4~5日に、特急あいづが上野~喜多方間を1往復しました。
今回は485系新潟車を使用してのリバイバル運転で、約8年ぶりに復活しました。
◆7月4日 上野→喜多方
9011M 485系T18編成【特急あいづ】 (10:46) 2009/07/04 東北本線東鷲宮~栗橋間
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◆7月5日 喜多方→上野
9012M 同上 (16:17) 2009/07/05 東北本線栗橋~東鷲宮間
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コラム
現役に近い姿の特急あいづが東北本線を走るのは2001年12月以来のことです。この頃は特急列車の本格的なリバイバル運転が多く運転され、あいづもそのひとつでした。
私ごとですが、特急あいづには深い想い入れがあります。運転された2001年12月8、9日の9日(上野→会津若松)は行く気もない高校の特待試験…。当然撮れないわけです。ということで、8日の上りは撮らねばと思い、10分くらい前に現地入りして(当時は余裕で場所取りできた)、日没前ギリギリのワシクリを通過していく姿をフィルムに収めたのでした。
試験勉強していた私は親にフィルム出しておいてと頼んだのですが、それが大失敗。カメラの扱いには多少慣れているはずの親は、どういうわけか“禁断のフタ”を開けてしまったのです…。どれだけ絶望して、どれだけ大喧嘩になったかは言うまでもありませんが、現像すると奇跡的に1枚だけ生き残っていたのでした。それが↓
写真の右側はフタを開けてしまったことを物語るオレンジの光が…トリミング済
リバイバル運転が流行っていたし、このあとは郡山~会津若松で毎日にように運転されていて、またいつかこっちまで来るだろう思っていたら、あっという間に8年の歳月が過ぎました。その間、485系の原色は新潟に残して、青森車は消滅、仙台車もあかべぇ、東武線直通に改造され…、もはやリバイバル運転をする自体、面倒な状況となりました。それに、当時はJRマーク消去、国鉄マークも再現など見た目にも凝っていましたが、ここ最近はどうしてかあんまり本物と似つかわしくないシール幕を貼るだけ。撮影する人、乗りたいと思う人は当時とは比べ物にならないくらい増えたのに、なんだかJR側のテンションが下がってしまったのはどうしてなのでしょう…。
さて、私、東北本線を通るリバイバル運転はすべてワシクリのカーブで押さえています。今日は485系で運転された、ひばりとやまびこの画像をUPしてみようと思います。
2001年8月26日は、上野→仙台間で“ひばり”が復活。
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2002年6月23日は、上野→盛岡間で“やまびこ”が復活。
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そして、8年越し。ワシクリカーブで“あいづ”を収めることができたのであった…。
次は、今、NHK連ドラで放送中のあのタイトルにあやかって“つばさ”をやってほしいですね。笑 新幹線400系撤退記念でやってもらえないかなぁ…。
国鉄時代、東北本線を485系で駆け抜けていたのは、あとは“つばさ”と似た経路の“やまばと”でしょうか。485系の“はつかり”もあったようですね。あぁ、もっと早く生まれていたかった…。というかタイムマシンがあれば…(笑)
おまけ
7月3日に、485系T18編成の送り込み回送をキャッチしました。
回9722M 485系T18編成 (12:01) 2009/07/03 高崎線大宮
自分は仕事の都合で4日のみの行動になりましたが、485 T18、8181と有意義な1日になりました
記事にもありましたが、またリバイバルブームが復活することを私も願っていますし、長編成で完全リメイクで運転してもらいたいですね
こんばんは。
4日はお疲れさまでした!
今日のあいづ返却はマーク付きで戻っていったようです…(そういうことやられちゃうと・・・・・・・)
少なくとも数年前のリバイバル流行時と今とではJRの価値観は全く違うのでしょうね。