『蜻蛉洲大和の国のサンライズタイム』ー外国人参政権反対、移民政策反対、背乗り工作反対!盗聴・盗撮は日本では犯罪です!ー

キラキラネームは日本の漢字文化を破壊するための、カルトの工作活動です!公務員の国籍条項と外国人土地法の復活求む!

従軍慰安婦という嘘

2013年05月24日 01時52分15秒 | 日記
現在、慰安婦問題がどうなっているかについて、先ずは、以下の動画をご覧下さい。

【魔都見聞録】第2ステージに入った慰安婦情報戦[桜H25/3/25]


所謂「慰安婦問題」は、日本国内で一つ一つの問題に対して、事実と反することが証明されているにも関わらず、海外の勢力に対して説明責任を果たして来なかった為に、あたかも、日本社会党委員長 田辺誠の運動と資金援助により建設された南京虐殺記念館の様に、日本国内の勢力が、海外の勢力と結託して日本を貶める活動を行い、大成功を収めつつある一例だ。

例えば、私の様に、朝鮮半島についての門外漢が、この問題について何某かを考える場合の入門書は、西岡力 著『よくわかる慰安婦問題』が適当と思う。この書は、八十年代から現在に至るまでの論争が、よく纏められていて面白い。

興味深いのは、田辺誠が中共に対して、盛んに「南京虐殺」を説くのは、82年・83年の頃と言われているが、「事実を曲げて日本を貶めようとする反日勢力」が慰安婦問題を焚きつけたのも、同じ頃である点だ。

※以下の内容は、西岡力 著『よくわかる慰安婦問題』からの抜粋です。この問題に興味のある方は同書をご覧下さい。


・事件の始まり
この書に従って考えるならば、事の始まりは1983年に出版された吉田清治著『私の戦争犯罪 朝鮮人強制連行』(三一書房)にある。この記述がもとになって、2007年、米国議会下院に「戦中、日本が朝鮮人をはじめとするアジア女性をセックススレイブ(性奴隷)として強制動員した」とする決議案が提出された。

1983年、『私の戦争犯罪 朝鮮人強制連行』吉田清治著(三一書房)出版

2007年、「戦中、日本が朝鮮人をはじめとするアジア女性を
     セックススレイブ(性奴隷)として強制動員した」とする決議案が、
     米国議会下院に提出

『私の戦争犯罪 朝鮮人強制連行』には、1943年、軍の命令を受けた吉田が、済州島で徴用隊を指揮して民家に押し入り、若い娘を捕まえさせる様子が描かれている。また、慰安婦狩りは日本軍から出された「朝鮮人女子挺身隊を動員せよ」との命令に基づいて行われたと、命令書の内容を含め詳細に述べている。

この書の「済州島での慰安婦狩り」とは、吉田の記述によれば、

昭和十八年五月十五日、山口県労務報告会下関支部動員部長だった吉田が、西部軍司令部(福岡)から「皇軍慰問・朝鮮人女子挺身隊二○○名」の動員命令を受けた。その命令に従って、

五月十八日、吉田は部下九人を連れて済州島上陸
五月十九日、現地の陸軍部隊所属の武装した兵隊一○名を加えた二○人の徴用隊は、
      の民家、小川の洗濯場で女狩りをした後、
      城山浦の貝ボタン工場でも暴力的な慰安婦狩りを行う。
五月二十日、島の西海岸の瓮浦(おうほ)の漁村と干しイワシ製造工場で慰安婦狩り
五月二十一日、新左面の針岳ふもとの村落にある腸詰め工場
      「新左面牧畜組合報国工場」で慰安婦狩り。
五月二十四日、西帰浦近くの海で海女を慰安婦狩り。
合計二○五人を強制連行した、と言う物。

この本が出版されると、それを根拠に、

1986年、『朝鮮を知る辞典』(平凡社)
    「43年からは(女子挺身隊)の名の下に、約20万の朝鮮人女性が労務動員され、
     そのうち若くて未婚の5万~7万人が慰安婦にされた」

1985年、『朝鮮史』武田幸男著(山川出版社)
    「四四年八月には『女子挺身隊勤労令』が公布され、数十万人の
     十二歳から四十歳までの朝鮮の女性が勤労動員され、
     その中で未婚の女性数万人が日本軍の慰安婦にさせられた」

と言った書物が出版された。その後、91年8月11日、「朝日新聞」が金学順という老女を見つけてきて、『元朝鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀重い口開く』という記事を発表。

