『蜻蛉洲大和の国のサンライズタイム』ー外国人参政権反対、移民政策反対、背乗り工作反対!盗聴・盗撮は日本では犯罪です!ー

キラキラネームは日本の漢字文化を破壊するための、カルトの工作活動です!公務員の国籍条項と外国人土地法の復活求む!

EC大手アリババの光と影(GLOBAL SHOPPING FESTIVAL)

2015年11月16日 02時04分48秒 | 日記
11月10日の晩8時半から、大掛かりな歌謡番組が放送された。題名は"天猫雙11狂歓夜"。「天猫」は中国のネット通販会社、「双11」は11月11日、「狂歓夜」はお祭り騒ぎの夜こ事で、普通はカーニバルと訳される。英名は「GLOBAL SHOPPING FESTIVAL」。会場は、北京国家水泳センター、通称ウォーターキューブ。ここは、北京国家体育場(鳥の巣)の隣に建っており、08年の北京五輪の時の水泳会場だ。

天�潺?2015 雙11狂歡夜 宣傳片


・天猫

この番組を主催した“天猫”(英文:Tmall)とは、ショッピングサイト「淘宝商城」の事。2012年1月11日午前、淘宝商城が正式に“天猫”と改名。これは「Tmall(Tモール)」の発音と「天猫(Tian mao)」の発音が似ている事と、会社の説明によれば、「猫」はセクシー且つ上品な所から名づけられた。同年11月11日の「光棍節」で、13時間で100億元を売り上げたと発表。中国国内の消費者に海外の商品を提供する事を目的として、2014年2月19日「天猫国際」が正式に発足。要するに、「天猫」=「淘宝」は、馬雲(ばうん:ジャック・マー)のアリババグループの子会社だ。2014年11月11日、「天猫」は「双11」の日に、再び記録を刷新し、一日で571億元を売ったと発表した。

ところが、12月11日、国務院主管の国家工商行政管理局(市場の管理監督を行う機構)は、11月11日当日の商品検査を実施したところ、天猫を含めたショッピングサイトで扱われた商品の中に、偽物があったと発表した。

「…207のロットのサンプルは、大部分は本物の製品だった。同時に、6つの電子商取引のプラットフォーム(E-Business Platform)の15のロットのサンプルが、偽造の疑いの高い、或いは偽造品であり、7つのロットのサンプルが品質不合格、或いは、タグが法律の指定外だった。問題が出たサンプルは、靴・鞄・装飾品・贈り物・化粧品・デジタルアクセサリーの6種に関して、検出率が10.6%だった。関係したブランドは、新百伦(NEW BALANCE)、阿迪达斯(ADIDAS)、博柏利(BURBERRY)、芝宝(ZIPPO)、雅诗兰黛(Estee Lauder)、伊丽莎白雅顿(Elizabeth Arden)、金士顿(Kingston)、蔻驰(COACH)、万宝龙(MONTBLANC)、希格(SIGG )等の国際的に知名度の高いブランド名があがった。

既に、問題のサンプルの36.4%、8つのロットのサンプルが偽物と証明されている。その中で、天猫は3つのストアで、確証を得たサンプルの37.5%を占めており、それぞれ天猫上の“迅動運動戸外専営店”“容谷運動専営店”と“玖佰度戸外専営店”から、1号店(ショッピングサイト)は2つのストアで、確証を得たサンプルの25.0%を占めており、それぞれ“Amumu専営店”“儀品雅楽匯専営店”から、楽蜂網・蘇寧易購・アマゾンは1つのストアで、それぞれ確証を得たサンプルの12.5%を占めており、それぞれ楽蜂網自営・蘇寧易購上の“東方風尚専営店”とアマゾン上の“九品堂電子商務”から見つかった。商品の品質不合格、或いは、タグが法律の指定外だった7つのロットのサンプルについては、1号店上の“天天網官方旗艦店”“GYMBOREE金宝貝専営店”“上海凡家貿易有限公司”、楽蜂網上の“Seasheep官方旗艦店”、天猫上の“広州漢網貿易有限公司”とアマゾン上の“Seasheep清河県合潤鱗羊絨製品有限公司”から。他に4つの贈り物のサンプル・2つの化粧品サンプル・1つのバッグのサンプル、合計7つのサンプルに偽造の疑いがあり、現在、更に分析・調査中。

これに対して、国家商工総局配下の関係の地方局は、違法な経営者と第三者オンライン取引のプラットフォーム経営者を、法によって厳しく取り締まり、並びに直ぐさま社会に対して結果を公表する。」(「sina新浪科技」『工商総局:天猫・蘇寧等のE-Commerce双十一になお偽物を販売(工商总局:天猫苏宁等电商双十一仍存售假)』2014年12月11日13:09国家工商总局网站)


この発表に「天猫」は直ぐに回答。以下は、同日の「sina新浪科技」の記事だ。

『天猫 双11の偽物販売の回答:偽物に対してはゼロ容認 既に店舗は凍結(天猫回应双11售假:对假货零容忍 已冻结店铺)』

2014年12月11日15:01

「新浪科技電 12月11日午後の報道、本日、工商総局が天猫・1号店の双十一での偽物販売を公表した事に対して、本日午後、天猫の公式ミニブログ(微博)で回答を公表し、偽装品に対しては“ゼロ容認”で、目下、既に3件の偽造の疑いのある商品と1件の不合格の商品は取り下げ、偽の店舗は凍結した、と述べた。事実を確認した後、関係した店舗は閉鎖・完全撤退とする、と。

本日、工商総局の公式サイトでの公告で、今年の“双十一”の前に、中国国内の著名な10の第三者オンライン取引のプラットフォームから話を聞き、充分にオンライン取引のプラットフォームが、ネット経済の発展に積極的な影響を及ぼしている事を肯定すると同時に、現在存在している深刻な違法経営の問題を指摘し、プラットフォームの所有者に、法定義務の自己診断・自己補正を実行し、監督管理部門に今後の対策を明示するよう注意を与えた、と述べた。

その後、国家工商総局ネット監視部門は相応のサンプル検査を実施し、天猫・京東商城・1号店・アマゾン・蘇寧易購・聚美優品・唯品会及び旗下の楽蜂網に対して、第三者の検査機構に委託して、上述のB2C(Business to consumer、企業対個人消費者の電子商取引)の電子商取引のプラットフォームに対して、11月11日当日、販売促進商品のサンプル検査を行った。検査結果は、満足できる物ではなかった、天猫・1号店・蘇寧等のサイトで、双十一当日、等しく偽物販売が行われていた。

以下は天猫ミニブログの回答の全文:

天猫は、これまで偽物に対してゼロ容認の態度を取っており、我々も各種の機能を通して偽物販売の行為を厳しく調査している。ストアが、一つでも偽物を販売すれば、撤退・全額保証金を差し引かれ・二度と取り引きをしない事になる。工商総局のサンプル検査の結果を知ってから、天猫は既に3件の偽造商品と1件の不合格の商品を排除し、並びに3つの店舗を監視・凍結した。詳細を確認した後、我々は規則に従って、関係の店舗は閉店・撤退する事になる。」(「sina新浪科技」『天猫 双11の偽物販売の回答:偽物に対してはゼロ容認 既に店舗は凍結(天猫回应双11售假:对假货零容忍 已冻结店铺)』2014年12月11日15:01)

国務院の工商総局から注意が来て、それがミニブログで拡散される。14年には、米国に株式上場しているので、株価に影響を与える事は確実だ。当局のアリババに対する感情が、透けて見えなくもない。

もし気が向いたら、こんな番組です。
《天�潺雙十一狂歡夜 2015》:SNH48 TFBOYS �靭顏? 007空降 欲選馬雲當邦女郎


さて、2009年から「淘宝」が始めたバーゲンセールは、2012年に「天猫」に受け継がれ、当局からの注意も何処吹く風、今年も大々的に行われた。11月10日の晩に開かれた三時間以上の歌謡番組には、プレゼンターとして007のダニエルクレイグが登場した他、大陸・香港・韓国の歌手、米国のアダムランバートや、『ハウス・オブ・カード 野望の階段』のケヴィン・スペイシーも、大統領の扮装でビデオで登場した。更に、スターウォ-ズの白い装甲服をまとったストームトルーパーやR2-D2、ボンドガールとしてアリババの馬雲(男性)も登場して、ちょっとした「紅白歌合戦」のようだった。台湾の報道によれば、最高視聴率24%を記録した。番組が終了すると、11月11日午前0時から「GLOBAL SHOPPING FESTIVAL」の本番が始まった。

