水曜日が待ち遠しい!

映画の感想。TVで放映された旧作などを中心に。現在ほぼ休止状態につき更新予定なし。

いろいろ・・・

2006年12月31日 | 雑談
年末はどのTV局でも人気の高かった映画を放送する傾向があるけど、最近はCSの普及とか低価格でレンタルできたりで、昔に比べてそのありがたさも薄くなったなぁ・・・。でも、それでも毎年淡々と大作を放送し続けてくれてるのはそれはそれでありがたい。

そんなワタシがこの年末にいちばん感動したのは昨日千葉テレビでひっそりと放送してた「あしたのジョー2」でしたわ。
いままでストーリーだけは散々いろんな人から聞かされてたので自分できちんと観たことがなかったけど、あのクライマックス、ホセ・メンドーサとの試合はもうハリウッド映画さえもチープに見えてしまう迫力でした・・。
まさか、こんなに完成度の高い作品だったなんて知らなかったです・・・。
目からウロコ。
声をあててる人たちも意外な俳優さんを使ってるし、また、それがよく合ってたりして。(ジョーの声があおい輝彦さんとは知ってたけどホセ・メンドーサの声が岡田真澄氏だったとは!)

もしかしたら漫画を読んでた人から見ると物足りない部分もあったかもしれませんがワタシにとってはまさに思わず息を呑んで見守る展開でした、あのラストは。
ヘタな実写モノなんかよりもずっとずっと名作ですよ、これ。

ちなみに原作者さんサイドは主人公死亡説を否定してるらしいですが、ワタシはつい先だって「ミリオンダラーベイビー」を見た影響なのか、あのまま真っ白な灰になって絶命したと解釈することにしてます。

ううむ、久々に深い感動を覚えた大晦日一日前の夜でした。

硫黄島からの手紙

2006年12月24日 | 映画館で
映画が始まっていきなり日本語で二宮和也の語りが流れたとき、あれ日本語だって一瞬混乱してしまったのは自分だけでしょうか・・
つか、なんで主役が二宮和也・・・キャスティングの基準がよくわからん・・

この作品を観るにあたって「父親たちの星条旗」のディテールをすでにほとんど忘れてしまってるのがちょっと勿体無かったかも。
もしかしたら同じ日に「父親たちの星条旗」と二本立てで立て続けに観たほうがよかったのかもしれない、とふと思ってしまった・・・・

冒頭、調査隊みたいな人たちが硫黄島で洞窟の中を掘り起こすシーンが映ったとき、あ、これはラストでまたこのシーンに戻って締めくくるんだろうなー、って思ったらビンゴ~でした。

「父親たち・・・」のほうもそうだったけど、戦闘シーンの悲惨さはやはり予想通りで、それらしき場面になりそうなときは事前に耳を塞ぐ用意をして挑みました・・(→小心者
特にあの手榴弾での集団自決シーンは・・・うぅぅ・・・やっぱり衝撃的だ・・・

CMで流れてたナレーションで36日間って言ってたけど、こんな状況でよく36日間も耐え続けたことに何よりも驚いてしまった。
よく”死んだほうがまし”って何気なくふざけて気軽に言うことがあるけど、こういう状況でこそ本来使うべき言葉なんだろうなあ・・。
殊に、職業軍人だった栗林中将はともかく、パン屋だったり洋品店の店主だった人たちがある日突然こんな戦場に送り込まれて、上官から陰湿なイジメを受けて、真っ先に敵に向かって突撃させられて、犬死していくさまはなんともいえない気分・・。
これはまさに「私は貝になりたい」の世界。

今までいろいろ戦争のことは学んできたつもりだったけど、硫黄島のことは今回の映画で初めて知ったというのが恥ずかしいけどホントのところ。
それをまたアメリカ人のクリント・イーストウッドが作った映画でってところになんだか情けないやらありがたいやら・・。
そして相変らずの絵画のように美しい光と影の映像はもはやイーストウッド作品にはなくてはならないものですなあ・・。ウットリ。
それにポール・ハギスの脚本もまたまた期待通りのものだったんで、この先、この脚本家からは目が離せません・・。

ただ、ちょっと疑問に思った点は、日本人の一般市民が出てくるシーンで、年配のご婦人方はともかく、小さい子どもまでが着物を着てましたよね。あの時代、日本人はもっとふつうに洋服を着てたと思うんだけど、こういうところがアメリカ人の目から見た日本人像なのかしらん・・・。

アメリカで思いがけず批評家たちの評価が高いことにちょっと意外・・な感じでビックリしてます。(◎-◎;)

敬愛なるベートーヴェン

2006年12月13日 | 映画館で
この時期観るにはピッタリの映画でした。
つか、もう最初っから第九が聞きたいがためだけにこの映画を観にいったようなものです。( ;^^)ヘ..
そして本編半ばであの第九の合唱が高らかに流れたときには、もうストレートど真ん中に琴線に触れて思わずウルッときました。ジ~ン
(「バルトの楽園」もなんで12月に公開しなかったんでしょうね?)

