我楽苦多な毎日の中で

OCNカフェとブログ人で書いていた日記をここに置きました。
まだ整理途中ですが済んだらまたぼちぼち始めます。

祖母のこと

2009-02-01 | ブログ人

平成8年、「病気はしたことがない」が口癖の
大好きな祖母が初めて倒れた。
平成13年、母から急を要する電話が。
行くと布団の中で身動きを取れずにいた。
「身体がいうことをきかない」
道に迷った救急車が家に着く頃には
それまで動いていた手に力がなくなっていた。

★「脳梗塞」

口達者で食欲旺盛な祖母は
3度の食事と時々差し入れる甘いおやつを楽しみに
毎日必死にリハビリを続けた。
両手の感覚が戻り、お箸も持てるまでになったけど、
左足だけはどうにもならない。
ベッドの上でもひとりで出来るリハビリを続けていた。
それは3ヶ月を過ぎて別の病院に移転してからもずっとだった。
そんな祖母が頼もしかった。
手すりにつかまりながら杖をついて廊下を歩いてる姿を見た時は
叫びたいくらい嬉しかった。

腰痛を訴えるようになって数ヶ月・・・
症状が良くなってもリハビリを再開する事はなかった。

いつからか、あきらめてしまったのはどうしてだろう。
「そんなに頑張っても仕方ないよ」
看護士さんが言った言葉だったのかな。
今あるものを生かしていく事も大事・・・
そう言いたかったのかも知れないけど、
相手が白衣と言うだけで
夢や希望は簡単に奪われてしまうものなのかも知れない。
頑固で負けず嫌いの祖母を前にそう思った。

「早く家に帰りたい」を口にしなくなった祖母は
会いに行くと別れ際に涙を流すようになった。
私もつられて泣いてしまう。
両親や他の姉妹には見せない祖母の顔。

「家に引き取って!私がみるから」
何度そう口にしただろう。
その為ならずっと続けてきた仕事をやめても良いと思ってた。
やめても許される環境があった。

今では返事をしなかった母に
どこかでほっとしてる自分がいる。
私にも家族がいる・・・
自分の事を守りたい・・・                                                                                                                                                
いつの間にかその思いが強くなっていた。                                   

「新しいカーディガンが欲しい」
ホームでディサービスを始める事になり、
祖母に友達が出来た。
「自宅からやってくる友達はみんなお洒落をしてくるんだよ」
髪や手の荒れを気にするようになって、笑顔も増えた。

★同居

両親だけになった実家に妹が子供と住み始めたことで、
入居する際に書いた第1連絡先が私の携帯ではなく
妹の番号に変わった。
施設の担当者やケアマネージャーさんから入る電話に
ビクつく事はなくなったけど、ちょっとさみしい気がした。

「今は86歳が寿命なんだって・・・
婆ちゃんはもう死ななくちゃならないよ」
そう笑う祖母は87歳。

笑いながら泣いてる。

他人からしたら「もう・・・」なのかな。
「十分」なのかな。
私は「もう」も「まだ」も言えない。

ただ「死んでいく人」じゃない・・・                                         
大好きな祖母には最後まで「生きていく人」であって欲しい。
だから私は出来る精一杯をこれからもしていく。
自己満足でも良いんだ。

★痴呆が今以上進まない事を願って・・・平成20年