続けます、
(5)そこで、各政党(特に「たちあがれ日本」)が、総務省に、いつ政党交付金の交付を受けるための届出をしたのか、それが気になる。
総務省(自治行政局選挙部政党助成室)に電話して、昨夜尋ねたところ、快く教えていただいた。
9政党の届出日は以下のとおりである。
民主党・・・1月17日(月)
自由民主党・・・1月13日(木)
公明党・・・1月14日(金)
みんなの党・・・1月17日
社会民主党・・・1月14日(金)
国民新党・・・1月14日(金)
たちあがれ日本・・・1月13日(木)
新党改革・・・1月17日(月)
新党日本・・・1月17日(月)
なお、1月17日の届出は、政党助成法が「政党交付金の交付を受けようとする政党は、その年の一月一日(・・・)現在における次に掲げる事項を、基準日の翌日から起算して十五日以内に、総務大臣に届け出なければならない」と規定しているため(後掲)、期限を過ぎての届出ではないかと疑問が生じるかもしれないが、「行政機関の休日に関する法律」があるので、届出の期限を過ぎてはいないことに注意。
(6)先ほど紹介したように、与謝野氏は、1月13日午前10時ごろ「たちあがれ日本」に離党届出を提出したようだが、「たちあがれ日本」は、与謝野氏も所属国会議員であるとして政党交付金の交付を受けるための届出を、同日(13日)行っていたのである。
時刻として、与謝野氏の離党届が先なのか、「たちあがれ日本」の届出が先なのかは、不明である。
もし、与謝野氏の離党届け(1月13日午前10時ごろ)の直後に「たちあがれ日本」が総務省に届出をしていたとすれば、「たちあがれ日本」はあえて「手切れ金」を受け取ることを自覚していたことになる。
与謝野氏の離党届出での前(1月13日10時頃よりも前)に「たちあがれ日本」が総務省に届出をしていたのであれば、「たちあがれ日本」は「手切れ金」を受け取る自覚があったとは断定できないのかもしれないが、当時は、与謝野氏の離党の可能性がささやかれていたことを考慮すると、政党交付金を少しでも多く受け取るために、「たちあがれ日本」は先手を打って届け出たのではなかろうか、と思われる。
それは、前掲のマスコミ報道からも言えるし、以下の報道からも言えることである。
Tokyo MX2011年1月13日
与謝野氏「たちあがれ日本」離党に “応援団長”石原知事は…
『たちあがれ日本』の応援団長を自認している石原知事は
きょう午前、与謝野議員の離党について記者団の質問に答えました。
Q.与謝野氏が『たちあがれ日本』を離党して入閣という方向だが?
――「前から聞いていたよ。今度、民主党で比例代表で出るんだってさ。ばかじゃないかねえ」
(略)
離党届けの前にせよ後にせよ「たちあがれ日本」は与謝野氏を所属国会議員として届出て、政党交付金をその分多く受け取ろうとしたわけであるから、シタタカである。
★議論は、もう少し落ち着いて、感情に流されず、
思い込みによる間違いがないように、
細かく考えた方が良いと思うのですが、
先ず、石原都知事の話ですが、これは
「離党して入閣」という事を、都知事が与謝野先生から聞いていたというだけで、
「たちあがれ日本」の党員が知っていたという根拠にはなりません。
石原都知事は与謝野先生の事務所を訪れ、
与謝野先生に新党起ち上げの話を持ちかけた人物です。
その経緯を考えれば、
与謝野先生が、真っ先に石原先生に相談するのは当然ですが、
だからといって、他の党員の先生が知っていたという根拠にはなりません。
よって、「政党交付金を多く受け取ろうとしていた」という証拠にもなりません。
当然「シタタカ」の証拠でもありません。
★さて、問題の13日です、
与謝野先生が離党届を出した13日と、
「たちあがれ日本」が総務省に書類を提出した13日についてですが、
この人物は、これが同日であるところから、
与謝野先生が、「たちあがれ日本」の所属議員として誓約書を提出することで、
「たちあがれ日本」が手切れ金を受け取ったのだと解釈するのですが、
一見、辻褄があっているような、論の立て方ですが、
矢張り論理的ではありません。
何故なら、
「与謝野先生が誓約書を提出し、
「たちあがれ日本」に手切れ金を残してゆく」事が事実であってもなくても、
別に、13日にこだわる必要は無く、
13以前でも、17日でも好いはずだからです。
1月1日の基準日は動かせませんが、
届け日は何時でも良いはずで、
何も与謝野先生が13日にやってきたから、
その前に、届けでなければ駄目だという事はありません。
この筆者には、何か特別な思い込みでもあるのでしょうか?
