Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

広告

※このエリアは、60日間投稿が無い場合に表示されます。記事を投稿すると、表示されなくなります。

マルクス:フォイエルバッハに関するテーゼ―11

2016-08-03 16:15:14 | 日記

哲学者たちはただ世界をさまざまに解釈してきたにすぎない。

肝腎なのは、世界を変革することである。




コメント
この記事をはてなブックマークに追加

私が夢見る書物;道具として使える思想;ベンヤミン、フーコー、日野啓三

2015-07-25 15:36:16 | 日記

★ 私が夢見ているのは、ごく短いテクストです。ところが書き始めると、いつでも分厚い本になってしまうのです。それにもかかわらず、「これはどこから生まれたのか」と問うことが、まったく意味をもたないような種類の書物を書くことを、いつも夢見ているのです。ほんとうの意味で道具として使える思想を作りだすことを夢想しているのです。それがどこから到来したかは、ほとんど重要性をもたない思想を。まるで落ちてくるかのように、訪れる思想です。大切なことは、ある道具を手にしていて、それを使って精神医学や、監獄の問題を考察することができるということなのです。

<1975年インタビューに応えて;シェル・フーコー『わたしは花火師です』(ちくま学芸文庫2008)>


★ この仕事の方法は、文学的モンタージュである。私のほうから語ることはなにもない。ただ見せるだけだ。価値のあるものを抜き取ることはいっさいしないし、気のきいた表現を手に入れて自分のものにすることもしない。だが、ボロ、くず――それらの目録を作るのではなく、ただ唯一可能なやり方でそれらに正当な位置を与えたいのだ。つまり、そのやり方とはそれらを用いることなのだ。

<ヴァルター・ベンヤミン『パサージュ論 第3巻』(岩波現代文庫2003)>


★ 「墓はからっぽだな」とゴーストが言った。「墓石があるだけだ」
私も実は父の墓に向かって立ったとき、漠然とそう感じたのだが、何となく気おくれがしてそう意識化するのをためらっていたのだ。こういうとき、たいてい彼が現れる。
 
 <日野啓三『台風の眼』(講談社文芸文庫2009)>
コメント (2)
この記事をはてなブックマークに追加

後藤健二ツィート;アラブの兄弟たち

2015-02-01 15:05:16 | 日記

★ 2010年9月7日

目を閉じて、じっと我慢。
怒ったら、怒鳴ったら、終わり。
それは祈りに近い。
憎むは人の業にあらず、
裁きは神の領域。
――そう教えてくれたのは、アラブの兄弟たちだった。



コメント (1)
この記事をはてなブックマークに追加

2015年のはじめに;ふたつの引用

2015-01-11 12:59:45 | 日記

★ わたしが何であるかを正確に認識する必要があるとは思いません。人生や仕事での主要な関心は、当初のわれわれとは異なる人間になることです。ある本を書き始めたとき結論で何を言いたいかが分かっているとしたら、その本を書きたい勇気がわく、なんて考えられますか。ものを書くことや恋愛関係にあてはまる事柄は人生についてもあてはまる。ゲームは、最終的にどうなるか分からぬ限りでやってみる価値があるのです。
<ミシェル・フーコー『自己のテクノロジー フーコー・セミナーの記録』(岩波現代文庫2004)>

★ パリのパサージュを扱ったこの著作は、丸天井に広がる雲ひとつない青い空の下の戸外で始められた。だが、何百枚という木の葉に、何世紀もの埃に埋もれてしまった。これらの木の葉には、勤勉のさわやかな微風がそよめくこともあれば、研究者の重い溜め息が当り、若々しい情熱の嵐が吹き荒れ、好奇心のちょっとした空気の動きがたゆたうこともあった。というのも、パリの国立図書館の閲覧室のアーケードの上にかかる描かれた夏空が、閲覧室の上に光のない、夢見心地の円蓋を広げているからである。
<ヴァルター・ベンヤミン『パサージュ論 第3巻』(岩波現代文庫2003)>



コメント
この記事をはてなブックマークに追加

言葉の流星群;2014年の終わりに

2014-12-25 14:51:59 | 日記

★ 女は庭仕事の手をとめ、立ち上がって遠くを見た。天気が変わる。<M.オンダーチェ:『イギリス人の患者』>

★ 日が長くなり、光が多くなって、太陽がまるで地平線を完全に一周しようとするかのように、だんだん西に、いくつもの丘の向こうに沈んでいくとき、あたしの胸はじんとする。<ル・クレジオ:“春”>

★ 雨がつづいた。それは烈しい雨、ひっきりなしの雨、なまあたたかい湯気の立つ雨だった。<レイ・ブラッドベリ:“長雨”>

★ ぼくらはゆっくりと、恐竜たちの間を出たり入ったりしつづけた。足と足の間を、腹の下を、くぐり抜けた。ブロントザウルスのまわりを一周した。ティラノザウルスの歯を見上げた。恐竜たちはみな、目のかわりに青い小さなライトをつけていた。
そこには誰もいなかった。ただぼくと、母と、恐竜たちだけがいた。<サム・シェパード:『モーテル・クロニクルズ』>

★ 喜びとともに息を凝らした。やはり彼だ。短いようで、長い時間だった。人けの絶えようとする、周囲の目からも奇妙なほど隔絶されている庭の中央で、指先にしばし、大きな複眼と透き徹った四枚の翅を載せていた。<平出隆:『猫の客』>

