ミュロスへ着くまでのほぼ二週間はガリオンがこれまで過ごしたなかでもっとも試練にとんだ旅だった。荷馬車は起伏の豊かな人家もまばらな田舎をぬけて、丘のふもとのふちを進んだ。頭上の空はどんよりとたれこめて、寒さが身にしみた。ときおり雪が舞い、東の地平線には、黒い山脈が不気味にうかびあがっていた。
ガリオンは二度と身体が温まらないような気がした。毎晩ダーニクが手を尽くして乾いた薪を見つけてきても、焚火はきまって情けないほど勢いがなく、まわりの寒さはたとえようもなかった。かれらが眠る地面は常に凍りつき、冷気が骨の髄までしみこみそうだった。
ドラスニアの謎言葉の勉強はその後もつづき、名人とはいかないまでも、荷馬車がカマール湖を通過し、ミュロスへ至る長いくだり斜面へさしかかる頃には、少なくともほどほどにはあやつれるようになった。
センダリア中南部にあるミュロス市はひらべったくはいつくばったような魅力のない土地で、昔から年に一度の大規模な市が開かれるところだった。毎年夏の終わりには、アルガーの馬乗りたちがおびただしい数の家畜の群れを連れて山々をぬけ、〈北の大街道〉づたいにミュロスへやってくる。そして西部全域から家畜の買い手がミュロスに集まって、かれらの到着を待つのだ。巨額の金が手から手へと渡り、また、アルガー人たちも概してその時期に有用品や装飾品をまとめ買いするため、遠くは南のニーサくんだりからも商人たちが品物を売りに集まってくる。市の東の大平原がまるごと畜舎にあてられるが、シーズンたけなわともなると、ぞくぞくと到着する群れはそれでもとうてい収容しきれずに、畜舎の向こうの東には、半永久的なアルガー人たちの野営所ができあがる。
シルクがトルネドラ人のミンガンのハムを積んだ三台の荷馬車を率いてこの都市にはいったのは、市も終わり、畜舎がほぼからになって大半のアルガー人たちが帰途につき、残っているのは死に物狂いの商人たちだけというある日の午前のことだった。
ハムの引き渡しはとどこおりなく完了し、荷馬車はすぐに都市の南のはずれに近い一軒の宿屋の中庭に近づいた。
「ここはりっぱな宿屋だよ、奥方」シルクが荷馬車をおりるポルおばさんに手を貸しながら言った。「前に寄ったことがあるんだ」
「そう望みましょう」ポルおばさんは言った。「ミュロスの宿屋はいかがわしいという評判だから」
シルクは慎重に言った。「それは町の東端に並ぶ宿屋のことさ。よく知っているんだ」
「そうでしょうとも」おばさんは眉をつりあげた。
「職業柄ときどき心ならずもその手の場所を見つけだす必要にせまられるんでね」シルクはやんわり言った。
ガリオンはその宿屋が驚くほど清潔なのに気づいた。宿泊客は大部分がセンダリアの商人らしかった。「このミュロスにはいろんな種類の人たちがいるんだと思ったよ」シルクと一緒に二階の部屋へ荷物を運びながらガリオンは言った。
「いるさ」とシルク。「ただ、各グループが孤立する傾向があるんだ。トルネドラ人は町のある一部分に集まるし、ドラスニア人はまた別の場所、ニーサ人はまたちがう場所という具合だ。ミュロスの伯爵がそれをお好みなのさ。一日の取引きが最高潮に達すると喧嘩が起きることもあるし、同じ屋根の下に生来の敵同士が泊まるのはまずいからな」
ガリオンはうなずいた。「あのさ」ミュロスでの滞在用にとった部屋へはいりながらかれは言った。「ぼくはこれまでニーサ人て見たことがないんだ」
「そいつは運がいい」シルクは嫌悪をこめて言った。「ニーサ人はいやな人種なんだ」
「マーゴ人みたいなの?」
「いや。ニーサ人は蛇神イサを崇拝していて、かれらのあいだではそれは蛇の癖をとりいいるらしいのさ。わたしなどまっぴらだね。おまけにニーサ人はリヴァの王を殺した。それ以来全アローン人はかれらを忌み嫌っている」
「リヴァ人の王なんかいないよ」ガリオンは異議をとなえた。
「今はな。昔はいたんだ――サルミスラ女王が国王殺害を決心するまでは」
「それはいつのことだったの?」ガリオンは興味をそそられた。
「千三百年前だ」つい昨日のことのようにシルクは言った。
「うらみつづけるにはちょっと昔のことすぎるんじゃないかな?」
「許せないこともある」と、シルクはぶっきらぼうに言った。
日没までまだ間があったので、シルクとウルフは午後になると宿を出て、謎の痕跡を求めてミュロスの通りをぶらついた。ウルフにはその痕跡が見えるか、感じられるらしく、それによって一行の捜すものがこの道を通ったかどうかがわかるのだった。ガリオンはポルおばさんと一緒の部屋で暖炉のそばに坐りこみ、冷えきった足を温めようとしていた。ポルおばさんも炉辺に腰をおろし、光る針をせっせと動かしてかれのチュニックの一枚をかがっていた。
「リヴァの王ってだれだったの、ポルおばさん?」ガリオンはたずねた。
針がとまった。「なぜそんなことを訊くの?」
「シルクからニーサ人の話を聞いていたら、ニーサ人の女王がリヴァの王を殺したってシルクが言ったんだ。どうして殺したの?」
「きょうは質問で頭が一杯のようね」おばさんは針をまた動かしはじめた。
「荷馬車に乗っているあいだ、シルクといろんな話をするんだ」ガリオンは足をもっと火に近づけた。
「靴をこがさないようになさい」