さて、
与謝野先生が、
「たちあがれ日本」に13日に離党届を提出しに来た理由ですが、
それは、総務省の届け出を気にして来たわけではありません。
与謝野先生が13日に離党届を提出した理由は、
日本中の誰もが知っています。
それは、
菅直人首相が14日に組閣をしたからです。
閣僚になることが決定的になったので、
平沼先生の所に離党届を提出しに来たと見るのが普通です。
では、「たちあがれ日本」は何故、
総務省に13日に届け出をしたのでしょう。
これについては、分かりません。
しかし、この筆者の考える
「与謝野氏の離党届出での前(1月13日10時頃よりも前)に
「たちあがれ日本」が総務省に届出をして政党交付金を受け取ろうとした」
と考えるのは、明らかに間違いです。
何故なら、離党届けが受理されようがされまいが、
1月1日が基準日だからです。
例えば、14日、平沼先生は
「尖閣諸島開拓の日を定める条例」制定の記念式典に出席するために、
沖縄県石垣市に行かれています。
別に、平沼先生が、自ら総務省に行かれる必要はありませんが、
党内がばたばたするので、13日に提出されたのではないかと思います。
これについては、まあ、推測の域を出ませんが。
続けます、
もし、与謝野氏の離党届け(1月13日午前10時ごろ)の直後に「たちあがれ日本」が総務省に届出をしていたとすれば、「たちあがれ日本」はあえて「手切れ金」を受け取ることを自覚していたことになる。
与謝野氏の離党届出での前(1月13日10時頃よりも前)に「たちあがれ日本」が総務省に届出をしていたのであれば、「たちあがれ日本」は「手切れ金」を受け取る自覚があったとは断定できないのかもしれないが、当時は、与謝野氏の離党の可能性がささやかれていたことを考慮すると、政党交付金を少しでも多く受け取るために、「たちあがれ日本」は先手を打って届け出たのではなかろうか、と思われる。
★先ず、何度も言うようですが、1月1日現在という基準がある以上、
5名と書けば違法行為になります。
6名としか書けません。
与謝野先生の離党届と、
「たちあがれ日本」が総務省に届出をする事とは、
日にちが同じである事意外、
特別な理由はありません。
二つの間に因果関係は存在していません。
それを、あたかも、因果関係が存在するように書くのは、
この人物の思い込みと言う他はありません。
「「たちあがれ日本」はあえて「手切れ金」を受け取ることを自覚していたことになる」
とか、「「手切れ金」を受け取る自覚があったとは断定できないのかもしれない」
とありますが、そもそも「手切れ金」と書くからには、
明確に「手切れ金」である事を証明しなければなりません。
この様な議論をする時には、
筆者は、「離党」と「除名」の待遇の違いや、
政党交付金の得票数も含めた分配の仕方、
党による交付金の使われ方まで
詳細にしてから論ずべきですが、
その様な記述はありませんし、
また、常識的に考えても出来るわけがありません。
要するに、「手切れ金」などと言い出した時点で、
この文章は感情論に堕した空想小説と言わざるを得ません。
続けます、
与謝野氏の方も、シタタカではなかろうか!?
つまり、所属国会議員は、自らを所属国会議員であるとして政党が届出することについて承諾し、他の政党に所属国会議員として届出することを承諾していないことを誓った「承諾書及び誓約書」を書いて所属政党に提出し、政党はそれを総務省に提出することになっているからだ。
「承諾書及び誓約書」には、日付を書き込むことになっている。
与謝野氏が、この「承諾書及び誓約書」を何日付けで書き、「たちあがれ日本」に提出しのか分からないが、今年の1月1日から13日までの間に書いて「たちあがれ日本」に提出したのであろう(実際に書かれたのは昨年かもしれないが、法律の趣旨で言えば、この間に書かなければならない(自治省選挙部政党助成室編集『逐条解説 政党助成法・法人格付与法』ぎょうせい・1997年、35頁))。
政治的問題としては、1月1日の場合と1月13日の場合とでは微妙に違いがあるかもしれないが、与謝野氏は、その時期には、すでに、おそらく離党することをほぼ決めていたのではなかろうか!?
