Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

日記を書く

2010-05-14 07:52:51 | 日記


下のブログに引用したビュトール発言にあった、“エクリチュール”に関して、“昔のブログ(Doblogという)”に引用した、サルトル『嘔吐』とビュトール『時間割』の文章をさがしたが、みつからない。

ビュトールは言っている;《一枚の紙があり、筆記用具があり、そしてその紙に記号を記す》

一枚の白紙とか、新しいノートに、なにかを書き始めるのは、新鮮であった(われら新鮮な旅人!)

たとえば、日記、たとえば、手紙。
『嘔吐』も『時間割』も一種の日記である。

この“ワード”による入力は、知らない漢字も変換してくれるので有難いが、どうもトキメキが失せるのである。

さがした“引用個所”には、この紙に書くことの、新鮮さが書いてあったはずだ。

そして“日記”と“ブログ”と“ツイッター”の、ちがい。

日記を書くとか、“つぶやく”というのは、“だれと”コミュニケートしているのだろうか?


探していた引用はみつからなかったが、別の引用がみつかった(笑)
ジョン・ル・カレ『スクールボーイ閣下』である(この文章は2007年に書いた);



英国諜報部臨時工作員ジャーナリスト、“スクールボーイ”は新たな任務を帯びて香港に派遣される。
スパイ仲間のアパートを借り、独身生活が始まるのだ。

ぼくは男が独身生活する描写がなぜか非常に好きである。
ぼくには男というものは家庭のなかにいるべきでないという根強い偏見が形成されている。

さて、引用しよう独身男の部屋を借りた独身男の描写である。

★ 小さな部屋が三つあり、床はぜんぶおなじ寄木張りだった。毎朝いちばん目につくのはそれだった。というのが、どこにも家具がなくて、あるのはマットレスと、キッチン・チェアがひとつ、タイプライターをおいたテーブル、灰皿がわりの皿一枚、そして美人のカレンダーが1枚。カレンダーは1960年のもので、赤毛美人の魅力はとうに失われている。彼はこのタイプの女をよく知っていた。グリーンの目、勝ち気、指一本ふれたら粟を生じる敏感な肌。あとは電話機、78回転だけの骨董的レコード・プレーヤー、壁の無愛想な釘にぶらさがった本物の阿片吸引パイプ2本。以上が蛮人デスウィッシュの全財産だった。目下カンボジアへ行っている彼から、ジェリーはこのアパートを借りうけたのだった。それからマットレスのそばに、これは自分の書籍袋。

★ ハミングをつづけながら衣装戸棚をあけて、床の古いレザー・バッグから、父親の黄色く変色したテニス・ラケットをとりだした(略)彼は柄をねじってはずし、なかのくぼみから超小型フィルムの容器4個、灰色のミミズのような詰め物、それから計測チェーンのついたおんぼろの超小型カメラをとりだした。彼のなかの保守主義者は、サラットのカメラマンが押しつけようとするぴかぴかモデルよりも、こちらをえらんだのだった。カメラのカセットをはめ、シャッター・スピードをセットし、赤毛の胸で3度ライトをテストしてから、サンダルをぺたぺた鳴らしてキッチンへ行き、冷蔵庫の前にうやうやしくひざまずくと、ドアをとめているフリー・フォレスター(クリケット・クラブ)のネクタイをほどいた。右手の親指の爪を、腐ったゴムとゴムの合わせ目に押しあてて下へおろすと、ばりばり大きな音を立ててはがれた。卵を3個出し、またネクタイをむすんだ。卵がゆだるのを待つあいだ、窓へ行って敷居に両ひじをのせ、防犯有刺鉄線の隙間をたのしげにすかして、海岸線まで巨人の踏み石のようにつらなり下る、彼の好きなビルの屋上をながめた。
<ジョン・ル・カレ『スクールボーイ閣下』(ハヤカワ文庫)>

このあとに彼の部屋からの香港風景の描写が続く。
香港に行きたくなった(笑)
(以上旧ブログ引用)



こういう“独身生活”を描写された“男”は、小説のなかでは、だいたい死ぬのだ。






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