★ だまされやすい人たちは全員サンタクロースを信じていた。しかしサンタクロースはほんとうはガスの集金人なのであった。<ギュンター・グラス:『ブリキの太鼓』>

★ ユダヤ人は古代の神殿の祭壇で動物を犠牲に捧げ、キリストは十字架に死に、城壁上の流血はその後もたえ間なくつづいた。エルサレムは世界のいかなる都市とも似ず、流血の呪いの中を生きてきたのである。それでも古代ヘブル語のエルシャライムは、「平和の都」を意味するのだが。またその最初の住民はオリーヴ山に斜面に住みつき、爾来オリーヴの小枝は和合の世界的象徴となった。歴代の預言者たちは人間のための神の平和を、ここでいくどとなく宣言し、この地を都と定めたユダヤの王ダヴィデはエルサレムを敬って祈願した。「エルサレムの平和のために祈れ」。<D.ラピエール&L.コリンズ:『おおエルサレム!』>

★ 愛と死。この二つの言葉はそのどちらかが書きつけられるとたちまちつながってしまう。シャティーラへ行って、私ははじめて、愛の猥褻と死の猥褻を思い知った。愛する体も死んだ体ももはや何も隠そうとしない。さまざまな体位、身のよじれ、仕草、合図、沈黙までがいずれの世界のものでもある。<ジャン・ジュネ:“シャティーラの四時間”>

★ 平野には豊に作物が実っていた。果樹園がたくさんあり、平野の向こうの山々は褐色で裸だった。山では戦闘が行われていた。夜になると砲火の閃くのが見えた。暗闇のなかで、それは夏の稲妻のようだった。けれども夜は涼しく、嵐がくる気配はなかった。<ヘミングウェイ:『武器よさらば』>

★ 希望なきひとびとのためにのみ、希望はぼくらにあたえられている。<ベンヤミン:“ゲーテの『親和力』”>

★ 午前一時。皆、寝静まりました。カフェー帰りの客でも乗せているのでしょうか、たまさか窓の外から、シクロのペダルをこぐ音が、遠慮がちにカシャリカシャリと聞こえてくるほかは、このホテル・トンニャット全体が、まるで深海の底に沈んだみたいに、しじまと湿気とに支配されています。<辺見庸:『ハノイ挽歌』>

★ 二日前に雪が降り、京都御所では清涼殿や常御所の北側の屋根に白く積もって残るのを見かけた。大きな建物だから寒かろうと覚悟して行ったが、冬暖かい青空で、光に恵まれた昼となった。<大仏次郎:『天皇の世紀』>

★ どんより鉛色に曇った空の下、山あいから列車が抜け出てくる。女の声「あんなに表日本は晴れていたのに、山を抜けたら一ぺんに鉛色の空になっている」<早坂暁:『夢千代日記』>

★ 多摩川河畔(昼)リモコン飛行機がとんでいる。スーパー“昭和48年8月”<山田太一:『岸辺のアルバム』>

★ 万治三年七月十八日。幕府の老中から通知があって、伊達陸奥守の一族伊達兵部少輔、同じく宿老の大条兵庫、茂庭周防、片倉小十郎、原田甲斐。そして、伊達家の親族に当たる立花飛騨守ら六人が、老中酒井雅楽頭の邸へ出頭した。<山本周五郎:『樅ノ木は残った』>

★ 虚構の経済は崩壊したといわれるけれども、虚構の言説は未だ崩壊していない。だからこの種子は逆風の中に播かれる。アクチュアルなもの、リアルなもの、実質的なものがまっすぐに語り交わされる時代を準備する世代たちの内に、青青とした思考の芽を点火することだけを願って、わたしは分類の仕様のない書物を世界の内に放ちたい。<真木悠介:『自我の起源』あとがき>

★ 日本を統ぐ(すめらぐ)には空にある日ひとつあればよいが、この闇の国に統ぐ物は何もない。事物が氾濫する。人は事物と等価である。そして魂を持つ。何人もの人に会い、私は物である人間がなぜ魂を持ってしまうのか、そのことが不思議に思えたのだった。魂とは人のかかる病であるが、人は天地創造の昔からこの病にかかりつづけている。<中上健次:『紀州』 終章“闇の国家”>

★ 現象学はバルザックの作品、プルーストの作品、ヴァレリーの作品、あるいはセザンヌの作品とおなじように、不断の辛苦である――おなじ種類の注意と驚異とをもって、おなじような意識の厳密さをもって、世界や歴史の意味をその生まれ出づる状態において捉えようとするおなじ意志によって。こうした関係のもとで、現象学は現代思想の努力と合流するのである。<メルロ=ポンティ『知覚の現象学』序文>

★ そこでは、汗の一滴一滴、筋肉の屈伸の一つ一つ、喘ぐ息の一息一息が、或る歴史の象徴となる。私の肉体が、その歴史に固有の運動を再生すれば、私の思考はその歴史の意味を捉えるのである。私は、より密度の高い理解に浸されているのを感じる。その理解の内奥で、歴史の様々な時代と、世界の様々な場所が互いに呼び交わし、ようやく解かり合えるようになった言葉を語るのである。<クロード・レヴィ=ストロース:『悲しき熱帯』>

★ 哲学がもし、考えること自体について考える批判的な作業でないとしたら、今日、哲学とはいったいなんだろうか。また、すでに知っていることを正当化するというのではなく、別のしかたで考えることが、どのようにして、また、どこまで可能なのかを知ろうとするという企てに哲学が存するのでないとしたら、今日、哲学とはいったいなんだろうか。<ミシェル・フーコー:『快楽の活用』>

