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鮮魚街道(なま街道)チャレンジagain 前半戦

2020年05月10日 | ワジチャンのつぶやき
6年ぶりのチャレンジです。6年前の記事はこちら

まず冒頭の地図ですが、「白井」と書いてある方に伸びているルートは間違えて引き返しました。トホホ。
大変なロスタイムです。

スタートは布佐の都というところ。まずはここまで約27キロほど自転車で行くことになります。

「鮮魚(なま)街道は利根川中流の布佐河岸から松戸の江戸川納屋河岸までを結ぶ約30kmの物資輸送路である。夏は銚子から利根川を関宿までのぼり、江戸川で行徳船航路を経由して日本橋行徳河岸まで船輸送された鮮魚だが、大型高瀬舟が関宿まで遡れない渇水期には布佐河岸で陸揚げされ駄馬で陸路松戸納屋河岸まで輸送された後、そこから江戸川を下って江戸に送られた。夕暮れに銚子をでた鮮魚は夜明けに布佐で積み替えられ、その日の午前中に松戸に到着、翌朝には日本橋魚市場に並べられたという。」





はるか銚子から布佐まで来て陸路を運ぶというなま街道。スタートの地は2011年の大震災の時に液状化現象の被害を受け、忘れないためにも復興会館を建てたとのこと。この地は、元々は沼だったところを埋め立てたので液状化が起こりやすい地形となっています。





さて、ここからいよいよスタート。今回なぜ再挑戦したかというと、たまたまグーグルマップを見ていたところ、とても詳しく「鮮魚街道」の記載があることに気付いたからです。そしたら、以前にたどっていたところがちょっと違うことに気付いて、これはリベンジ企画だ!となったのです。





手賀沼の下流、手賀川を渡り、細い街道を進む。こんな静かなところがかつては賑わっていたのかというのが、所々にあり興味深い。







印西から流れる亀成川を渡り大杉神社を過ぎると木下街道とほんの少し合流します。すぐに郵便局を曲がり裏道に入るが、坂を登ると「浦部せんべい」のところで再合流。



少し進むと阿夫利神社がある。ここを神社方面に行くのを忘れていて、木下街道を進んでしまった!うーん。失敗。戻ってくるのに大変な時間をロス。



しばらく田舎道が続くもののすぐに工業団地の一角に入り、淡々と進む。工業団地を過ぎると富塚の16号との交差点。このさきに常夜灯があるのを前回は見付けられずにいた。







この短い区間になま街道の痕跡が。

そしてなま街道の中間点というここ常夜灯、未だに保存されていることに感謝。





今回の目的が一つ達成された。
解説の文を是非お読みください。



この先は海上自衛隊下総基地に阻まれる。グーグルマップには迂回した形でなま街道が記されているが、かつての街道はここを突っ切れていたのだろうか?または以前より何かがあったから自衛隊基地となったのだろうか?



下総基地の北を通るときに目立つお店「むこたまファーム」。6年前はソフトクリームを食べました。



下総基地を大きく迂回したあとは、ほぼ「県道松戸鎌ケ谷線」と同じ道を進むのであまり特筆する事項も写真もありません(笑)。唯一あったのが次の写真ですが、文字は読み取れませんでした。



六実、五香と県道を走り、五香の西口からは県道の一本北の住宅街の道がなま街道。ここはよく地元ランクラブで走る道で、娘たちの通った常盤平中の南側の道でもあります。ここは野馬除け土手のあったところなので、土手の縁をこの街道が通っていたのだと想像出来ます。



常盤平中の近くの「子和清水」
その逸話はこちら。
「むかし、金ケ作に酒好きな老人が住んでいた。貧しい暮らしにもかかわらず外から帰るといつも酔っているのを不審に思った息子が後をつけてみると泉の水を旨い酒だといって呑んでいた。息子が飲んでみるとただの清水であった。これを聞いて人々が「親は旨酒、子は清水」というようになった」



この道をそのまま行くとほぼわが家の前に来ます。今回はここまで。
全制覇を一日でやりたかったのですが、ロスタイムが大きく、残りの松戸までの区間は後日ランにて行う予定とします。

後半戦をお楽しみに!



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