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日々の体験や思ったことを綴ります(by 涼風)。

相互関連 『完全なる経営』 A・H・マズロー(著)

2006年01月08日 | Book
社会科学の観念として、道徳的な良し悪しと客観的な分析とは区別されなければならないというものがある。このことを端的に打ち出したのがマックス・ヴェーバーです。『職業としての学問』の中で彼は、第一次大戦中のドイツの情勢に関して、平和主義を貫くことで戦争が長引く可能性がある場合、それを指摘することが社会科学の仕事であることを指摘しています。

このヴェーバーの観念は今でも多くの社会科学者に受け継がれています。

奇妙なのは、ヴェーバーはこの「平和主義を貫くことで戦争が長引く可能性」というものを分析したわけではありません。彼はただ、社会科学というものが道徳とは切り離された中立なものであることを強調したいがために、自分が分析しているわけではない「平和主義を貫くことで戦争が長引く可能性」という仮定を打ち出し、社会の認識は道徳やその人の持つ価値観に左右されないことを述べたのでした。

わたし自身はこのヴェーバーの主張には“嘘”があると思いました。「平和主義を貫くことで戦争が長引く可能性」という仮定をいきなり持ち出すところに、最初から道徳や平和主義的価値観を批判しようという彼の意図を感じたのです。また、社会の認識がその人の持つ価値観・感情に左右されないという言明にも、最初から道徳的な価値観を拒否しようとする意図が彼にあり、それに左右されない「客観的な認識」というのは、ヴェーバーの好戦的な価値観と結びついたものだと思いました。


アメリカの心理学者・マズローは、人間と社会というものを公平・客観的に分析するほど、人間の内面に自己実現と善への希求がみられると述べました。また彼は、こうした善への希求or悪への希求というものは、周囲に伝播するものとみなしていました。つまり、好戦的なものは好戦的な事象をひきつけ、善的なものは善的な事象をひきつけるのです。


「地域社会の改善が製品の優秀さに何らかの影響を与えないとすれば、どこかに不具合があるのだ」

「現実の姿はこうだ。

  企業、例えばノンリニア・システムズ社は、地元の地域社会に属している。

  そしてこの地域社会は、南カリフォルニア地区というより大きな共同体に組み込まれている。

  さらに南カリフォルニア地区はカリフォルニア州と明らかに機能的な結びつきを有しており、

  カリフォルニア州はアメリカ合衆国に、

  アメリカ合衆国は西欧世界に、

  西欧世界は全人類と全世界のうちに組み込まれている。

  たとえばノンリニア・システムズ社は、警備のためにマシンガンと大砲で武装した三千人の私設軍を置かず、たった一人の夜間警備員を雇っているだけである。これは当たり前のことだと考えられているが、そう考えることができるのは、前述の関係が上手く行っている場合だけである。

  ノンリニア・システムズ社の社員が路上で殺害される危険があるということになれば、同社が存在しえないことは言うまでもない。

 はっきりと理解しなければならないのは、ノンリニア・システムズ社が、一見当然だと思われる結びつきやサービスなどの織り成すネットワークの中に存在しているという事実である。

 連邦政府は陸軍やFBI、米国議会図書館などを維持し、アメリカ合衆国に関するあらゆることがらを処理しているが、こうした組織や機構がなければノンリニア・システムズ社は崩壊し、存在しえなくなる。同様のことがNATOや国際連合などについても当てはまる

 これを別の言葉で言い換えれば、ノンリニア・システムズ社に生じた変化は、その良し悪しにかかわらず、デルマー市をはじめ、南カリフォルニア、カリフォルニア州、アメリカ合衆国、西欧世界、さらには全世界に何らかの影響を及ぼすということだ」

 「もっといい世界になれば、国家ももっといいものになり、また地方政府が、企業が、管理者が、労働者が、そして製品がもっといいものになる」

 「製品がもっといいものになればなるほど、労働者が、管理者が、企業が、地域社会が、州が、国家が、世界が改善される」

(A.H.マズロー『完全なる経営』P.186-191 日本経済新聞社)

マズローにはヴェーバーと対極にある点が多くあるのですが、この文章もその一つだと思います。


涼風 

 


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