★人間が意志をはたらかすことができず、しかしこの世の中のあらゆる苦しみをこうむらなければならないと仮定したとき、彼を幸福にしうるものは何か。
この世の中の苦しみを避けることができないのだから、どうしてそもそも人間は幸福でありえようか。
ただ、認識の生を生きることによって。<ウィトゲンシュタイン:“草稿1914-1916”>

★ そのとき、匂いが蘇った。新しい紙と印刷インクの匂いだ。それが彼を取り巻いていた。三十年暮らした中国の村では、活字はどれも黄ばんだ紙に印刷されていた。
もう一度、思い切りその匂いをかいだ。そのとたん、胸がつかえた。胃が暴れ、何かが喉にこみ上げてきた。歯を食いしばってそれを止めると、涙がわっと溢れでた。<矢作俊彦:『ららら科学の子』>

★ 「きみはだれだ? きみはどこへ行くのか? きみはなにを探しているのか? きみはだれを愛しているのか? きみはなにが欲しいのか? きみはなにを待っているのか? きみはなにを感じているのか? きみにわたしが見えるか? きみにわたしの声が聞こえるか?」<ミシェル・ビュトール『心変わり』>

★ 昔し美しい女を知っていた。この女が机に凭れて何か考えている所を、後から、そっと行って、紫の帯上げの房になった先を、長く垂らして、頸筋の細いあたりを、上から撫で廻したら、女はものう気に後ろを向いた。その時女の眉は心持八の字に寄っていた。それで目尻と口元には笑が萌していた。同時に恰好の好い頸を肩まですくめていた。文鳥が自分を見た時、自分は不図この女の事を思い出した。この女は今嫁に行った。自分が紫の帯上げでいたずらをしたのは縁談の極まった(きまった)二三日後である。<夏目漱石:“文鳥”>

★ だが、あらゆる部族の名前がある。砂一色の砂漠を歩き、そこに光と信仰と色を見た信心深い遊牧民がいる。拾われた石や金属や骨片が拾い主に愛され、祈りの中で永遠となるように、女はいまこの国の大いなる栄光に溶け込み、その一部となる。私たちは、恋人と部族の豊かさを内に含んで死ぬ。味わいを口に残して死ぬ。あの人の肉体は、私が飛び込んで泳いだ知恵の流れる川。この人の人格は、私がよじ登った木。あの恐怖は、私が隠れ潜んだ洞窟。私たちはそれを内にともなって死ぬ。私が死ぬときも、この体にすべての痕跡があってほしい。それは自然が描く地図。そういう地図作りがある、と私は信じる。中に自分のラベルを貼り込んだ地図など、金持ちが自分の名前を刻み込んだビルと変わらない。私たちは共有の歴史であり、共有の本だ。どの個人にも所有されない。好みや経験は、一夫一婦にしばられない。人工の地図のない世界を、私は歩きたかった。<M.オンダーチェ:『イギリス人の患者』>

★ 空から光が一面の透明な滝となって、沈黙と不動の竜巻となって落ちてきた。空気は青く、手につかめた。青。空は光の輝きのあの持続的な脈動だった。夜はすべてを、見はるかすかぎり河の両岸の野原のすべてを照らしていた。毎晩毎晩が独自で、それぞれがみずからの持続の時と名づけうるものであった。夜の音は野犬の音だった。野犬は神秘に向かって吠えていた。村から村へとたがいに吠え交わし、ついには夜の空間と時間を完全に喰らいつくすのだった。<マルグリット・デュラス:『愛人(ラマン)』>

★ ぼくの死はぼくを裸にしてしまい、ぼくはぼろ切れ一つさえも身にまとっていることはできまい。ぼくがやって来たように手ぶらで、ぼくは帰ってゆくのだ、手ぶらで。<ル・クレジオ :“沈黙”―『物質的恍惚』>

★ むかしのことを思い出すと、心臓がはやく打ちはじめる。<ジョン・レノン:“ジェラス・ガイ”>

★ それでもジョバンニはどこでも降りない。銀河鉄道のそれぞれの乗客たちが、それぞれの「ほんとうの天上」の存在するところで降りてしまうのに、いちばんおしまいまで旅をつづけるジョバンニは、地上におりてくる。
ひとつの宗教を信じることは、いつか旅のどこかに、自分を迎え入れてくれる降車駅をあらかじめ予約しておくことだ。ジョバンニの切符には行く先がない。ただ「どこまでも行ける切符」だ。<真木悠介『自我の起源 愛とエゴイズムの動物社会学』“補論2”>

★ だが飛行機がふたたび雲から出て揺れもなくなると、2万7千フィートのここで鳴っているのはたくさんのベルだ。たしかにベルだ。ベン・ハンスコムが眠るとそれはあのベルになる。そして眠りにおちると、過去と現在を隔てていた壁がすっかり消えて、彼は深い井戸に落ちていくように年月を逆に転がっていく―ウェルズの『時の旅人』かもしれない、片手に折れた鉄棒を持ち、モーロックの地の底へどんどん落ちていく、そして暗闇のトンネルでは、タイム・マシンがかたかたと音をたてている。1981、1977、1969。そしてとつぜん彼はここに、1958年の6月にいる。輝く夏の光があたり一面にあふれ、ベン・ハンスコムの閉じているまぶたの下の瞳孔は、夢を見る脳髄の命令で収縮する。その目は、イリノイ西部の上空に広がる闇ではなく、27年前のメイン州デリーの、6月のある日の明るい陽の光を見ている。
たくさんのベルの音。
あのベルの音。
学校。
学校が。
学校が

