
( エッセイ )[画像小はクリック拡大]
宮崎あおいちゃんの魅力について触れた言葉、印象が残った言葉を、雑誌やネットからまた少し拾ってみました。前回と重複もありますが、うまく表現をされてるなァと思わず感心したことがたくさんありました。
スクリーンやTVで、或いは時おり舞台で観るあおいちゃんには、本当にハッとさせられる事があります。万一目の前で直接彼女を目にしたら・・。或いは次のような感慨に浸るかも・・(笑)。
“ 扉が開くなり、スタジオ内の空気がピタリと止まる。扉の前に立つ宮崎あおいの燐とした佇まい。国民的女優が放つオーラ、圧倒的な存在感。扉のこちら側にいる誰しもから、感嘆のため息が漏れる。・・・”
(ストリートジャック誌、本年10月号より抜粋)
あおいちゃんを漢字二文字で表現するとしたら・・・
『 孤 高 』 ・・・ 誰とも違う、誰にも真似できない演技を持っているから。
青山真治さん
(『ユリイカ』等の映画監督)
『 無 二 』 ・・・ 『宮崎あおい』さんは、『宮崎あおい』さんだから。
その場に存在される方で、唯一無二の存在。
高良健吾さん
(『ソラニン』で共演。俳優)
『 静 謐 』 ・・・ この年齢の女性からは考えられないくらいに穏やかで
落ち着いています。そして、この字の持つ複雑さもきっ
と内面に持っている女性だと思います。
佐々部清さん
(『ツレがうつになりまして』の映画監督)
『 水 晶 』 ・・・ 直観力に優れ、彼女の心の鏡には、いろんなものが映し出されているにちがいない。
まるで水晶玉のように。
室井 滋さん
(ドラマ『純情きらり』で共演。女優)
『 陶 然 』 ・・・ 彼女とは、ドキュメンタリーのナレーションが仕事でのつき合いですから、
私の中では「宮崎あおい=語りです。必然、彼女の語りを表現することが答えです。
気持ちよく酔えて染み通ります。
味谷和哉さん
(「ザ・ノンフィクョン」プロデューサー)
味谷さんがおっしゃってますように、ご覧になられた方はお分かりのように、あおいちゃんのナレーションは実にその情景を踏まえ、謙虚に温かく語られます。
同氏はその語りでのエピソードを次のように記されています。
“7年前に、初めてナレーションをお願いしたとき、まだ「知る人ぞ知る」存在でした。彼女の起用に、現場から反対の声もありました。
しかし、第一声を録ったとき、全員が顔を見合わせて納得。今では「伝説」になっています。”
(以上すべて、株式会社ACCESS社「女優美学Ⅱ」より抜粋)
ところで、このナレーションの仕事について、朝日の記者が彼女へインタビューして記しています。
“俳優宮崎あおいが、若手の一人だった時代から大切に続けているナレーションの仕事がある。フジ系で日曜午後に放送しているドキュメンタリー「ザ・ノンフィクション」だ。2004年5月・・・デビューし、これまで20回以上担当した。・・・
ナレーションで心がけているのは「シンプルに読む」。「私が伝えたいというより映像やいろんな人の言葉で伝えたいことがあふれているのでサポートが出来ればいい。お芝居と違って顔が映らず、動きがない分、声の仕事は難しい。毎回勉強ですね」
7年近い歳月で、実力派の若手は国民的俳優に駆け上がったが、本人の意識は変わらない。「楽しく仕事をさせてもらってすごく幸せに思う。変わったのは、責任感とか、一緒に仕事をしているすごい人たちに恥じないようにとか。できないことだらけで、何をみても勉強になるし、もっと可能性があると思えるんです」”
(以上、2010.10.29朝日新聞「記者レビュー」より抜粋)
自分が本当にやりたいことは、変わらずにずっと続けていく。それが目立たないものであっても。
ここにも宮崎あおいちゃんの、一本筋が通った生き方のすばらしさを思います。
