車止めピロー:旧館

  理阿弥の 題詠blog投稿 および 選歌・鑑賞など

やっちまったな、俺。

2010年09月20日 | その他
あわわ・・・

文語の動詞の活用形について、今の今まで
根本的な勘違いをしてたことに、先程気づきました・・・

間違い含みの歌、たくさん投稿してきたんだろうなぁ。
恥ずかしいです。

とにかく見直さねば。


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とりあえず題詠2010、2009への投稿歌を見直してみましたが、
間違いは見当たりませんでした。今のところですけど…

それにしても、これまでに詠んだ数百首にどれだけ誤りが
あるだろうと考えると、気が遠くなりますわ。

こすぎさんの百首から

2010年09月20日 | 五首選 - 題詠2010
055:アメリカ
 憧れのアメリカ製クロームグリーンシューズ履かぬまま父逝く


079:第
  なんでだか第二校舎は煉瓦色歴史にきっと負けているのに
077:対
  見上げれば落ちてく気分と対称な息吹に救われ赤色巨星
064:ふたご
  たべ過ぎてふたごのチェリーおもちゃにしても赤い帽子の叱る声なし
052:婆
  確かシゲ婆ちゃんの骨乳白色 でも父の骨硬質の白


生きとし生けるものは、はじまりを知らない。終りも知らない。
認識可能なのは常に途中、途中、途中だけだ。
「限り有る生」に、絶望し切れない理由はそこにある。
死の正体は、逝ったものに尋ねること能わず、
生まれ来る子に教えることも出来ない。

可能な唯一のことは、祈りだけだ。
私自身は宗教的な人間ではないから、祈りといっても
いまも側にいる人々、そしていなくなった人々のことを、
おりにふれ、静かに考えるだけだけれど。
それしか出来ないし、今はそれでいいのだろう。

死を、恒久的な不在と呼ぶとすれば、
生前の不在は、一時的な死と言えるだろう。
その時その時に、身近にいない人物の生存を保証するものは何も無い。
ただ個々人の胸の中に思い起こされることで、その人物は生かされる。
そう考えれば、生者が心に思い起こすことで、
故人はいつまでも生きてゆくことが出来る。
そんな風にときおり考える。

  濃緑の坂なかばにて目をつむれば父母ともに歩めると知る   理阿弥    濃緑=こみどり

櫻井ひなたさんの百首から

2010年09月17日 | 五首選 - 題詠2010
010:かけら
 思い出の手前くらいのかけらがいいあのひとになる一部であれば


095:黒
  真っ黒にして笑ったね初めてのイカスミパスタがハルとでよかった
079:第
  コータより第一関節短くて並んだ小指もあたしたちみたい
029:利用
  再利用出来なくなった山積みの便箋の裏 初恋の跡
022:カレンダー
  カレンダー上では『ケンシュウ』だったけど書けないことももちろんあった


こういうはかない想いを抱くのが、
いちばん切ない生き方なのかもしれないですね。
あぁ、ほんとは一部どころか、
同体になってしまいたいくらいなのに・・・

「手前くらい」という表現が、思い出のかけらという
フレーズを類型化からすくっています。
「かけらでいい」じゃなくて「かけらがいい」ってところに、
想いの強さを感じるなぁ。

  あしたには互いの一部になるんだろうルマンドひとつ分けてつまんで   理阿弥

なんで季節は四つなのだ

2010年09月17日 | その他
急に寒くなって、風邪を引いてしまった。

「今年は秋が無い」と言われていて、
じゃあ逆に、なんで季節は四つなのだろう、
三つでも五つでもいいのに、なんて考えた。
南国は知らないが、世界のどの国でも春夏秋冬に分けている気がする。

基本的には「暑い!」と「寒い!」がまずある。
言葉を喋り始めた、大昔の人間にとって、
これは生存するのに非常に厳しい時期で、とにかくこの二つを区別する。
「夏」と「冬」ができた。
で、それぞれに挟まれた穏やかな過ごしやすい時期を待ち望む。
そうして「春」と「秋」ができる。