終わった!
<スティーヴン・キング『 IT 第2部 』>

★ 思想史が人間の思想および感情――理性的な議論および激情(パッション)の爆発――をともに取扱うものであることは、あらためていうまでもない。書くこと、話すこと、現実の行為、伝統、などにあらわれる人間の表現の全範囲が、思想史の領域内にある。まったくのところ、野獣の叫び声より判然たる人間の言表なら、ある意味では、そのすべてが思想史の主題になると考えられる。<スチュアート・ヒューズ『意識と社会』>

★ 知識人とは亡命者にして周辺的存在であり、またアマチュアであり、さらに権力に対して真実を語ろうとする言葉の使い手である。<エドワード・W・サイード『知識人とは何か』>

★ 魔女1 この次3人、いつまた会おうか?かみなり、稲妻、雨の中でか?<シェクスピア:『マクベス』>



コメント
この記事をはてなブックマークに追加

タイタニック脱出;勇気の出る本

2014-12-02 13:17:12 | 日記



(大澤真幸発言)

★ もし人文書というものを書く、あるいは読むことの意味があるとしたら、その一つは、「この船を放棄しても大丈夫だ」という確信をもてるようになること。この船を放棄しうる、別の船がありうる、別の可能性を示唆する。そういう希望を抱かせることが人文書の使命だと思うんですよ。

★ ただ今、人文書のほうも力を失いかけていて、そこまでのことができないんですよ。今ある大抵の本は「船のどの部分を修繕しましょうか」という本なんですね。「少し修繕すると、沈むまでの時間が一分延びる」とかね。あるいは「沈む時に怪我の率がちょっと下がる」とか。人文書に限らず今出ている全ての本は、「こういう時でも鬱病にならないためにはどうしたらいいか」というような問題にすり替わっていて、つまりこの船自体が問題だという対応になっていないんですね。

★ しかし僕らがかつて読んだ人文書に感激したのは、その書物を通じて、この世界の「外」がありうる、ということを示された、という実感をもてたからじゃないですか。

★ この沈みそうなタイタニックの外に行きうるということに、どのように我々の感受性や思考を触発していくか。今、そういうことが本に求められていると思うし、僕らだって書くとなれば究極的にはそういうことが目標になってくるわけじゃないですか。

★ 「外」を示唆するというのは、このタイタニック号とは別の船はこうなっていますよと描くこととは違うのです。つまり、この社会の外にある「ユートピア」みたいな別の社会を具体的に提示することとは違う。そうではなくて、読んでいるうちに、われわれは、この船を棄てる自由をもっているということへの勇気のようなものが自然に出てくる本ということです。

<小林康夫+大澤真幸『「知の技法」入門』河出書房新社2014>




コメント
この記事をはてなブックマークに追加

世界の輝き

2014-08-16 12:40:21 | 日記

★ 「あらゆるものの間近にいようなどとしないこと」、これはまさに直接性の信仰に対する警告でもあります。サルトルの思想がもたらした熱狂や流行は、エジプトの若者が抱いたような欲望にそれが応えてくれるかに見えたからであったかもしれません。しかし、それから、わたしたちは「経験を積み」、用心深くなっています。サルトル以後、なにもかもを直接「知ろう」とする欲望にわたしたちは飽いて、「礼節」を守りながら、世界に別の仕方でアプローチしようとしているところかもしれません。ただそうした境地にわたしたちが立つことができるとすれば、それはサルトルを読むことによって、真理に直接到達しようとする欲望がどこに通じており、どこで行き詰るかを知ることができたからです。

★ ただ、わたしたちが、直接的な知への欲望をどこまで断ち切れているかは定かでありません。そもそも、哲学とはそうした真理への欲望に突き動かされてあるのではなかったでしょうか。だから、この欲望を断ち切ることなどできず、いつでも真理に迫ろうとする思いはよみがえるでしょう。そのとき、わたしたちはもう一度サルトルを読み返さなければならないのです。

★ 直接性に到達するためには、直接性を迂回し、むしろ媒介された関係性に身を投じなければならない――これこそはサルトルの試みを踏まえて、これから考えていくべき課題なのです。

★ 最後にもう一度『嘔吐』の最後の場面に戻ってみましょう。そこでロカンタンは「最後にもう一度」ジャズナンバー「いつかある日に」に耳を傾けます。そのとき、世界が一瞬停止し、瞬間と永遠が、自由と必然性がいっしょになり、「救い」がやってきます。では、わたしたちが世界としっかりつながり、そこで存在があるがままに肯定される瞬間というものが、やはりあるのではないでしょうか。世界があるがままに現前し、それがそのまま光り輝いて存在する瞬間があるのではないでしょうか。サルトルが抱いたその思いは、わたしたちが共有するものでもあります。この世界の輝きをわたしたちはどのように受け止めればいいのでしょうか。サルトルが描いた「最後にもう一度」訪れる完璧な瞬間に感動するものは、おそらくまだ存在の直接的な充足の願いをもちつづけているのです。この願いがあるかぎり、わたしたちはサルトルの同時代人でありつづけるでしょう。

