昨日に続き、今日は遺跡とその周辺の景色を紹介します。
妻木晩田遺跡は、弥生時代後期(1~2世紀)を中心とする大規模な集落遺跡です。
TOP画像は、昨年3月に失火焼失した洞ノ原東丘陵の復元竪穴住居の再建工事現場です。
昨年2月末(焼失前)に行ったときの記事です。
http://blog.goo.ne.jp/woani-/e/a72fdd4f038261f64d83fa02dc791111
年内の竣工を目指しているそうです。
周辺の竪穴式住居を。
標高約90~150mの丘陵地からは、淀江、米子平野や弓ヶ浜から島根半島までを広く見渡すことができます。手前の淀江の平野部には、弥生時代には淡水湖である淀江の潟が形成されていたそうです。
古代の人々も、この高台からこのような景色を見ていたのでしょうか。
淀江の平野には山陰本線が走っていますが、特急まつかぜが通り過ぎていきました。少し小さいですが、確認できるでしょうか。
快晴ではなかったのですが、島根半島の北方約50キロ海上には隠岐島の島前が見えるようです。
肉眼では確認できましたが、この写真でおわかりでしょうか。
妻木晩田遺跡は、弥生時代後期(1~2世紀)を中心とする大規模な集落遺跡です。
TOP画像は、昨年3月に失火焼失した洞ノ原東丘陵の復元竪穴住居の再建工事現場です。
昨年2月末(焼失前)に行ったときの記事です。
http://blog.goo.ne.jp/woani-/e/a72fdd4f038261f64d83fa02dc791111
年内の竣工を目指しているそうです。
周辺の竪穴式住居を。
標高約90~150mの丘陵地からは、淀江、米子平野や弓ヶ浜から島根半島までを広く見渡すことができます。手前の淀江の平野部には、弥生時代には淡水湖である淀江の潟が形成されていたそうです。
古代の人々も、この高台からこのような景色を見ていたのでしょうか。
淀江の平野には山陰本線が走っていますが、特急まつかぜが通り過ぎていきました。少し小さいですが、確認できるでしょうか。
快晴ではなかったのですが、島根半島の北方約50キロ海上には隠岐島の島前が見えるようです。
肉眼では確認できましたが、この写真でおわかりでしょうか。
良い日に行かれたようで、弓ヶ浜が鮮明に見えますね。
隠岐が見えるとは聞いてましたが、なかなか大きくみえますね。
初めて見ました。ありがとうございます^^
再建工事は、今の建築物にはない工法だろうから、手間がかかるでしょうね。
恐らく、今回も木材は栗の木を使って手斧で削るだろうし、土屋根も張るでしょうから。
この写真でも、隠岐島が見えたか!!
さすがに、眼は千里眼、耳は地獄耳と、頭部では脳以外は異状がないというゆるポタさんだね~~
おいらも先日、職場の健康診断結果をもらったが、首から下は全く異状なしだったのだ
先日島根半島を散歩がてら車で走っていたんですがその時も隠岐の島が見えてました。(笑
島根半島からでも見えるのが珍しいのにここから見えるとはさらに珍しいのですかね。
こちらからでも大山方面が綺麗に見えてましたから多分同じ日だったかもしれませんね。(笑
おっ、takesanさんも千里眼でしたか(爆)
9号線名和の阿弥陀川に架かる橋を渡って鳥取方面に行ったところで、隠岐島が割と大きく見えます。
以前、鳥取に住んでいたときに実家に帰りながら見たときは、びっくりしましたね。雨上がりで快晴ではなかったのですが、意外にくっきりと見えましたよ。
コアニーが小学校5年のときに隠岐島へ旅行に行ったのですが、西郷港から大山が見えましたから、逆に大山頂上からも見えるでしょうね。
あのときに島で海水浴したのですが、コアニーが足の裏を貝で切って、何針か塗ってしまいました^^;