そんなことを熱のある頭でつらつら考えていたら、
オフコースの曲『僕の贈りもの』(1973) を思い出した。

冬と夏のあいだに 春をおきました
だから春はすこしだけ
中途半端なのです
この頃はなんとなく こころたのしくて
知らないうちに 誰かを
好きになったりします
それでも好きなひとが
できなかったひとのために
この歌は僕からあなたへの贈りものです  

夏と冬のあいだに 秋をおきました
だから秋はすこしだけ
中途半端なのです
この頃はなんとなく こころさみしくて
知らないうちに 誰かと
すきまができたりします
それで好きなひとと
別れたひとのために
この歌は僕からあなたへの贈りものです

 作詞 小田和正

なーんだ。
みんな同じ結論に至るのだなぁ。

鮎美さんの百首から

2010年09月11日 | 五首選 - 題詠2010
086:水たまり
 祖母逝きて祖母をらぬ秋へちま水たまりし瓶の蓋きつく閉め


096:交差
  烈日に灼かれゐるらむ我が通ひし大学前の交差点はも
085:訛
  しりとりを一語一語とたぐり寄せつつ思ひだす君の訛も
077:対
  対旋律奏づるごとし梅雨明けて百日紅に舞ふ黒揚羽蝶
010:かけら
  西陽差すヴァイオリン工房しめやかに掃き寄せらるる楽器のかけら


手もとに、銀色のエッグスタンドがある。
祖母の形見なんだけど、もらったのはこれだけ。
何故これを殊更に選んだのか、よく分からない。
ゆで卵もそんなに食べないし。

一身上の理由で、葬式には出られなかった。
自分でもまさかそんなことになるとは思ってなかったけれど。
おかげで四年を経ても、いまだに喪失の実感がぜんぜん無い。

それでも思い出の縁と呼べるものにふと出会うと―――
たとえばエッグスタンドとか、オジギソウとか、小さな黒いラジオとか、
でっかいルーペとか、雪の坂道とか、なめらかな敷石とか―――
否応なく気持ちは、もう二度と取り返せない日々へと吸い寄せられてゆく。

そういえば玉子をエッグスタンドとスプーンで食べるのは、祖母の家でだけだった。
銀色の光を眺めていれば、味や匂いや音を伴った記憶が、
食卓を用意している祖母の姿とともに蘇ってくる。
その祖母のいろいろな所作は、少なかれ私にも影響を与えているのかもしれない。
母が年を重ねるに連れて、祖母に似てきているように。

  江別市の雪に転べば祖父祖母の既に亡き坂。坐したり、しばし   理阿弥

Yoshさんの百首から

2010年09月05日 | 五首選 - 題詠2010
033:みかん
 雪合戦 形勢不利でポケットに入れてた冷凍みかんを投げる


084:千
  千の風数えたことがあるのかよ! それでも雨が降るように逝く
080:夜
  夜昼がバク転したる生活は通常世界と切り離される
066:雛
  巣の中の親と雛との殺し合い ホモサピエンスの恩の字薄く
037:奥
  内面の奥のそのまた奥の院 淀が100人 棲み続けるなり


小学校のスケート授業、最後の日の恒例行事がミカン拾いだった。
校庭に作られたスケートリンクに、ミカンを沢山ばら撒いて、
スケートではなく長靴のままで、取り合った数を競うのだ。
滑ったり転んだりが楽しく、冷たいスケート靴を一年間は
見なくて済むのだ、という解放感もまた嬉しかった。

そして雪が本格的に積もり始め、授業はスキー場へと移行する。
みなスキーの方が大好きで、校庭はとても寂しくなる。

やがてスキーシーズンも終わりに近づき、寒さが緩んだころ、
使われなくなったスケートリンク脇の雪山からは、
数個の凍ったミカンが、給食の牛乳パックや缶ジュースなどと一緒に顔を出す。

