gooブログはじめました!富士山世界文化遺産の価値を確かめていこう!

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ。子どもの頃から一緒に生きてきた身近な富士山の価値を確かめていこう。

富士山とその高さによる鳥の生息地

2014年01月19日 23時19分11秒 | 日記
 富士山の登山で、岩ヒバリと星ガラスを見た。富士山の標高によって、鳥の生息地は変わる。一般的に
500メートルまでの丘陵地帯では、オオルリ・キセキレイ・スズメ・トビ・ウズラ・ヒバリ・カッコウ・ホオジロ・コジュケイ・ツバメ・チゴモズ・キジバト・モズ・キジ・ハシブトガラス・ハシボソガラス
料金所・胎内(1050m)
1000メートルまでの低山帯(下)キビタキ・アカゲラ・ホトトギス・アカハラ・アカモズ・シジュウカラ・キジ・ヒヨドリ・ホオジロ・カッコウ・アオバツグ・ヨタカ・オオルリ・スズメ・メジロアオジ・ジュウイチ
一合目(1405m)陰樹林・広葉樹・針葉樹(1500m以上)二合目(1598m)1500メートルまでの低山帯(高)
1700m以上:針葉樹林三合目(1788m)ヤマドリ・アオバト・ウグイス・ヤマガラ・ゴジュウカラ・シジュウカラ・センダイムシクイ・エゾムシクイ・エナガ・コルリ・ツツドリ・カケス・マミジロ
2000メートルまでの亜高山帯(低)四合目(2045m)五合目(2305m)
2400m以上:森林限界コマドリ・エゾムシクイ・ミソサザイ・ヒガラ・キクイタダキ・ルリビタキ・サメビタキ・メボソムシクイ・マミジロ・ホシガラス
2500mまでの亜高山帯(高)2500以上;草木帯
ヒガラ・コガラ・ルリビタキ・キクイタダキ・ビンズイ・ウソ・カヤクグリ
3000メートルまでの高山帯(低)3000m以上;裸地;コケ、地衣
カヤクグリ・イワヒバリ・イワツバメ・アマツバメ
3700メートルまでの高山帯(高)イワヒバリ・イワツバメ
 このように高さによって、富士山の鳥の生息地は変わることが分かりました。富士山に登るたびに、確かめています。これも一つの富士山と私のコミュニケーションの一つであり、楽しみの一つでもあります。今、57歳ですが、いくつまで続けられるか分かりませんが、命の許す限り楽しみたいと思っています。

富安風生と富士山

2014年01月04日 21時00分53秒 | 日記
富安風生と富士山
『赤富士に 露滂沱(ぼうだ)たる 四辺かな』富安風生作のこの歌碑は、寿徳寺にあります。
 歌碑の滂沱たるとは、涙がとめどなく流れ落ちる事ですが、この句では、露につかっています。富安風生は、赤富士の浮かぶ雄大な富士の景色を目の当たりに、周りの景色を見回すと草や木の葉に朝露が光ってきらめき、天地、遠近、大小の対比が鮮やかに感じられる美しい句です。赤富士(あかふじ)は、主に晩夏から初秋にかけて、早朝に富士山が朝日に染まって起こる現象。青い富士山が朱色に染まることが語源。 古くから絵の題材としても知られ、葛飾北斎の富嶽三十六景『凱風快晴』を始め数々の画家による作品が残されている。
 この句は、私が山中湖の学校に勤務していた若い頃に、山中湖村の教育委員会の依頼で、地域の名所旧跡について調査依頼を受けたときに、寿徳寺で出会った心に残った歌碑である。当時、歌碑の拓本をとるマニア達に大変な人気があり、この歌碑がすり切れて薄くなってきているのを心配したことを思い出した。
 作者富安風生については、ウィキペディアによると、
『愛知県八名郡金沢村(現在の豊川市金沢町辺り)生まれ。豊橋町立豊橋尋常中学時習館、第一高等学校、東京帝国大学法科大学卒業。卒業後は逓信省に入り、のち逓信次官。俳句をはじめたのは遅く、1918年、34歳のとき福岡貯金支局に支局長として赴任した時期に吉岡禅寺洞の手引きを受けたことに始まる。翌年より高浜虚子に師事し、『ホトトギス』同人、また東大俳句会に参加した。『破魔弓』が1928年(昭和3年)7月号から改題により『馬酔木』となった際には、水原秋桜子らとともに同人のひとりであった[1]。1928年(昭和3年)、逓信省内の俳句雑誌「若葉」の選者となり、のちにこれを自身の主宰誌とした。1936年(昭和11年)、逓信次官の職を辞して官界を引退、「句作三昧の生活」に入る。戦後は電波監理委員会委員長を務めた。1971年(昭和46年)、日本芸術院賞受賞、日本芸術院会員となる。』とある。
 本日私は、若き日の思い出とともに、富安風生と富士山文化遺産との関係の深さを再確認しました。

竹取物語と富士山

2014年01月04日 13時15分50秒 | 日記
竹取物語と富士山
1月3日イオンの東宝シネマで「かぐや姫」を見ました。人が生きるということの意味を深く考えさせられる作品でした。人は、他の生き物たちと同じように自然に生かされているのだと再認識しました。人間だけが、楽をしたいとか、もうけたいとか、領土を広げたいとか、自分の考えを押しつけようとか、エゴやわがままを通して自然を破壊してしまい、自然のメカニズムを破壊してしまい、地球環境を破壊してしまい、生き物が地球に住めないことにもなりかねません。地球上の生き物全てが滅亡することも考えられます。
 かぐや姫の映画をみて、自然に生かされている事の真実をしっかり受けとめて命を大切にして生きていきたいと思いました。
 原作の竹取物語は、作者不詳の日本最古の物語で、平安時代には成立していたと言われています。また、この物語の発祥の地は、静岡県の富士市だと富士市のホームページに掲載されていました。かぐや姫は、月に昇天していくといううのが一般的ですが、平安時代では、富士山は月にも匹敵するような別世界であり、かぐや姫は、富士山に昇天していったと言うせつもあると聞きました。

「富士百景」山梨県立文学館によれば、
 『「いづれの山か、天に近き」と、問わせ給うに、ある人、奏す、「駿河の国にあるなる山なん、この都も近く、天も近く侍る」と奏す。これを聞かせ給ひて、逢うことも涙にうかぶ我身には死なぬくすりも何かはせむかの奉る不死の薬に、又、壺具して、御使にたまはす。「竹取物語」より
 帝は悲しみのあまり、かぐや姫が残していった不死の薬と書状を、天に最も近い山で焼くように命じる。多くの兵士がこれに従った(士に富んだ)こと、そして不死の山、といううことが「富士」の語源としてここでは語られている。
 中性になると、かぐや姫を富士山の神とする縁起が見え始める。「神道集」巻八「富士浅間大菩薩の事」では、かぐや姫は富士山の仙女として富士の頂上へ帰っていく。夫婦の約束した。時の国司は富士に姫を追い、頂上で身を投じ、二人はその後神として現れて富士浅間大菩薩と呼ばれる、という形になっている。
 「竹取物語」は、近代に入って、加藤道夫が「なよたけ」として戯曲化し、文学座で上演。新しい息吹が与えられた。』と、ある。

 このように、竹取物語は、富士山と非常に深い関係があるといえる。私は、更に今日、富士山が「世界文化遺産」といわれる一つの証を確認した。