<梅木達郎『サルトル 失われた直接性を求めて』(シリーズ哲学のエッセンス2006)>



コメント
この記事をはてなブックマークに追加

亡命者;つかのまの旅人

2014-08-14 12:41:44 | 日記



知識人は難破して漂着した人間に似ている。漂着者は、うちあげられた土地で暮らすのではなく、ある意味で、その土地とともに暮らす術を学ばねばならない。このような知識人は、ロビンソン・クルーソーとはちがう。なにしろクルーソーの目的は、漂着先の小さな島を植民地化することにあったのだから。そうではなくて知識人はマルコ・ポーロに似ている。マルコ・ポーロは、いつでも驚異の感覚を失うことはなく、つねに旅行者、つかのまの客人であって、たかり屋でも征服者でも略奪者でもないからである。

★ 亡命者はいろいろなものを、あとに残してきたものと、現実にいまここにあるものという、ふたつの視点からながめるため、そこに、ものごとを別箇のものとしてみない二重のパースペクティブが生まれる。新しい国の、いかなる場面、いかなる状況も、あとの残した古い国のそれとひきくらべられる。知的な問題としてみれば、これは、ある思想なり経験を、つねに、いまひとつのそれと対置することであり、そこから、両者を新たな思いもよらない角度からながめることにつながる。この対置をおこなうことで、たとえば人権問題について考える際にも、ある状況と、べつの状況とをつきあわせることで、よりよい、より普遍的な考えかたができる。

★ 知識人にとって、亡命者の視点といえるものの第二の利点は、ものごとをただあるがままにみるのではなく、それがいかにしてそうなったのかも、みえるようになるということだ。状況を、必然的なものではなく、偶然そうなったものとしてながめること。状況を、自然なもの、神からあたえられたもの、それゆえ変更不可能で、永遠で、とりかえしのつかないものとしてながめるのではなく、男女が歴史のなかでおこなった一連の選択の結果であるとながめること、人類がこしらえた社会という事象としてながめること。

★ 亡命者とは、知識人にとってのモデルである。なにしろ昨今では知識人を誘惑し、まどわし、抱き込もうと、さまざまな褒賞が用意され、さあとびこめ、さあゴマをすれ、さあ交われと、知識人は語りかけられるのだから。また、たとえほんとうに移民でなくても、故国喪失者でなくとも、自分のことを移民であり故国喪失者であると考えることはできるし、数々の障壁にもめげることなく想像をはたらかせ探求することもできる。すべてを中心化する権威的体制から離れて周辺へとおもむくこともできる。おそらく周辺では、これまで伝統的なものや心地よいものの境界を乗り越えて旅をしたことのない人間にはみえないものが、かならずやみえてくるはずである。

<エドワード・W・サイード『知識人とは何か』(平凡社ライブラリー1998)>



コメント
この記事をはてなブックマークに追加

哲子

2014-08-14 06:36:40 | 日記

”哲学”する女の子?

かわいい!



コメント
この記事をはてなブックマークに追加

近代最初の男

2014-08-12 17:39:55 | 日記

★ ところでご存じねがいたいことは、上に述べたこの郷士が、いつも暇さえあれば(もっとも一年のうちの大部分が暇な時間であったが)、たいへんな熱中振りでむさぼるごとく騎士道物語を読みふけったあまり、狩猟の楽しみも、はては畑仕事のさしずさえことごとく忘れ去ってしまった。しまいにはその道の好奇心と気違い沙汰がこうじて、読みたい騎士道物語を買うために幾アネーガという畑地を売り払ってしまった。

★ こうやって、手に入るかぎりのそういう書物をことごとく己が家に持ち込んできたのであるが、あらゆるこの種の本の中で、あの名高いフェリシヤーノ・デ・シルバの作ったものほど彼の嗜好に投じた作品は一つもなかった。なぜならその文章の明快な点と、あの独特のこんがらがった叙述が、彼にはまるで珠玉とも思われたからであって、中でもどこを開いても『わがことわりに報い給う、ことわりなきことわりにわがことわりの力も絶えて、君が美しさをなげきかこつもまたことわりなり』などと書いてある、ああいう恋の口説や決闘状を読むに及んでいっそうその感を深くしたからである。それにまた、『星辰をもて君が神性をいとも神々しく力づけ、君をしてその高貴にふさわしきふさわしさに、正にふさわしき人ともなし給ういとも高きみ空……』などというところを読んだ時にはなおさらであった。

★ こういうたいへんな叙述のおかげで、哀れにもこの騎士は正気を失って、これを理解し、その意味を底の底までつきつめようと夜の目も寝ずにつとめたのであるが、こればかりはよしんばアリストテレスがそのためばかりによみがえってきたところで、しょせん意味を引き出すことも理解することもできなかったに違いない。

★ 要するに、彼はすっかりこの種の読物にこったあげく、夜はまだ明るいうちから白々と明けはなれるまで、昼は昼でまだ暗いうちからとっぷりと暮れはてるまで、ひたすら読書三昧にふけった。こんな工合に、ろくに眠りもせず、無性に読みふけったばかりに、頭脳がすっかりひからびてしまい、はては正気を失うようなことになった。数々の妖術だとか、争闘、合戦、決闘、手負い、求愛、恋愛、煩悶だとか、その他さまざまの荒唐無稽な出来事など、すべておびただしい本の中で読んだ、ああいう一切の幻想が彼のうちに満ちあふれ、そうしてああいう彼の読んだ雲をつかむような作り事の一切のからくりはことごとく真実で、彼にとっては世の中でこれより確かな話はないと思われたほど、彼の空想の主座をしめたのだった。