【宮崎あおいの存在は「静かな革命」だ。宮崎あおい以前に宮崎あおい的な女優は存在せず、宮崎あおい登場以後は日本映画の流れが変わっていた。】
“ ・・・「篤姫」の後だから、どれだけ民放ドラマのオファーがあったことか、どれだけバラエティ番組のオファーがあったことか。
しかし宮崎あおいは沈黙し、ひたすら自分の信ずる映画の撮影に徹する。
このような生き方を「美しい」といい、そして長らく続いた悪夢のような「商業絶対主義」の芸能界にとって「革命的存在」だというのである。”
【映画を愛し、映画に愛される宮崎あおいの見事な生き方。】
“まあ、それにしても宮崎あおいというのはその腹の据わり方、恐るべき女優であり、恐るべき女だと思う。「篤姫」出演で思考停止マスメディアによって冠せられた「国民女優」異名など嘲笑うかのように、「篤姫」以後は舞台を一つこなした後、いつものように映画の世界に埋没している。「篤姫」の後どれだけ宮崎あおいの元に民放ドラマのシナリオが送られてきたかは知らないが、間違いなく尋常な数ではなかっただろう。「宮崎あおいに棄てられたドラマシナリオ」という本を出してほしいくらいだ。「メラニー・ロランは映画を愛し、映画はメラニー・ロランを愛す」。宮崎あおいも映画に愛されているのであり、少なくとも映画を愛さない人間が映画に愛されることはない。”
(以上すべて、末尾ルコ(アルベール)さんの文章より。)
女優あおいちゃんを、末尾さんは鋭くそして的確に捉えておられ、そのすばらしい良識の高さに、大きな安堵感と希望を私はいつも抱かせて戴いております。
(楽天に同文寄稿)
宮崎あおいちゃんの魅力について触れた言葉、印象が残った言葉を、雑誌やネットからまた少し拾ってみました。前回と重複もありますが、うまく表現をされてるなァと思わず感心したことがたくさんありました。
スクリーンやTVで、或いは時おり舞台で観るあおいちゃんには、本当にハッとさせられる事があります。万一目の前で直接彼女を目にしたら・・。或いは次のような感慨に浸るかも・・(笑)。
“ 扉が開くなり、スタジオ内の空気がピタリと止まる。扉の前に立つ宮崎あおいの燐とした佇まい。国民的女優が放つオーラ、圧倒的な存在感。扉のこちら側にいる誰しもから、感嘆のため息が漏れる。・・・”
(ストリートジャック誌、本年10月号より抜粋)
あおいちゃんを漢字二文字で表現するとしたら・・・
『 孤 高 』 ・・・ 誰とも違う、誰にも真似できない演技を持っているから。
青山真治さん
(『ユリイカ』等の映画監督)
『 無 二 』 ・・・ 『宮崎あおい』さんは、『宮崎あおい』さんだから。
その場に存在される方で、唯一無二の存在。
高良健吾さん
(『ソラニン』で共演。俳優)
『 静 謐 』 ・・・ この年齢の女性からは考えられないくらいに穏やかで
落ち着いています。そして、この字の持つ複雑さもきっ
と内面に持っている女性だと思います。
佐々部清さん
(『ツレがうつになりまして』の映画監督)
『 水 晶 』 ・・・ 直観力に優れ、彼女の心の鏡には、いろんなものが映し出されているにちがいない。
まるで水晶玉のように。
室井 滋さん
(ドラマ『純情きらり』で共演。女優)
『 陶 然 』 ・・・ 彼女とは、ドキュメンタリーのナレーションが仕事でのつき合いですから、
私の中では「宮崎あおい=語りです。必然、彼女の語りを表現することが答えです。
気持ちよく酔えて染み通ります。
味谷和哉さん
(「ザ・ノンフィクョン」プロデューサー)
味谷さんがおっしゃってますように、ご覧になられた方はお分かりのように、あおいちゃんのナレーションは実にその情景を踏まえ、謙虚に温かく語られます。
同氏はその語りでのエピソードを次のように記されています。
“7年前に、初めてナレーションをお願いしたとき、まだ「知る人ぞ知る」存在でした。彼女の起用に、現場から反対の声もありました。