にもかかわらず、与謝野氏は「たちあがれ日本」のために「承諾書及び誓約書」を書いて渡したのである!
にもかかわらず、13日午前10時には離党届出を提出したのである。
シタタカだ!
(8)なお、与謝野氏が書いた「承諾書及び誓約書」の日付について電話で総務省(自治行政局選挙部政党助成室)に尋ねたが、それは教えてもらえなかった。
情報公開請求しなければ、わからないようだ。
★与謝野先生がいつ頃、離党を決めたかは、
与謝野先生にしか分からないことですが、
ただ、与謝野先生が13日以前に離党を考えていたとしても、
実際届け出を出したのは、13日、内閣組閣の前日という事を考えれば、
与謝野先生は、迷っていたのではないかと思います。
「たちあがれ日本」は、
昨年12月27日に、党として連立を拒否し、
その後、1月7日、党本部で仕事始めの会を開いています。
離党するつもりなら、
しかも、この人物の言うように
「政党助成金を手切れ金」とするならば、
1月1日を過ぎているわけですから、
7日から13日までの何時でも良かったはずです。
しかし、ぎりぎりまで、結論を出しませんでした。
以下の記事をご覧下さい、
『仙谷氏更迭で菅総理の「側近ナンバーワン」に北沢防衛相』
菅政権内部には与謝野馨氏の入閣を巡って、大きな亀裂が生じている。
菅首相の意を受け、たちあがれ日本との連立交渉を進めたのは岡田克也・幹事長だが、
昨年12月22日の岡田氏と平沼赳夫・代表の会談が物別れになった段階で、
「影の首相」と呼ばれていた仙谷由人氏は、
“与謝野入閣なし”と見ていた。
「連立が成功すれば政権基盤の強化につながる。
しかし、破談になった以上、与謝野氏1人を大臣にしてもメリットはない。
仙谷さんは自民党の大島理森・副総裁から、
“与謝野氏を入閣させたら自民党との政策協議どころか、
かえって国会の火種になる”という感触を得ていた」(官邸筋)
しかし、諦めきれない菅首相は、
年が明けると与謝野氏の説得工作を仙谷氏ではなく、
北沢俊美・防衛相に任せた。交渉の成功で、
北沢氏はいまや「側近ナンバーワン」といわれている。
仙谷氏は面白くない。その頃から、仙谷氏に近い官邸スタッフから、
「与謝野入閣情報」がしきりにリークされることになる。
重要人事の情報を事前に漏らすのは、それを潰すために他ならない。
そして、仙谷氏が官房長官を更迭されたのを機に、
運命共同体だった菅首相との間で確執が表面化した。
その間隙を縫ってポストを得ようと動いたのが渡部恒三・民主党最高顧問だった。
国対委員長候補に名前があがっていた渡部氏は、
「谷垣も大島も二階もみんな私が国対委員長時代の部下だ」
と自民党幹部とのパイプを強調したが、
ポストを逃すや与謝野氏を、
「自民党が野党になったら自民党を出て新党を立ち上げ、
今度は民主党政権の閣僚になるなんて卑しい」とこきおろした。
与謝野入閣は、
大臣の椅子にありつきたい民主党議員たちの醜態を次々と浮かび上がらせ、
はなから内閣の体を失わせた。」
記事は此処までです。
もう一つ、
「たちあがれ日本」の中で、
与謝野先生と最も近い園田先生の話です、
『たちあがれ日本 園田幹事長 菅さんじゃ与野党協議ダメ』
産経新聞 1月22日(土)7時56分配信
菅(直人首相)さんは与謝野(馨経済財政担当相)さんを入閣させないと思っていました。
びっくりした。
民主党にとって、あまりいいことないわけですから。
社会保障と税の一体化案を作ってくれるのはプラスだろうが、
与野党協議をして国会で法案を成立させなきゃならない。
与謝野さんが入閣して協議を呼びかけても自民党は聞く耳を持ちませんよ。
閣僚にするメリットは相殺されてしまう。
まさか与謝野さんが離党するとは。
確かに党として連立を断るときに「納得できない」とは言っていた。
でも、あの人の念願は与野党協議でしょ。
党に籍を置きながらそれを目指すんじゃないかと思ってた。
昨年11月18日の菅・与謝野会談の1時間ほど前、
与謝野さんは電話で「菅さんが会おうと言ってきたから一緒に行かないか」と誘ってきた。
まさか首相公邸に行くとは思わなかったけど
「菅さんが何を言うのか一人で聞いてきてくれ」と断った。
◆連立話の意味違う
わが党は、社会保障と消費税、経済成長戦略という大課題は野党も責任を持つべきで、
民主党から公に与野党協議を申し込むべきだと訴えてきた。
でも菅さんが仕掛けてきた連立話は、
