以前、お友達に「私はもう、ユニクロを買うのはやめようと思っている」と言ったところ「あほかっ!」的なことを言われました。そりゃ、今までにタンクトップ2着、ヒートッテック6着、ジーンズ1本、Tシャツ2枚、綿パンツ1本、BODY TECH(慶應大学と共同開発)2着、長袖2着と散々同社の製品を買っておきながら、何たる言い草だと言うことなのでしょう。その指摘はもっともなのですが、今日はそのことについてしこし触れてみます。
きっかけは、先日の蔡さんの日記です。
「ユニクロ栄えて国滅ぶ」 この議論は正しいのか
という記事と、それに対する反論記事、
IT & Economics 池田信夫 blog「ユニクロは日本を滅ぼすか」
という記事についてご自身の立ち位置を表明されていました。蔡さんは、自身がアパレル関係の仕事をしていることもあり、ユニクロについて過去に何度か話題にしたことがあります。そして、それらをみていると、もはやアパレル業界にとってユニクロは無視できる存在ではないのだということがひしひしと伝わってきます。
その中でも特に印象だったのが「どうなんでしょうねえ?」という記事。上記の経済学者たちの論争には効果的な太刀打ちは難しいんだけど、この記事の一番最後の部分にある『"ファッションを民主化"するという大義名分』という言葉はユニクロにとても当てはまる言葉である。そして「~の民主化」は日本の伝統的なお家芸であったんだと気がついた。卑近なものにすることにより、そのものがそれまでに作り上げてきたものを笑い飛ばしてしまうかのような芸当。例えば、レザージャケットとかライダースなどがそうだ。ゴルフもそうだし、高級レストランや寿司などもまったくもって身近なもの。散々そんなことをしておいて、なぜお相撲だけは特別な伝統、日本の国技、とか勝手なことを言っているのか理解に苦しむが。
そう、逆に言うと、日本の良さは何でもごちゃ混ぜにし、その混沌の中から生まれるところを楽しめるという点にある。ベートーベンとビートルズとアニソンの間に貴賎はなく『スーパフラット』(全てが平等)で良いと思うものを楽しもうという考え。ファッションでも、お人形になりたいギャル(ギャル男とかも)と、アニメキャラになりたいヲタたちのどちらが良いということはなく、好みの問題である。ただ両者はちょっとコスプレの精度が高いという点で似ているね。
ただねぇ、ユニクロの場合はちょっと格好悪く思えてきた。「ダサいから、インナー以外では着たくない」って評判を克服するためにデザイナーコラボみたいなことをしているんだろうけど、「なんでもお金で買ってしまおう」「デザインもお金で買える」みたいな企業倫理に反りが合わないのだと思う。そして社員たちは大義名分があるものだから、居直っちゃったりしてる。人間、そうなると強いもの。もうこの世に怖いものナシといった立ち振る舞い。「どうなんでしょうねえ?」にコメントを残しているAさんなどもそんな臭いが漂ってくる。狂信者?
上手く言えないんだけど、「ユニクロ栄えて、国滅ぶ」の筆者を保護主義者といって批判されていたけど、それってどうなの? わからないのに口出しするのもけったいだけど、ひとこと。この間、NHK「週刊子供ニュース」の初代お父さん役の池上彰さんが、ある民間放送のニュース番組で紙芝居をしていた。それはアリとキリギリスをベースにしたもので、アリが弁当屋を営んでいる。そこに投資ファンド会社のキリギリスが弁当屋を買収して乗り込んできて、値下げ合戦を仕掛けてくる。アリは利益を削らざるを得なくなり、薄利多売で疲弊しているところ、潰れるんだかキリギリスに買収されてしまうという。そのとき、世界恐慌が起こったため、収益の低いA町から撤退することになり、A町には荒れ果てた廃墟だけが残った、みたいな話。
そんなことを踏まえ。池田さんのブログを読んで思ったけど、「エコノミストってなんて自分勝手なの!」。そもそも資本主義の限界とか言われていて、それに自由競争といっても政府が直接的に間接的に助けているから、自由競争ではない。カルテルとかも禁止しているけど、大きいものはさらに大きく、小さいものはさらに小さく、なる仕組みではないか。欠陥だらけの経済学に後から色々付け足して小難しくしているだけだが、もう既に沈みかけの船なのでは?