その記事は、

「日中戦争や第二次大戦の際、「女子挺身隊」の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた「朝鮮人従軍慰安婦」のうち、一人がソウル市内に生存していることがわかり、「韓国挺身隊問題対策協議会」が聞き取り作業を始めた。同協議会は十日、女性の話を録音したテープを朝日新聞記者に公開した。テープの中で女性は「思い出すと今でも身の毛がよだつ」と語っている。体験をひた隠しにしてきた彼女らの重い口が、戦後半世紀近くたって、やっと開きはじめた。」

という書き出しで始まる。

その後、宮沢総理(当時)が訪韓する機会を狙って、「朝日新聞」は、法政大の吉見という教授が、防衛庁の研究所から慰安婦の連行に日本軍が関与していたという資料を見つけた、という記事を発表。

ところで、当時、左派・自虐派学者の「通説」として、植民地朝鮮において、慰安婦への動員も「挺身隊」として行われていたという通説があり、「朝日新聞」は吉見義明教授の記事に、意図的に以下の様な注を付けた、

「一九三○年代、中国で日本軍兵士による強姦事件が多発したため、反日感情を抑えるのと性病を防ぐために慰安所を設けた。元軍人や軍医などの証言によると、開設当初から約八割が朝鮮人女性だったといわれる。太平洋戦争に入ると、主として朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した。その人数は八万とも二十万ともいわれる。」

「慰安婦」とは全く関係のない、勤労動員のための「挺身隊」を、意図的に混同して書き込んだ事により、「挺身隊」の募集年齢であった十二歳から四十未満の女性が、「慰安婦」として動員された、という誤解を創りだした。

1991年、『元朝鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀重い口開く』(朝日新聞)

1992年、・法政大の吉見義明教授 防衛庁の研究所から慰安婦の連行に日本軍が関与していた
      という資料を見つけた、という記事を発表。(朝日新聞)
 
     ・金学順 日本政府を相手に補償を求める裁判を起こす

     ・『従軍慰安婦』(朝日新聞 夕刊コラム、吉田の発言)
      「国家権力が警察を使い、植民地の女性を絶対に逃げられない状態で誘拐し、
      戦場に運び、一年二年と監禁し、集団強姦し、そして日本軍が退却する時には
      戦場に放置した。私が強制連行した朝鮮人のうち、男性の半分、
      女性の全部が死んだと思います」を引用。

こうして、

一、自分が軍の命令で慰安婦狩りをした、という「良心的証言者」吉田清治
二、吉見教授が見つけた軍の内部資料
三、やられた側として名乗り出た元慰安婦の老女 金学順 

という三つの証拠が出揃った。この様な状況の中、慰安婦問題に関する最初の政府談話が発表された。
    
1992年1月13日、加藤紘一官房長官
      「従軍慰安婦として筆舌に尽くし難い辛苦をなめられた方々に対し、
       衷心よりおわびと反省の気持ちを申し上げたい」とする談話を発表。
       
  1月17日、宮沢総理、訪韓して盧泰愚大統領に
      「衷心よりおわびし、反省したい」と八回にわたり謝罪。


・暴かれる嘘
しかし、筆者は、吉田の著書が出版された当時から、疑問を感じていた。

一、最初に問題になったのは、慰安婦が貧困のために身売りをした物なのか、軍などの公権力を使った強制連行による「性奴隷」的存在だったのか、という点だ。

1992年2月号の月刊「宝石」に慰安婦へのインタビュー記事「もう一つの太平洋戦争 朝鮮人慰安婦が告白する…」と言う記事が掲載された。インタビューを受けた金学順は、書中で四〇円でキーセン(妓生、朝鮮半島の芸妓、娼婦)に売られた、と語っていた。

また、当時、彼女達は日本政府を相手にして補償を求める裁判を起こしていたが、その訴状にも、金学順は「十四歳からキーセン学校に三年間通ったが、一九三九年、十七歳の春「そこに行けば金儲けができる」と説得され、金学順の同僚で一歳年上の女性と共に養父に連れられて中国に渡った。」と書かれていた。

更に、金学順らが起こした裁判は、もともと日本人が韓国に行って「原告募集」というビラをまいて起こした裁判であり、この裁判を起こしている韓国の被害者団体と「朝日新聞」の記者は姻戚関係にあった。

韓国の「太平洋戦争被害者遺族会」という団体の常任理事 梁順任という女性の娘と、朝日新聞の記者 植村隆が結婚しており、慰安婦問題を主として書いているのは、植村隆記者だった。

金学順が日本語通訳に語った内容は、以下の様な物だった、

「おばあちゃん、キーセンに身売りされたのですよね」
「そうだよ」
「結局、おばあちゃん、なんで出てきたの」
「いや、わしは寂しかったんだ。誰も訪ねてこない。そしてあるとき、テレビを見ていたら、戦時中に徴用で働かされていた人たちが裁判を起こすという場面が出たのさ。それで、わしも関係があるかなと思って電話をした」