私が考える与野党協議とは全然意味が違う。
あくまで野党の一角を崩すのが目的だ。
わが党に何のメリットもない。
私はね、わが党なら民主、自民、公明の連携を実現できると思っている。
でも今、民主党と連立を組んだら、
自民党も公明党もわが党に対して壁を作り、
与野党協議を呼びかけても説得力はなくなる。
与謝野さんにはそう言ったんだけどなあ…。
与謝野さんと私は自民党時代からの盟友で、
目的意識では一致していたのに、一番大事なところで方法論が違っちゃったねえ…」
私は、与謝野先生は、
党を出るという話を都知事にしたものの、
最後まで迷っていたのではないかと思います。
それは、当然「政党助成金」のためではなく、
確実に入閣が決まらなければ、
政党の共同代表から、
一介の無所属議員に転落してしまうからです。
確実に確認が取れたのが12日から13日だったのだと思われます。
「たちあがれ日本」の記者会見によれば、
与謝野先生は、昨年12月27日から、
本年1月13日、平沼先生の事務所を訪れるまでは、
誰とも会わなかったそうですし、
電話をしても出ないという状態が続いていたそうです。
迷っておられたと考えるのが妥当です。
与謝野先生が結論を出さない以上、
「たちあがれ日本」の他の先生が、
与謝野先生の離党を知るわけはありませんし、
そもそも、党にとっては、「交付金」よりも、
「与謝野離党」の方が遙かに問題です。
知っておれば、必ず止めたはずです。
この点から考えても、
「離党」と「交付金」を関係づけるのには無理があります。
「手切れ金」は下衆の勘繰りです。
結論から言えば、
与謝野先生の離党と、
「たあちあがれ日本」の総務省への提出は、
全く別次元の話で、
政党交付金については、
「たちあがれ日本」も与謝野先生も
非難される所はありません。
【超限戦】外国人の土地取得規制へ[桜H23/1/21]
(5)そこで、各政党(特に「たちあがれ日本」)が、総務省に、いつ政党交付金の交付を受けるための届出をしたのか、それが気になる。
総務省(自治行政局選挙部政党助成室)に電話して、昨夜尋ねたところ、快く教えていただいた。
9政党の届出日は以下のとおりである。
民主党・・・1月17日(月)
自由民主党・・・1月13日(木)
公明党・・・1月14日(金)
みんなの党・・・1月17日
社会民主党・・・1月14日(金)
国民新党・・・1月14日(金)
たちあがれ日本・・・1月13日(木)
新党改革・・・1月17日(月)
新党日本・・・1月17日(月)
なお、1月17日の届出は、政党助成法が「政党交付金の交付を受けようとする政党は、その年の一月一日(・・・)現在における次に掲げる事項を、基準日の翌日から起算して十五日以内に、総務大臣に届け出なければならない」と規定しているため(後掲)、期限を過ぎての届出ではないかと疑問が生じるかもしれないが、「行政機関の休日に関する法律」があるので、届出の期限を過ぎてはいないことに注意。
(6)先ほど紹介したように、与謝野氏は、1月13日午前10時ごろ「たちあがれ日本」に離党届出を提出したようだが、「たちあがれ日本」は、与謝野氏も所属国会議員であるとして政党交付金の交付を受けるための届出を、同日(13日)行っていたのである。
時刻として、与謝野氏の離党届が先なのか、「たちあがれ日本」の届出が先なのかは、不明である。
もし、与謝野氏の離党届け(1月13日午前10時ごろ)の直後に「たちあがれ日本」が総務省に届出をしていたとすれば、「たちあがれ日本」はあえて「手切れ金」を受け取ることを自覚していたことになる。
与謝野氏の離党届出での前(1月13日10時頃よりも前)に「たちあがれ日本」が総務省に届出をしていたのであれば、「たちあがれ日本」は「手切れ金」を受け取る自覚があったとは断定できないのかもしれないが、当時は、与謝野氏の離党の可能性がささやかれていたことを考慮すると、政党交付金を少しでも多く受け取るために、「たちあがれ日本」は先手を打って届け出たのではなかろうか、と思われる。
それは、前掲のマスコミ報道からも言えるし、以下の報道からも言えることである。
Tokyo MX2011年1月13日
与謝野氏「たちあがれ日本」離党に “応援団長”石原知事は…
『たちあがれ日本』の応援団長を自認している石原知事は
きょう午前、与謝野議員の離党について記者団の質問に答えました。
Q.与謝野氏が『たちあがれ日本』を離党して入閣という方向だが?
