の略歴は後で述べるが、当時最高に収入の多い流行文士。
〈東京ーモスコウ〉の切符で東京駅から下関へ向かう列車でスタート。関釜連絡線~京城~安東~奉天~長春~ハルピン、とシベリア鉄道の旅。モスクワから欧州旅行になる。

金額のスケールが違う豪華旅行。大名旅行といいたいが、行列をぞろぞろ従えた旅行ではない。
夫人(自分の妻を〈彼女〉と表記するのは当時の流行か?それとも海太郎独特の使いかた?)といっしょの二人だけの自由旅行である。
〈中央公論社特派員〉という肩書きがあったようだが、本書の内容の範囲では、自分の行きたいところに自分で手配し、好きなだけ滞在する旅行である。

それで、この谷譲次=長谷川海太郎、言葉も習慣の違いもまったく障害にならず、ヨーロッパ中をかけめぐる。
業務を背負った駐在員や外交官とはまるで違う自由な旅行である。

で、旅行記としてどうか、というと。
まず彼の独特の文体、というか七色の文体を使い分ける書き方、氾濫するルビ、詩のような芝居の独白のような饒舌体、ちょっと疲れる。
夢野久作などよりさらに饒舌、英語やローマ字綴りをちゃんぽんにした表現など、まあ旅行記というより作者の文体を楽しむ作品かな。
特に下巻、モンテカルロを描いた「Mrs. 7 and Mr. 23」など腹が立つほど読みにくい。なぜかというと、わざと英文逐語訳調(仏文和訳かな?)のぎごちない文体でカジノの雰囲気を描いているのだ。

そういう面で、旅行記というより欧州の印象を文学作品化した一編といえる。パリやリスボンもほとんどフィクション、もしくは作者のアメリカ時代の見聞を再現したような感じ。

では、旅行記としてつまらないかというと、そんなことはなくて、おそらく稀有の作品。
1920年代、欧州大戦後のバブル時代、ヨーロッパの上流人士とも下層民とも自由に交際できた人物による旅行。
ロンドンの劇場で芝居版『アクロイド殺し』とミュージカル『ショウ・ボート』が同時に上演されていた時代。
ロシアを負かした国として隣国のフィンランド人に感謝感激される時代。

後半になると単なる旅行見聞を書くのに飽きてきたようだが、前半のシベリア鉄道、イングランド滞在、北欧旅行などなかなか他では読めない内容がぎっしり。

とくに、おすすめというか貴重な記録は、上巻「虹を渡る日」。
当時の旅客機によるドーバー海峡横断である。
未読の方のために詳細は記さないが、仰天するぞ!

そして帰り。テムズ河のロウヤル・アルバアト波止場から日本郵船でスエズ経由、コロンボ・シンガポール・香港・上海・神戸。
まことに残念なことに、このころになると、好奇心よりも帰国の情が強いようで、ポート・サイド以外はさしたる見聞録なし。ポート・サイドも半日の上陸だけだ。

この人物にしてもやはりユーラシアの南岸は通り過ぎるだけの景色だったのか!


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