・双11の光棍節 購買節

中国では、11月11日を「光棍節(こうこんせつ)」と言う。「光棍」とは皮の無い木の幹の事。樹皮が無いので枝葉がでない=結婚をしていない=独身。「光棍」が四本並ぶ11月11日は“光棍節”(One's Day)、つまり「独身節」だ。「節」と言っても、正式な祝日ではなく、一説に南京の学生が、どうしたら独身から抜けられるかと無駄話をしているうちに、グループで活動しようと言う事になり、先ず、南京の学校で文化活動として始まった。それがネット等を通じて広がり、次第に「光棍節」として定着し、この日に結婚をする人々が増えた。各種の企業にとっては、独身卒業なので安売りをして消費を促す時期になり、「独身節」=「購買節」となった。また、米国にはクリスマス商戦に関係して売り上げが大きく伸びる二つの期日がある。クリスマスセールの始まる感謝祭(11月の第四木曜)翌日の金曜日を「ブラックフライデー」、オンラインショップセールの開始日である感謝祭の次の月曜日を「サイバーマンデー」と呼んでいる。「光棍節」のセールは、この影響を受けたのではないかとも言われている。

あと一回続きます。

習馬会(習近平からの提案)

2015年11月11日 22時38分58秒 | 日記
11月7日、シンガポールで中華人民共和国国家主席習近平と中華民国総統馬英九が会見した。これは世紀の会見として米国を始め世界中の注目を集めたが、恐らく、入念に計画された物ではない。習近平の頭の中に、何時から計画があったのかは分からないが、計画が出されて実行に移されるまでに二・三週間しかかからなかったようだ。

二人の会見を、大陸では「習馬会」と言い、台湾では「馬習会」と言う。以下の記事の中の表記は、原文に従った。

先ずは「BBC中文」から

『台湾の大陸委員会:北京方面から先に“習馬会”を提起(台湾陆委会:北京方面首先提出“习马会”)』

2015年11月4日


張志軍(右)と夏立言、今年10月広州で“第四次両岸事務首長会議”が行われた

台湾の公式な両岸事務を主管する大陸委員会の会長 夏立言は、馬英九と習近平が近くシンガポールで会見するのは、中国大陸の台湾事務弁公室主任 張志軍が先に提起したのだ、と述べた。

夏立言は、大陸委員会が習馬会について招集した記者会見上で、この情報を公表した。

馬英九が四年前に総統選で再選した時に、任期内は絶対に大陸の指導者と顔を合わせる事はないと表明していたのに、何故、現在方向を変えたのでしょう、という質問をされた時に、夏は、正面からは解答せず、馬英九の習近平との面会は“強く求めはしないが、排除もしない“とのみ答えた。

夏は記者会見上、重ねて“馬習会“の後に共同宣言はなく、いかなる契約に署名する事もない、と述べた。

テーブルの下で密かに承諾するのではないか、と質問されると、彼は強い調子であるわけがないと述べた。

しかし、立法院の外のデモグループ黒色島国青年陣線は、台湾人民は既にこの総統に対する信任の根拠を無くしており、この総統も根本的に台湾の民意を代表するものではない、と述べた。

・“世論調査の支持率は80%に達している”

台湾総統は火曜日(3日)晩に突然“習馬会”を発表し、目下、次の総統選挙の勢いの中先頭を走っている民進党の立候補蔡英文は唐突と形容し、しかも、総統府及び立法院以外の一部の台湾民衆の抗議もあったが、しかし、夏立言は記者会見上で、習馬会の世論調査の支持率は八割に達している、と述べた。

夏立言は、これは両岸に分かれて66年以来、双方の指導者の始めての面会となり、両岸関係の発展の過程に対して重要な意義を具えており、並びに、両岸の事務責任者は既に六回の面会を重ねており、“馬習会”は指導者によって集中的に政治に注入される清水だ、と述べた。

夏立言は先月、広州に行き、台湾事務弁公室主任張志軍と面会した。彼は記者会見上、馬習会の進行がこのように早い原因は、彼が広州で張志軍と会見した時に、既に両岸の指導者が会見をする時期にきている事に言及した事によるが、張志軍はAPECは不適当と述べたので、そこで夏から第三国のシンガポールでの会見を提案した、と述べた。

・“米国の要素は無い”

夏立言は更に記者会見上で、今回の“馬習会”は決していわゆる“米国の要素”は含まれない、と述べた。

米国はそれ以前、ホワイトハウス及び国務省を通して、続けざまに習馬会に対する歓迎を表明した。しかも、台湾の媒体の指摘によれば、米国側が事前に“習馬会”について事情を知っていたか否かの説明を拒絶した、と。

習馬会に対して、ホワイトハウスの見解は、米国側は両岸の緊張が緩和し関係が改善される事を歓迎する、同時に我々は必ず、今回どの様な結果が得られるのかを見届けなければならないとも述べた。

国務院の報道官は、習馬会を歓迎する他に、米国は両岸問題が平和に解決されるべきであり、解決の方式及び速度が、両岸の人々に認められるべきである、と述べた。」(「BBC中文」『台湾の大陸委員会:北京方面から先に“習馬会”を提起(台湾陆委会:北京方面首先提出“习马会”)』2015年11月4日)

「習馬会」は、習近平側から呼びかけられ、正式に決まったのは先月に広州で行われた“第四次両岸事務首長会議”。台湾側の抗議を考え、秘密裏に素早く決定したとも考えられるが、世紀の会見でありながら、共同宣言や契約は無かったようだ。この二人の会見は、習近平の計画であったと言える。それにしても、何故、今なのか。更に、その目的は何か?

もう少し続きます。

漢文よもやま話し(インチキ学者をぶっ飛ばせ!)

2015年11月08日 13時06分21秒 | 日記
このブログで取り上げている、漢文や現代中国語の文章や会話は、基本的に私が原文を見ながら訳しています。あまり知られていませんが、私は翻訳家です。

前回取り上げた『中共の黄昏』の中で出てきた、『礼記』の「動かば則ち左史之を書し、言はば則ち右史之を書す」ですが、これは、『史記・五帝本紀』の『史記正義』に出てくる説です。

『史記』(司馬遷)の注釈書に優れた書物が三つあって、唐の時代の張守節(ちょうしゅせつ)の『正義』、同じく唐の司馬貞(しばてい)の『索隠』、宋の裴駰(はいいん)の『集解(しっかい)』で、これは、もし、司馬遷の『史記』を原文で読むのであれば、この三つの注釈は必ず読まなければいけないというか、これを参考にしないと読めないと言うか、兎も角、必ず参考にしなければならない注です。

上記の『礼記』の説は、『史記』の第一巻の『正義』の一番始めに出てくる説です。何が言いたいのかというと、「古代の帝王のおそばには、記録を取る官吏が控えていた」という説は、唐代からある、現代では院試にも登場するような、漢文をやっていてこれを知らないのは、モグリかパクリだと言う学会の定説です。もちろん、『礼記』の原文も確認済みです。

「廉頗(れんぱ)・藺相如(りんしょうじょ)列伝」は、超有名な「完璧」「刎頸の交わり」のもとになった故事の出てくる巻なので、ちょっと気の利いた高校に通えば、国語の先生が教えてくれますし、東洋史に興味があれば、中高生でも知っている話しです。

「澠池の会」の「澠地」は、戦前に生まれた学者は「べんち」と読んでいましたが、戦後に生まれた人々は「めんち」と読んでいます。辞書で引くと「べんち・めんち」と両方の読みが出てきます。「澠」には、呉音ジョウ・メン、漢音ベンと、一つの漢字に三つの音があるからなのですが、私は、漢音で「ベン」とルビをふっています。澠水という河があるのですが、これは「べんすい」としか読みませんし。

っで、何が言いたいのかと言えば、『中共の黄昏』では、『史記会注考証』を使って、「藺相如」の活躍する場面を訳しました。『会注考証(かいちゅうこうしょう)』は日本人の儒者、瀧川亀太郎の力作です。原文は白文で書かれています。この本の『廉頗・藺相如列伝』は、他の版本と原文に違いがあってこの部分は、特に意味が通って訳しやすいので、『会注考証』を使いました。著者の瀧川亀太郎が、何故、この本を底本としたのかを、ちょっと想像しながら訳したところがミソなのでした。アイラブ亀太郎!