ところが、1991年8月、金学順が名乗り出たとき、「朝日新聞」は韓国よりも早く、次の様に報じた、

「日中戦争や第二次大戦の際、「女子挺身隊」の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた「朝鮮人従軍慰安婦」のうち、一人がソウル市内に生存していることがわかり、「韓国挺身隊問題対策協議会」が聞き取り作業を始めた。」

記事を書いたのは、植村隆記者。植村の記事では、「キーセンに売られた」「金儲けができる」、という事実は隠され、「女子挺身隊の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた」事になっている。しかし、金学順は、月刊「宝石」でも、裁判の訴状でも、韓国国内の「ハンギョレ新聞」の取材でも、首尾一貫して、「キーセンに売られた」と答えている。

植村は韓国語ができるので、金学順の「キーセン」の話を聞かなかったはずはない。植村記者は、義理の母親らの裁判を有利にするために捏造記事を書いた可能性があり、金学順の弁護士高木も、金学順の経歴を知りながら、自己の反日運動に利用した可能性がある。


二、吉見教授が発見したという慰安婦募集に対する「軍の関与」も、民間の業者が、軍隊の名前を騙って悪い事をするのをやめさせる、と言った内容だった。

「朝日」が報じた、陸軍省と中国に派遣されていた部隊との間で交わされた文書集「陸支密大日記」によれば、

『軍慰安所従業婦等募集に関する件(副官より北支方面軍及中支派遣軍参謀長あて通牒案)』

「支那事変地における慰安所設置のため内地において従業婦等を募集するに当たり、ことさらに軍部了解等の名義を利用し、軍の威信を傷つけかつ一般市民の誤解を招く恐れあるもの、あるいは従軍記者、慰問者等を介して不統制に募集し社会問題を惹起する恐れあるもの、あるいは募集に任ずる者の人選適切を欠き、募集の方法、誘拐に類し警察当局に検挙取り調べを受けるものある等注意を要するもの少なからざるに、ついては将来これらの募集などにあたっては派遣軍において統制しこれに任ずる人物の選定を周到適切にし、その実施にあたっては関係地方の憲兵および警察当局との連携を密にし、軍の威信保持上並びに社会問題上遺漏なきよう配慮するよう通牒す。陸支密第745号 昭和十三年三月四日」、と書かれている。

この文章では、軍による強制連行は証明できない。また、朝日新聞が挙げている、他の二文書についても、「戦地で日本軍が強姦事件を起こすと、敵の政治宣伝に利用されるので、軍紀を引き締めると同時に慰安所を設置する」事を提起する文章だった。

要するに、吉見教授文書は、権力による強制連行は無かった事を示唆する内容だった。


三、吉田の『私の戦争犯罪』は1983年に出版され、1989年に韓国で出版された。それを受けて、「済州新聞」の記者が現地で確認の取材を行ったが、「島民たちはでたらめだと一蹴している」「裏づけの証言が無く波紋を投げかけている」と結論づけた。それを、秦郁彦 拓殖大教授が発見して、日本に紹介した。「済州新聞」には、

「…しかし、この本に記録されている城山浦の貝ボタン工場で一五名から一六名を強制徴発したということや、法環里などあちこちの村で行われたこの慰安婦事件の話は、これに関する証言者がほとんどいない。彼らはあり得ないことと一蹴しており、この記録の信憑性に対する強い疑いを投げかけている。

城山里の住民のチョン・オクタンさん(八五)は「そんなことはない。二五○余の家しかない村落で一五人も徴用されたとすればどのくらい大事件であるか…当時そんなことはなかった」と断言した…。」

この記事を書いた記者は、秦教授と面会して「何が目的でこんな作り話をかくのでしょうか」と聞いたという。

秦教授は、城山浦の貝ボタン組合の役員をしていた老人たちと面談したが、誰からも吉田証言を裏づける話は得られなかった。加えて、吉田は慰安婦狩りの命令が、

西部軍→山口県知事→下関警察署長→労務報告会下関支部動員部長

という系統で下りてきたとしているが、関係者は「そのような命令系統はあり得ない」と指摘している、と疑問点を挙げた。その後、板倉由明氏(「諸君」92年7月号)、上杉千年氏(同誌92年8月号)らの調査により、吉田が公開している履歴や他の証言も捏造だらけであることが判明した。

以上、『よくわかる慰安婦問題』より。

H25/3/8 衆議院予算委員会・中山成彬【歴史を直視するとはどういう事か】


ご賛同頂けましたら、拡散お願いします。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。