have a nice break

最近の投稿より、書き始めて間もない頃の記事の方がよっぽど面白いと思います(笑)

卒業式・・・

2008年03月25日 22時43分58秒 | Weblog
先日、娘の小学校の卒業式があった。

たまたま休日がもらえたので、私もビデオ撮影へと出かけた。そのビデオのDVD化にここ数日取り組んでいる。

卒業式の練習が厳しかったおかげで、卒業生の行動はきびきびとし、静粛にすべきところは静まり返っている。BGMが静かに流れ、司会者の声と生徒の「はい」という返答が体育館に響いている。

と言いたいところであるが、開式から閉会まで違う声・音が響きわたっていた。

開始早々、赤ん坊の鳴き声が20分ほど続く。在校生の一人である知的障害の子どもが終始大きな唸り声を上げている。何をしに来たのか、隣接する中学校の男子生徒3人がくだらない談笑をしている。これらに加え、周りの親たちのビデオの効果音が、ビデオを入・切する度に鳴っている。効果音を消すという発想がないようである。

当日、私は娘の卒業を思い、感慨にふけるどころか、これらの声・音に対し自問自答していた。

私が教師であったら、あの障害児を外へ出すだろうか。あの子も在校生の一人であるから、式に参加する資格は当然にある。しかし、この2週間厳しい練習に耐えてきた卒業生の苦労は、あの子にはわからないのだから、教師が対処しないといけないのではないか。いや、そもそも卒業式が粛然と行われる必要があるのだろうか。君が代問題で教師自らドタバタ卒業式にしている学校もあるのではないか。

赤ん坊はどうだ。赤ん坊なら泣いていてもいいのか。赤ん坊の親は、卒業生の親であろう。あの親は、赤ん坊を預ける親類が近くにいなかったのだ。この少子化の時代に、12歳も離れた次の子を産んでくれたのだから、泣き声ぐらい何だというのか。

このバカ中学生はどうだ。場違いな所で、周りから疎ましそうな視線を受けながらも、立ち去ろうとしない。却って、大きな声を出している。でもこいつらも、人の迷惑ということを考える能力が欠けているだけかもしれない。とすれば、あの知的障害児、赤ん坊、効果音を消すという発想の無い親たちとどう違うのだろう。

こんなことを考えながら、期待していた撮影が出来ない自分の気を紛らわせていた。今も編集をしながら、当日のことを思い出したのでブログに書いている。

卒業式。私は自分の卒業式に思い入れはなかった。高校、大学など出席もしなかった。案外娘にとってもそうなのかもしれない。DVDなど必要としてはいないだろう。DVDは私の自己満足のためだけなのだ。そう思えば、映像だけあれば音は必要ない。後々まで嫌な思いを引きずるであろうこの音たちは消すことにしよう。