猫・ネコ・ライフ

猫と暮らす楽しい生活

冬の猫道

2008-12-26 04:30:39 | Weblog

   枯れ木にも花が咲きました。花咲か爺さんが咲かせたのも、もしやこれでは
  と思わせる真っ白な世界が広がっています。北国札幌の師走、二十二日の
  雪の朝の風景です。朝晩通うこの道の先には外猫の避難箱があって、そこには
  私を待っている猫たちがいます。

   雪が降った日は雪面が昇華する湿度によって、しっとりとした空気に
  満たされて心まで潤って落ち着きます。
   雪が天から舞い降りてくる時は、言葉にはならない白い記号が「聖なる」
  「聖なる」と印をつけながら大地をつつみます。

   こんな日は北海道を離れて暮らしている友人に「雪の便り」を書きます。
  長いこと故郷を離れて暮らしている友人の記憶の中の雪景色は鎮魂の思いにも
  通じるのだそうです。

   ノルウエイのことわざに「ノルウエイ人がノルウエイ人に出会うと、いつも
  ノルウエイのことを語る」と言うのがあるそうですが、北海道人は冬中雪の
  ことを語って過します。
   師走も残すところ五日となりました。どうぞよいお年をお迎えください。

冬の猫たち

2008-12-19 05:37:33 | Weblog

   私が庭で仕事をしていると時々顔を出すイチと言う名前で呼んでいる猫が
  います。なぜイチなのかと言うと、ご飯も遊びも一番先頭に立って素早いから
  です。とにかく健康で一番目立つ猫です。
   私がなぜこの時季に庭仕事をしているのかといえば、一度済ませたはずの
  冬囲いが、見るからに手直しが必要だからです。

   イチが私のそばで踏み石を渡って歩いたり木に登ったりしている姿を見ると
  楽しくなって仕事がうまく運びます。「猫の手だって借りられる!」と嬉しく
  なります。

   お隣の方がイチは我が家の茶髪の子だと思っているようなのですが、
  茶髪は「とんだヌレギヌです」と答えています。茶髪が家猫になった時に
  手術を受けて、可哀そうですが父親にはなれないからです。
   私は今までに四匹の茶トラの猫と出会いましたが、すべて雄猫でした。
  遺伝的な特徴でもあるのでしょうか。

   イチはご飯は私のところですませて、マイカップまで決まっているのに
  雪の日でもお世話になっていたHさんの所に戻っていきます。
  イチは大した猫です。イチを見ていると、私のどこかにわずかに残っている
  「強くありたい」という気持ちが呼びさまされるような気がします。

   

冬の猫たち

2008-12-12 05:47:23 | Weblog

   初冬の猫道には秋の終りに強風で吹き飛ばされた木々の枝があちこちに
  落ちていて、私はそれを林の中に投げ込んで始末します。
  その枝で猫たちを脅したり追いかけたりする人がいるかもしれないからです。
  人の気まぐれは時に残酷な仕打ちになることがあります。

   根雪になる前に、数日やわらかな陽ざしが落ち葉を温める日があるので、
  そんな時は猫たちはうずくまって体を温めて、背中の毛をふくらませて
  その空気を取りこみます。

   この束の間の優しい時間、来年の春までやって来ない時間を猫たちは
  静かに惜しんでいるように過ごしています。

   冬来たりなば、春遠からじ、「冬が来たから春はもうしばらくしたら
  必ず来るからね」と自分にも猫たちにも言ってきかせて春を待ちます。

霜月の菊

2008-12-05 06:53:05 | Weblog

   私が庭の木の最後の一本をネットで覆っていたら、何か視線のようなものを
  感じて振り返ると、こちら向きに咲いていた白い菊の花でした。

   十一月の末まで精一杯花を咲かせて、その命を見事に咲ききっている姿に
  仕事の手を休めて見とれていました。寒くて嫌々仕事をしていた自分が
  恥ずかしくなりました。人間はこのように最期の時まで美しく自分を保つ
  ことはできないなーと思って見ていました。

   老いても人を支えてくれるものは何か?と考えてみました。
  グルメな生活?それは無縁でよろしい。着飾るのも、どなたか他の人が
  ドレスアップした姿を「お美しい!」と見とれるだけでいい。
  それでは何が必要なのか?と自分に問いかけてみたら、それは日々のうちに
  ある小さな感動、これが生きる糧となると納得しました。

   これは、お金では買えませんが、でも「タダ」でもあります。