★ まったくの話が、思慮分別をとうの昔に失ってしまって、これまで世の気違いの誰一人として思いつきもしなかったような、およそ奇怪至極な考えにおちいるようなことになったのであるが、それはみずから遍歴の騎士となって、甲冑に身をよそおい、馬に打ち乗り、あらゆる冒険を求めて世界じゅうを遍歴し、遍歴の騎士の慣いとして、かねがね読み覚えたあらゆることをみずから実際に行って、こうしてありとあらゆる非行を正し、かつは数々の危険と窮地に身を挺して、見事これらを克服したあかつきには、名声をとこしえに竹帛(ちくはく)に垂るることにもなるということが、己が名誉をいやますにも、国につくすのにも時宜を得た肝要なことと思われたのである。
<セルバンテス『ドン・キホーテ 前編』(ちくま文庫1987)>


★ 小説の第一部と第二部のあいだ、その二巻の間隙で、書物のみの力によってドン・キホーテはみずからの現実に到達した。言語のみからきて、まったく言語の内部にとどまっている現実に。ドン・キホーテの真実は、語と世界との関係のうちにではなく、言葉という標識がたがいのあいだに張りめぐらすこの厚みのない恒常的関係のうちにあるのだ。幻滅におわる英雄譚の作りごとは、言語の表象能力と化した。語はいま、その記号としての性質にもとづいてふたたび閉ざされるのである。

★ 『ドン・キホーテ』は近代の最初の作品である。なぜなら、そこでは同一性と相違性との残酷な理性が記号と相似とをはてしなく弄ぶのが見られるからであり、言語が物との古い近縁関係を断絶して、あの孤独な王者の地位にひきこもるからであり(これ以後言語は、文学としてしか、その峻険な存在においてこの孤独のなかから姿をあらわさない)、さらにそこで、類似が、みずからにとって非=理性と空想とのそれである、あらたな時代を迎えるからだ。
<フーコー『言葉と物』(新潮社1974)>



コメント
この記事をはてなブックマークに追加

友の足音

2014-07-22 20:10:10 | 日記

7月2日の読売新聞「編集手帳」がベンヤミンの言葉を集団的自衛権擁護のために引用したという(俺は読売新聞など購読していない、ネットで知った)

もはや死んでいる人の言葉を、本人の思想に反して使用するのは、死者へのはなはだしい冒涜であると考える。

俺は、ベンヤミンにかわって抗議する(笑)

その“言葉”は、第一次大戦のさなか、まだ20歳代のベンヤミンが、ある友人への手紙に記したものだ;

《 夜のなかを歩みとおすときに助けになるものは、橋でも翼でもなくて、友の足音だ 》 (野村修『ベンヤミンの生涯』平凡社ライブラリー1993)

野村修のこの本は、とてもよい本です、いまなにかをまともに考えたいひとに一読を薦める。




コメント (1)
この記事をはてなブックマークに追加

ジャックナイフ

2014-07-07 11:54:19 | 日記


★ 藤原新也ブログ 2014/07/01(Tue)

集団的自衛権に関する個人的見解(Catwalkより転載。注、クローズドサイトCatwalkとオープンサイトのTalkの内容は同じテーマでも、そのサイトの性格上多少異なる場合があります)。

公明党の賛成を得て今日閣議決定されるに集団的自衛権に関してだが、公明党がずっと集団的自衛権に反対し続けていたのは私個人は当初から茶番だと思っていた。

公明党の母体である創価学会は日蓮大聖人の仏法に基づく「平和・文化・教育」 活動を根幹としており、中でも「平和」は創価学会が内外に向けての活動展開のもっとも重要な会是となっており、安倍政権の持ち出す集団的自衛権に簡単に雪崩合意することは出来ない事情がある。
つまり一定の”抵抗”というポースを取る必要があるのだ。
そのポースは国民に向けてではなく、創価学会員に向けてである。
日蓮大聖人の教えにそむくことを簡単に許しては会そのもののデゾンデートル(存在理由)を失い、あわせて創価学会員に申しわけが立たない。
そういう意味では左派系のメディアなどが、集団的自衛権に異議を唱え続けた公明党を頼りにし、持ち上げていたのは滑稽である。
今日はしごを外され、やっと正体を見ただろう。

公明党が集団的自衛権に反対し続けてきたのは”思想”ではなく内部に一定の理解を得るためのネゴシエーション(とりひき)に過ぎない。
政教分離の原則に則って公明党は創価学会とは異なることを常に標榜し、そういった観点からの論調に目くじらを立てるが、これまで選挙があるたびに私の読者であるということを騙って何人もの人(主にオバサン)が押しかけてきて、公明党のこの候補者を応援してくれと言ってきた。
その人たちはみな創価学会員だった(簡単に素性を知れてしまう実にワキの甘い人々だ)。
ということで公明党の茶番がはっきり収まるべきところに収まったというのが集団的自衛権が閣議決定される今日ということになる。

ところで私はこれまでマスメディアから何度も集団的自衛権に関するコメントを求められている。
近いところでは朝日新聞の「異論」というインタビューコラムがあって、この集団的自衛権に関してのインタビューを求められたのがつい10日前のことだ。
だが私はそのインタビューを断った。
つまりそのコラムのタイトルがそうであるように、最初から集団的自衛権に反対の趣旨を述べてほしいという前提のものだったからだ。
かりに私が集団的自衛権に反対の立場だったとしても、紙面を提供する側が私の思想や思いを最初から決められては困るのである。
特にこういった思想信条に関わることはいかなる誘導尋問もなく、枠組みもなく、白紙の状態で耳を傾けるというのがジャーナリズムというものである。