1929年~2014年中国の出生人口

2015年11月05日 23時17分38秒 | 日記
以下は、日本と中国の出生数の比較だ。中国は一人っ子政策により、だいたい1000万人ほど人口の抑制に成功しているが、日本は、一人っ子政策下の中国よりも更に出生数が少ないことが分かる。

「世界人口網」

『1929年~2014年中国の出生人口(1929年-2014年中国历年出生人口数量)』

时间:2015-02-26 23:46 类别:中国 人数:2094


年  出生人口数
1929 5,045,743
1930 6,499,332
1931 5,792,092
1932 6,503,311
1933 7,456,399
1934 7,220,066
1935 7,808,592
1936 8,248,125
1937 8,128,275
1938 8,611,865
1939 7,574,442
1940 9,141,141
1941 8,925,171
1942 8,869,780
1943 8,821,540
1944 9,708,711
1945 10,045,173
1946 10,858,446
1947 11,737,540
1948 12,083,027
1949 13,913,927
1950 14,711,260
1951 14,413,123
1952 17,236,621
1953 16,745,695
1954 18,513,434
1955 18,612,172 1950~1955年中国の出生率6.11 その他の国家6.07
1956 17,364,027
1957 18,998,424
1958 17,135,981
1959 13,059,787
1960 14,684,726 1955~1960年中国の出生率5.48 その他の国家6.15
1961 11,414,017
1962 20,923,112
1963 27,866,189
1964 24,144,848
1965 24,799,129 1960~1965年中国の出生率6.11 その他の国家6.12
1966 24,828,470
1967 21,736,582
1968 27,718,516
1969 25,018,386
1970 28,012,344 1960~1970年中国の出生率5.94 その他の国家5.96
1971 25,160,381
1972 24,800,391
1973 23,630,435
1974 22,874,423
1975 21,136,635 1970~1975年中国の出生率4.77 その他の国家5.64
1976 20,491,797
1977 17,931,155
1978 18,831,591
1979 18,924,822 1975~1980年中国の出生率3.01 その他の国家5.24
1980 18,393,809 男9315481人 女9078328人
1981 19,122,938 男9752137人 女9370801人
1982 23,100,427 男11786950人 女11316732人
1983 20,065,048 男10275677人 女9789371人
1984 20,313,426 男10468201人 女9845225人
1985 20,429,326 男10598460人 女9830866人
1986 23,190,076 男12023710人 女11166366人
1987 25,282,644 男13619530人 女12663114人
1988 24,576,191 男12779621人 女11796570人
1989 25,137,678 男13110848人 女12026830人
1990 26,210,044 男13811030人 女12399014人
1991 20,082,026 男10674963人 女9407063人
1992 18,752,106 男10014222人 女8737884人
1993 17,914,756 男9590414人 女8324342人 1980~1990年中国の出生率2.3 世界3.45
1994 16,470,140 男8866012人 女7604128人 出生率1.60 ~
1995 16,933,559 男9157597人 女7775962人 出生率1.46 ~
1996 15,224,282 男8257145人 女6967137人 出生率1.55 ~
1997 14,454,335 男7897234人 女6557101人 出生率1.49 ~
1998 14,010,711 男7701684人 女6309027人 出生率1.49 ~
1999 11,495,247 男6332425人 女5162822人 出生率1.48 ~
2000 13,793,799 男7460206人 女6333593人 出生率1.22 世界2.73
2001 17,020,000 死亡818万人 出生率1.39 ~
2002 16,470,000 死亡821万人 出生率1.38 ~ 
2003 15,990,000 死亡825万人 出生率1.40 ~
2004 15,930,000 死亡832万人 出生率1.44 世界2.59
2005 16,170,000 死亡849万人 出生率1.33 ~
2006 15,840,000 死亡892万人 出生率1.38 ~
2007 15,940,000 死亡913万人 出生率1.43 ~
2008 16,080,000 死亡935万人 出生率1.45 ~
2009 16,150,000 死亡943万人 出生率1.36 世界2.53
2010 15,740,000 死亡957万人 出生率1.18 ~
2011 16,040,000 死亡960万人 出生率1.04 ~
2012 16,350,000 死亡966万人 出生率1.26 ~ 労働年齢人口の減少345万
2013 16,400,000 死亡972万人 出生率1.24 世界2.5 労働年齢人口の減少244万
2014 16,870,000 死亡977万人 労働年齢人口の減少371万

2014年末,中国大陸の人口136782万人,前年末より710万人増加、その中で男性70079万人、女性66703万人。男性の方が女性に比べて3376万人多い。」(「世界人口網」『1929年~2014年中国の出生人口(1929年-2014年中国历年出生人口数量)』时间:2015-02-26 23:46)

一人っ子政策は79年から始まるが、それ以前、63年・68年・70年には、おそれぞれ2800万人近く誕生している。では、一人っ子政策が始まってどうなったかと言えば、それでも91年までは2000万人を切ることはなく、2000年代に入ってからは1500~1600万人の間で推移している。

・日本の出生率

以下は、厚生労働省の1947年以降の日本の出生数と合計特殊出生率

年    出生数(人)合計特殊出生率

1947   2,678,792   4.54
1948   2,681,624   4.40
1949   2,696,638   4.32
1950   2,337,507   3.65
1951   2,137,689   3.26
1952   2,005,162   2.98
1953   1,868,040   2.69
1954   1,769,580   2.48
1955   1,730,692   2.37
1956   1,665,278   2.22
1957   1,566,713   2.04
1958   1,653,469   2.11
1959   1,626,088   2.04
1960   1,606,041   2.00
1961   1,589,372   1.96
1962   1,618,616   1.98
1963   1,659,521   2.00
1964   1,716,761   2.05
1965   1,823,697   2.14
1966   1,360,974   1.58
1967   1,935,647   2.23
1968   1,871,839   2.13
1969   1,889,815   2.13
1970   1,934,239   2.13
1971   2,000,973   2.16
1972   2,038,682   2.14
1973   2,091,983   2.14
1974   2,029,989   2.05
1975   1,901,440   1.91
1976   1,832,617   1.82
1977   1,755,100   1.80
1978   1,708,643   1.79
1979   1,642,580   1.77
1980   1,576,889   1.75
1981   1,529,455   1.74
1982   1,515,392   1.77
1983   1,508,687   1.80
1984   1,489,780   1.81
1985   1,431,577   1.76
1986   1,382,946   1.72
1987   1,346,658   1.69
1988   1,314,006   1.66
1989   1,246,802   1.57
1990   1,221,585   1.54
1991   1,223,245   1.53
1992   1,208,989   1.50
1993   1,188,282   1.46
1994   1,238,328   1.50
1995   1,187,064   1.42
1996   1,206,555   1.43
1997   1,191,665   1.39
1998   1,203,147   1.38
1999   1,177,669   1.34
2000   1,190,547   1.36
2001   1,170,662   1.33
2002   1,153,855   1.32
2003   1,123,610   1.29
2004   1,110,721   1.29
2005   1,062,530   1.26
2006   1,092,674   1.32
2007   1,089,818   1.34
2008   1,091,156   1.37
2009   1,070,035   1.37
2010   1,071,304   1.39
2011   1,050,806   1.39
2012   1,037,231   1.41
2013   1,029,816   1.43
2014   1,003,539   1.42

日本の人口 1.273億 (2013年)、中国大陸の人口が13.678億、日本の人口を中国の約十分の一と考えても、一人っ子政策下の中国よりも、日本の出生数は下回っている。日本の出生数の減少は70年代後半から始まるが、これは、核家族化が進んだのと比例していると思われる。

『中共の黄昏』(インチキ慰安婦問題をぶっ飛ばせ!)

