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日々の体験や思ったことを綴ります(by 涼風)。

統制されないお金 『マッド・マネー―世紀末のカジノ資本主義』 スーザン・ストレンジ(著)

2005年03月01日 | Book
★今回の記事は、400字詰め原稿用紙15枚分ほどです。また、多くの人にとって既知のことが書かれてあります。

ライブドアが郵政に飛び火 自民部会で批判噴出 (共同通信) - goo ニュース


上のニュースは、郵政民営化により、郵便局にある市民の貯蓄がアメリカ企業や政府の金融商品の購入に当てられ、アメリカ財政を潤す道具として使われるのではないかという懸念を政治家が述べたものです。

こういった構造は90年代を通じて一貫して維持されてきましたが、日本最大の貯蓄額を誇る郵便局にも手がつけられることで、ますます日本はアメリカの奴隷となるのではないかという危機感を政治家が表しました。

日本人の貯蓄や税金がアメリカ財政赤字を補填する仕組みはアメリカによって作り上げられましたが、その過程で日本は円高とバブル崩壊を余儀なくされ(もちろん日本側の責任もありますが)、多くの人が経済的な不安をいまだに抱いたまま生活をしています。

これほどにまで人々の生活を左右する「金融」が一部の金融業界人によって動かされていることを考えると、怖くなります(ちなみに、ウォール街で働く人々のクリスマス時の平均ボーナスは1000万円だと昨年NHKが報じていました)。


その国際金融について少しずつでも知っていこうと思っていて、『マッド・マネー―世紀末のカジノ資本主義』という1997年に書かれた本を読みました。

7年も前に書かれた本です。この変化の激しい時代に7年も前の本を読むのはノンビリしていると思う人もいるかもしれません。

ただ、国際金融という分野に限れば、ある国の投資機関が別の国の金融市場でマネー・ゲームを行なうことが顕著になったのが、つまり世界各国で金融規制が緩む傾向が顕著になったのが90年代以降であるという事実を勘案すれば、現代を視る上で97年の本はそれほど時代遅れではないと言えるように思います。


この『マッド・マネー』の著者スーザン・ストレンジさんが指摘しているのは、金融機関という私企業が世界的に金融市場の株価操作等で利益を上げながら、自分たちが乗り込んだ国の人々の生活がメチャクチャにされていく仕組みです。

例えば、「外国」の投資機関がある国の金融商品を買うことに規制がない場合の悲劇として、ストレンジさんは、慢性的な債務国のメキシコや、本格的な経済開発への道を歩み始めたアジアなど、経済的に発展途上の国の例を挙げています。

メキシコは大きな債務危機を82年と95年に経験していますが、その被害は95年のほうが遥かに大きく、それには95年の危機では海外からの資金流入と流出が多額だったことが決定的でした。

82年の危機の場合、海外(主にアメリカ)の銀行はその判断ミスから大きすぎる貸し出しを行い、メキシコは利子さえ支払えない状況に追い込まれました(それには、メキシコの腐敗した政治家による借り入れたお金の不正蓄財も関係していました)。結局そこでのアメリカの銀行の損失は、アメリカ政府・世界銀行・IMF・日本輸出入銀行の資金提供により補填されました。

アメリカの金融機関はたしかにこの事件を教訓としましたが、それは経済発展途上国を債務危機に追いんではいけないと学んだのではなく、経済発展途上国が求める資金の貸付には自分が応じるのではなく、自分が仲介をして投資家のお金をそこに注ぎ込んで、そこから利益を得るほうがトクだということを学んだのでした。

90年代には、メキシコ政権は以前の危機に懲りず、300億ドルもの国債を発行していました。これは明らかにメキシコ政府の無責任な決定でした。しかしこれにより、海外の投資家にとっては、当時のアメリカとメキシコの金利差から、ニューヨークで5-6%の金利でお金を借り、それを12-14%の金利でメキシコに投資することが可能な状況ができました。

