私、希少がんP-net患者です

1996年に膵臓手術時は病名も不明。
膵内分泌腫瘍は10万人に一人の希少がん。
通称名 P-net(ピーネット)

病気の始まり

2012年02月22日 | 日記

このブログを書くにあたり 膵内分泌腫瘍P-netの事を調べている方の目につきやすくしていきたいと考えています。


言葉の使い方でブログで検索してる情報の必要な方にヒットするにはどうしたらいいのか…


ない頭をひねくりまわしながらの投稿です。


 


まずは発病の経緯について書いてみますね~


1996年は、主人が転勤を命じられ家族で県外に引っ越しをした翌年です。


家族で転居したのは子どもたちがまだ小学校三年生と小さかった事や引っ越す先が自然に恵まれた地域だった事などがあり


思い切って家族での転居を実行したのです。


主人の仕事はもちろん、子どもたちも転校した学校での毎日を楽しく充実して過ごせるようになってきたころ


私自身は?と考えると・・・ 家族の事に一生懸命で自分はまだ友だちも居ずなんとなく空虚な気持ちにもなっていたんです。


 


朝、目が覚めた時からお腹に変な圧迫を感じる事がありました。


ちょうど場所で言うと胃のあたりでしたので気分的なイライラがこんな形で現れるのか?と思ったり


夕べ食べたものが消化されずにいるんだと勝手に思ったり


本当に朝の目覚めから 胃のあたりを手でさするような仕草が自然に出ていました。


あとで考えたらあの時の圧迫感はすでに異常な事だったのに慣れない土地だったこともあり病院には行きませんでした。


まぁ、病院に行ってもすぐに判断出来る症状でなかったこともあとになって分かる事ですが・・・


 


そんな不快感がしばらく続く中、日常はごく普通に過ごせていたのですが


徐々に不快感が耐えられなくなってきて 横になったり胃薬を飲んだりするようになってきて


ある週末、家族でちょっと遠くまで釣りに行く事にしていたのですが


前日からの不快感が収まらなくなってきて 食欲もなくなり お水を少し飲むのがやっとという具合になり


釣りの目的地に着くころには脂汗が顔も体中も流れる状態でその不快感を堪えるのがやっとの状態でした。


釣り場には主人の友だち家族も来るとの約束があったため必死に我慢をして到着はしましたが


主人の友だちの奥さんが私を見るなり救急車を呼ぶか、どこか近くの病院に行った方がいいのではないか?と心配してくれました。


私はこれまでに大きな病気の経験がなかったのでもう少し我慢すれば治るのではないか?と思ったり


盲腸とかかもしれな?と考えて片足けんけんをしたり・・・ 盲腸の場合、けんけんすると差し込むような痛みが出ると聞いたのです。


 


でも、やっとでけんけんを試しても痛みに変化が起こることはなく ただただ圧迫感のある不快な感じがずっと続きました。


そこで結局、家から二時間以上も離れた病院に行くより自宅近くの方がいいと すぐにまた帰る事にしました。


もちろん途中で救急病院に行くことも考えましたが、自分で言うのもへんですが、


元来生真面目な私は健康保険証を持たないと病院に行けないとの考えでとにかく帰路に着きました。


 


車に乗っていてもリラックスできる姿勢ではありません。背中を背もたれに寄りかからせるような事も出来ませんでしたので


両手で身体を浮かすように少し前かがみになったような姿勢でハァハァと息もあがり脂汗も止まらないまま家に着き


すぐに保険証を持ち、主人の職場近くにある救急対応の病院に行きました。


 


救急対応の看板があるからと言って信用してはいけません。


一応白衣を着た先生のような人は居ましたが、どうも学生だったようです。


医者になる勉強をしている学生さんなのでしょうが、結局は何も分からないしなんの検査も出来ないままに単なる鎮痛剤を処方されただけです。


日曜日はレントゲン技師も居ないし判断力のある医師も居なかったのです。


 


それでも処方された鎮痛剤が効けばそれでいいからとすぐに家に帰り薬を飲み横になりました。が、寝て居られる状態ではなく


夜になっても苦しさが楽になる事はありませんでした。


調べると市内に国立の総合病院がある事がわかり、藁をもすがる思いで夜間当直の窓口に電話をして診てもらう事にしました。


 


ここの病院もやはり週末は対応が完全ではなく検査も簡易検査のみだという事を言われ


取りあえず尿検査をしますからと紙コップを渡されました。


 


家でトイレに行ってきたばかりなので検査できないと困ると思いながらトイレに行くと尿意はないのに出たのです。


真っ赤な尿が。


尿と言うよりも出血だったのです。


紙コップを手渡しながら先生の顔を見ましたが、先生は眉間にしわを寄せていました。


先ほど行った病院ではここまで明らかな異常が現れていなかったのが もうこんな異常事態です。


先生から「こんな状態では入院していただかなくては…」と言われ、即座に入院が決まりました。


 


入院したのは泌尿器科。


とにかく最初の症状が血尿ですから当然と言えば当然なのですが抗生剤の点滴などの処置をしてもらい病院のベッドでようやく眠れた事を覚えています。


翌日の月曜日からは泌尿器科の先生が出来る検査を色々とやってくださいました。


血尿の原因を探りつつもなかなか分からずにいつの間にか血尿は収まっていました。


泌尿器科から内科に移り、やはり検査に次ぐ検査。血尿やあの不快感の原因がなかなか判明しないままに月日が過ぎました。


最初は点滴だけで栄養を摂り様子を見ていましたが食事も普通食になり消化器系にも特に異常が見当たらないまま・・・


 


先生方の思いつく検査はほぼやりつくした頃、胃のバリウム検査をしました。


当時のバリウムはそれはもう不味くてゲップも我慢など出来ないような気持ち悪いもので私にはすっかりトラウマになっているのですが


検査中身体の向きを色々な角度に動かして見た時に胃の形に異常がある事が分かったのです。


 


バリウムの翌日に胃カメラ検査です。 こんなの健康体の人だって参ってしまうようなスケジュールですよ


でも、仕方ありません。もう一か月以上も原因不明の患者ですから…


胃カメラでは胃の内部には何も異常が見つかりませんでした。


けれども胃の構造に何か異変がある事は分かったのです。


つまり、胃を周囲の何かが押している事が分かったのです。


そこでCTとMRIを撮り直して・・・前にも撮ってはあるのですが胃の周囲に念入りに撮り直してみたら胃の後ろの膵臓に異常が発見できたのです。


膵臓は胃の後ろに隠れている臓器なので見落としてしまう事が多いそうで、しかもきちんと確認するにはお腹を切って見るしか方法がなかったのです。


 


そこで私のベッドはまた移動する事が決まりました。


今度は外科病棟です。 


手術をすることが決まったような事で恐れはありましたが、流石にこんなに長い事入院するとは思っていませんでしたから 


やっとやるべき治療が決まったという事にホッとしたのを思い出しました。


 


 


 


私の病歴はこれからまだまだ続きます。


今回はここまでで・・・


 


 



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