2015年11月03日 01時19分18秒 | 日記
『中共の黄昏』
ー日本の歴史戦の勝利こそが世界を救うー

9月3日に、北京天安門で、「中国人民抗日戦争及び世界反ファシズム勝利70周年記念大会(原文:纪念中国人民抗日战争暨世界反法西斯战争胜利70周年大会)」と題する式典が開かれ、国連事務総長である潘基文も参加した。しかし、日本は中国に負けてはいないし、中共は建国して66年しか経過していない。式典は事実に反していると言わざるを得ないが、そもそも「歴史」とは、勢力のある物がごり押しすれば、枉げる事ができる物だろうか。そんなはずはない。

・歴史の萌芽と焚書

五経の一つ『礼記(らいき)』は、漢の時代に書かれた儒者の礼に関する書物だが、その中に、為政者に関する記録のとり方を紹介した短い文章がある。古代の天子の側には史官が控えており、天子が「行動すれば左史がこれを記録し、発言すれば右史がこれを記録していた」、と言う物だ。(『礼記・玉藻』「動かば則ち左史之を書し、言へば則ち右史之を書す」)。他に、右史と右史と行動と発言が逆に書かれた資料もあるが、兎も角も、古代の天子の側には、記録をとる官吏がいた。

史官の矜恃は、事実を正確に記述する事にある。周代に既に正確に記録を残す習慣があり、更に、史官の記録した物が各国に保管されていたので、例えば、孔子は魯の記録を整理して『春秋』という歴史書を編纂し、秦の焚書坑儒で書物が失われたとは言え、司馬遷が『史記』を執筆する時にも、信頼に足る資料を集める事ができた。

『史記』は、史官が記録をする様を、次の様に紹介している。

趙の恵文王の十八年(前281年)に、秦は趙の石城を抜き、翌年、更に攻めたので、趙は二万の戦死者を出した。その後、秦王は趙に使者を出し、好(よしみ)を結びたいので、澠池(べんち)で会見をしようと申し入れた。しかし、恵文王は秦を恐れて行きたくないと言う。それを藺相如(りんしょうじょ)が説得して連れ出し、宴席に臨んだ時の事だ、

秦王が、宴酣(たけなわ)となった頃に言った、「私は窃(ひそ)かに、趙王が、音楽を好むと聞いている。瑟(しつ、大型の琴)を奏でてほしい」、と。趙王は瑟を奏でた。秦の御史が進み出て、「某年月日、秦王、趙王と会飲し、趙王をして瑟を鼓せしむ」と記録した。藺相如が進み出て言うのには、「趙王は窃かに、秦王が秦の音楽を奏でるのがうまいと聞いております。盆缻(ぼんふ、打楽器)を秦王に献上いたしますので、共に楽しみましょう」と。秦王は怒って許さない。かまわず、相如は進み出て缻(ふ)を差し出し、跪(ひざまづ)いて秦王に要求した。秦王は、缻を打つ事を承知しなかった。相如は、「五歩の近さでございます、この相如に、我が頸の血を大王に降り注がせる事をお許し頂きたい(自分の首を斬らせろとは、相手の首を斬らせろと同じ意)」と。左右にひかえる者は、相如を斬り殺そうとした。相如は、目を張って左右を怒鳴りつけた。左右の者は、その声にひるんだ。かくて秦王は、不機嫌ながら、趙王のために一回だけ缻を打った。相如は、振り返ると趙の御史を呼び出し、「某年月日、秦王、趙王の為めに缻を撃つ」と記録させた。(『史記会注考証・廉頗 藺相如伝』)

国の名誉をかけて、命懸けで残されるのが記録だ。権力者の都合でくるくると記述が変わるのであれば、「温故知新」もへったくれもない。しかし、恥ずべき行為が多い国にとってはどうだろう。秦が行った「焚書」の理由として、司馬遷は次の様に述べている。

秦は既に天下統一の望みを果たした後、天下の詩経・書経を焼き捨てた。諸侯の史記(史官の記録)が最も焼かれたが、そこに秦を譏(そし)る記述があったからである。(『史記・六国表』秦既に意を得、天下の詩書を焼く、諸侯の史記尤(もっと)も甚だし、其の刺譏する所有るが為なり)

李斯(りし)の建言によって「焚書」が行われるのは、始皇帝の三十四年(前213年)の事。「坑儒」はその翌年。始皇帝は狂暴な手段で歴史の隠蔽を試み、二千二百年後の中共は、大掛かりな手段で歴史の捏造を試みている。

・二十三年前は親日

今から二十三年前の平成四年(92年)10月23日~28日、天皇陛下が中国を訪問された。天安門事件(89年)で欧米諸国から非難を受けていた中国に、日本が手を差しのべた形での御訪中で、その頃、大陸ではちょっとした親日ブームが起きていた。ご訪問の間中、人民日報には、如何に人民が陛下を歓迎しているかという内容の記事と、公用車を取り巻く黒山の人だかりの写真が、連日のように掲載されていた。テレビでも、北京の天安門だったか上海の南京路だったかが、歓迎する人々で埋め尽くされる様子を放送していた。ほんの短期間だったが、中国全土が親日ムードに溢れていた。

その後、93年に江沢民が国家主席となり、94年村山内閣成立。95年5月3日、村山総理が江沢民国家主席と中南海で会見した。日本人に対する風向きが、おかしなことになるのは、それからだ。95年5月4日の「人民日報」第一面、中央の見出しに「江主席 村山首相と会見、双方は歴史に対して正しい態度をとり、将来に目を向ける事が両国の関係を押し進め更に発展させるとの意を示した」と書かれていた。

この会見から約一ヶ月後の、「人民日報」95年6月12日号に、初めて排日の記事が掲載される。三面、一番上に大きく「中国人民抗日戦争勝利五十周年を記念す」と書かれた特集記事は、新聞のまるまる一面を使って行われた連載物だった。私は、この特集が、その後の反日運動の方向を決定した物であると思っている。

さて、それから二十年後の今年、排日運動はすっかり育って、「中国人民抗日戦争及び世界反ファシスズム勝利70周年記念大会」という式典を産み落とした。

・立法形式の記念日

「中国人民抗日戦争及び世界反ファシズム勝利70周年記念大会」は、習近平が2012年11月に、中共総書記・中央軍事委主席に就任して以来の、初めての大規模記念活動となる。主な内容は閲兵式だ。今回は建国以来15回目の大型閲兵式だが、これまでは全て国慶期間中に行われており、今回始めて国慶期間外に行われた。同時に、閲兵方式で、始めて抗日戦争の勝利を記念している。

この、馬鹿な茶番劇が、最初に全人代を通過したのは2014年2月25日の事だ。会議の決定は、当日晩19時の報道番組「CCTV13・新聞聯播(れんぱ)」で放送され、また「新華社」「人民日報」等で全国に配信された。以下は2月25日の「CCTV13」の内容だ。

『我が国は立法形式で、中国人民抗日戦争勝利記念日を決定し 南京大犠牲者の国家的追悼日を設立する』

2014年02月25日 19時

女性アンカー: 弊社の報道です。十二期全国人民代表大会常務委員会 第七次会議は、25日午後、全国人民代表大会の、中国人民抗日戦争勝利記念日を確定する決定草案、及び、南京大犠牲者の国家的追悼日を設立する決定草案に関して、審議を行いました。

※委員長会議(委員長会議の委員長は張徳江)の委託を受け、全人代常委会法制工作委員会主任 李適時が、この二つの決定草案について、会議で説明を行った。以下は、その説明内容。

女性アンカーが説明を朗読:
中国人民抗日戦争勝利記念日確定の決定草案に関する説明には、次の様に指摘されている。中国人民の抗日戦争は、中国人民が日本の帝国主義の侵略に抵抗した正義の戦争であり、世界反ファシズム戦争の重要な一部分であり、近代以来、中国が外敵の侵入に反抗して、始めて完全な勝利を獲得した民族解放の戦争である。中国人民の抗日戦争の勝利は、中華民族の衰退から振興に向かう重要な転換点となり、民族の独立と人民の解放・新中国の建設を実現するための重要な基礎を打ち立て、世界各国が反ファシズム戦争の勝利を勝ち取り・世界平和の偉大な事業を勝ち取る為の巨大な貢献である。全人代常委会が特に決定を下し、立法形式で中国人民の抗日戦争勝利記念日を確定し、集中的に中国人民の意思を反映するのは、我々に歴史をしっかりと記憶させ、過去を忘れず、平和を大切にし、未来を創始する事が、十分必要だからである、と。

説明に強調されているのは、本決定を行う事は、中国人民が、抗日戦争中に勇敢に身を捧げた英霊と、中国人民のために抗日戦争に貢献したあらゆる人々を更に追想し、中国人民が、日本帝国主義の侵略に反抗した極めて苦しい闘争を銘記し、中国人民の抗日戦争が、世界反ファシズム戦争の重要な地位にある事を顕彰し、中国人民が決然として、国家の主権・領土の保全、及び、世界平和を守るという揺るぎない立場を表明し、愛国主義を中心(核心)にすえた偉大な民族精神を発揚し、全国の各族人民を激励し、中華民族の偉大な復興という中国の夢を実現するために、共に奮闘するためだ。記念日の日付の決定については、中央人民政府政務院及び国務院の抗戦勝利記念日に関する規定を、草案は引き続き使用して、9月3日を中国人民抗日戦争勝利記念日と決定する。

