『タイガー&ドラゴン』が終わってしまいました。多分5回目か6回目から観始めたけど、宮藤官九郎のドラマって面白い。
たとえばフジテレビのドラマは、一見そのときの若い人たちの感性にいちばん近いように見える。だけど、僕の知っている限りではフジのドラマというのはとても道徳的な説教をしたがる。主人公達は恋愛や仕事で傷ついたり傷つけたりしながら、最後には他人を愛し・人に優しくしましょうというメッセージをお約束のようにつけていく。またセットや撮影の色使いはとても平面的なカラーで、キャスティングも予定調和的な選び方しかしない。
ぼくには、フジのドラマは、視聴者の現代的な感性に一見近いようでいながら、実際はレディ・メイドされたお菓子を提供しているだけにしか見えない(あたかも私たちに他の選択肢を与えないかのように)。視聴者のニーズを追い求めるふりはしているし、本人たちもそのつもりかもしれないけど、実際は「大衆が求めているのはこんなもの」という不真面目な態度が漂う。そう僕はよく感じる。
それに対しTBSのドラマは、フジのように視聴者にすり寄りたいというスケベ心と、視聴者を本当に感動させるドラマを作りたいという生真面目さの間で分裂して、結局何を言いたいのかわからないものになりがちです。
日本テレビは、じつはとても真面目にドラマを作りたがっている局です。時代の流行に鈍感なのか、あるいは流行に追いつけないのか分からないけど、真面目そうなテーマに、真面目な役者を振り当てて、真面目なドラマをつくる。それが面白さににつながるかどうかはまた別問題だけど、ドラマの制作陣は実は真面目な人たちなのでしょう。
(そう考えると日テレは不思議な局です。一方でそういう真面目な社員がいながら、『愛は地球を救う』という番組の中で深夜に野球拳をやり、若い女の子の服を脱がそうとする。そして朝が来るとシャアシャアと飢えている難民の映像を流したりする。ホントに不思議だ)
話がそれたけど、僕が言いたかったのは、宮藤官九郎のドラマは、そうした業界の流れを突っ切って、意表をつくユーモアを連発し、表面的な市民道徳を容赦なく剥がしながら、そうしたあとで彼自身の優しさみたいなものを表現しているところが特徴です。そこには嘘がそれほど感じられない。
キャスティングも、脚本の意図を汲んだ誠実なものだったんじゃないだろうか。
涼風
たとえばフジテレビのドラマは、一見そのときの若い人たちの感性にいちばん近いように見える。だけど、僕の知っている限りではフジのドラマというのはとても道徳的な説教をしたがる。主人公達は恋愛や仕事で傷ついたり傷つけたりしながら、最後には他人を愛し・人に優しくしましょうというメッセージをお約束のようにつけていく。またセットや撮影の色使いはとても平面的なカラーで、キャスティングも予定調和的な選び方しかしない。
ぼくには、フジのドラマは、視聴者の現代的な感性に一見近いようでいながら、実際はレディ・メイドされたお菓子を提供しているだけにしか見えない(あたかも私たちに他の選択肢を与えないかのように)。視聴者のニーズを追い求めるふりはしているし、本人たちもそのつもりかもしれないけど、実際は「大衆が求めているのはこんなもの」という不真面目な態度が漂う。そう僕はよく感じる。
それに対しTBSのドラマは、フジのように視聴者にすり寄りたいというスケベ心と、視聴者を本当に感動させるドラマを作りたいという生真面目さの間で分裂して、結局何を言いたいのかわからないものになりがちです。
日本テレビは、じつはとても真面目にドラマを作りたがっている局です。時代の流行に鈍感なのか、あるいは流行に追いつけないのか分からないけど、真面目そうなテーマに、真面目な役者を振り当てて、真面目なドラマをつくる。それが面白さににつながるかどうかはまた別問題だけど、ドラマの制作陣は実は真面目な人たちなのでしょう。
(そう考えると日テレは不思議な局です。一方でそういう真面目な社員がいながら、『愛は地球を救う』という番組の中で深夜に野球拳をやり、若い女の子の服を脱がそうとする。そして朝が来るとシャアシャアと飢えている難民の映像を流したりする。ホントに不思議だ)
話がそれたけど、僕が言いたかったのは、宮藤官九郎のドラマは、そうした業界の流れを突っ切って、意表をつくユーモアを連発し、表面的な市民道徳を容赦なく剥がしながら、そうしたあとで彼自身の優しさみたいなものを表現しているところが特徴です。そこには嘘がそれほど感じられない。
キャスティングも、脚本の意図を汲んだ誠実なものだったんじゃないだろうか。
涼風
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