――「前から聞いていたよ。今度、民主党で比例代表で出るんだってさ。ばかじゃないかねえ」
(略)
離党届けの前にせよ後にせよ「たちあがれ日本」は与謝野氏を所属国会議員として届出て、政党交付金をその分多く受け取ろうとしたわけであるから、シタタカである。
★議論は、もう少し落ち着いて、感情に流されず、
思い込みによる間違いがないように、
細かく考えた方が良いと思うのですが、
先ず、石原都知事の話ですが、これは
「離党して入閣」という事を、都知事が与謝野先生から聞いていたというだけで、
「たちあがれ日本」の党員が知っていたという根拠にはなりません。
石原都知事は与謝野先生の事務所を訪れ、
与謝野先生に新党起ち上げの話を持ちかけた人物です。
その経緯を考えれば、
与謝野先生が、真っ先に石原先生に相談するのは当然ですが、
だからといって、他の党員の先生が知っていたという根拠にはなりません。
よって、「政党交付金を多く受け取ろうとしていた」という証拠にもなりません。
当然「シタタカ」の証拠でもありません。
★さて、問題の13日です、
与謝野先生が離党届を出した13日と、
「たちあがれ日本」が総務省に書類を提出した13日についてですが、
この人物は、これが同日であるところから、
与謝野先生が、「たちあがれ日本」の所属議員として誓約書を提出することで、
「たちあがれ日本」が手切れ金を受け取ったのだと解釈するのですが、
一見、辻褄があっているような、論の立て方ですが、
矢張り論理的ではありません。
何故なら、
「与謝野先生が誓約書を提出し、
「たちあがれ日本」に手切れ金を残してゆく」事が事実であってもなくても、
別に、13日にこだわる必要は無く、
13以前でも、17日でも好いはずだからです。
1月1日の基準日は動かせませんが、
届け日は何時でも良いはずで、
何も与謝野先生が13日にやってきたから、
その前に、届けでなければ駄目だという事はありません。
この筆者には、何か特別な思い込みでもあるのでしょうか?
さて、
与謝野先生が、
「たちあがれ日本」に13日に離党届を提出しに来た理由ですが、
それは、総務省の届け出を気にして来たわけではありません。
与謝野先生が13日に離党届を提出した理由は、
日本中の誰もが知っています。
それは、
菅直人首相が14日に組閣をしたからです。
閣僚になることが決定的になったので、
平沼先生の所に離党届を提出しに来たと見るのが普通です。
では、「たちあがれ日本」は何故、
総務省に13日に届け出をしたのでしょう。
これについては、分かりません。
しかし、この筆者の考える
「与謝野氏の離党届出での前(1月13日10時頃よりも前)に
「たちあがれ日本」が総務省に届出をして政党交付金を受け取ろうとした」
と考えるのは、明らかに間違いです。
何故なら、離党届けが受理されようがされまいが、
1月1日が基準日だからです。
例えば、14日、平沼先生は
「尖閣諸島開拓の日を定める条例」制定の記念式典に出席するために、
沖縄県石垣市に行かれています。
別に、平沼先生が、自ら総務省に行かれる必要はありませんが、
党内がばたばたするので、13日に提出されたのではないかと思います。
これについては、まあ、推測の域を出ませんが。
続けます、
もし、与謝野氏の離党届け(1月13日午前10時ごろ)の直後に「たちあがれ日本」が総務省に届出をしていたとすれば、「たちあがれ日本」はあえて「手切れ金」を受け取ることを自覚していたことになる。
与謝野氏の離党届出での前(1月13日10時頃よりも前)に「たちあがれ日本」が総務省に届出をしていたのであれば、「たちあがれ日本」は「手切れ金」を受け取る自覚があったとは断定できないのかもしれないが、当時は、与謝野氏の離党の可能性がささやかれていたことを考慮すると、政党交付金を少しでも多く受け取るために、「たちあがれ日本」は先手を打って届け出たのではなかろうか、と思われる。
★先ず、何度も言うようですが、1月1日現在という基準がある以上、
5名と書けば違法行為になります。
6名としか書けません。
与謝野先生の離党届と、
「たちあがれ日本」が総務省に届出をする事とは、
日にちが同じである事意外、
特別な理由はありません。
二つの間に因果関係は存在していません。
それを、あたかも、因果関係が存在するように書くのは、
この人物の思い込みと言う他はありません。
「「たちあがれ日本」はあえて「手切れ金」を受け取ることを自覚していたことになる」
とか、「「手切れ金」を受け取る自覚があったとは断定できないのかもしれない」
とありますが、そもそも「手切れ金」と書くからには、
明確に「手切れ金」である事を証明しなければなりません。
この様な議論をする時には、
筆者は、「離党」と「除名」の待遇の違いや、
政党交付金の得票数も含めた分配の仕方、
党による交付金の使われ方まで
詳細にしてから論ずべきですが、
その様な記述はありませんし、
また、常識的に考えても出来るわけがありません。
要するに、「手切れ金」などと言い出した時点で、
この文章は感情論に堕した空想小説と言わざるを得ません。
続けます、
与謝野氏の方も、シタタカではなかろうか!?