南京大犠牲者の国家的追悼日設立の決定草案に関する説明には、次の様に指摘されている。1937年12月13日、日本の侵略軍は中国の南京で、我が同胞に対して四十数日の長きにわたる、この世の物とは思われないほど悲惨な大を開始し、三十万以上が殺戮に遭い、国内外を震撼させた南京大事件を引き起こした。これは、公然と国際法に違反する暴虐きわまる行為であり、動かぬ証拠であり、第二次世界大戦後に設立された遠東国際軍事法廷、及び、南京審判戦犯軍事法廷(南京軍事法廷)の裁判で、つとに歴史の結論と法律の定論がある。南京大の犠牲者に、国家的追悼日を設立し、国家が追悼活動と関係の記念活動を行うのは、十分に必要な事である、と。

説明に強調されているのは、本決定を行う事は、南京大の犠牲者と、日本の帝国主義の侵略戦争期間中、日本の侵略者の殺戮に遭って亡くなったあらゆる同胞を哀悼し、日本の侵略者の戦争の罪業を暴き出し、侵略戦争が、中国人民と世界人民に与えた深い災難を記憶し、中国人民が侵略戦争に反対し・人類の尊厳を守り・世界平和を守る確たる立場を表明するためである。決定草案の12月13日を、南京大犠牲者の国家的追悼日とする。」(「CCTV13・新聞聯播」『我が国は立法形式で、中国人民抗日戦争勝利記念日を確定し 南京大犠牲者の国家的追悼日を設立する(我国将以立法形式确定中国人民抗日战争胜利纪念日 设立南京大屠杀死难者国家公祭日)』2014年2月25日 19時)

上記の報道からは、この計画が、序列3位の張徳江(全人代常務委員長、江沢民派)周辺から出てきた事が分かる。張徳江は、香港と深い関わりのある人物で、2014年2月頃、香港では、反北京系のメディアの編集長が、職場を追われ暴徒に襲撃される事件が発生し、香港人の中共に対する不満が高まっていた。また、当時は公式発表前だったが、周永康の身柄が拘束され息子夫妻も拘束されて、中華圏は、周一族に関する腐敗の噂で持ちきりだった。指導者の醜聞だけではない。3月1日には、雲南省の昆明駅で、刃物を持った集団が通行人らを無差別に襲撃するテロ事件も起きている。

私は、天安門事件後、中国人民が依然として民主化を求めていた時期に、江沢民は、排日愛国運動を進める事で、共産党崩壊の危険を回避したと考えている。だから、再び共産党が危機的状況に陥った時に、江沢民派の中から、排日愛国を盛り上げるような提案が出されるのは当然の事であると思う。まして70周年ならば尚更だ。

・準備

こうして記念日が決定すると、準備が始まった。

1月22日に、公安部副部長兼北京市公安局局長傅政華(ふせいか)が、北京で行われる閲兵式は、今年の安保工作の最優先課題である、と発表した。(「中国網」『香港メディア:中国は反ファシズム70周年閲兵を挙行する(港媒:中国将举行反法西斯70周年阅兵)』2015-01-23)

3月20日には、外交部報道官洪磊(こうらい)が、中国側が、第二次世界大戦の主要参戦国・アジア諸国とその他の地区の国家指導者・国連等の国際組織の責任者を、記念活動に招待した、と発表した。(「網易新聞」『抗戦勝利70周年に閲兵を行う(抗战胜利70周年将阅兵)』2015-03-21来源: 北京晨报)

4月に入ると、中国人民解放軍儀仗隊が演習を開始し、山西省の機械製造公司が、北京武装警察隊が発注した、式上で使用される72門のうち、12門の礼砲を正式に北京に納品した。5月には、中国のユーザーによって、武装ヘリ直-10と直-19が、空中で“70”の文字を描き出す様子がアップされ、大閲兵の訓練だと噂になった。

5月10日、習近平のロシア訪問に随行し、9日に赤の広場で行われた軍事パレードにも出席した中央軍事委員会副主席 範長龍は、ロシア国防省セルゲイ・ショイグと会談して、ロシア軍の指導者と部隊が、9月に行われる70周年の慶典活動に参加する事を歓迎する、と述べた。(「国防部網」『範長龍 ロシアの国防部長と会談を行う(范长龙与俄罗斯国防部长举行会谈)』2015-05-11)

5月13日、国務院は、全国の人民を、中央及び各地区各部門で行われる記念活動に参加させるために、2015年9月3日を休日とする。民衆が休暇中に活動しやすいように、9月3日から5日までを三連休とし、9月3日(木曜)は祝日。4日(金曜)は振替休日、6日(日曜)は出勤とする、と通達を出した。(「国務院」『国務院の中国人民抗日戦争及び世界反ファシズム戦争勝利70周年記念日の振替休日に関する通知(国务院关于中国人民抗日战争暨世界反法西斯战争胜利70周年纪念日调休放假的通知)』2015年5月13日)

6月23日、宣伝部副部長王世明が、国務院新聞弁公室主宰の記者会見の席上で、式典全体の流れを紹介した。王世明は、9月3日午前、中共中央・全人代常委会・国務院・全国政協・中央軍事委の名義で北京天安門広場で行われ、習近平はそこで重要講話を述べる、と発表した。この他、当日は北京で歓迎会及び文芸晩餐会が開かれる。更に、中共中央・国務院・中央軍事委員会の名義で、今も健在の抗日戦士・老同志、抗戦将校或いはその遺族のために“中国人民抗日戦争勝利70周年”の記念章を、総書記習近平が手ずから授与する。この他、一連の舞台、及び、映像文芸作品と出版物を発行し、中国人民銀行は第二次大戦勝利70周年記念貨幣を発行し、国家郵政局も第二次大戦勝利70周年記念切手を発行する、と。(「中国網」『9月3日戦勝記念日閲兵の日程配布 始めて外国軍の参加を望む(9月3日胜利日阅兵安排发布 首邀外国军队参加)』2015-06-23)

昨年2月に全人代が発表したのは記念日だったが、9月3日が近づくにつれて、公安局・外交部・中央軍事委員会・国務院が計画に加わり、最終的に指導部全体が参加する事になったようだ。ただ、暗殺の噂の絶えない習近平が、この閲兵式をどう考えていたのかについては疑問の残る所だ。

・閲兵ブルー(閲兵藍)

「北京秋天」、「秋天」は「秋」の意だ。大気さえ汚染されていなければ、大陸独特の抜けるように澄んだ青空が、どこまでも高く透明に広がる。汚染物質を取り除き、その美しさを取り戻すために、北京・天津・河北及び周辺の省市が合同規制を実施した。

北京では8月22日から30日まで世界陸上競技選手権が開かれた。その為8月20日から臨時の交通措置が取られた。北京市交通委員会委員容軍は、8月20から9月3日まで、北京市は「※单双号限行」の措置を取り、公共の交通機関の運転停止割合は80%、肉・卵・野菜・ミルク等の運搬車両は通行を保障する、と発表した。(「新華網」『北京8月20日から9月3日まで自動車は单双号限行(北京8月20日至9月3日机动车单双号限行)』2015年08月03日)

※「单双号限行」は、都市の交通渋滞を緩和させるための一種の交通制度で、2007年の北京五輪の予選会期間中に、北京市で始めて行われた。奇数(単号)の日には、ナンバーの末尾の数字が奇数の自家用車のみ走行でき、偶数(双号)の日には、ナンバー末尾が偶数の自家用車のみ走行できる。0は偶数日の走行。

天津市では、8月28日から、自動車の单双号限行も含めた一級の対策を行った。電力企業は石炭発電ユニット10箇所計346万キロワット、全市の36%を停止させた。同時に市内9箇所の石炭火力発電所に、職員を24時間常駐させた。産業方面では、全市の1325の企業が、生産停止・減産、或いは、環境保護設備の導入で、汚染物質を全体の40%近くまで削減した。同時に570の重点企業に対しては、職員を24時間常駐させた。8月23日から全市の建設現場、及び、コンクリートの撹拌地点で全作業を停止し、28日からは、建設作業と関係のある活動は一律作業停止となった。同時に946の建設現場には、職員が24時間常駐する事とした。道路の清掃は、8月23日から幹線道路と中心市街地で、毎日3回以上の洗浄が行われた。自動車については9月1日、全市で終日、他の都市からの車両も含めて单双号限行が行われた。その結果8月23日から30日まで、天津市の空気は、前年同期に比較して、全市の総合指数・PM2.5及びPM10の平均濃度が、41.7%・51.7%及び46.9%下降した。(「網易新聞」『天津市は汚染物質の排出総量の40%近くを削減する事に成功し“閲兵ブルー”を確保した(天津市实现污染物整体减排近40%确保“阅兵蓝”)』2015-09-02 06:57:52)