海外への投資が活発になっていた90年代では、この状況により巨額のお金がメキシコに流れ込みます。英米の金融機関は顧客たちにメキシコへの投資を促し、メキシコの証券市場では90年から93年に910億ドルが海外から入り込んできました。「そのうちの3分の2が証券投資であり、その大半はメキシコの株式市場に投資され、株価高騰に火をつけた。市場は、その3年間にドル換算で436%もの高騰をみせたのである」(183頁)。

またアメリカFRB(連邦準備制度理事会)が、当時のアメリカ経済の活況によるインフレを怖れて金利を引き上げたため、金利差と自国通貨の信認を維持するため、メキシコはさらなる金利引き上げとペソ買いを行い、無意味に市場を加熱させていました。

バブルが実体のない価格高騰である以上、それに市場が気づいた時点で下落は(容赦なく)始まります。「崩壊は、いざやって来ると82年のそれよりも急激であった。94年12月19日、セディージョ大統領はテソボソス(メキシコ国債)〔償還時〕の保証ドル・レートを引き上げたが、22日には為替相場の維持を諦めてペソを下落するにまかせた。その間たったの3日であった。メキシコは、その対外資産と対外債務の差額およそ550億ドルの不足に直面した」(185頁)。このメキシコの債務の90%は、メキシコ国債の保有者、海外のファンド・マネージャー、ノン・バンクを含む非公的部門の投資家からの借り入れでした。

このあとアメリカは、メキシコの金融市場を回復させるため、他国政府・IMF・世界銀行・アジア開発銀行に対し救済資金としての公的資金の提供を促します。
しかしこの資金提供は、メキシコ国民を救済するためのものではなく、アメリカや海外の投資機関・投資家がお金を注いだ金融市場の回復のためのものでした。このあたりの事情について、ストレンジさんは、科学的な分析という枠組みを離れて、1頁を割いて次のように叙述しています。それは、国境を越えて投資ゲームが行なわれた場合の一つの帰結を表しています。

「アメリカ世論はもちろんメキシコの「回復」を喜んだが、喜んだのは金融市場の信頼回復につながる回復だけだった。回復とは、メキシコにおける1997年の生活が、94年と同じに回復することを意味しなかった。メキシコの人々にとって、95年の危機がもたらした帰結は、前回の危機より一層ひどいものだった。小規模の銀行や中小企業は相当な打撃を受け、およそ8000もの企業が営業を停止した。

もっとも手ひどい影響を被ったのは、貧しい人々であった。公式統計によれば、実質賃金は25-30%の低下を見ている。北部の裕福な町モンテレーにある小教区の司祭の一人は私に、貧しい教区民たちの世帯所得は半減したと語った。この数字が意味する現実とは、食べるでは物では肉がなく、豆とトルティージャ(主食のとうもろこし粉を薄く焼いたパン)だけということであり、着るものでは新しい服や靴がなく、子どもには仕立て直しかお古だけということである。仕事に行くためのバス代でさえ、友人や親戚から借りなければならなかった。もっと裕福な人々も、ドル建てで資金を借りていた場合には、担保にしていた自宅や自動車を失うはめになった」(187頁)。

このような悲惨な状況に陥った原因には、際限なき借り入れを行ったメキシコ政府の責任もありますが、利益を見つけた海外投資機関・投資家の行動がどれだけ実態のないバブルを他国で演出し、その国の市井の人々の生活を根底から脅かすかということも無視できません。


ストレンジさんは、このように90年代に起こったメキシコまたはアジアで起こった金融危機が、その近隣国に伝染した場合としなかった場合を取り上げ、金融危機が生じる原因をより深く特定しようとします。

最大の原因は、メキシコの事例で指摘したように、当該国への外資の急激な流入です。ストレンジさんが参照したある研究によれば、金融市場で動く投資家・機関は次のような「錯覚」をもつそうです。

