切られお富!

歌舞伎から時事ネタまで、世知辛い世の中に毒を撒き散らす!

「「『風流夢譚』の出版自体は罪ではないし、言論の自由として認められるべきだが…

2007-04-16 23:43:35 | 超読書日記
「「『風流夢譚』の出版自体は罪ではないし、言論の自由として認められるべきだが、出版によって起こり得る事態を想定しなかったことは責められる」と島田雅彦は書いた」、という金井美恵子の文章を読んだ、わたしの感想はといえば、このブログを始めてから最長のタイトルなんだけど、別にRSS機能にたいする嫌がらせでも何でもなく、素直に金井美恵子の嫌みったらしさが正しいって思えたってことで、島田雅彦って、一番誰からも狙われそうにない作家になっちゃったって思うからでもあり、これは、金井美恵子の『目白雑録(ひびのあれこれ)』という文庫に入っている文章なんだけど、島田の発言が皇室問題に触れる恋愛小説『彗星の住人』をめぐって行われたものであり、この本、出たばっかりのときにすぐ初版本を手に入れたにも拘らず、最初だけ読んだだけで本棚にしまったままのわたしが言うのもなんだけど、それというのも、二人称の文体が「今更!」な感じがしたからで、二人称の小説といえば、古くはビュトールの『心変わり』とか倉橋由美子の『暗い旅』、比較的近年ではあの高橋源一郎が翻訳したジェイ・マキナニーの『ブライト・ライツ、ビックシティ』なんていうのもあったけど、島田と福田和也との対談では、ビュトールをロブ・グリエと間違えるなんていう、フランス文学を専攻していた評論家とは思えない間違いをしでかした福田和也に苦笑いしつつ、エミリ・ブロンテの『嵐が丘』の有名な冒頭を二人して勘違いしているというあたりまで、徹底的に小馬鹿にされているバブル世代の中年男二人と、毅然たる嫌味なオバサン金井美恵子に感嘆しつつ、話はどうしてもこのブログでも何度も取り上げてきた深沢七郎の「風流夢譚」に向かわずにはいられなくて、「風流夢譚」発表当時の深沢七郎だって、この小説のせいで中央公論社の社長の家が襲われて人が死ぬなんて想像していたはずもなく、びびったのか何なのか判らないけど、右翼を刺激したはずの大江健三郎の「政治少年死す」が出版されないのは単なる大江の自意識に過ぎないことは明白なわけで、いずれにしても読書家をいまだ惹きつけずにはおれない作品を作り出した深沢、大江に比べれば、島田の『彗星の住人』をはじめとする<無限カノン三部作>が後世に残るとは思えないばかりか、発表された当時だって文芸誌以外で誰が話題にしたのかっていっても、福田和也が島田を批判したことで辛うじて小さな事件になったくらいの情けない体たらくを、浅田彰や田中康夫とデビューが一緒の島田が本当は自覚していないはずがないんだが、それにしたって、話題にもならない作品を続けている島田が「「『風流夢譚』の出版自体は罪ではないし、言論の自由として認められるべきだが、出版によって起こり得る事態を想定しなかったことは責められる」なんてことを言ったなんて聞いてしまうと、もうそろそろ命を狙われるくらいの小説を書いてくれたっていいじゃないって、かつての"青二才”ファンは思ってしまうわけで、"青二才”っていってもピンと来ない読者のために解説してしまうと、かつての島田といえば、"成熟”を拒絶した永遠の"青二才”をキャッチフレーズにしていた若手美男作家だったという話を昔話しながら、やっぱり、「カプセルの中の桃太郎」や「スピカ、千の仮面」や「僕は模造人間」を愛した島田ファンのため息は、すっかり地味な大学教師になった島田に向かわざるを得ないわけで、この寂しさと虚しさは、金井美恵子の文章のまねをしているわたしのこの文章全体を覆うトーンだってことを白状して、これで終わりにしておこうと思う切られお富なのでありました。

目白雑録

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