つまり、所属国会議員は、自らを所属国会議員であるとして政党が届出することについて承諾し、他の政党に所属国会議員として届出することを承諾していないことを誓った「承諾書及び誓約書」を書いて所属政党に提出し、政党はそれを総務省に提出することになっているからだ。
「承諾書及び誓約書」には、日付を書き込むことになっている。
与謝野氏が、この「承諾書及び誓約書」を何日付けで書き、「たちあがれ日本」に提出しのか分からないが、今年の1月1日から13日までの間に書いて「たちあがれ日本」に提出したのであろう(実際に書かれたのは昨年かもしれないが、法律の趣旨で言えば、この間に書かなければならない(自治省選挙部政党助成室編集『逐条解説 政党助成法・法人格付与法』ぎょうせい・1997年、35頁))。
政治的問題としては、1月1日の場合と1月13日の場合とでは微妙に違いがあるかもしれないが、与謝野氏は、その時期には、すでに、おそらく離党することをほぼ決めていたのではなかろうか!?
にもかかわらず、与謝野氏は「たちあがれ日本」のために「承諾書及び誓約書」を書いて渡したのである!
にもかかわらず、13日午前10時には離党届出を提出したのである。
シタタカだ!
(8)なお、与謝野氏が書いた「承諾書及び誓約書」の日付について電話で総務省(自治行政局選挙部政党助成室)に尋ねたが、それは教えてもらえなかった。
情報公開請求しなければ、わからないようだ。
★与謝野先生がいつ頃、離党を決めたかは、
与謝野先生にしか分からないことですが、
ただ、与謝野先生が13日以前に離党を考えていたとしても、
実際届け出を出したのは、13日、内閣組閣の前日という事を考えれば、
与謝野先生は、迷っていたのではないかと思います。
「たちあがれ日本」は、
昨年12月27日に、党として連立を拒否し、
その後、1月7日、党本部で仕事始めの会を開いています。
離党するつもりなら、
しかも、この人物の言うように
「政党助成金を手切れ金」とするならば、
1月1日を過ぎているわけですから、
7日から13日までの何時でも良かったはずです。
しかし、ぎりぎりまで、結論を出しませんでした。
以下の記事をご覧下さい、
『仙谷氏更迭で菅総理の「側近ナンバーワン」に北沢防衛相』
菅政権内部には与謝野馨氏の入閣を巡って、大きな亀裂が生じている。
菅首相の意を受け、たちあがれ日本との連立交渉を進めたのは岡田克也・幹事長だが、
昨年12月22日の岡田氏と平沼赳夫・代表の会談が物別れになった段階で、
「影の首相」と呼ばれていた仙谷由人氏は、
“与謝野入閣なし”と見ていた。
「連立が成功すれば政権基盤の強化につながる。
しかし、破談になった以上、与謝野氏1人を大臣にしてもメリットはない。
仙谷さんは自民党の大島理森・副総裁から、
“与謝野氏を入閣させたら自民党との政策協議どころか、
かえって国会の火種になる”という感触を得ていた」(官邸筋)
しかし、諦めきれない菅首相は、
年が明けると与謝野氏の説得工作を仙谷氏ではなく、
北沢俊美・防衛相に任せた。交渉の成功で、
北沢氏はいまや「側近ナンバーワン」といわれている。
仙谷氏は面白くない。その頃から、仙谷氏に近い官邸スタッフから、
「与謝野入閣情報」がしきりにリークされることになる。
重要人事の情報を事前に漏らすのは、それを潰すために他ならない。
そして、仙谷氏が官房長官を更迭されたのを機に、
運命共同体だった菅首相との間で確執が表面化した。
その間隙を縫ってポストを得ようと動いたのが渡部恒三・民主党最高顧問だった。
国対委員長候補に名前があがっていた渡部氏は、
「谷垣も大島も二階もみんな私が国対委員長時代の部下だ」