ストーリーはよくありがちな、”天才だけど人間的にはサイテーな芸術家”の話なんだけど、これって実話じゃないっすよね
作品解説サイトではアンナはどうやら架空の女性ってことらしいし。
でももし、アンナが本当に実在してたとしたらベートーヴェンの晩年はなんて幸せだったんだろうって思っちゃいました。だってあれだけ彼の才能に心酔し、尚且つ的確にその作品を理解してサポートしてくれて。
まさに彼自身が本編中で言ったようにアンナは神が使わした女神そのもの・・。

そんな女神様に対してすらもベートーヴェンって平気で侮辱したり怒鳴りつけたりするからホント人でなしのサイテーな男だよ、あんたって。
でもそのすぐあとでショボンとして必死で平謝りするところがなんとなく笑えるけど・・。

写譜をするシーンがあったり、劇中”サリエリ”という名前が何度も出てくるせいか、どうしても「アマデウス」と比較してしまうんだけど、才能のある天才芸術家ってその人のことを正しく理解してサポートしてくれる人がいてこそ、初めてその才能が世間に知ってもらえるんじゃないかって真剣に思ってしまいました。
だから、アンナが自分の才能を認めてもらえないことを何度も嘆いていたけど、人の鼻歌で写譜出来るだけでもものすごい存在価値だと思うんですよね。いわんや、サリエリをや、ですよ。うんうん。

そしてやっぱりいちばんの盛り上がりは第九の初演日。
アンナがやってくるまでベートーヴェンにずーっとこき使われ続けてもうヨロヨロ状態のシュレンマーが”ミス ホルツ~”って泣きそうな声で助けを求めてきて、アンナが急遽、指揮の影武者として舞台の陰でベートーヴェンのサポートをすることになるのですが、そのときのアンナの凛とした表情とアンナの指揮に導かれて安心しきって指揮台に立つベートーヴェン、そして隅っこに座って涙を流しながら嬉しそうに観ているシュレンマー。
・・・・もう、第九のメロディが流れている中、この3人がスクリーンに映ってるだけで泣けました。ジ~ン

そして聴衆の大喝采。

ホントならここをクライマックスにして穏やかなエンディングになっても良かったとおもうんだけど、この映画はそうじゃなかったんですよね。
その後、アンナがいったんベートーヴェンの無礼な言動に腹を立てて去っていったりとか(その後アンナは戻ってきたけど)、新作の大フーガが不評で、心労からそのまま病に倒れてしまったりとか、第九で華々しく賛美されたのがウソのような惨めで寂しい最後だったのがちょっと意外。
でも『人でなしの芸術家』にはああいう最期がどうしても似合ってしまうのよね。

で、結局アンナはベートーヴェンの才能を最後の最後でやっと完璧に理解したってことなのかな?
冒頭、時間軸でいうとラスト、
”私にも大フーガのメロディが聴こえました!”(だったっけ?うろ覚え・・)
ってアンナが瀕死のベートーヴェンに言ったのは、初演時にはその良さがわからなかったけど、今ならあなたに聴こえていた音楽が私にも聴こえる、って言いたかったのかな?

「王の男」

2006年12月12日 | 映画館で
本来、韓国映画は苦手なのですが、予告で見た雰囲気だと韓国っぽくなくて時代設定が”むかし、むかし、あるところに・・・・”的ないわゆるファンタジー要素の強い感じだし、まあ、大丈夫かな?ってなノリで観にいってしまいました。

途中、おおっ!これはもしかして予想外に拾いものの映画だったって大いに期待しかけた瞬間があったんですが、観終わって、う~ん・・・・まあ、こんなもんか・・、ってところでした。いや、でも、良かったですよ、うんうん。衣装も綺麗だったし、ファンタジックだったし、まるで角川スニーカー文庫とか読んでるみたいで。(褒め言葉です、いちおう
もし、今の自分がいたいけな女子高生だったら大絶賛で素直に感動してたかも、こーゆー映画は。( ;^^)ヘ..


個人的にはもうちょっと行きつくところまでとことん突っ走ってほしかったんだけど・・。なんか意外と中途半端な終わり方でちょっとガックリ。

それまで虚構の幸福に浸ってた日々から、偶然招きいれた芸人たちの存在によってうっかり自我に目覚めて自分の孤独に気づいた王さまの、”あとはもう堕ちていくだけ”な狂気の極みが観たかったよ~。
「西太后」レベルの大殺戮を無意識に期待してたワタシがそこにいました・・・。(鬼)

これがもし、『大道芸人』という職業に対して心から敬意を払った映画だというのなら、ひとりの芸人が一国を徹底的に破滅させるまでのこれぞ”傾城”みたいな、物語を見たかった気もするんですが・・・。

結局、あの気の毒な王さまの孤独を描きたかったのか、それとも社会の底辺で力強く生きている芸人たちの悲哀を描きたかったのか、どっちつかずな感じで、ちょっと消化不良な気分です・・。
そう考えるとやっぱ、「さらば、我が愛~覇王別姫」ってホントに良い映画だったんだよな~(結局ソレかよ!)