河北省では、全省で单双号限行が行われたが、その期間については各地の判断に任された。環境保護部の資料によれば、保定市等は8月20日から産業企業の減産・生産停止を開始し、全市の主な建設現場は操業停止となった。滄州市では、小中学校の開校日を延期した。24日から運送業・廃棄物や危険な化学薬品を積んだ車両・軽トラ・オート三輪・トラクターは一律運転禁止。邯鄲(かんたん)では、邯鄲鋼鉄集団が26日から、操業停止計画と脱硫施設の排出削減を強加する計画を立て、毎日削減された量と比率を計算した結果、28日から9月4日までの期間に、汚染物質を50%以上削減する事に成功した。

山東省済南市では、済南藍星・長城等の企業が生産を停止したのみならず、9月1日から、全市で露天での串焼き等を禁止した。(「澎湃(ほうはい)網」『中国環境科学研究院副院長 柴発合:“閲兵ブルー”常態化の対策がますます多くなる(中国环科院副院长柴发合:“阅兵蓝”常态化措施会越来越多)』2015-09-05 16:37 )

地方の幹部にとって中共中央からの命令は、能力を発揮し汚名を返上する好機であり、※跨越式の発動であり、デタラメを誘発する切っ掛けにもなる。北京での公共車両の80%削減や、河北省の汚染物質の50%削減は、これが事実ならば社会に与える影響は甚大だ。特に天津では、1325の企業が影響を受け、火力発電所・570の重点企業・946の建設現場に24時間体制で職員を常駐させている。これらは、8月12日の大爆発の影響としか思われないが、すると、天津爆発は偶発的な事故ではなかったのだろうか。

露天の串焼きを止めさせたところで、どれ程の影響があるかは分からないが、兎も角も、“閲兵ブルー”を実現させ、晴れ渡った秋空の下、大閲兵は賑々しく行われた。

※「跨越」とは、跨も越も「こえる」という意。可能な限り短時間に、高水準の目標実現を目指す事。

・枉げられた歴史

ここで確認するまでもなく、日本と中国は1972年に国交が正常化するが、それ以前は、書類の上では戦争状態にあった。不正常な状態から正常な状態になったので、『日中国交正常化』と言う。日本は中国に負けてはいない。当然、共産党にも国民党にも負けていない。ところが、9月3日当日、習近平の述べた講話の内容は、全く違う物だった。

『抗戦勝利70周年記念大会で習近平は重要講話を発表(全文)』

2015年09月03日10:23

人民網 北京9月3日電、中国人民抗日戦争及び世界反ファシズム戦争勝利70周年記念大会が、本日午前10時、北京天安門広場で挙行された。10時6分頃、中共中央総書記・国家主席・中央軍事委員会主席習近平は、重要講話を発表した。

以下は講話の全文:

全国の同胞諸君、尊敬する各国の国家元首・政府首脳と国連等国際組織の代表の方々、尊敬する来賓各位、視察を受ける全ての将兵諸君・ご列席の皆さん・同志諸君・友人諸君、

本日は、世界の人々が永遠に記念するに値する日である。70年前の今日、中国人民は14年もの長きにわたる言語に絶する苦しい闘争を経て、中国人民は抗日戦争の偉大な勝利を獲得し、世界反ファシズム戦争の完全なる勝利を言い渡し、平和の陽光が再び普く大地を照らした。

ここで、私は中共中央・全人代・国務院・全国政治協商・中央軍事委員会を代表して、全国の抗日戦争に参加した老戦士・老同志・愛国人士と抗日の将校に向かい、中国人民の抗日戦争勝利の為に重大な貢献を果たした国内外の中華の子供達に向かい、最上の敬意を表する!侵略に抵抗する中国人民を支援し助けてくれた外国政府と国際的な友人に向かって、心からの感謝を表する!本日の大会に参加した各国の来賓と軍人友人諸君に向かって、熱烈な歓迎を表する!

ご列席の皆さん・同志諸君・友人諸君!

中国人民の抗日戦争と世界反ファシズム戦争は、正義と邪悪・光明と暗黒・進歩と反動的との大決戦だった。あの悲惨な戦争で、中国人民の抗日戦争の開始時間は最も早く・持続時間は最も長かった。侵略者に直面した時、中華の子供達は不撓不屈・血を浴びて奮戦し、徹底して日本軍国主義の侵略者を打ち負かし、中華民族の5000年以上発展し続けた文明の成果を守り、人類の平和の事業を守り、戦争史上の奇観・中華民族の壮烈な行為を鋳造した。

中国人民の抗日戦争の勝利は、近代以来、中国が外敵の侵入に抵抗し反撃した初めての完全勝利だ。この偉大な勝利は、日本の軍国主義が、中国を植民地化し奴隷のように酷使しようという企みを徹底的に粉砕し、近代以来、中国が外国の侵略に抵抗し反撃し、連戦連敗した民族の恥辱を洗い流した。この偉大な勝利は、新たに中国に世界的大国としての地位を確立させ、中国人民に、世界からの平和を愛する人民という尊敬を獲得させた。この偉大な勝利は、中華民族の偉大な復興への明るい未来を切り開き、古い中国が、鳳凰が臨終に火を浴びて再生するように、新たな征途を切り開かせた。

あの戦争中、中国人民は巨大な民族の犠牲を払い、世界反ファシズム戦争の東方の主戦場を支え、世界反ファシズム戦争の勝利に大きく貢献した。中国人民の抗日戦争も、国際社会の広汎な支持を獲得したが、中国人民も、各国人民が中国の抗日戦争勝利の為に貢献した事を、永遠に銘記するだろう!

ご列席の皆さん・同志諸君・友人諸君!

戦争を経験した人々は、更に深く平和の大切さを理解する。我々が、中国人民抗日戦争および世界反ファシズム戦争勝利70周年を記念するのは、歴史を銘記し・亡くなった烈士を追想し、平和を大切にし、未来を切り開くためである。あの戦争の戦火は、あまねくアジア・ヨーロッパ・アフリカ・大洋州に及び、軍隊と民衆の死傷者は1億人を超え、そのうち中国の死傷者は3500万を超え、ソ連の死亡者は2700万を超えた。決して歴史の悲劇を繰り返さない事は、我々が、当時の人類の自由・正義・平和を守るために犠牲になった英霊に対する、また、無惨にも殺された無辜の亡霊に対する、最良の記念である。

戦争は一面の鏡だ、人に更に平和の貴重さを教えてくれる。今日、平和と発展は既に時代の主題となっているが、しかし世界は全く平穏ではない、戦争のダモクレスの剣は、依然として人類の頭上に掛かっている。我々は歴史を鑑として、断固として平和を守る決意をする。

平和のために、我々は堅個に、人類運命共同体という意識を打ち立てなければならない。偏見と差別・深い憎しみと戦争は、災難と苦痛しかもたらしはしない。互いに尊重し・平等に付き合い・平和に発展し・共に繁栄する事こそ、人の世の正道である。世界各国は共に、国連憲章の主旨と原則を中心とする国際秩序と国際体系を守り、積極的に、互恵互利を中心とする新型の国際関係を構築し、共同で、世界の平和と発展の崇高な事業を推進すべきである。

平和のために、中国は一貫して平和発展の道を歩んでいる。中華民族は一貫して平和を愛している。どの様な発展段階にせよ、中国は永遠に覇を称さないし永遠に拡張はしない、永遠に自身が嘗て経験した悲惨な境遇を、他の民族にむやみに押し付ける事はしない。中国人民は、世界各国の人民との友好的な交流を堅持し、決然として中国人民抗日戦争と世界反ファシズム戦争の勝利の成果を守り、人類の為に更に偉大な貢献ができるよう努力する。

中国人民解放軍は人民の子弟兵であるので、全軍将兵は、全身全霊人民の為に服務するという根本理念を深く心に刻み、祖国の安全と人民の平和な生活を守るという神聖な職責を忠実に履行し、世界の平和を守るという神聖な使命を忠実に実行すべきである。私は宣言する、中国は軍の人員30万を削減する。

ご列席の皆さん・同志諸君・友人諸君!