しかし、第一声を録ったとき、全員が顔を見合わせて納得。今では「伝説」になっています。”
(以上すべて、株式会社ACCESS社「女優美学Ⅱ」より抜粋)
ところで、このナレーションの仕事について、朝日の記者が彼女へインタビューして記しています。
“俳優宮崎あおいが、若手の一人だった時代から大切に続けているナレーションの仕事がある。フジ系で日曜午後に放送しているドキュメンタリー「ザ・ノンフィクション」だ。2004年5月・・・デビューし、これまで20回以上担当した。・・・
ナレーションで心がけているのは「シンプルに読む」。「私が伝えたいというより映像やいろんな人の言葉で伝えたいことがあふれているのでサポートが出来ればいい。お芝居と違って顔が映らず、動きがない分、声の仕事は難しい。毎回勉強ですね」
7年近い歳月で、実力派の若手は国民的俳優に駆け上がったが、本人の意識は変わらない。「楽しく仕事をさせてもらってすごく幸せに思う。変わったのは、責任感とか、一緒に仕事をしているすごい人たちに恥じないようにとか。できないことだらけで、何をみても勉強になるし、もっと可能性があると思えるんです」”
(以上、2010.10.29朝日新聞「記者レビュー」より抜粋)
自分が本当にやりたいことは、変わらずにずっと続けていく。それが目立たないものであっても。
ここにも宮崎あおいちゃんの、一本筋が通った生き方のすばらしさを思います。
【宮崎あおいの存在は「静かな革命」だ。宮崎あおい以前に宮崎あおい的な女優は存在せず、宮崎あおい登場以後は日本映画の流れが変わっていた。】
“ ・・・「篤姫」の後だから、どれだけ民放ドラマのオファーがあったことか、どれだけバラエティ番組のオファーがあったことか。
しかし宮崎あおいは沈黙し、ひたすら自分の信ずる映画の撮影に徹する。
このような生き方を「美しい」といい、そして長らく続いた悪夢のような「商業絶対主義」の芸能界にとって「革命的存在」だというのである。”
【映画を愛し、映画に愛される宮崎あおいの見事な生き方。】
“まあ、それにしても宮崎あおいというのはその腹の据わり方、恐るべき女優であり、恐るべき女だと思う。「篤姫」出演で思考停止マスメディアによって冠せられた「国民女優」異名など嘲笑うかのように、「篤姫」以後は舞台を一つこなした後、いつものように映画の世界に埋没している。「篤姫」の後どれだけ宮崎あおいの元に民放ドラマのシナリオが送られてきたかは知らないが、間違いなく尋常な数ではなかっただろう。「宮崎あおいに棄てられたドラマシナリオ」という本を出してほしいくらいだ。「メラニー・ロランは映画を愛し、映画はメラニー・ロランを愛す」。宮崎あおいも映画に愛されているのであり、少なくとも映画を愛さない人間が映画に愛されることはない。”
(以上すべて、末尾ルコ(アルベール)さんの文章より。)
女優あおいちゃんを、末尾さんは鋭くそして的確に捉えておられ、そのすばらしい良識の高さに、大きな安堵感と希望を私はいつも抱かせて戴いております。
(楽天に同文寄稿)
私もあおいちゃんのファンです。
知っている話しも、知らない話しもありましたが、どれも納得です。楽しく拝見させていただきました。
今後もどんどん更新していただければうれしいです。時々覗きにまいりますので。
ご訪問、ありがとうございました。
あおいちゃんがとっても素晴らしいのは間違いないんですが、その素晴らしさを皆さんがどう捉え、表現されているのか、本当に興味津々ですネ。
ウマイ表現をされるなァと、いつも感心しています。
元来怠け者で・・(笑)、なかなか更新スパンが永くて申し訳なく思っています。出来るだけ頑張ってみたいと思いますので、フト思い出したら、覗きにお見えくださいネ。よろしくお願い致します。