あ、そうか、春はすぐそこなんだ。

そうして小学生たちは、新しい学年になる準備を始める。

  納戸より出したスケートバッグからミドリの球が。去年のミカン   理阿弥

すくすくさんの百首から

2010年09月04日 | 五首選 - 題詠2010
082:弾
 街路樹をくぐる散弾銃ほどの陽射しと蝉時雨を浴びながら


098:腕
  黄金のまどろみの中落ちてゆき胎児退行する腕枕
079:第
  中指の第一関節ふやふやとふやけてしまうほどの愛情
044:ペット
  どうしても君を失いたくなくて埋めてしまおうペットセメタリ
015:ガール
  スティーブン・セガールみたいな少女来て沈黙だらけで終わったコンパ


木漏れ日が、散弾につけられた傷のようにあたっている。
人類の斜陽に、太陽が厳しく照りつけているイメージが浮かんだ。
昨今の異常気象や、日本の経済状況のせいかしら。
木陰に走りこんでも、強い紫外線が容赦なく刺し貫く。
蝉たちも生命の最期を感じて、声を限りに歌っている。
そんな日々。

アシモフの短編集『われはロボット』(1950) に、
「堂々めぐり」という一篇がある。
2015年の水星で、鉱山技師たちが太陽光に焼かれそうになり、
右往左往するという、スリルにあふれた話なんだけど、
さて、五年後の日本はどう変わってるだろう。
もちろん水星になんか降り立つべくもないし…
「完全に日の没した国」なんて、世界からは言われているのかな。

  アベニューの光の斑を粧えばジャガー。駆け行く陽の沈むまで   理阿弥    粧う=よそおう

じゅじゅ。さんの百首から

2010年09月03日 | 五首選 - 題詠2010
066:雛
 道のべで小さく揺れる雛桔梗 降りみ降らずみリズムを刻み


093:全部
  大丈夫ここなら安全部屋の中 鍵かけてるし女装してるし
039:怠
  夕霞月はおぼろに傾いてそろそろ沈む倦怠期かな
024:相撲
  母としたおおばこ相撲思い出し踏まずに歩く公園の脇
009:菜
  大きめの傘にポツンと花菜雨いつも遅れて来るひとを待つ


なかなか来ないバスを待つバス停でのヒトコマ、
そんな風景が浮かんできました。

下の句が、古風な言い回しと口語表現の組み合わせで
テンポの良い音韻を完成させています。
しかし、一首のポイントは「小さく揺れる」だと思うのです。
日々の生活の、見過ごしてしまいそうなささやかな一瞬が、
雛桔梗に託されて詠まれています。

  雨音の届かぬ部屋にポツポツとコークの炭酸息づきはじめ   理阿弥

空音さんの百首から

2010年08月28日 | 五首選 - 題詠2010
062:ネクタイ
 ときどきは秘密の恋のスリルをくれた例えばネクタイの色とかで


089:泡
  あの泡の記憶はきっと残るだろう路地裏の濃密なビールの
081:シェフ
  三ツ星のリストランテのシェフの名を声高に言う君のアサハカ
063:仏
  あんなにも別れで泣いた葬式でのど仏の骨冷静に見る
008:南北
  ipod10曲ほどの君の街南北線で繋がれている


読みすごしてしまえない、不思議な一首。
韻律としてはちょっと破天荒なかんじ。
分析してみると、
ときどきは・秘密の恋の・スリルをくれた<例えば>ネクタイの・色とかで
5・7・7<4>5・5、となるのかな。

二三回目を通すと、引っ掛かりなく読めるようになる。
体内に定型のリズムが無いと、こういう自由な詠み方は出来ないと思う。
作者の空音さん自身は、意識せずに詠まれているのかもしれないなぁ。
このような遊びがすっと出来ることこそ、
生来の詩人の資質なのではないか、という気がする。