“人は始めは慎んでいるが、終わりまで励んで有終の美をなす者は少ない(初め有らざる靡 (な) く、克 (よ) く終わり有る鮮 (すく) なし)”『詩経・大雅・蕩(とう)』中華民族の偉大なる復興を実現するには、一代また一代という努力が必要だ。中華民族は五千年以上の歴史を具えた輝く文明を創りだしたのだ、必ず更に輝ける明日を創り出す事ができる。

我々の進む道は、全国各族人民は中国共産党の指導の下、マルクスレーニン主義・毛沢東思想・小平理論・“三つの代表”の重要思想(江沢民)を堅持し、科学的発展観(胡錦濤)を指導とし、中国の特色ある社会主義の道に沿い、“四つの全面戦略”の構造(習近平)に照らして、 偉大な愛国主義精神を発揚し、偉大なる抗日戦争の精神を発揚し、万衆心を一にして、雨にも風にも負けず、我々が定めた目標に向かってこのまま勇気を奮って前進しよう!

我々は共に、歴史の啓示する偉大な審理を銘記しよう。正義は必ず勝つ!平和は必ず勝つ!人民は必ず勝つ!(「人民網」『抗戦勝利70周年記念大会で習近平は重要講話を発表した(全文)(纪念抗战胜利70周年大会习近平发表重要讲话(全文))』2015年09月03日10:23)
この式典は、実に中国らしい。そもそも「抗日戦争」と「世界反ファシズム戦争」を同列に並べるのは、日本軍の大陸での行動とナチスのユダヤ人虐殺を同一視し、それに勝利した共産党及び中国は戦勝国であり列強の一員である、という言外の意図を強調するものだ。更に、70年前に聯合国側だった「中華民国」を「中国」と称する事で、聯合国側の勝利を共産党の勝利にすり替えているのだ。この式典は虚構から始まっている。

それなのに、中共側の発表によれば、参閲部隊は中国大陸7大軍区・海軍・空軍・第二炮兵・武警部隊・解放軍四総部(総参謀部・総政治部・総後勤部・総装備部)直属の単位からの精鋭。抗日戦争に参加した老兵士の平均年齢は90歳、最年長は102歳で、国共両党から参加し、共産党からは八路軍・新四軍・東北抗聯・華南遊撃隊等からの精鋭。また、今回の閲兵で展示される武器は、純国産の新型タンク・新型大砲・新型ミサイル・コマンド情報システムと無人機等が含まれ、84%が初公開と自慢げに発表する。

私は、防衛に力を入れる事や、自身の民族に誇りを持つのは当然の事であると思う。しかし、捏造の歴史に始まる軍国主義の国が、「世界の平和を守るという神聖な使命を忠実に執行する」と宣言しているのだ。これは危険な事だと思う。

・円明園と青島ビール

北京には、古い建物がいくつもある。例えば、新聞紙上でたびたび取り上げられる「天安門」は、紫禁城(故宮)の正門であるし、紫禁城の始まりは、元代(1279年~1367年)にまで遡ることができる。

北京大学の近くには、「円明園」という清朝の離宮があって、もとは18世紀に30年以上かけて贅沢に造営された宮殿だった。ベルサイユ宮に似せて造られた建造物もあったようだ。しかし、19世紀の中頃、第二次アヘン戦争の調印で北京に来ていた英仏両軍に攻め込まれ、略奪され火を掛けられて廃墟になった。庭園の中には優美な噴水時計があって、左右六体づつ、十二支の銅像が飾られていたはずだが、すっかり無くなって、今は十二本の台座だけが残されている。盗まれた鼠や牛の像は、時々、サザビーズだかクリスティーズのオークションに掛けられて、話題になったりしている。

昔、北京を訪れた際に「円明園」まで足を伸ばした。テーマパークの建設を、途中で止めてそのまま放置された建設現場のようだった。ベルサイユに似せた所が気に入らなかったのだろうか、皇帝のお膝元で、焼き討ちをするような狼藉が可能であったとすると、清朝の終わり頃の列強の振る舞いは、確かに酷かったようだ。

中国のビールで最も有名なのは青島ビールだが、これは、嘗て山東省青島にドイツの租借地があって、そこでビール作りが行われていた事による。第一次世界大戦が勃発し、日本は日英同盟によって参戦し、ドイツが負けたので、代わって日本が青島を中心とする膠州湾租借地を手に入れた。それより前には、帝政ロシアが清朝からもぎ取った満州を、それこそ、乃木将軍が子供を亡くし血を流しながら奪い返している。中国の東北三省は北から順に、ロシアと隣接する黒竜江省・その下の吉林省・一番南が遼寧省で、遼東半島の突端に旅順港がある。三国干渉以降、ここにいたのはロシア軍だ。悪いが、清朝は全くの役立たずであった。そもそも、大総統になりたかった袁世凱は、日・英・独・仏・露から二千五百万ポンドの借款をして、それをもとに正式に大総統に就任している。各国に思惑があったのだ。

だから、日本の全てが正しかった、と言うつもりは無いが、9月3日の「大閲兵」を見る限り、欧米列強が中国でしでかした悪事を、日本一国で背負わされる事になってしまっている。これは日本の外交の失敗であると思う。

・閲兵・国慶・南京

紫禁城の正門である「天安門」の上で、1949年10月1日に毛沢東が建国宣言をした。89年6月4日、天安門広場では、民主化を要求する学生達を武力で弾圧し、多数の死者を出した。92年10月には、天皇陛下の車を一目見ようと、多くの人民が集まって歓迎した。

その同じ場所で、9月3日に「抗日戦争70周年」の記念式典が行われた。この日は、中国人の英雄が出て何かをしたわけではない。70年前に、ミズーリ号上で、日本と聯合国との間で停戦協定が交わされた、その翌日と言うだけだ。だいたい、45年9月2日に、ミズーリ号の甲板にいたのは中華民国の徐永昌だ。中共は関係がない。それなのに、毎年、勝った勝ったと祝うらしい。

昨年から今年にかけて、周永康のみならず、軍部では郭伯雄・徐才厚が失脚した。しかも、天津の爆発ではキノコ雲が湧き起こり、化学薬品の爆発ではあり得ないような巨大な穴が開いた。株価暴落による自殺者・天津の爆破を契機とした経済の失速等々は、共産党政権に対する不満を通り越して打倒を叫ぶ人々が出てきても不思議ではない。しかも、軍部も江沢民派も習政権に対して不満を抱いているのだ。

こうした中、習近平は9月3日に閲兵式を行った。10月1日は国慶節だ。「南京事件」の祝日も12月13日と決めた。これは、中共にとって良い事を考えついたものだと思う。

抗日戦争を持ち出せば、軍部の存在感は高まり、愛国教育を始めた江沢民派の覚えもめでたいであろう。閲兵式を行えば、習近平が軍を掌握している事を人民に印象づける事もできる。講話の中で習近平は「平和」について述べているが、ひょっとすると解放軍も含めた江派に対して、「停戦」を呼びかけているのかもしれない。

中国の思惑によって行われる大掛かりな閲兵式。それは、天津での大爆発や株式の暴落に似て、地に足が着いておらずデタラメで、それでいて壮大だ。「大閲兵」を、より現実的な物にするためには、虚構の世界から現実世界への橋渡しとなるような要人の臨席が必要だが、ヨーロッパの先進国は、脛に傷があるので首脳を送るはずもない。そう考えると、今回、中共にとって最も重要な来賓は潘基文だったはずだ。潘基文の御蔭で、虚構の歴史に現実味が生まれ、様々な理由付けができる。

・中立でもなく公平公正でもない

人権問題や領土問題を抱えている国の、よりによって「閲兵式」に参加している所を見ても、この事務総長の見識の程が窺えるという物だ。潘基文は、3日に習近平と会見し、4日に「CCTV13ー東方時空」のインタビューを受けて、次の様に語っている。先ずは、「CCTV13ー新聞聯播」から、

『習近平 国連事務総長潘基文と会見』

2015年09月03日 19:27

男性アナウンサー:
国家主席習近平は、3日、人民大会堂で国連事務総長 潘基文と会見しました。
習近平は、潘基文が来華し、中国人民抗日戦争及び世界反ファシズム戦争勝利70周年記念活動に出席した事を歓迎し、中国が今回記念活動を行ったのは、中国人民の平和を守る決心を、公表する必要があったからだ、と強調しました。私は午前中に、中国は軍30万を人員削減をすると宣言したが、つまり、中国が平和を守る承諾をしたという重要で具体的な表示だ、と。

習近平は、国連が世界反ファシズム戦争の硝煙の中から誕生した事は、第二次世界大戦の勝利の最も重要な成果の一つだ。中国は当時、一番目に《聯合国憲章》に署名をした国家だ。(※中華人民共和国が国連に認められるのは、1971年からです)安保理会の常任理事国として、中国は国連と共に歩む事を願い、国連の70歳を記念する誕生日を契機として、第二次大戦の勝利の成果から、《国連憲章》を基礎とする国際秩序に及ぶまでを守り、多国間主義を堅持し、国連の役割を強加し、バランスよく国連の平和と発展という二大領域での仕事を推し進め、特に平和行動の能力を増強し、2015年以降の発展の議事日程を着実な物としたい、と指摘しました。中国側は、国連が気候変動の領域で、重要な役割を発揮する事を支持しました。