「ということですでに紙面上ですでに反対という枠組みが出来ており、その範囲内でしゃべるというのはこれはちょっと違うんじゃないでしょうか。
かりにそこで藤原が集団的自衛権に賛成の意見を述べたとするならどうなるのかな」
「藤原さんは集団的自衛権には賛成なのですか」
「いや反対です。
それは多くの人が標榜しているように憲法第九条や平和を是とする大原則に反するという理由からではありません。
私が集団的自衛権反対するのは、つまり他の国とつるんで自国を守るというのは究極的には破綻をきたすと思っているからです。
それはすでに歴史が証明していることでもある。
もっとわかりやすく言いましょう。
戦争というのはひらったく言えばケンカですね。
それも集団のケンカです。
協定のようなものを結び、他の集団とケンカをする。
勝っているうちはいいが、自分の命が危ない、となったとき、自分を犠牲にしてでもつるんでいる人間を助けますか。
あり得ないことです。
たしかにそれは前近代における同民族同士の義兄弟や任侠世界のような濃い連帯関係の中では起きうる美談かも知れないが、血の異なる他民族同士の間では絶対に起こりえない。
それは確信を持って言えます。
しかし集団的自衛権に反対だからといって、無条件で平和を標榜するのもあまりにものどかだと思っている。
日本人は島国の中でこの七〇年平和に暮らして来ました。
20年前に私が読売新聞の文化面で「平和ボケ」という言葉を使って以降自虐好きの日本人はその言葉を多用するようになりましたが、さらにこの平和ボケは深化していると私は思っている。
私は自分の若い時の人生の半分はこの島国ではなく、身ひとつで外の国に自分を曝して来ました。
そしてショットガンからジャックナイフまで武器は常に携帯していました。
軍備をしていた。
危ないからです。
この平和な日本の国境を出るということは何が起こるかわからない。
日本人のように世の中みな”いい人”ばかりではない。
突然とんでもないヤツが目の前に出てくる。
それが世界というものです。
自分の身は自分で守らねばならない。
それが私の基本的な考えです。
つまり私が集団的自衛権に反対なのは、それが甘いと考えているからです。
断っておきますが、私も平和が大好きで、戦争は大嫌いで、人殺しも大嫌いです。
大嫌いだから、そういうものが避けて通ってくれるとは限らない。
現に争いが嫌いな私のようなものが人様に向けてナイフを抜いたこともあります。
残念ながら世界とはそういうものです」

これまで集団的自衛権に関することを書かず、インタビューも受けなかったのは右か左かの二者択一で敵対する傾向にあるこの硬直した世の中にあって、マスでそのような言葉が出た場合そういった複雑な思いが誤解される危険性があると思ったからだ。



コメント
この記事をはてなブックマークに追加

風に吹き飛ばされながら「否!」という

2014-07-02 00:05:48 | 日記

辺見庸“私事片々” (2014/07/01)

★(前略)
非常階段に、すっかりちぢれて黒ずんだ小さな葉っぱが一枚、いじけたように落ちていた。いじけたように、というのは、わたしがおもっただけだ。主観。葉はじつは、いじけてさえいないのだ。あるともなくそこにあったのだ。葉は、ほどなく、木の葉らしい色形を、さらにくずし、ただのクズとして、いや、クズとさえ認識されずに、風にとばされ、世界から消えさってしまうだろう。哀しくはない。空しくもない。葉は葉。無は無。風は風。死は死。それだけのことだ。なにも大したことではない。わたしだってアパートの非常階段上にたまたま舞い落ちた、葉にすぎない。葉と同等である。一枚の病葉。その存在に、ふさわしくないも、みあわないも、割があわないもない。葉は葉だ。どうあれ、いずれはふっと消える。それなら、そうであるならば、それぞれの<場>、それぞれの<時>、それぞれの<声>、それぞれの<沈黙>、それぞれの<身ぶり>で、安倍とその一味をこばみ、安倍を転覆し覆滅しようとすることは、葉の、葉と同等のものの、ちょっとした仕草として、あってもよいのではないか。存在と抵抗と<あがき>に、割があうも割があわないもない。抵抗は、もともとなにかにみあうものではない。一切にみあわないのだ。非常階段上の、ちぢみ、黒ずんだ葉。消えることだけが確約された記憶。それでいい。それがよい。それだからよい。それでもなお、くどくどといえば、アベとかれの同伴者たちはまったく呪わしい「災厄」以外のなにものでもないのだ。覆滅すべし!集団的自衛権行使容認はとんでもない錯誤だ。秘密保護法はデタラメだ。武器輸出解禁も許せない。原発輸出政策もとんでもない恥知らずである。朝鮮半島がかかわる(征韓論者たちを正当化する)史観、およそ反省のない日中戦争・太平洋戦争史観、強制連行・南京大虐殺・従軍慰安婦にかんする破廉恥な謬論、居直り的東京裁判観、靖国観、天皇(制)観、ニッポン神国史観という本音、核兵器保有可能論……どれをとっても、じつは「同盟国」米国でさえあきれている(ドイツであれば身柄逮捕級の)ウルトラ・ナショナリストである。そんなこと、もう言い飽きたよ。口が腐るよ。なによりも、なによりも堪えがたいのは、権力をのっとったアベの一派が、貧寒とした頭で、人間存在というものをすっかり見くびっていることなのだ。国家が個人を虫けらのように押しつぶすのを当然とおもっていることだ。みずからを、(議会制民主主義を批判したカールシュミットの言い方にそくせば)「例外状態にかんして決断を下す者」、つまり国家非常事態(戦争)を発令できる者とかんぜんに錯覚してしまったこと。錯覚したのは本人であり、錯覚させたのはかれのとりまきと自民党、およびファシズムを大いに補完する公明党=創価学会、財界、一部民主党をふくむ親ファシスト諸党派、砂のように無意識に流れてゆく「個」のない民衆、最終的にはいかなる質の権力であれ、権力に拝跪するのだけを法則づけられているメディア……と、いまいったところでなんになろう。しかし、なお、身じろぐのだ。一枚のちぢんだ葉にすぎないわたしは、無為にふるえ、不格好に身じろぎ、声にもならない声で、「否!」といおうとする。風に吹き飛ばされながら「否!」という。




