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日々の体験や思ったことを綴ります(by 涼風)。

作家の死 『テクストから遠く離れて』 加藤典洋(著)

2004年08月16日 | Book
加藤典洋著『テクストから遠く離れて』を読みました。

この本では、作者の意図とテクストの解釈を切り離すいわゆる「テクスト論」を批判し、テクストを解釈する上では作者を想定せざるをえないこと、しかしその作者とは現実の作者というよりも、わたしたちが文学テクストを読む中で読者の側で不可避的に想定している作者であることなどが詳しく論じられています。

よんでいて「そうそうそうなんだよ」と思わず心の中で言いたくなりました。いわゆる「テクスト論」ではテクストの解釈の多義性ということが言われて、作者とテクストが別物であると論じられていました。少なくとも、そういうイメージがテクスト論については流布していました。

それに対して加藤さんの議論は、テクストの意味は読者それぞれによって解釈されることと、テクストを解釈する上で作者の意図を論じることは決して矛盾しないことを、くわしく論じています。

テクスト論が打ち出した「作家の死」という概念はそれ自体は正しくても、にもかかわらず読者は作者の意図を考えながら小説を読んでいるという事実を説明することができませんでした。

それに対して加藤さんは、読者は一度生身の作者を消して自分の解釈で小説を読みながら、また自分の側でもう一度作者を創出している事態を上手く説明しています。

ここで論じられている「テクスト論」の説明に異議を出している人が多いようです。そのあたりの議論は専門家に任せましょう。ただ、加藤さんの「テクスト論」の理解が正しいか否かにかかわらず、加藤さん自身のテクスト論はとても説得力のあるもののように感じました。

ただ、加藤さんが批判する「テクスト論」が正しく理解されていないのなら、「テクスト論」を正しく理解することで、加藤さんの議論がどう乗り越えられるのかを知りたい気もします。そこでは、文学を読むということがどういうことかについて、より発展した議論が展開されていることでしょう。

もう一つ興味深かったのは、加藤さんが文学のテクストと数学のテクストとは異なると述べていること。文学のテクストは作者がおかれている文脈・意味状況に左右されるが、数学はそうではないと論じていたと思います。

もしそうだとすると、社会科学のテクストはどうなるのだろうか?社会科学のテクストは、論理的であると同時に、時代の状況に激しく意味が規定されるそういうテクストです。もっとも、これは社会科学者自身が取り組むべきテーマなのでしょう。


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