  九谷焼の黄色いピアスを頑なに付けてはくれず破れて、やがて   理阿弥

中村成志さんの百首から

2010年08月28日 | 五首選 - 題詠2010
039:怠
   最近、ネジ式の機械を見ない。
 その中のあたたかさゆえオルゴール怠けるごとく弛みゆき、暗


020:まぐれ
   女子は複数になると、笑ってから話す。
 うすわらいする女学生飛ぶ鳥に小石まぐれで当てたるごとく

075:微
   クオーツは、時に神経に障る。
 死にかけて微かに震う秒針の〈5〉を越えることなきを見つめる

078:指紋
   もう小学四年生だそうだ。
 庭の辺の椅子に彼の日のしいちゃんの指紋のごとき蝸牛ゆく

099:イコール
   調べてみると、ブルマの歴史もなかなか壮絶なものがある。
 同型の紅白帽をイコールでむすべよ〈前に、  習え〉


エロスは停滞をもって完結する。

その最終型は緩やかな死だ。
快感と直結している死のネジを、人は繰り返し巻き上げる。

元気にピンを弾いていた間隔は、徐々に長くなってゆく。
弛緩、停滞、暗。
この死に至る弛緩こそが、生を感じさせる装置なのだ。

――止まらないオルゴールなど誰も手に取らないだろう――

明日もまたネジは巻かれる。
生と、そして死の喜びを得るために。

  粘液の中をうごめく円筒のごとき命よひそり止まれよ   理阿弥

眞露さんの百首から

2010年08月27日 | 五首選 - 題詠2010
095:黒
 人の世に忌み嫌われて黒い羽根しばし休めてひとしきり啼く


005:乗
  乗る人のない助手席の窓を開け流るる髪の残像を追う
012:穏
  穏やかに年を重ねし老人の眼を見返せず目を伏せる我
040:レンズ
  夜明けまえレンズをとおし見る街にいのち吹き込むきみの寝息よ
083:孤独
  晴れわたる雑踏に身を任せても琥珀に満つる百年の孤独


ファーブル昆虫記、少年動物誌、ロン先生の虫眼鏡。
この三冊が、幼少期の自然科学の教科書だった。
このなかの唯一の漫画、『ロン先生の虫眼鏡』(原作:光瀬龍)に出てくる台詞を、
うろ覚えではあるが、ふと思い出した。

「カラスだって、小鳥たちのようにさえずったり、鳴き交わしたい時もあるさ」

カラスは不吉な鳥だよ、と嫌う少年をロン先生がたしなめて言った台詞。
全ての生命にひとしく、穏やかな視線を送る彼らしい言葉だ。
今と違って大昔には、世界各地の民話で神の使いとして扱われたカラス。

作中主体を、集団から押し出されて生活に疲れた人のイメージとして
読むこともできるけれど、ギリシア神話やイソップ物語に出てくるような、
キャラクターとしてのカラスを想像してみたい。
主である太陽神アポロンに、今の不遇な立場を訴えかけているのかもしれない。

  七つの子可愛可愛と鳴く朝も恋うひとネヴァーモアと啼く夜も   理阿弥

砂乃さんの百首から

2010年08月25日 | 五首選 - 題詠2010
093:全部
 ポケットの中身は全部見せあって僕らはおやつをはんぶんこする


082:弾
  「盗ってごらんお前次第だ人生は」父の弾いたコインを掴む
066:雛
  なぜだろう夜店のヒヨコがニワトリの雛だと忘れてまた父は買う
044:ペット
  ピペットの先を咥えたまま「フキ」と言ったあなたにまばたき返す
016:館
  雨降りの水族館の水槽に原始のぼくを探しに行こう


少年少女の世界は、ときには不平等で、ときには不寛容で、そして多くの場合、利己的である。
利己的であるがゆえ、少年時代にお互いに施しあった寛容な処遇は
よく覚えているし、それが永い友情を育む。

「腹、へったなぁ」と言いながら、ポケットの十円玉、五十円玉を寄せあう。
そうして集めたなけなしの小銭で一つ二つの駄菓子を買い、
供したお金の多寡に関わらず、平等に分けあって食べる少年たち。

誰もが自分の記憶の水瓶に、そんな思い出をいくつか浮かばせている。
もしかしたら、いつか観たアメリカ映画の1シーンを自分の経験として
刷り込んでいるのかもしれないのだが。

それらの甘美な記憶は、社会全体が共有している
「無垢で平等であるべき子供時代」というノスタルジーであり、集団的な理想でもある。
大人はその<ノスタルジー>という魂の浄化装置をとおして、
少年たちを羨望の眼で見、あるいは「昔は良かった」といつまでも独り言ちる。
二度とそこには帰れないと、誰もが知っているのだ。

