切られお富!

歌舞伎から時事ネタまで、世知辛い世の中に毒を撒き散らす!

なぜ、支持されない黒澤作品リメイクが作られるのか?

2007-09-10 23:59:59 | アメリカの夜(映画日記)
先日放送された黒澤映画のリメイクドラマ「天国と地獄」と「生きる」を観て、悲憤慷慨された黒澤明ファン、映画ファンは全国にどれくらいいたことだろう。オリジナルが傑作であることは今更言うに及ばないとしても、作り手すら「冒険」としか思っていないこのリメイク企画シリーズの背景について、改めて考えておかないといけないんじゃないかなって、わたしは思いましたね。

以前もちょっと記事に書いたことがあるんだけど、黒澤プロがデザイン・エクスチェンジという会社に、黒澤作品のリメイク化の窓口権を4億円で売ったという話がそもそもの発端。

・デザインエクスチェンジ、黒澤プロダクションと故黒澤明監督の生誕100年記念事業で提携

だいたい、4億もお金を払った側とすれば、リメイク企画をどんどん進めなければ払ったお金が丸損になってしまうわけで、今回の二本のテレビ・リメイクや、すでに公開予定のリメイク映画『椿三十郎』(森田芳光監督)と『用心棒』(崔洋一監督)でおしまいにはならないことは容易に想像される。

また、どこが仕切っているのかよくわからないのだけど、缶コーヒーのCMに黒澤明御大の姿まで登場。故人の肖像権の問題や『影武者』と思しき映像が使用されていることからして、黒澤プロの関与は当然だし、黒澤プロとデザイン・エクスチェンジの共同事業の一環なのではと考えても無理はないでしょう。

しかし、これらのリメイクや映像使用が黒澤明ファンに支持されるものなのか、或いは、新たな黒澤明ファンを開拓することになるのかは、まったくもって、わたしには疑問。むしろ、「黒澤明ってこんなものなの?」という誤解さえ生みかねないというのがわたしの懸念なんですよね。

まず、今回オンエアの「天国と地獄」に引きつけて言うなら、そもそもオリジナル映画の面白さは、脚本によるものではない。たとえば、シネスコの細長い画面を想定しているから、ガラス張りの邸宅という設定が活きるのだし、白黒映画だったから赤い煙だけ色が付くという手法(パートカラー)が映像効果としてインパクトがあった。つまり、脚本段階で撮影手法が頭にあるから優れた映画脚本だったということなんですよね。

また、そもそもの「そもそも」論でいうなら、黒澤明脚本の思想性というのはあまり深みのあるものでなく、かつて三島由紀夫が大島渚との対談で揶揄したように「中学生レベルのヒューマニズム」というのは、残念ながら一面を突いている。

ただ、思想なんかどうでもよくなってしまうような、映像の力があったんですよね、むかしは。(それに、思想なんかなくたって、歌舞伎や文楽は素晴らしいですよ!)

と、まあ、わたしの書いているようなことは、今回のリメイクドラマのスタッフも当然知ってはいるんだろうけど、<負け戦覚悟>で引き受けてしまったってところなんでしょう。だって、滅多にない機会だし…。(だから、監督だけが悪いわけじゃあないんじゃないかって、わたしは思っていますが…。)

で、ついでに言っておくと、戦後の代表的なクリエイター、黒澤明、手塚治虫、松本清張に共通するのは、ある種の左翼的社会観であって、だからこそ貧富の問題を「天国と地獄」というタイトルにできたわけだけど、今なお存在する貧富(格差)の問題は、豪邸に住む金持ちとスラム街に住む貧乏人という対比では、リアルに感じられないような変化に現状は根ざしているわけで、オリジナルそのまんまの設定では、見ている側も決して身につまされない。

なお、「生きる」の方は、録画したけど観る気は起きません。だって、松本幸四郎のめそめそした芝居なんて観たくないでしょう。オリジナルの志村喬という微妙なキャスティングのミスマッチが今になってよくわかります。