一つは、ある経済発展途上国の通貨が「強い」場合、それは経済を自由化したためだと思われがちだけど、実際は高い収益率を求める資本流入が地価や株価を押し上げていること。そのため、バブルの崩壊とそれによる通貨の下落も避けられないことになります。

もう一つは、経済発展途上国の通貨が過大評価されがちであること。この過大評価があると、外資の流入が一時的に増えても、その実質的な価値が明らかになるや売り圧力が強くなります。

いずれにしても、外資を呼び込む条件自体は当該国で作られる場合もありますが、流入する外資があまりにも急激なため、つまり金利差や株価格の差などから利益を得ようとする者が世界中にあまりにも多いため、彼らが突然方向転換し、その国の通貨や株価への売りを加速させると、現地の経済は壊滅的な打撃をこうむります。

こうしてメキシコやアジアで金融危機が起きましたが、その金融危機は、ある場所へは伝染し、またある場所には伝染しませんでした。

まず、メキシコと近接するブラジルには、その危機は伝染しませんでした。ブラジルでは、コーヒーおよび砂糖輸出業者、製造業者の影響力が強く、その輸出を支えるために資本移動を規制して自国通貨を切り下げるのが常態でした。

また同じく金融危機を免れた台湾は、これもブラジルと同様に資本の流入を規制していました。

これに対して金融業界の圧力が強い国ほど(メキシコ)、資本移動を自由化して外資を呼び込む傾向が強く見られます。

これらの傾向から、研究者マクスフィールドさんは、資本〔移動〕を規制する非正統的政策(つまり、反ネオリベラル)の方が、急速に国際化しつつある世界で新たな工業化をはかろうとする諸国にとって、社会厚生面の便益は費用を上回りうる、と述べているそうです(192頁)。

このことは、これからの時代においては、金融商品を扱う業界が経済規制を担当する政治家に影響力を及ぼすことになってしまった場合、資本移動の自由化を促すため、その国は容易に海外の投資家・機関の餌食になってしまうということを意味しています。


では、なぜこのような「外資」が世界の金融市場を荒らすようになったのでしょうか。ストレンジさんはその条件として技術革新(コンピュータ、半導体、衛星)とデリバティヴ商品の発展を上げています。

コンピュータなどの技術発展が金融に与えた影響については、想像できるし、でも細かいところは現場の人にしかわからない、という印象もあります。ストレンジさんもそれほど詳述しているわけではありません。ただ、ストレンジさんが強調するのは、こうした技術発展によって金融業界にいる者は外部の人間が知らなかった取引方法を生み出していくのに対し、規制を行なう当局はかなり遅れて事後的に認可するかどうかを決めることになるということです。この書の題名のように、狂ったようにお金が飛び交うにもかかわらず、その実態を当局が把握することは技術発展によりますます困難になっていきます。

デリバティブについては、まさに今金融商品の花形として出ています。ストレンジさんはデリバティブが登場した原因を次のうちに見ています。

まず、デリバティブ取引とは、株式・商品・外国為替などの取引において、売買後の市場変動から来る損失に備えて、現在合意した価格で将来時点での購入・販売を取り決めることを言います。

ストレンジさんによれば、この種の取引が増大したのは70年代でした。ヴェトナム戦争、ニクソンによるドル切り下げ、変動相場制への移行にともなうアメリカでのインフレによって、価格と為替相場が不安定になったからです。

また、規制の網の目をかいくぐろうとする民間業者の知恵がデリバティブを促進しました。70年代に欧米の国々で自国民の外貨による借り入れが制限されたとき、それぞれが違う通貨建ての債務を交換するスワップ取引が増大しました。

また70年代以降の国際貿易の発展により、多くの企業は外貨にアクセスする機会が増えましたが、それと同時に外国為替相場・利子率・商品価格の変化による損失を防ぐため、あらかじめその損失を防ぐような価格で取引をするデリバティブが好まれ始めました。