  残照に「アイス喰うひと!」だれとなくプール帰りは杉野商店   理阿弥

天鈿女聖さんの百首から

2010年08月23日 | 五首選 - 題詠2010
054:戯
 鳥獣戯画のうさぎのような人がいてフラペチーノを飲み干している


090:恐怖
  コーヒーを挽く音ばかり書いているスターバックス恐怖新聞
052:婆
  三時間前にサヨナラしたかった 麻婆豆腐の油が浮いてく
022:カレンダー
  カレンダーどおりに春が来るけれど「すみません」しか言えないでいる
015:ガール
  ボーイ・ミーツ・ガール私は踊りだす二倍速したボレロのように


何年か前、プライスコレクションを観に行ったとき、
若冲や芦雪の、そのマンガ的な表現の仕方に関心したのだけれど、
考えて見ればそれより何世紀も前に、鳥羽僧正が「日本最古の漫画」
と呼ばれる傑作をものしていたのだった。

日本人はデフォルメが得意なのだろうか。
画材の制約で、写実的な描写が難しかった事実はあるのだろうけれど、
ミニマルな表現で世界を写し取ろうとしていたことは確かで、
それは歌の世界にも通じているような気もする。

この一首のような日常の一描写は、
スナップ写真をあつめたアルバムをのぞくようで楽しい。

  円筒に押し込まれてる伝票のような男にカツ定おごる   理阿弥

時坂青以さんの百首から

2010年08月22日 | 五首選 - 題詠2010
035:金
 いやらしく見えない金歯じいちゃんと仲良しだからそう見えるんだ


098:腕
  遠いものほど腕のばし行くのだろう星の源(みなもと)見えなくなるまで
078:指紋
  ゆっくりとスポンジで磨くタンブラー君の残した指紋さよなら
037:奥
  「欲しいのは奥さんかなあ」言いながらつないだ右手力入れんな
029:利用
  片付ける利用者の癖想像すこの配置なら君左利き


「知る」ことは、認め許すことの第一歩だ。
知らない人間に攻撃的になるのは容易く、逆は難しい。
テレビで顔を売っている芸能人には票が集まりやすく、
節操のない政党が、躍起になってタレント候補を擁立する。
顔の売れていない候補者は、街宣車で手を振り、また必死で握手を求める。

視覚で判断し、よく知ったものを贔屓にする。
そうやって人間は、生物として生き延びてきたのだから、
そのような習い性があることを、いちど認めなければならない。
その上で、公正な判断力が後天的に獲得できること。
それが、人間がもつほのかに温かい希望なんだろう。

  五つ六つ別れたひとに欠点を教えていただくあばたもえくぼ   理阿弥

龍翔さんの百首から

2010年08月20日 | 五首選 - 題詠2010
050:虹
 私だけ気付いていれば良いのです。時には悲しい虹もあること。


098:腕
  取りに来て。取りに来ないで。腕時計。捨てる。捨てない。捨てようとする。
091:旅
  不謹慎だけど楽しみ。この部屋を出て行くことが。旅行みたいで。
089:泡
  泣きながら揉み洗いした。少しだけ紅いシャボンの泡が弾けた。
041:鉛
  いじめてもいじめられてもいないけれど、白の色鉛筆は減らない。


どの歌も、小説や随筆のどこかに紛れていてもおかしくない気がする。
しかし、短歌としてすんなりと受け入れることが出来るのは、
しっかりした定型感覚が、作者のなかに確立されているからなのだろう。
定型感覚がめちゃくちゃならば、たとえ文語で詠んだとしても、
それは一首として成立し得ない。

そして句読点を使うスタイルが、瑞々しい詩心にマッチしている。
そのことも一首一首に強度を与えているのだろう。
自分らしいスタイルを見つけることは、歌人にとっては
とても重要なことだというのが分かる。
うたの心はそのまま、うたの姿となるのが理想なのだろう。

  雨、師走。少女が見下ろすターミナル朝の市バスはきらきら背中   理阿弥