テレビを見ていたら(1品50円)という店のことを放送していました。
買えばその店で食べてもいいし持ち帰ってもよくて、
最近始められたその店はけっこう人気店のようです。
なんでも店長さんは以前外食産業の店長のしごとを
10年くらいしていたけれど、毎日2時間ほどの睡眠しか取れないような
生活なので、そこを止めてとうとう路上生活者になったそうで
その生活から一転、色んな方の協力で店を始めたという事でしたが、
その主人の瞳が透き通っているのに魅かれました。
薄利でも皆に喜んでむらって店を続られたらうれしい
という思いがそのまま瞳に現れているようでした。
また別の日
テレビを見ていたら安い土地を買い(小さな小屋)を自分で建てて
つましく暮らす人を放映していました。
髙い家賃や住宅ローンもなく幸せですと言うその人の瞳も澄んでいました。
以前禅寺に安居していた時も(瞳のキレイナ修行の人)が
沢山いました。そこでは着るモノも襤褸であったり
食べたいモノも自由に決めることもできず給料も有りません。
それなのに沢山の修行の人が寺にやってきました。
ただ長い修行を続ける中で本当に最後まで奇麗な瞳の人は
なかなかそんなに居ないように思いました。
何かを得ようとする思いが強くなると
澄んだ瞳が少しづつ濁るようです、、。
買えばその店で食べてもいいし持ち帰ってもよくて、
最近始められたその店はけっこう人気店のようです。
なんでも店長さんは以前外食産業の店長のしごとを
10年くらいしていたけれど、毎日2時間ほどの睡眠しか取れないような
生活なので、そこを止めてとうとう路上生活者になったそうで
その生活から一転、色んな方の協力で店を始めたという事でしたが、
その主人の瞳が透き通っているのに魅かれました。
薄利でも皆に喜んでむらって店を続られたらうれしい
という思いがそのまま瞳に現れているようでした。
また別の日
テレビを見ていたら安い土地を買い(小さな小屋)を自分で建てて
つましく暮らす人を放映していました。
髙い家賃や住宅ローンもなく幸せですと言うその人の瞳も澄んでいました。
以前禅寺に安居していた時も(瞳のキレイナ修行の人)が
沢山いました。そこでは着るモノも襤褸であったり
食べたいモノも自由に決めることもできず給料も有りません。
それなのに沢山の修行の人が寺にやってきました。
ただ長い修行を続ける中で本当に最後まで奇麗な瞳の人は
なかなかそんなに居ないように思いました。
何かを得ようとする思いが強くなると
澄んだ瞳が少しづつ濁るようです、、。