それと、個人的には黒澤明の名作『生きる』は、黒澤がドイツ表現主義の誇張した表現法に接近した作品だっていうのがわたしの評価。(たとえば、役所に積み上げられた古い書類の大げささを観てください。わたしは、ムルナウの映画や『カリガリ博士』なんかを連想します。)

そんなわけで、ながながと、取りとめもなく書いてきましたが、黒澤明、手塚治虫、美空ひばりといった"偉人"の業績を継いでいる相続者の問題って、いろいろ考えてしまうなあというのが、わたしの正直な感想です、余計なことだけど。

PS:2ちゃんからこの記事にきた人のために回答となる記事を書きました。是非お読みください。
 また、2ちゃんで訳知り顔でものをいっている連中はただのバカ!単なる素人で、デタラメ発言連発してますね。頭の悪さもここまでくると犯罪です。
 ちゃんとした映画の著作権について知りたいあなたは「あいかわらず、2ちゃんって、バカばっかり。」というわたしの最新の記事を読みましょう!では!さあ、クリック!


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19 コメント

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追伸 (切られお富 )
2007-09-23 10:06:45
読み返したら、一部言ってる事がわからなかったので(!)、ちょっとだけ直しました。

特に主張は変わりません。
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Unknown (南風)
2007-11-07 15:55:44
>黒澤プロがデザイン・エクスチェンジという会社に、黒澤作品のリメイク化の窓口権を4億円で売ったという話がそもそもの発端。

ちょっと事実関係に誤解があるみたいですが
「椿」「用心棒」のリメイク化権を買ったのは角川春樹ですし、現在ハリウッドで映画化進行中の「七人の侍」とかも、デザイン・エクスチェンジとは別口です。ドラマのリメイクは「椿」にTV朝日が出資してるから、その前宣伝としてテレビ朝日が企画したものです。繰り返しますがデザイン・エクスチェンジとは無関係です。将来的には、これらの作品も現在の契約が切れればデザイン・エクスチェンジが窓口になる可能性はあるでしょうがね。
返信する
Unknown (南風)
2007-11-07 15:58:58
>故人の肖像権の問題や『影武者』と思しき映像が使用されていることからして、黒澤プロの関与は当然だし、黒澤プロとデザイン・エクスチェンジの共同事業の一環なのではと考えても無理はないでしょう。

これは桑田が黒澤ファンであることから自分で企画を提案したようです。当然、黒澤プロの許可は得てますが。
それから使用されてるのは「乱」のメイキングビデオからの映像ですね。
返信する
Unknown (南風)
2007-11-07 16:06:42
>かつて三島由紀夫が大島渚との対談で揶揄したように「中学生レベルのヒューマニズム」というのは、残念ながら一面を突いている。

これ新聞記者が三島にあるパーティーで質問した事に対する返答だったはずです。

中学生といっても今の中学生じゃない。
昔の旧制中学生ですよ。
昔の旧制中学生は今と違ってずいぶん立派でしたよ。

というのが後に続くんですね。
この部分があるとないとでは随分印象が違ってくるわけですが。
返信する
Unknown (南風)
2007-11-07 16:11:42
>そんなわけで、ながながと、取りとめもなく書いてきましたが、黒澤明、手塚治虫、美空ひばりといった"偉人"の業績を継いでいる相続者の問題って、いろいろ考えてしまうなあというのが、わたしの正直な感想です、余計なことだけど。

ひがみなんでしょうね。
黒澤プロについては遺産よりも借金の方が多かったおかげで、未だに大変みたいですが。
黒澤記念館も未だに建設できてないですし。
返信する
Unknown (南風)
2007-11-07 16:24:17
>また、そもそもの「そもそも」論でいうなら、黒澤明脚本の思想性というのはあまり深みのあるものでなく

思想ですか・・・

黒澤明は「天国と地獄」に限らず
思想を描こうとして映画を作ってたわけでも
ないので深いも浅いもないと思いますが。

元々思想性がないのですから。

「生き物の記録」で
三船の「こんなまだ何もわからない者(赤ん坊)を殺されてたまるか」という台詞。
ここには、愛する物を守りたいという思いがあるだけで、反核反戦みたいな思想など無縁です。