と自民党幹部とのパイプを強調したが、
ポストを逃すや与謝野氏を、
「自民党が野党になったら自民党を出て新党を立ち上げ、
今度は民主党政権の閣僚になるなんて卑しい」とこきおろした。
与謝野入閣は、
大臣の椅子にありつきたい民主党議員たちの醜態を次々と浮かび上がらせ、
はなから内閣の体を失わせた。」
記事は此処までです。
もう一つ、
「たちあがれ日本」の中で、
与謝野先生と最も近い園田先生の話です、
『たちあがれ日本 園田幹事長 菅さんじゃ与野党協議ダメ』
産経新聞 1月22日(土)7時56分配信
菅(直人首相)さんは与謝野(馨経済財政担当相)さんを入閣させないと思っていました。
びっくりした。
民主党にとって、あまりいいことないわけですから。
社会保障と税の一体化案を作ってくれるのはプラスだろうが、
与野党協議をして国会で法案を成立させなきゃならない。
与謝野さんが入閣して協議を呼びかけても自民党は聞く耳を持ちませんよ。
閣僚にするメリットは相殺されてしまう。
まさか与謝野さんが離党するとは。
確かに党として連立を断るときに「納得できない」とは言っていた。
でも、あの人の念願は与野党協議でしょ。
党に籍を置きながらそれを目指すんじゃないかと思ってた。
昨年11月18日の菅・与謝野会談の1時間ほど前、
与謝野さんは電話で「菅さんが会おうと言ってきたから一緒に行かないか」と誘ってきた。
まさか首相公邸に行くとは思わなかったけど
「菅さんが何を言うのか一人で聞いてきてくれ」と断った。
◆連立話の意味違う
わが党は、社会保障と消費税、経済成長戦略という大課題は野党も責任を持つべきで、
民主党から公に与野党協議を申し込むべきだと訴えてきた。
でも菅さんが仕掛けてきた連立話は、
私が考える与野党協議とは全然意味が違う。
あくまで野党の一角を崩すのが目的だ。
わが党に何のメリットもない。
私はね、わが党なら民主、自民、公明の連携を実現できると思っている。
でも今、民主党と連立を組んだら、
自民党も公明党もわが党に対して壁を作り、
与野党協議を呼びかけても説得力はなくなる。
与謝野さんにはそう言ったんだけどなあ…。
与謝野さんと私は自民党時代からの盟友で、
目的意識では一致していたのに、一番大事なところで方法論が違っちゃったねえ…」
私は、与謝野先生は、
党を出るという話を都知事にしたものの、
最後まで迷っていたのではないかと思います。
それは、当然「政党助成金」のためではなく、
確実に入閣が決まらなければ、
政党の共同代表から、
一介の無所属議員に転落してしまうからです。
確実に確認が取れたのが12日から13日だったのだと思われます。
「たちあがれ日本」の記者会見によれば、
与謝野先生は、昨年12月27日から、
本年1月13日、平沼先生の事務所を訪れるまでは、
誰とも会わなかったそうですし、
電話をしても出ないという状態が続いていたそうです。
迷っておられたと考えるのが妥当です。
与謝野先生が結論を出さない以上、
「たちあがれ日本」の他の先生が、
与謝野先生の離党を知るわけはありませんし、
そもそも、党にとっては、「交付金」よりも、
「与謝野離党」の方が遙かに問題です。
知っておれば、必ず止めたはずです。
この点から考えても、
「離党」と「交付金」を関係づけるのには無理があります。
「手切れ金」は下衆の勘繰りです。
結論から言えば、
与謝野先生の離党と、
「たあちあがれ日本」の総務省への提出は、
全く別次元の話で、
政党交付金については、
「たちあがれ日本」も与謝野先生も
非難される所はありません。
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