ところで、あのちょっとイっちゃってる王さまがどうしても北村一輝とかぶってしまうのはワタシだけではなかったのでは?
(;^_^A それにしてもアレだけ芸風が似てる役者さんが韓国にもいたんですなあ。そう思い始めると今度はコンギル役の人が及川ミッチーに、官女ノクスが広田レオナに見えて仕方がなかったりします・・・。



「ミリオンダラー・ベイビー」2004年作品

2006年12月09日 | TV番組で
うぅぅぅーーー、まさか地上波の吹き替え版、しかもカットしまくり状態で初めてこの作品を観る羽目になるとは・・・。なんたる不覚・・・。
だって劇場公開時に観そびれたんだもんー、レンタル店も利用しないんだもんー、CSでもやってくれないんだもんー。(`~´) フンッ!

でも今回クリント・イーストウッドの吹き替えをやった瑳川哲朗さん、なかなか良かったかも。
もはや今のイーストウッドは山田康雄のイメージじゃないのよね。

そして、人づてに薄々聞いてはいましたがまさかこういう展開になるとは・・・しばしボーゼン。( ̄▽ ̄;)!!ガーン
(少なくとも菓子パンしか受け付けなくなった病み上がりの胃袋を抱えて観る映画ではなかったようです。

そりゃボクサーだもの、多少の怪我はあるでしょうけどまさかヒロインにここまで残酷な仕打ちをするか?ふつう。
脚本、ラース・フォン・トリアーじゃないっすよね?

途中、レモンパイのお店がでてきて、お店の看板がなにやら意味深な映りかたをしてたんで、私はてっきり
”あ、この店きっと最後にフランキーがマギーのために買い取るんだ!あの看板が最後に『マギーの店』って名前になるんだ”って勝手に思ったのですが・・・?あ、あれ、買わなかったの?・・・そうですか・・。

色々と疑問の残るエピソードはいっぱいあったのですが・・・・。
たとえば、フランキーはなんで娘から拒絶されてるのかとか、マギーは母親がもしあそこで「負けたんでしょ?」って言わなかったら黙って財産を譲っていたんだろうかとか、反則で倒されたのに何であの試合は「負け」だったのかとか、でもでも、もうそんなことはどうでも良くなるくらいもうクライマックスからラストまではフランキーとマギーの2人の崇高で純粋な世界にドップリ堪能させてもらいました。
。。・゜・(ノД`)・゜・。 

最初、マギーが女性であることでこの映画を安易な恋愛モノにしようとしたのかな?と思ったのだけど、実際観てみて全然!
イーストウッドとヒラリー・スワンクの2人の役者のおかげなのか、彼らの間にはセクシャルな匂いの欠片も感じなくて、すごくスッキリサッパリした雰囲気で観ることができました~。
これはすごく嬉しい誤算。
むしろマギーが男性だったら、逆にホモ臭いムードになってたかも知れないと思うと、教養のある老トレーナーと、家族の愛に飢えた貧困で意志の強い30代女性、という組み合わせは絶妙だったんだろうなあ。

もしかしたらマギーのほうはフランキーに自分の父親を投影していたのかもしれないけど、でもそのつど、”やっぱりパパとはちがう”みたいに否定してたみたいだし、擬似父娘という関係でもなかったですよね?っね?(って誰に同意を・・

2人の感情はそんな安易な男女の恋愛感情じゃない、擬似父娘でもない、もっともっと深く親密に結びついてる感じで・・。アイルランド系ゆえの民族の血がそうさせるのか?あれは権力に虐げられてきたケルトの同志?(すると2人のご先祖様はアレですか、やっぱ”ジャガイモ飢饉”でアメリカに移住してきたんでしょうか・・・


そしてこの映画ではずせないのがモーガン・フリーマン。

彼の視点から語られることで、全体的にワンクッション置いた冷静さで描かれていたような感じかな。最後の安楽死にしてもそれを肯定も否定もしない、「ただ、彼はそうしました」的なある意味、突き放したようなものの見方で。
それはちょうどフランキーがずーっと教会に通って救いを求めていたのに対して、結局何も起こらず、フランキー自身が行動を起こすしかなかったのと同じように、神の残酷さをそこに感じてしまった・・。
あの絵画のように美しい光と影のコントラストの映像が余計ストーリーの悲惨さを際立たせてた気もして。

それにしても、誰かに安楽死を頼むってことはホントにこういうことになるんだよなって思いました。辛い、辛すぎるよ、あのラスト・・。アレはまさに精神的心中そのもの・・・。

・・・最後にあの頭のネジのちょっとユルんだ男の子がジムに戻ってきたのがせめてもの救いだったけど。( ;^^)ヘ..つか、あの男の子の存在はなんなんでしょう?何かの隠喩か?

ちなみに見終わった後でほどなく眠りについたために、映画の残像が夢に出てきて明け方近くにすごく、うなされました。
( ( (__|||) ) ) どよぉ~ん。。。
映画観てその夜にうなされたのって、昔フジテレビのゴールデン洋画劇場でマイケル・チミノ監督の「ディアハンター」を初めて観たとき以来だわ・・。