もっとも、正直に言えば、このように説明したからといって、「デリバティブ」というものの本質、つまり「ハゲタカ」とまで言われるその商品の本質には到底わたしの想像力は及びません。ただ、ストレンジさんの次のさらなる説明は、その手がかりを私たちに与えてくれるかもしれません。

「リスクがつきまとう一方で、銀行にはデリバティブ取引サービスの提供だけでなく、自己勘定での取引という大きな利潤機会も生まれた。要するに、顧客のためにしか「注文」できないという規則は存在しなかったのである。市場がはっきりと上昇、下降のいずれか一方向に動いているとき、銀行やヘッジ・ファンドは、反対取引を増加させることによって自らの責任を顧客の側に転嫁することができた。また小さなコストとリスクで、成功すれば莫大な純収益を期待できるポジションを自己勘定でとることができた」(56頁)。

要するに、市場の動向が一方向の金融商品に傾き、そこから顧客が得られる利潤が少ない場合に、反対の取引を自ら行なうことで銀行自身だけが利益をあげ、彼らにそそのかされた顧客が損を見る機会が生まれたということだと思います。


この著書『マッド・マネー』は、投機目的の商売が銀行とのノン・バンクの垣根をなくすアメリカ発の傾向が世界中を覆っている現代の状況の問題点を包括的に指摘しようとします。上記の問題のほかにも、

・ 各国政府の税収入に打撃を与えるタックス・ヘイブン(租税免除地)が世界中にあるおかげで、多国籍企業はその地の銀行を利用することが状態となっていること。またその状態を各国政府を放置していること。

・ BIS(国際決済銀行)やIMF(国際通貨基金)などの超国家的金融組織は、各国の金融機関が国境を越えて利益を上げている状況に対して規制を発動させる権威を持っていないため、外資の移動による各地での経済的打撃を防ぐ手立てを打てないこと。

・ 「外資」は、環境問題と同じく、流入したその地域に打撃を及ぼす国境を越えた問題であるにもかかわらず、各国の思惑は一致しないため、共同歩調を取って金融を規制する可能性は極めて低いこと。

・ IMFなどが経済的打撃のあった地域にお金を捻出するにしても、それは主に金融システムの維持を目的としていること(「官僚はつねに、市民の生活よりも、システムの安定を最優先する」)。

などなど、様々な問題を指摘しています。ただ、この本はゲンダイ世界経済の金融がもつ問題を少ない頁数で包括的に論じようとしたため、掘り下げが浅くは感じられました。


今回のフジテレビの買収で堀江さんは、「外資はすでに多くの日本企業の株をもっている」と述べて、リーマン・ブラザーズ証券の株取得が取るに足りないことを強調していました。さらに堀江さんは、「彼らは株をいずれ売るのだから、放送局には関心がない」ことも力説しました。

証券会社が特定の放送局に関心が無いことは容易に理解できます。問題は、堀江さんが言うように、「外資」は買った株を売ることしか考えていないことにあります。

株式投資は、理想としては、自分が有望だと思う会社を育ててその見返りをもとめることです。現実がそうでないことは想像できるし、その理想を表立って言っても聞く人はいないでしょう。

しかし同時に、その理想から離れすぎて、諸企業の実質的な価値を大幅に上回るor下回る売買が行なわれたときに深刻な経済破綻を招き、多くの死者を出すことは、つい最近日本人が経験したことだし、20世紀の人類史が痛い思いをして知っていることです。

「外資」が問題なのは、それが外国からの投資だからというより、経済の実質的な価値を考慮した投資、あるいはその地の経済を活性化させるための投資などは一切考えず、ただ利ざやを求めることにあります。彼らが「ハゲタカ」と言われる所以です。


こうした金融業の行動が世界中で、またわたし(たち)の生活にどれだけ大きな影響を与えているのか、少しずつでも理解を深めていきたいと思います。


涼風 




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