むしろ、そこが黒澤の強みなのだと思ってますが。
返信する
ご回答。 (切られお富)
2007-11-15 22:10:28
たくさんのコメントをありがとうございます。

遅くなりましたが、反論をさせていただきます。

では、

>ちょっと事実関係に誤解があるみたいですが
「椿」「用心棒」のリメイク化権を買ったのは角川春樹ですし、現在ハリウッドで映画化進行中の「七人の侍」とかも、デザイン・エクスチェンジとは別口です。

著作権法の世界でも、映画のリメイク化権という権利の考え方は新しいものなのでわかりにくいのですが、わたしの文章をよく読んでいただければ、デザインエクスチェンジ(以下、面倒なので「DE社」)が持っているのは「リメイク化の窓口権」、つまり交渉の「窓口権」だと書いてありますよね?

DE社を窓口に許諾商売を行っているってことですよ。つまり、DE社はライセンス事業会社であるということだから、自身が製作会社としては機能していないってことです。

だから、黒澤プロ→DE社→角川春樹という流れでライセンス、サブライセンスが行われていて、DE社はあらかじめMG(ミニマム・ギャランティー)を黒澤プロに払っているという構造をまず抑えるべきでしょう。

そして、MG回収のために許諾業務を活性化させているのは当然のビジネス感覚ではあります。

>(CMについては、)これは桑田が黒澤ファンであることから自分で企画を提案したようです。当然、黒澤プロの許可は得てますが。
それから使用されてるのは「乱」のメイキングビデオからの映像ですね。

あのCMがシリーズ化したことから、広告代理店の企画なんでしょう。もちろん、桑田もコメントを求められれば「ファンだった」くらいのことは言うように指示されてると思いますが。

『乱』のメイキングだったというのは、教えていただいてありがとうございます。

>(「かつて三島由紀夫が大島渚との対談で揶揄したように『中学生レベルのヒューマニズム』というのは、残念ながら一面を突いている。」という発言を受けて)これ新聞記者が三島にあるパーティーで質問した事に対する返答だったはずです。
中学生といっても今の中学生じゃない。
昔の旧制中学生ですよ。
昔の旧制中学生は今と違ってずいぶん立派でしたよ。
というのが後に続くんですね。
この部分があるとないとでは随分印象が違ってくるわけですが

これは、「映画芸術」という雑誌で、小川徹司会、大島渚、三島由紀夫がやった有名な対談(「ファシストか革命か」した際の発言です。現在では「三島由紀夫映画論集成」という映画プロデューサー藤井浩明氏らが編纂した本で全文が読めます。

問題の箇所を引用すると、

小川「黒澤明はどうですか?」
三島「テクニシャンですよ。すばらしいテクニシャンですよ。思想はない。思想は中学生ぐらいですね。昔の中学生と今の中学生をくらべるとえらいよ、ずいぶん。」

まあ、三島発言をどう読むかは読んだ人の判断ですが、「中学生」が出てくる前に「思想はない」という発言が出てくるんだから、「思想は中学生」発言は、「思想は書生レベル」という意味で言ってるんだってわたしは解釈しますけどね。

尚、戦前の教育システムについては、わたしは以前調査したことがあるんですが、旧制中学がエリートだった背景には、中学まで子供をやれる家庭が圧倒的に少なかったという経済事情があるんですよ。だから、旧制中学だから、とてつもなく優秀だったということにもならないと思いますけど。