習近平は、中華民族は“和”の理念を重視しており、和平・和諧・和して同ぜずと主張している。国連193の会員国は、互いに尊重し、団結し和睦し、同じ船に乗って互いに助け合い、手を携えて努力し、互助互恵を中心とする新型の国際関係を構築する事を強調しました。

潘基文は、本日午前に挙行された中国人民抗日戦争及び世界反ファシズム戦争勝利70周年記念大会は、精彩を放って素晴らしく、中国人民は、反ファシズム戦争中に巨大な犠牲を払い、重大な貢献をされました。今回の活動は、充分に中国人民の平和を守る願いを、余すところ無く示しました。中国は多年にわたり、積極的に国際平和と事業発展に取り組み、特に国連の平和維持活動・局地的問題の解決・発展途上国への協力を通して共同発展を促進するために、重要な貢献を果たしました。国連は持続可能な開発・気候変動への取り組み等、更に広い領域において中国との協力強化に期待している、と述べました。

会見には、王滬寧(おうこねい)・楊潔篪(ようけつち)等が参加しました。」(「CCTV13ー新聞聯播」『習近平 国連事務総長潘基文と会見(习近平会见联合国秘书长潘基文)』2015年09月03日 19:27 )

30万人の人員削減だが、これまでにも解放軍では何度か削減が行われている。それは、恐らく、経済に比例して、悪くなれば削減し、良くなれば増えていたりする。今回は、潘基文の臨席もあって平和貢献が強調されているが、実は台所事情の悪化を物語っているのではないかと思う。

潘基文が国連事務総長の職務に忠実であるならば、南シナ海の埋め立てや、尖閣への挑発、チベットやウイグルでの人権問題・弁護士の身柄拘束等を抗議すべきだし、そもそも、軍国主義の国の「閲兵式」に参加すべきではない。その振る舞いに対して、日本政府のみならず、加盟国からも文句が出るのは当然だが、この人物は、9月4日にCCTVの取材を受けて次の様に反論した。

以下は、※「CCTV13」の『「東方時空」潘基文は中央電視台記者 水均益の単独取材に応じた』から。

※「CCTV13」は報道チャンネル、「東方時空」は毎晩20:00~20:55分に流している報道番組だ。9月4日の放送内容は、前日の「大閲兵」の様子を報じた物で、最初の30分は戦車や戦闘機等の装備の説明、30分を過ぎたあたりからは100歳・88歳の老兵の体験談、40分頃から潘基文のインタビューとなる。潘基文の話しの中に、老兵の貢献を称える部分があるが、これは完全に番組の主旨に合わせた物だ。番組の中で、潘基文は韓国語ではなく英語を話し、中国語の字幕がつけられている。以下の文は中国語の部分の内容だ。

2015年09月04日

男性司会者:
国連事務総長 潘基文は、4日、弊社記者水均益の単独取材に応じ、潘基文は、中国抗日戦争及び世界反ファシズム戦争勝利70周年記念活動を口を極めて褒め称え、同時に記者に対して、今回の閲兵活動に参加した率直な感想を述べました。

男性アナウンサー:
4日早朝 潘基文は弊社記者水均益の単独取材に応じました。既に三度の面会で友人となった潘基文と水均益は、先ず中国語で会話を始めました。

水均益:潘基文事務総長先生 貴方が中国を訪問されることを歓迎します。

潘基文:中国に戻れて大変に嬉しいです。

男性アナウンサー:
そして、今回の閲兵活動で最も深く印象に残ったのは何ですか、と尋ねられた時、潘基文は、老兵に敬意を表した部分が非常に感動的だったと述べました。

潘基文:
昨日、私が最も深い印象を受けたのは、多くの老兵です、彼等は車に座り、戦友と共に勲章をつけ、観閲活動の証人に立った、彼等は次第に年を重ねてゆくとはいえ、しかし、彼等の精神は依然として強大であり、彼等の貢献と支払われた犠牲は、永遠に忘れ去られる事はないでしょう。

男性アナウンサー:
事実上、潘基文が九三閲兵に出席する時、日本政府は国連本部に意見書を提出し、潘基文の出席はぞんざいな決定であると考えており、並びに潘基文事務総長は政治上、中立を保持するよう要求しましたが、これに対して潘基文事務総長は、中国の第二次大戦中の貢献と犠牲は、世界から認可され感激されなければならない、と重ねて言明した事を認めました。

潘基文:
確かに国連のメンバー国にも似たような声があります、私も公の場面で、歴史の経験を汲み取る事は非常に重要で、もし歴史を正視しなけれければ、正確な方向に向かって前進する事はできません、と明確に伝えています。ですから、歴史を正視し、更に好い未来を期待する事が、私が今回中国に来た最も重要な目的です。それから、一部の人は誤って国連事務総長は全てに中立だと考えていますが、実際には決していわゆる“中立”ではなく、公平公正なのです。

男性アナウンサー:
取材の最後に、潘基文は再び、中国が今回の閲兵を行った記念の意義の重大さ、影響の深遠さについて語りました。

潘基文:私と習近平主席、及び他の指導者が一緒に座って閲兵を眺めている時、私はこの盛典に深く感動しました。これはとてもよく中国人民と政府を反映しています、未来に発展する潜在的な力から、世界の平和に対してなすべき承諾に及ぶまで、第二次大戦の終結を記念する事は非常に重要で、私も十分に、中国人民の第二次大戦中の犠牲と貢献を認めています。」(「CCTV13」『「東方時空」潘基文は中央電視台記者 水均益の単独取材に応じた([东方时空]潘基文接受中央台记者水均益专访)』2015年09月04日)

「歴史を正視しなけれければ、正確な方向に向かって前進する事はできません」というのは正論だが、この「反日大閲兵」が、不動産バブル・株バブルの崩壊、各地で起きる不可解な爆発やデモに対する打開策も生みだされぬまま、それらの問題を覆い隠すように行われた事を、或いは、東シナ海や南シナ海を始めとする国境地帯での中国の振る舞いを、潘基文はどう思っているのだろうと思う。

・結論

芝居がかった大嘘は、瓦解の危機を孕む国内の乱れを表している。これだけでも充分に有り難くはない話だが、中国は今年10月、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の記憶遺産に、「南京事件」を登録した。明らかに、12月13日の記念日を意識しての事だ。「CCTV13」を見る限り、潘基文は、中国の直面している問題も事務総長の職責も忘れ果てて、太鼓持ちに成り下がったように見える。事務総長がこうであるならば、その系列の組織が「南京事件」の登録をするなど、容易い事だったに違いない。

日本は、村山訪中以降、自国の歴史と自尊心を差し出し、資金と技術を提供する事で中共を支え続けて来た。それでどうなったか。当時、崩壊の危機にあった中共は、ウイグル・チベット・台湾・香港等の権利を侵害し、南シナ海に人工島まで作って領土・領海の主張をし、20年後の現在も変わらず危機に直面している。外交の間違いは明らかだ。

自国の歴史を守ろうとしないのは、自国を守る気がないに等しい。それなのに、外国に援助をしようとするのは、本末転倒であると思うし無責任だ。二千三百年前の藺相如に劣る事はもちろん、百年前の乃木将軍にも申し訳が立たない。そうした日本の誤った姿勢が、中共の進む未来を誤らせ、傲慢にしてしまったのであれば、中共を止める責任は日本にこそある。だいたい、20年が経過したら反日大閲兵が行われたのだ、この先20年後に戦争にならないと誰が言えるだろう。

軍国主義の中国が暴走を始める前に、とは言え、いきなり高圧的な態度に出ろと言うのではない。唯々諾々と相手の言葉に従うばかりでは、対等な関係とは言えまい。中国に対してきっちりと意見を言うためにも、先ずはユネスコという場において、中国の仕掛けた歴史戦に打ち勝ち、筋を通す姿勢を世界に知らしめるべきだ。そうして始めて、中国に対して言うべき事を言い、窮状を救う手を差しのべる事の出来る、或いは、部分的にも民主化を勧めるような、新たな関係が生まれるのだと思う。つまり、日本が歴史戦に勝つ事が世界を救う一歩となるのだ。                                                                                                       (終)