「規制を緩和して自由競争を促せば、生産性が上がる。」って話はホリエモンあたりもしていたと思う。事実そうで、旧社保庁の仕事などはシステム管理にして人件費を削減すればいいのにね、と思う一方で、合理化システム化により仕事の総数は減って行く。タクシー業界は雇用総数が増えたために、一人当たりの取り分が減ってしまい、収入減だという。だから規制を復活させるって。何のこっちゃいな? それが合理化の効果なのに。合理化により仕事を失った人、収入の減った人が新しく仕事を起こせない、就けない状態をどうにかせねばならないのに、そんなことも念頭に置けないミクロ経済学などもはや無用の長物だ。それに大きいところばかり助けて雇用維持しようするマクロ経済もフェアじゃない。また、仕事を起こすほど、野心と能力に溢れた人ばかりではない現実。そういった人たちが細々とやって暮らせる「蕎麦屋」なり「弁当屋」なり、その他諸々の存在も必要だろう。故に「自分さえよければ」という考え方を邁進するユニクロという企業に貢献する気はなくなった。また、自分さえよければという考え方に基づいている経済学にも、その考え方にしがみつく御仁(オジン)にも限界が訪れているのではないか、などと大儀そうなことを言ってますが、いわゆる経済学の初心者向け本をかじった程度で、数理経済学などはまったく無理な人間のため、裏はとれません。
きっかけは、先日の蔡さんの日記です。
「ユニクロ栄えて国滅ぶ」 この議論は正しいのか
という記事と、それに対する反論記事、
IT & Economics 池田信夫 blog「ユニクロは日本を滅ぼすか」
という記事についてご自身の立ち位置を表明されていました。蔡さんは、自身がアパレル関係の仕事をしていることもあり、ユニクロについて過去に何度か話題にしたことがあります。そして、それらをみていると、もはやアパレル業界にとってユニクロは無視できる存在ではないのだということがひしひしと伝わってきます。
その中でも特に印象だったのが「どうなんでしょうねえ?」という記事。上記の経済学者たちの論争には効果的な太刀打ちは難しいんだけど、この記事の一番最後の部分にある『"ファッションを民主化"するという大義名分』という言葉はユニクロにとても当てはまる言葉である。そして「~の民主化」は日本の伝統的なお家芸であったんだと気がついた。卑近なものにすることにより、そのものがそれまでに作り上げてきたものを笑い飛ばしてしまうかのような芸当。例えば、レザージャケットとかライダースなどがそうだ。ゴルフもそうだし、高級レストランや寿司などもまったくもって身近なもの。散々そんなことをしておいて、なぜお相撲だけは特別な伝統、日本の国技、とか勝手なことを言っているのか理解に苦しむが。
そう、逆に言うと、日本の良さは何でもごちゃ混ぜにし、その混沌の中から生まれるところを楽しめるという点にある。ベートーベンとビートルズとアニソンの間に貴賎はなく『スーパフラット』(全てが平等)で良いと思うものを楽しもうという考え。ファッションでも、お人形になりたいギャル(ギャル男とかも)と、アニメキャラになりたいヲタたちのどちらが良いということはなく、好みの問題である。ただ両者はちょっとコスプレの精度が高いという点で似ているね。
ただねぇ、ユニクロの場合はちょっと格好悪く思えてきた。「ダサいから、インナー以外では着たくない」って評判を克服するためにデザイナーコラボみたいなことをしているんだろうけど、「なんでもお金で買ってしまおう」「デザインもお金で買える」みたいな企業倫理に反りが合わないのだと思う。そして社員たちは大義名分があるものだから、居直っちゃったりしてる。人間、そうなると強いもの。もうこの世に怖いものナシといった立ち振る舞い。「どうなんでしょうねえ?」にコメントを残しているAさんなどもそんな臭いが漂ってくる。狂信者?
上手く言えないんだけど、「ユニクロ栄えて、国滅ぶ」の筆者を保護主義者といって批判されていたけど、それってどうなの? わからないのに口出しするのもけったいだけど、ひとこと。この間、NHK「週刊子供ニュース」の初代お父さん役の池上彰さんが、ある民間放送のニュース番組で紙芝居をしていた。それはアリとキリギリスをベースにしたもので、アリが弁当屋を営んでいる。そこに投資ファンド会社のキリギリスが弁当屋を買収して乗り込んできて、値下げ合戦を仕掛けてくる。アリは利益を削らざるを得なくなり、薄利多売で疲弊しているところ、潰れるんだかキリギリスに買収されてしまうという。そのとき、世界恐慌が起こったため、収益の低いA町から撤退することになり、A町には荒れ果てた廃墟だけが残った、みたいな話。
そんなことを踏まえ。池田さんのブログを読んで思ったけど、「エコノミストってなんて自分勝手なの!」。そもそも資本主義の限界とか言われていて、それに自由競争といっても政府が直接的に間接的に助けているから、自由競争ではない。カルテルとかも禁止しているけど、大きいものはさらに大きく、小さいものはさらに小さく、なる仕組みではないか。欠陥だらけの経済学に後から色々付け足して小難しくしているだけだが、もう既に沈みかけの船なのでは?
「規制を緩和して自由競争を促せば、生産性が上がる。」って話はホリエモンあたりもしていたと思う。事実そうで、旧社保庁の仕事などはシステム管理にして人件費を削減すればいいのにね、と思う一方で、合理化システム化により仕事の総数は減って行く。タクシー業界は雇用総数が増えたために、一人当たりの取り分が減ってしまい、収入減だという。だから規制を復活させるって。何のこっちゃいな? それが合理化の効果なのに。合理化により仕事を失った人、収入の減った人が新しく仕事を起こせない、就けない状態をどうにかせねばならないのに、そんなことも念頭に置けないミクロ経済学などもはや無用の長物だ。それに大きいところばかり助けて雇用維持しようするマクロ経済もフェアじゃない。また、仕事を起こすほど、野心と能力に溢れた人ばかりではない現実。そういった人たちが細々とやって暮らせる「蕎麦屋」なり「弁当屋」なり、その他諸々の存在も必要だろう。故に「自分さえよければ」という考え方を邁進するユニクロという企業に貢献する気はなくなった。また、自分さえよければという考え方に基づいている経済学にも、その考え方にしがみつく御仁(オジン)にも限界が訪れているのではないか、などと大儀そうなことを言ってますが、いわゆる経済学の初心者向け本をかじった程度で、数理経済学などはまったく無理な人間のため、裏はとれません。