>(「黒澤明、手塚治虫、美空ひばりといった"偉人"の業績を継いでいる相続者の問題って、いろいろ考えてしまう」という発言を受けて、)ひがみなんでしょうね。

別にひがんじゃいませんが、上記三人の権利を引き継いでいる人たちが、法外なライセンス料や理不尽なことをを要求してくるというのは、業界では有名です。

>そこ(思想がないこと)が黒澤の強みなのだと思ってますが。

基本的には同意しますし、上記の記事でもわたしは、

「思想なんかどうでもよくなってしまうような、映像の力があったんですよね、むかしは。(それに、思想なんかなくたって、歌舞伎や文楽は素晴らしいですよ!)」

と書いています。

また、表現にとって思想の深みが不可欠だと思ったことはありません。だから、古典芸能に入れあげているわけですからね。

とりあえず、以上。
返信する
Unknown (南風)
2007-11-16 18:41:28
デザイン・エクスチェンジの件については
時系列的にあなたの主張には無理があります。
角川春樹やアメリカでの「生きる」「七人の侍」のリメイク権は同社が権利取得する前に売却されたものです。
一番確かなのは同社のpdfファイルのプレスリリースを読んでみることです。誤解されてることを理解していただけるでしょう。以下引用。

2.取得する権利の内容
①故黒澤明監督が単独または共同で書いた脚本71 作品のリメイク(再映画化その他)取りまとめ窓
口権(ただし現在第三者に許諾している数作品については、許諾期間終了後に取りまとめ窓口と
なります。)

御指摘のあった三島発言の私の間違いもそうなのですが、思い込みだけで事実をよく確認せず発言することは慎むべきでしょう。
返信する
Unknown (南風)
2007-11-16 19:32:40
>上記三人の権利を引き継いでいる人たちが、法外なライセンス料や理不尽なことをを要求してくるというのは、業界では有名です。

そもそも、それに対しお金を払う人達は何を目的にしてるのでしょう?

もちろん、それを使って自分たちが金儲けをするためです。

遺族を救済するための慈善事業でやってるわけでは
ないですから、支払う対価に見合う収益は得られそうにないと判断するなら、当然金は出しません。

契約は双方の合意がないと成立しません。

法外なライセンス料や理不尽な要求に何故
応じるのですか?

つまり、それでも儲かるわけですね(笑)

対等の関係にない者同士の間では時として不利な契約であろうが飲まざるをえない時もあるでしょう。

ところがこの場合はどうでしょうね。

美空ひばりの番組を放送できなくとも、テレビ局は困りません。別にネタは他にも山ほどあるのですから。

本当に法外だと思えば、もっと安くすて済むネタを仕入れればいいだけ。

結論
「もっと安く売ってくれれば、俺がもっと儲けられたのに。あいつらの儲けが減ろうが俺の知ったことか。」

自分が欲の皮つっぱらせてる事は棚にあげて
批判するのはおかしくないですか。
返信する
ご回答。その1 (切られお富)
2007-11-18 02:19:36
たびたびのコメントありがとうございます。

では、早速反論させていただきますが…。

>デザイン・エクスチェンジの件については
時系列的にあなたの主張には無理があります。
角川春樹やアメリカでの「生きる」「七人の侍」のリメイク権は同社が権利取得する前に売却されたものです。

そもそも、「アメリカでの『生きる』『七人の侍』のリメイク」にはわたしは言及していませんし、黒澤作品リメイクが続くことが予想される背景として記事を書いてます。

また、角川春樹に関しては、あの角川氏が複数作品の許諾料をグロスで交渉するであろうことは想像に難くないし、実務的に言っても、国内の原作権許諾契約は遅れ気味に締結されるのが業界慣例であるので、「時系列的云々」は説得力がないですね。

また、百歩譲ってあなたのおっしゃる作品の許諾にDE社が関わっていないとすれば、主要な黒澤作品の許諾がすでに行われた段階での、4億円ものMGの支払いは随分お人よしに思えますね。

>自分が欲の皮つっぱらせてる事は棚にあげて
批判するのはおかしくないですか。

別に許諾料の高い安いレベルの話であれば、ビジネスライクに考えて判断すればいいと思いますが、権利があるのかないのか定かでないものまで圧力をかけたりすればやり過ぎでしょう。(NHKの大河ドラマ『武蔵』の問題なんかが典型。)

こういうことがあるから、福井健策弁護士あたりがやっている著作権存続期間に関するシンポジウムが開かれたりするんです。

もちろん、彼らがクリエーターの権利主張の先駆けだったことは十分に認めるわけですけど。

以上、その2に続く。
返信する

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