コメント
この記事をはてなブックマークに追加

正常な国

2014-07-01 15:18:59 | 日記

“わたしは日本をセイジョーな国にしたいだけだ”
“なにがセイジョーかは、正常な私が判断する”

―某国(亡国)首相の内心の声(笑)



コメント
この記事をはてなブックマークに追加

友よ

2014-06-30 20:45:07 | 日記

辺見庸ブログ”私事片々" 2014/06/30

★ さて、クロノロジカルにいえば、明日、歴史が大きく変えられる。もともと「ない」はずのものが、今後「ある」ことにされてしまう。参戦権。そもそも現行憲法がみとめていない権限であり、そして歴代政権も「ない」としてきた参戦権を、一内閣がとつじょ「ある」と強弁して、みとめてしまうというのだから、ただごとではない。これは国家権力によるひとびとへのあからさまな暴力にひとしい。憲法は「宣戦布告」と「講和」の権限を規定していない。戦争に負け、戦争を反省し、ゆえに戦争を放棄したのだから、あたりまえである。だから、憲法第9条は2項において「戦力を保持しない」「交戦権を認めない」とはっきりさだめており、これまでの歴代政府解釈も、名うての右派政権でさえ、この2点を、たとえしぶしぶにせよ、みとめてきた、みとめざるをえなかったのだ。じっさいには着々と軍備を増強してはきていたのだが、憲法上にかすれた母斑のように消えのこる平和主義=不参戦主義は、おそらく荒んだこのクニにおける、たった、たったひとすじの理想のあかしではあった。いま、安倍内閣はこの最期の薄ら陽をも、集団的自衛権行使容認により消し去ろうとしている。わたしはそれを受容しない。交戦権が否定されているのに、参戦して他国の防衛をする、すなわち戦争をするというのは、子どもでもわかる大矛盾である。しかし、ことここにいたり、わたしは言葉のたよりなさと、この状況にたたずむことの羞恥と屈辱と、いうにいえない嫌悪とをかんじている。それは、全景がすでに言葉ごとこなごなに砕かれているというのに、かつ、あてはまる活きた言葉のかけらさえないというのに、まるで一幅のまとまった風景をかたるように、「いま」をかたらなければならないからである。いまは、ただここに在るだけで、じゅうぶんに悲惨である。内奥がズキズキと痛い。わたしとわたしらは、とても貶められている。なにかひどいものに晒されている。外部に融けることもできずに、ただ疲れたまま、むきだされている。こうした心象を、外部への「プロテスト」につなげていくのは、筋ちがいというものだろうか。わたしは数日よくよくかんがえてみた。ひとはひとをたえず殺しつづけてきた。それらの「ひと」は歴史一般の他者ではなく、わたしやあなたをふくむひとだ。わたしやあなたをふくむひとはいまも、ひとを殺しつづけている。沈黙により傍観により無視により習慣により冷淡により諦めにより空虚さにより怠惰により倦怠により、みずからを殺す衝迫をかんじつつ、ひとを殺しつづけている。それはむしろ常態化している。だが、だからといって、今後ともそうであってよいということにはならない。鬆(す)のように疎外されたこのような心象を、外部への「プロテスト」につなげていくのは、筋ちがいというものだろうか。数日かんがえた。わたしはおもう。筋ちがいではない。わたしは内面の鬆をさらけだして、それらとこのクニの参戦という事態をつなげて、安倍政権に永遠に敵対することとする。この病んだ政権が、ファシストの、右翼ポピュリストの、国家主義者の砦だからという図式的な理由からではない。それよりも、この政権の全域をつらぬく人間蔑視、弱者・貧者さげすみ、強者礼賛、あられもない戦争衝動、「知」の否定、財界すりより、ゼノフォビア、夜郎自大、組織的大衆(メディア)操作、天皇制利用……が堪えがたい段階にまできているから、安倍政権をうちたおすべきだとおもった。でなければ、わたしの内面にはさらに多くの鬆がたつからだ。この政権とその同伴者たちには、かつて精神科病院の入院患者らを「優生学的見地」から多数薬殺したナチス政権と似た、なにかとてもいやなにおいがする。安倍政権はそれじしんひとつの災厄である。本ブログの読者たち、友人たちに、わたしは「たたかい」をよびかけない。「連帯」もしない。連帯を呼びかけない。それぞれがそれぞれの<場>とそれぞれの局面で、それぞれの声を発すればいいのだ。もしくは、あくびして、まどろめばよい。もうなにも規範はない。あってもよかった平和的規範を安倍とその一味は毀した。主体はみずから解体された。許されるべきではない。友よ、痙攣のように抗うか、まどろむか、だ。エベレストにのぼった。





コメント
この記事をはてなブックマークに追加